本来ならば、梅の季節であり、当然梅を狙ってはるばると京都まできましたが、どうも先行きに雲がかかってます。 つまり、梅の名所のはずが、思ったほど見られないのです。
次に訪れたのは、私の「梅の名所」で2ポイントを与えた所(二つのサイトが名所とした所)なのですが、・・・???。 (撮影:2015.03.05)
「東北院(とうほくいん、とうぼくいん)」
雲水山 天台宗
京都市左京区浄土寺真如町
藤原道長の没後、道長の娘である国母上東門院の発願によって道長建立の法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立された。法成寺の区域の東北にあったこと、上東門院の母である源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の区域の西北にあることから「西北院」と呼ばれたことにちなみ、「東北院」と称せられた。
現在、本堂には後西院宸筆の額が掲げられ、本尊とともに藤原道長の衣冠束帯姿の像が安置されている。また、法成寺にあった頃に和泉式部が東北院に軒端の梅を植えたとされ、その梅とされるものが現在も境内にある(もっとも2度移転されており、和泉式部が植えた梅そのものではないとされている)。この梅に関する伝説は能・謡曲の『東北』として今日まで伝えられており、東北院においても『一遍上人和泉式部物語』『東北院弁財天縁起』などの文献が伝えられている。
生憎と門には立ち入り禁止のようだったので、門口からの写真だけになりました。ここから見る限りでは、白い花の梅の木が一本のみ見えましたが、それ以外にはあるようには思えませんでした。
「極楽寺」
「東北院」の右隣のお寺で予定には無かったのですすが、門が開き幕が下がっていたし、人がいたのでお断りして拝ませてもらったのでした。(梅の名所には載っていません)
「西雲院」 別名:紫雲石 万日寺
紫雲山 浄土宗 (金戒光明寺の塔頭)
京都市左京区黒谷町
幕末、黒谷一山が京都守護職会津松平侯の本陣となり、当院は会津藩戦没者墓地を あずかる。 建立:1616(元和2)年
この後は、歩いて「平安神宮」に向かいました。
< 続く >
ここのお書きになっている2,3の寺院は、道長に所縁の寺が多いのですね。奥方の倫子、娘の上東門院、上東門院に使えた紫式部など平安朝文学に登場する人名が多くて懐かしく感じました。
コメントを戴いているとは知らず、お返事が遅くなったことをお詫びいたします。
そうなんですねー!。 見過ごすような小さな寺でも、丹念に見ていくと、色々な発見があります。