徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ルネッサンス

2007-03-31 11:06:27 | Works
一旦家へ戻り、アポ等少々。

夕方から東芝EMIでベテランエンジニアの河田爲雄さんの取材。70年代から80年代にかけて、先日取材した草野浩二さんをアシストし、自らも多くの作品に関わった。90年代にはレコード会社のCD合同企画「ソングライタールネッサンス」に関わり、音蔵、Q盤などの流れを作られたスタッフのひとりである。団塊の世代で定年間近というお話だけれども、まだまだ現場感があるのは素晴らしいね。

税関

2007-03-31 10:51:17 | Works
テレコムセンター近くの合同庁舎にある東京税関のPRスポット「情報ひろば」の取材。これまで摘発されたワシントン条約で定められた輸入禁止動物の剥製や銃器、薬物の密輸テク(本をくり抜いたり、サーフボードの中に隠したり…)が展示されている、なかなか興味深いスポット。真面目な税関PRスポットであることは間違いないのだけれども、そこまでやるかというぐらい、命懸けで密輸する人たちの業も見えてくる。

皆さんも庁舎の真横にある大江戸温泉物語に行った際には寄ってみてもいいんではないだろうか。接点ないけど。

MONDOWS/LIFE GOES ON LIVE「SION」

2007-03-29 02:04:58 | Music
書籍企画の今後の方針について、渋谷で打ち合わせ。

打ち合わせ後、今回書籍のプロデューサーを務めるKさんから「今日、発売日です」とDVDを頂く。地上波デジタル放送のBSフジで昨年放送されたLIFE GOES ON LIVE「SION」。収録曲は文さんとのアコースティックライブではお馴染みな楽曲ばかりだけれども、『星・上を向いて行かなきゃな』と未レコーディング曲『元気はなくすなよ』のライブは見所かな。

【収録曲】
①新宿の片隅から
②ハードレイン
③がんばれがんばれ
④夜しか泳げない
⑤蛍(アカペラ)
⑥星・上を向いて行かなきゃな
⑦元気はなくすなよ

曲間に挿入されている“MONDOWS”なる一問一答のインタビュー(一言だけのコメント)は「デビューした頃」「青年時代」「80年代後半」「小さい頃」「日常」「現在」「未来」などのテーマから一問一答する。問答だからさらに突っ込んだ話にはならないのだけれども、言葉に詰まりそうな結構キツめのことも訊いている。それをはぐらかすのも、まあそれもSIONらしいのだけれども。

弥太郎

2007-03-29 00:46:09 | LB中洲通信2004~2010
月曜と火曜は久しぶりに福岡で打ち合わせ。
羽田で入江と待ち合わせ、昼前に福岡空港到着。30分後に別便の出田さんと合流し、そのまま編集長が待つ大名へ。この辺に有名店があるということで、オムライスで昼食。そして鉄平さんも合流して、ラインビルの総本山の会議室で2時間ほど今後の方針について打ち合わせ。天井高いよ。
打ち合わせ後、ひとまず編集長とは別れて、弥太郎へ。この弥太郎へ行くのは初めてなのだけれども、出田さんがあまりにも連呼するので行ってみると、これが博多の名店……というわけではなく24時間営業の普通のうどん屋でした。しかし一行にとって大事なのは、博多の名店でも、うどん屋でもなく、酒が呑める24時間営業店なのでノー問題なのです。ここで3時間ほど呑み(繰り返すがここは居酒屋ではなく、普通のうどん屋である)、さすがに外も暗くなってきたので一旦ホテルへ行き、チェックイン。
10分ほどで待ち合わせし、そのまま中洲のリンドバーグへ……行くわけがなく、那珂川近くの旭軒で餃子とビール。時計が22時を回ったところでようやく出田さんが腰を上げ、久方ぶりのリンドバーグへ。ここで編集長から磯貝浩さんを紹介していただく。お名前は存知上げていたのだけれどもご挨拶させていただくのは初めてだ。磯貝さんと「ぐるーぷ・ぱあめ」は、20数年前に『中洲通信』が創刊された頃に関わっていた人である。想像以上に豪快な方でした(さすがに酒場で生き残ってきた文化人だとも言える)。
その後、編集長の全国的に有名な無敵ジャンケンをはじめ、カウンターでの接客テクニックを骨の髄まで味わう(わかっちゃいるけど乗せられる、あの感じ)。で、その頃には出田さんもすっかり乗りやすい最高の酔客に出来上がってしまい、最高に乗せ上手の編集長と、最高に乗せられ上手の出田さんが揃った店内はとても盛り上がった、が……。

