徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

試し合いとゲーム

2011-07-08 05:04:46 | Sports/Football
誰とは書かないが「ストライカー作っていくなら、ピッチの中だけじゃ難しいと思います」という人が、今回のロンドン五輪最終予選の組み合わせを見てもっともらしく「油断禁物(キリッ」などと書いているのを見て、「アンタのそういう発想がストライカーの登場を難しくしてんだよ!」と笑ってしまった。

いや、「(キリッ」とは書いてませんがね。

五輪最終予選の組み合わせはどう見ても「比較的」楽なグループに入ったし、力関係を考えれば「油断禁物」などと言う前に、日本の持つポテンシャルから言えば突破の可能性はかなり高いと見るのが妥当だろう。しかもゲームはセントラル方式ではなくホーム&アウエイである。
これは現状認識と相対評価と可能性の問題であって、「油断大敵」などという個人の胸の内しか知らない、わけのわからないものとは違う。しかし「油断大敵」と口にしてしまう人は少なくない(特にある世代以上の人間は)。

つまり、それは「試合」の発想である。

Jリーグが設立されて20年以上経つ。「革命」に付随して起こることの中に、古い言葉が淘汰され、新しい言葉の登場(使用法、頻度を含む)があると思うのだが、個人的にはJリーグ以後、急速に色褪せて見えた言葉が、この「試合」という言葉だ。今、オレは文章を書くときに「試合」という言葉を使うことに抵抗がある。
試合というのは文字通り「試し合い」であって、これは試し合いを重ねる中で道を究めていくという、そもそも武道に通じる言葉だろう。しかし一方で日本ほど「勝ち負け」という結果に極端な国もない。だから日本人は「真剣勝負」ではなく「(白黒をはっきりさせない)試し合い」を重ねる。その発想が「油断大敵」という保守的で、ある意味思考停止状態の言葉を口にさせる。ストイックな個人競技ならともかく、本来は自立した個の集まりであるはずのチームスポーツにとっては(日本のチームスポーツにありがちだが)その言葉は個人の力よりも和をもって尊ぶ牽制、抑制になったり、萎縮に働く可能性がある。
個人の自由とディシプリンのせめぎ合い、もしくは調和。それがサッカーの面白さではないか。
個人の身体を縛り付けるような言葉を投げかけておいて、「ストライカーを作っていくなら」とは実に矛盾した話だ。しかも彼の書くように、それは「ピッチ内」の話ではなく、日本人に染み付いた「ピッチ外」の話である。

だからストイックで抑制的な「試合」という言葉のイメージがどうにもしっくりこない。
いつ来るとも知れぬ真剣勝負のための「試し合い」ではなく、勝ち負けを繰り返し、その中から勝負の厳しさと楽しさを学び取っていく「ゲーム」と呼びたい。




3.11後は「真剣勝負」が必要だと思うけれども…まあ、これは個々の自覚の問題。

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