7月初めの山陽新聞(岡山)に、「永瀬清子の生家の敷地内にあった明治期の土蔵2棟の解体が始まった」 との記事が載っていたということを地元の人から聞いていた。 今回畑の草取り等のため帰省したので、寄ってみた。
そこには2棟分の石積みの基礎のみが残されていた。 以前からかなり老朽化が進み、修復のための運動もやっていたようだが、倒壊の危険も迫り、要は修復するだけの資金が集まらなかったのだろう。
最近でこそ、吉永小百合が詩を朗読したり、作品の一部が美智子皇后によって英訳されたりしているが、当地元生まれの私自身、子供のころから生家の近くは何十回と通り過ぎながら、彼女のことは全く知らなかった。
※ 「くまやまふれあいセンター」 2階、図書館の入口の前に、関連の資料を集めた展示室があります。 生家はそこからおよそ3~400m、近くに和気清麻呂の墓所もあり。
そこには2棟分の石積みの基礎のみが残されていた。 以前からかなり老朽化が進み、修復のための運動もやっていたようだが、倒壊の危険も迫り、要は修復するだけの資金が集まらなかったのだろう。
最近でこそ、吉永小百合が詩を朗読したり、作品の一部が美智子皇后によって英訳されたりしているが、当地元生まれの私自身、子供のころから生家の近くは何十回と通り過ぎながら、彼女のことは全く知らなかった。
※ 「くまやまふれあいセンター」 2階、図書館の入口の前に、関連の資料を集めた展示室があります。 生家はそこからおよそ3~400m、近くに和気清麻呂の墓所もあり。
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