翌朝、那珂川辺りで合流し(出田さんはまたもや弥太郎でうどんを食べていたという……ってどんだけ弥太郎好きなのか)、タクシーで福岡空港へ。搭乗までビールを呑む。
いや、なかなか充実の福岡行きでした。いやいや、まじで。

ナビスコカップ予選第2節 意志表示としての帽子

2007-03-26 02:51:28 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
日本平でナビスコカップ予選第2節マリノス戦。

シーチケのご近所さんは相手チームや審判よりも、自分のチームの批判がすぐ口に出てしまうという、保守的な人間によくありがちなタイプのおじさんなのだが、この人はいつも疲れた帽子を被っている。清水の選手がミスをすると、チッと舌打ちし、帽子を掴んで叩きつけるでもなく、一言どうでもいい罵声を吐き、また帽子を被る。
このおじさんにとって帽子は意志表示の道具なのだ。まるでダチョウ倶楽部の竜ちゃんのように。
今日のゲームでは前半はよく耐えていたようだったが、この動作が後半によく見られた。
まあ気持ちはわからないでもない。
またしても序盤は悪くなく、前半のうちに先制し「さすがに解任秒読みの早野マリノスには勝てるか」と思ったものの、あっという間に逆転され、終盤何とか追いついたものの2-2のドローで終わってしまった。これでここ3戦は2敗1引き分け。後半は健太も立ちっ放しで、その様子を見ているだけで結果が出ない苛立ちを感じる。
31日の大宮戦こそは結果が求められる一戦になる。

ただ90分間、途切れることなくひとつのチャントを歌い続けたマリノスゴール裏は状況が状況だけにちょっと感動的ですらあった。ひとつのチャントを歌い続けることを批判する人もいるかもしれないけれども、意志表示というのはそういうもので、そうすることでしか伝わらない「意志」というものもある。

帽子を脱ぐという意志表示は、やはりどう贔屓目に見ても何の力にもならないようだ。

日本酒

2007-03-23 23:48:08 | Works
上野駅で入江と別れ、次の取材地・浜松町へ向かう。
アポの時間まで1時間ほどあったので喫茶店で校正、持ってきたPCで原稿。
浜松町駅から歩いて5分ほどの絶好のロケーションにある名酒センターの取材・撮影。ここは蔵元のコンサルタント業を営んでいる経営者であり、日本酒専門誌月刊『ビミーbimy』の編集長であるMさんが経営する日本酒の試飲ができるPRスポット。酒場と蔵元の斡旋所であり、一般にとっては150アイテムの日本酒が揃い、1杯(70ml)200円から試飲できる立ち呑みスポットである。ちなみにつまみは3種類のみ。
もともと週刊誌の記者だったというMさんのお話が面白かった。原稿には書けないが(内容の問題ではなく、スペースとテイストの問題です)、Mさんが日本酒の道に入るきっかけになったという「越の寒梅」の件などは、これならLB取材でも、というような内容だった。機会があれば是非。
ひと通り撮影も終わり、お礼を言おうと思ったら「試飲してみる?」。断る理由はあったのだけれども、ここまで来て呑まないわけにはいかないでしょう(悪ィ)ということで「日本酒に慣れていない若者に向いている日本酒」4つを選んで頂き、湯川君と試飲。水のような喉越しの爽やかさに、ちと驚く。(当たり前だけれども)全部が全部、吃驚するぐらい、明らかに違うんだな、これが。これ以上呑むとヤバい……ということで、こちらはまた日を改めて。専用おろし金がカワイイ、ヒマラヤロックソルト(天然粉砕岩塩)購入。これを舐めながら日本酒、がナカナカの人気らしい。

