木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1365 仏教と仏像の話(聴講)

2015-05-19 08:00:00 | その他

 2015.05.16(土)、菰野町よもやま歴史サークル(町教育委員会)主催で、「元気が出る仏教と仏像の話」として講話があったので、聴講しました。  

 

開場となる「町民センター」

 

ざっと見たところ、100名位の人が集まりました。

 

司会者とサークル会長ののあいさつがあり開始です。

 

町長もあいさつに。

 

「菰野町の魅力的な仏像の紹介」として、菰野町学芸員により、禅林寺の大日如来像、明福寺の円空作両面仏、大日堂の大日如来像、正眼寺の薬師如来坐像、両脇侍像などについての紹介がありました。

 

「元気が出る仏教と仏像の話」の第一部として、広瀬郁実さんの、体験を中心に仏教と仏像の分かりやすい話がありました。 「仏像ガール」と称して、公演、執筆、メディアなどを通じて仏像の魅力を伝えているとか。 現在は、ブッダやアーユルヴェーダーから学んだ”元気に生きるヒント”を伝えているそうです。(約50分)

父を亡くした後の悲しみの中で、三十三間堂の仏像と出会って感動し、仏像に強い関心を持った。この仏像は仏様ではない、人間が作ったものだ、それを長い間人々は守ってきた。そして、これに幾多の人びとが手を合わせてきた。そのことを知って、深い感銘を得たとおっしゃる。

 

その後は、帝塚山大学教授の西山厚さんの「仏教と仏像の話」です。(約50分)

お釈迦さまの生誕か修行と悟りを売るまでのわかりやす言葉で旦付に離された。 印象に残った言葉を思い出してみると・・・断片的でし、100%正確な表現ではないかもしれないが・・・。

・お釈迦様が生まれて7日で母が死んだ。私が生まれたから、母は死んだのだ。釈迦のその悲しみから仏教が生まれた。

・今幸せでも、いつかは皆「老、病、死」を迎える。 今をきちんと生きることが大切。

・日本の仏教は”安らぎ”を求めるもので、悟りを得るものではない。

・お釈迦様はすばらしい人だと聞いている。だから是非会いたいと人は思う。その思いに応えるために、仏像が作られた。

 

最後に、アンケート用紙に書かれた、聴講者の質問にふたりが応えてくれた。

 

13時ジャストに開始され、16時30分過ぎに閉会となった。

この先、「よもやま歴史教室2015」としては、月一回程度歴史に関する講座が開かれる。 次回は6/20は「秀吉政権の朝鮮侵略と沙也可」となっている。

 

 

 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
仏教講話 (shuttle)
2015-05-19 08:33:59
木燃人さん

仏教講話の会に、出席されましたか。お話を伺うと、なか
なか為になるお話のようでしたね。人が宗教に惹かれる
要因には種々ありますが、嫌なのは「勧誘」や「強制」によ
る入信です。そうではなくて、病気、災難、肉親を失うなど
の理由から仏教の力で、支えられたいと自発的に帰依す
るのは、良くあることです。私は、ほとんど無宗教ですが、
それだけ恵まれているからでしょうね。
仏教と仏像の知識 (木燃人)
2015-05-19 09:27:08
shuttleさん

入信を勧めたり、古風な考えでなく、現代的というか、現実的でわかりやすい説明だったので、大変有用な講話でした。 寺院や仏像にふれることが多いので、多少は仏教や仏像についての知識を得たいと思い参加したものでした。 もっと難しい話を予期していましたが、極めて分かりやすく、ユーモアーも添えられたので、居眠りすることもなく、最後まで聞いてきました。 記憶力が大幅に落ちて、もっと聞いたことを書きたかったのですが、それはできませんでした。
仏教と仏像 (たきあん)
2015-05-20 09:35:43
写真を拝見すると後頭部の光ったお爺さんばかりですね。お迎えが来るまで心の準備にと来る方も多いのかなあと想像しています。
困った時だけ仏様にすがりつく私の根性もたたき直さねばなりません。

>いつかは皆「老、病、死」を迎える。 今をきちんと生きることが大切。
きちんと生きるって何でしょうね。 人さまに迷惑をかけずにやっていくこと? 現実そんな事出来ないし・・ 困ったものです。
記憶力 (木燃人)
2015-05-21 09:18:55
たきあんさん

現役時代、といっても50歳代でしたが、本社での幹部会議で、15分位の社長メッセ-ジを、走り書したメモを見ながら、全文を出張報告に書いて出したら、後から送られてきた原文と殆ど変らなかったと、褒められたことがありました。
それから、20年以上経った今は、聞き終わって数日で記憶に残るものが極めて少ない、記憶力がゼロに近いことを、改めて知らされた思いです。
折角の良い話も、これではあまり役に立たないのかもしれません。 ・・・とほほ・・・!。

コメントを投稿