カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」9

2012年01月19日 | メッセージ(その他)
B年 年間第三主日             2012・1・22
「聖書とは神様の言葉」
いつもミサの中で朗読する聖書、つまり第一朗読、第二朗読、詩編、福音書、あるいは自分の部屋の奥まったところで読まれる聖書、それは「神の言葉」です。それはどのような神様の言葉なのか、少し考えてみたいと思います。神様が不思議な方法で、人類創造のときから少しずつ人類の知識にそって、ご自分の存在と姿を人間に理解させました。その歩み、つまり神様があらゆる出来事を通して、ご自分の存在を理解させた文章は「聖書」の中に全て書かれています(救いの歴史)。そして「言葉」で、それを話してくれる人を明らかにしてくださいます。さて、神様は本当に私たちに人間の言語を使って話してくださったでしょうか、どのようにして具体的に話してくださったのでしょうか。神様は人間が作られてからいくつかの方法で話してくださいました。まず神様が話されたのは出来事を通して、次にその出来事を記録した人を通して、又、その記録を読んで解説した人を通しても神様は話してくださいました。歴史的な出来事の中でも、人間と一緒に動いて働いたのはいつも人間と共に存在される神様でした。たとえば「出エジプトの時」です。それを記録して書いた人の手を導いたのは神様でしたから、その文章を読む人は神様がおっしゃった言葉を読んでいます。その言葉を通して神様が話してくださいます。それだけではなく、その歴史的な出来事を読んで解説した人、あるいはその出来事を他の出来事の手本にした場合でもそれは神様の言葉であり、それを読んだり聞いたりした人に神様が話してくださいます。それだけではなく、神様が歴史の中にあらゆる預言者、王たち、また数えきれない神様を敬いそれに救いを求めた人を通しても話してくださいました。最後に神様ははっきりと、何も隠さないで、分かりやすい言葉で神の一人子であるイエス様を通して話してくださいました。イエス様の言葉もひとつひとつが神様の言葉であり、それを通して神様が私たちに話してくださいます。上記のことは全て聖書の中に書かれており、聖書は全て本当の神様の生きた言葉です。その言葉を読む、聞く、心に入れる私たちは、神様の言葉に直接耳を傾けることになるのです。
モヨリ神父

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