急いで帰ってLB5月号、最後の原稿を入稿。

『ゴジラ』のLDを何枚か購入。

科学博物館

2007-03-23 23:21:59 | Works
朝から原稿。ぎりぎりまで原稿。ぎりぎりなのでタクシーに乗って上野公園へ。こういうときは近場の取材だと助かる。
上野公園の国立科学博物館の取材……と言っても展示の取材ではなく、地球館屋上にあるパラソルガーデン、ハーブガーデンの取材・撮影。普段は閉じているパラソルが、人が近づくとセンサーが感知して開くと言う、いかにも科学博物館的なイベントなのだが、妙に懐かしさを感じるスポット。博物館の中では、あまりこういう形で屋上を利用している所は少ないと思うのだけれども、まるでデパートの屋上のようにのんびりした屋上。上野の山の上にあるので建物自体は低くても、すっきり晴れていれば富士山も筑波山も見えるという見晴らしのいいスポット(今日は靄がかかっていたので見えず)。良い天気の午前中にこういうところに来ると力が抜ける。
最後にミュージアムショップで販売されている国立科学博物館全面監修のフィギュアを撮影。海洋堂の仕事。さすがである。

バイク街の近くにあった店で中華料理。

ナビスコカップ予選第1節 阿鼻叫喚

2007-03-21 23:25:11 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
日立台でナビスコカップ予選第一戦、柏戦。

浩太「まあ審判は……(省略)……ですけど、『審判だけのせいじゃない』っていうのは健太さん言ってたし、やっぱり相手10人でもうちが勝てる試合だったんでね、その辺はしっかりと反省したいと思いますけど」(Sの極み 3月21日付け)

ゲーム終了後、初老の清水サポーターがものすごい勢いで柏クラブ関係者(?)に抗議していた。終了直前に叩き込まれた柏の決勝点が「オフサイドじゃないのか」と詰め寄っているらしい。「そのことを私に言われましても」と答える関係者。確かにそれを彼に言っても仕方がないことだろう(柏の関係者も、清水のおじさんを相手にしなければいいだけの話だと思うが)。

ゲーム開始直後から15分ほどは土曜日の第3節と同じように押し込む清水。しかしまたしても決めきれない。その後は左サイドから徐々に押し返される時間帯が増える。そして前半終了直前に山西が退場。ここから後半にかけては、不安定なジャッジに対して、ほとんど審判に対しての不満ばかりが爆発していたゴール裏。ひとり少なくなったことでリーグ戦では言われるほどでもなかった柏のプレスが効果的に決まり始める。しかし何とか膠着状態。またしてもセットプレーからの失点。平岡退場。そして終了直前に柏の決勝点がゴールに叩き込まれる。飛び交う怒声。おまけに西部までもが審判に抗議の末、終了後にイエローを頂戴してしまう。さらに審判への怒声。リバイブも混乱気味。
千葉戦に続いて、柏戦も非常に後味の悪い結果になった。またしても不完全燃焼感が残る。

健太は昨シーズン終了後からたびたび「優勝争いのための空気作り」の必要性をメッセージしている。昨年、一昨年の川崎が苦しめられたのはこの空気作りができなかったためだし、同じように昨年、一昨年と浦和が優勝争いできたのは、この空気作りができあがっていたからだろう。
「空気」という言葉の中には、当然「審判」という要素もある。今日はその「空気」というものをまざまざと見せつけられたような気がする。

「そのことを私に言われましても」という気持ちはわかる。
しかし運営にも言いたいことがある。柏の黄色いマスコットが清水ゴール裏に来て(しかもゲーム前だけではなく、ハーフタイムにも来た)、鼻をほじったり、お尻ぺんぺんするなど散々稚拙な挑発をしたあとに、「グラウンドには絶対入らないで下さい」と書かれたプラカードを持った係員が歩いてくるってのは、クラブもどういう悪い冗談のつもりなんだ? 
この頭の悪いマスコットに直接文句を言っていた女性がいたけれども、その気持ちもわかるな。挑発だけは一丁前ってのはいただけない。
要するに「空気」ができていないということはナメられているということだろう。
柏のゴール裏は、噂通りの「(プレーヤーと一緒に)自分たちが楽しむためだけの空間」だっただけに、余計な真似をする、ふざけたマスコットに八つ当たりしたくなった。

最悪な気分で今月号最後の原稿に取り掛かりますです。

第3節 切り替え

2007-03-18 18:46:49 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
日本平で柏戦。
とにかく先制点の重要さを思い知った一戦。流れの中から崩されて失点する気配はほとんどなかったし、ボールを支配されていた時間も少なかった。シュートがポストやバーに当たったり、ゴールが関係ところで取り消されたりしても、負けるときは負ける。柏のプレスは思ったほどではなかったけれども、セカンドボールをことごとくスイープするアルセウが効いていたように思う。先制点さえ獲ることができれば去年の東京、福岡戦の再現も可能だろうと思っていただけにホントに惜敗。
しかし頭を下げる暇もなく、21日には日立台でナビスコ予選で柏と再戦。リーグ戦とは違うが、今回の敗戦を受けて健太がどういう手を打ってくるのか楽しみではある。

帰りのシャトルバスの中で、ヲタ風のカップル(清水女と柏男)が大声で2ちゃんねるノリで会話していたのには閉口した。あんなもんを静岡駅まで40分以上聞かされたら敗戦以上に、心身にダメージ負うわ。

第一弾

2007-03-14 22:23:32 | 漣流 sazanami-ryu
火曜日。シンコーミュージックで草野浩二さんを取材。
60年代から70年代にかけて東芝の名ディレクターとして活躍し、特に60年代は、実兄で『ミュージックライフ』初代編集長で、訳詞家の漣健児(草野昌一)さんとコンビでカヴァーポップスの時代を作った人だ。弟から見た兄・草野昌一、名ディレクターの目から見た、名訳詞家・漣健児について語っていただいた。自ら時代を作り出し、かつまた自分が切り拓いた時代に飲み込まれる、何ともダイナミックな時代の話。

伊福部昭『ゴジラVSメカゴジラ レコーディングライブ』、ray charles『true to life』、gren campbell『best 20』、dave mason『mariposa de ore』、philip bailey『chinese wall』、smokey robinson『touch the sky』『being with you』など購入。

ユノキ死す

2007-03-13 06:52:33 | 素日記
静岡の婆さんが死んだ。日曜日は早朝の新幹線で静岡へ向かい、実家で葬儀。
葬式はホールのような場所ではなく、実家に祭壇が組まれた。こんな葬儀をウチでやるのは爺さんが死んだ20数年前以来で、近所の人、親戚縁者からオヤジの関係者まで多くの人が集まった、わりといい葬式だったと思う。懐かしい人、懐かしい場面や場所に出会えた。本葬は輔苦離往生仏(ぽっくりさん)が祀られている見性寺で行なわれた。ここもまた懐かしい。

静岡にいた頃、テレビで新日の「ワールドプロレスリング」が始まると、いつもオレを呼びに来るほど、プロレスとアントニオ猪木が好きな婆さんだった(一緒に見ていたのは猪木の異種格闘技戦前後から初代タイガーマスク、維新軍あたりまでか)。そのくせ猪木のことを「イノキ」と言えずに「ユノキ」と呼んでいた婆さんだった。オレも「婆ちゃん、ユノキじゃないよ!イ・ノ・キ!」とよく言っていたものだ。
そして婆さんのいる家は、いつも良くも悪くもプロレスのような状況になっていた。ホントにプロレスみたいな婆さんだったと思う。
婆さんは92歳で死んだ。あんな婆さんでも100年は生きられないのだ、と思うと人間というのはやはり儚いものである。

深夜に帰宅。ちょっと仮眠してから原稿を1本まとめる。疲れた。

第2節 後味

2007-03-11 01:53:02 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
アマル「ホントは1失点した時点でホントは代えたかったんですけど、代える時間もなく3失点喰らいました(中略)まあ正直ホントにあのような3失点をなぜ喰らったのかわかりません。まあもう3失点してからでは、戦術が云々とか話しても遅いですから」

テル「(今の千葉の守備状況なら)頑張れば絶対チャンスがある」(現・千葉の昇平にアドバイス)
(以上Sの極み 3月10日付け)

フクアリで千葉戦。
選手入場を前に静かになったフクアリに清水の手拍子が響く。手拍子だけで空気を凝縮し、熱くさせ、高揚させるアウエイゴール裏。前節敗戦の千葉相手とのアウエイ初戦の不安と大きな期待が入り混じって、雰囲気はかなりいい。

矢島を外し、フェルナンジーニョ、JJの2トップ、トップ下にFW登録の枝村という、サプライズな布陣。さらに枝村と共に初戦スタメン落ちだった兵働がスタメン復帰。昨年の戦いに対してスカウティング不足を指摘するメディアや評論家もいたが、戦力の厚みも出てきた今シーズンの戦いを、ここ2年のように固定せずに臨機応変に戦っていくとした健太の戦略が当たった、危なげのない、ほぼ完勝と言える内容だった。ほぼ、というのは交代直前のプレーで、ボールがもらえないフェルが怒りを爆発させる場面があったし、前線で判断の遅さが見える場面も少なくなかったからだが、この辺りが改善されていればあと2、3点は獲れただろう。

Q自己評価すると、この試合はどうだったと思います?
枝村「もっとできます」(Sの極み 3月10日付け)

終盤の、意味不明のPKとカード連発は、身体を張ったディフェンスが裏目に出たか。敗色濃厚なジェフの喰らいつくようなプレーに押し込まれるのは仕方ないとは言え、レフリーにまで押し込まれたような感じで非常に後味が悪い。

西澤「ストヤノフのボール取り返そうとして、そしたら何か大袈裟にこけて、まあレフェリーがぜんっぜん見てなかったからしょうがねーなーと」
健太「まあだいぶおとなしくはなってきたんですけど、まだ少し悪い癖が出てしまうんで、キチッとピンクの色からオレンジの色にしっかり染め直して、教育し直していきたいという風に思っております」
(以上Sの極み 3月10日付け)

JJ→反スポーツ的行為
市川→遅延行為
矢島→ラフプレー
西部→反スポーツ的行為
西澤→乱暴な行為
兵働→異議

どんだけケンカサッカーだよ。
まあこれから、これから。

いい時代

2007-03-10 13:19:59 | LB中洲通信2004~2010
コの字取材で相模原へ。駅から歩いて2、3分のところにある「たちかわ」の取材。北野さんのコの字ネットワーク(という名の笹目さん情報)で見つけた居酒屋。相模原は周辺に大企業が多く、店も数年前までは結構な賑わいだったそうだ。北野さんと一緒に旦那と女将さんにお話を伺う。もともと旦那さんは板前、女将さんは料亭勤めで、職場結婚で一緒になったという。女将さんは結構な美人で、旦那さんは今でもそれが自慢らしいのが微笑ましい。「いい時代を過ごしてきた」という女将さんの言葉が印象的だったな。やはりどの酒場にも人生がある。5月号に掲載予定。

音楽と言葉

2007-03-09 15:04:53 | LB中洲通信2004~2010
木曜日。新橋の取材から一度部屋へ帰って、5月号の原稿依頼、書籍のアポを取る。
22時30分から国分寺で袴田さんと待ち合わせをして、ベーシストの米木康志さんの取材。故・本田竹広さんのライブではお馴染みで、大口純一郎トリオでも結構見ている日本を代表するジャズ・ベーシストのひとり。音楽を始めるまでのバイオグラフィから現在まで。インタビューの中には、何ともイカしたフレーズがいくつも出てきた。
音楽を言葉にするのは難しいが、それが言葉に結実した瞬間(そしてそれが伝わった瞬間)は、言葉も音楽のようになるんだと感じる。
5月号に掲載予定。

電車に飛び乗り、何とか終電で御茶ノ水まで行き、秋葉原からタクシー。