カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

2009年お正月

2008年12月27日 | 神父様からメッセージ(B年)
神様に愛されるキリスト信者ゃ良い思いで心を満ちた皆さん!!
新年おめでとうございます!!
主はあなた方を祝福し、あなたを守られるように。
主がみ顔を向けてあなたを照らし
あなたに恵みを与えられるように。
主がみ顔をあなたに向けて
あなたに平和を賜るように。
[民数記6,22-27]
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毎週の一言 B年 聖家族の主日

2008年12月27日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

日本の一年間の中でとても楽しい時期を迎えます。クリスマスの神秘的な雰囲気とその祝いも過ぎ去って、お正月を迎えることになるのです。新年に向かうこの頃はお餅つき、注連縄造り(しめなわづくり)などの伝統的な行事もあります。さぁ、次のような言葉が勧めるように新年に向いましょう!「一日の計画は朝、一年の計画は年の初め、一生の計画は仕事、一家の計画は自分の生き方で決められます」
さて、聖家族の主日を迎えます。キリスト信者は聖ヨセフとマリア様とイエス様のご家族を見習い、同時に自分の家族のために祈りたいと思います。この時に自分の結婚式の誓いの言葉を思い起こし、再び神様の取次と祝福を受けるように、大きな希望を持ちながらそれぞれの家族を大切にできるように神様に願いましょう。忘れてはならないことですが、教会自体も聖家族を見習っている素晴らし皆の家族です。
ヘブライ人への手紙 11・8-19
実はヘブライ人への手紙は、使徒パウロが亡くなってから書かれたものです。この手紙は確かに使徒パウロの心を写しながら、同時に初代キリスト信者の共同体の信仰を語っています。当個所の主役はアブラハムの信仰です。アブラハムの信仰は神様を信じる者たちの信仰の元になっています。アブラハムは神様の手に自分の人生をゆだねました。神様から自分の生まれた故郷から出て行くように言われた時、行先も知らぬまま、神様のみ旨に従いました。又、アブラハムの妻サラは不妊でしたが、アブラハムは神様との約束を信じ子供イサクをもうけました。しかし、神様がイサクを生贄として捧げるように勧められたとき、命の神様はアブラハムの信仰を見て息子イサクを返し、その後数知れない子孫でアブラハムの人生を報いました。アブラハムが生きる神様のことを決して疑わず信じたことによって、死の淵から蘇り普遍的な命を得られたのです。
ルカによる福音 2・22-40
ルカの福音書で、幼いイエス様は神殿で神様に捧げられています。実はこのような習慣はイエス様の時代には普通でした。各家庭に男子が生まれた時、神様に対する感謝として神殿で聖別されていました。イエス様の場合、より深い意味につながっています。この個所ではヨセフ様とマリア様とイエス様は当時の貧しい家族のように、とても素朴な捧げもの(山鳩、家鳩)を通して、イエス様を神様のみ旨の計画におゆだねになりました。この場面を見ると、聖家族はキリスト信者の家族の皆さんにも、より大きな愛の模範になっています。そして皆の命と人生は神様のものですから、いつも各家庭の者たちの命を神様の手に感謝をもってゆだねるように勧められています。典礼の祈りが勧めるように、いつでも家族そろって神様の家で大きな喜びを味わいながら過ごせるように願いましょう。そして命の尊さを大切にしながら、子供たちをいつでも大きな愛情で包むことにしましょう。聖家族は聖霊の力で包まれていましたが、このように神様の救いの計画の最初の雛形になりました。これらのことを、各家庭が神様から与えられた使命を全うするために心に留めましょう。                モヨリ神父

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降誕祭 2008

2008年12月20日 | 神父様からメッセージ(B年)
†喜びで満ちたクリスマス おめでとうございます!
皆様に感謝の心を込めて、恵みであふれた降誕祭を!
良い年を迎えられますように願いながら、神様の祝福をお祈り申し上げます。
モヨリ神父
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毎週の一言 B年 待降節第四主日

2008年12月20日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

冬季は日の入りが早く、特に街路樹が葉を落とし周囲が冬枯れの景色になると、短日を実感するようになります。最も昼の時間が短い冬至の頃、待降節の第4主日を迎え、降誕祭は目の前です。このときこそ神様は私たちの人生を大切な贈り物のような希望と喜びで満たしてくださいます。怖れることはありません、洗礼者ヨハネと聖母マリアは、どのように救い主であるイエス様を受け入れられるのか教えてくださいます。貧しい所でお生まれになるイエス様は、世界の貧しい所で生まれる子供たちのことも思い起こさせます。あるいは子供の誕生を望まない所でも、又その一方で子供に恵まれない人たちもあり、その寂しさを思い起こさせます。けれども来られる救い主であるイエス様は、悩みのある所に大きな光によって平和と喜びをもたらします。
使徒パウロのローマの教会への手紙16・25-27
この頃、典礼から勧められた朗読は、特別に神様の心の豊かさを感じさせられる箇所になっています。神様の言葉は福をもたらす音であり、使徒パウロによると、いつどんな時でも私たちの心は強められています。皆の心の中に、愛で満ちた人生のための計画があります。その希望と計画は秘められて一番愛する人に告げられます。それは目立たない徴(きざし、しるし)から始まり、預言者を通して明らかになり、最後にイエス様を通して啓示されました。その計画は皆のための喜びであり、神の命、希望です。それを理解して受け入れるのは素朴な人であり、信じる者であり、どんな神様の言葉をも受け入れる人なのです。
ルカによる福音書 1・26-38
今日の福音書は、すでに無原罪の聖母の祝日の時に朗読されました。しかし、もうすぐイエス様が生まれる出来事を中心にして、今日別の目で同じところを読み取るようにしましょう。特別にこの個所の最後の部分に注目したいと思います。どんな使命を与えられた時でも起こることですが、天使ガブリエルの言葉に対してマリア様は、このような出来事(イエス様を身ごもること)がありうるのかと聞ました。天使はマリア様の身に起るのは、神様の神秘的な計画であり、聖霊によって起こることだと語りました。ちょうど世の創造の時と同じように「光あれ」という言葉によって光があったように、マリア様の心の中で神様の言葉によって神様の計画は実現されました。しかしマリア様は畏れながら天使ガブリエルと次の神秘的な対話に進み、神様は天使を通してマリア様にそのことを確認できるような徴を与えました。それは、もう年をとっていた従姉妹エリサベトが身ごもっていたことでした。その徴は、神様の偉大な力を示した出来事でした。マリア様はその徴の魅力に捕らわれ、従姉妹エリサベトの所に行き、自分の心の中に同じ神秘的な出来事が起こったことを確認します。その時マリア様とエリサベトの心は素晴らしい喜びに満たされて神様の働きを誉め讃えました。
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毎週の一言 B年 待降節第三主日

2008年12月13日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ

「山眠る」葉も落ちつくし枯れ色に静まった冬の山が私たちの目の前に広がっています。「冬山」毅然として静かな山のたたずまいを現わす語彙は多いのです。又、稲刈りの終わったあと、何も作らずそのままにしてある田圃を「冬田」といいます。冬の間、霜や氷や雪にあいながら、地力を回復させ春の耕作に備えています。
キリスト信者は日に日に心躍らせながら、救い主の到来を待ち望んでいます。来られるイエス様は私たちの心の鈍さと体の弱さを癒し、私たちの過ちを赦してくださいます。そして私たちの間に、すでに神の国が存在することに目を覚まさせてくださいます。真冬の間、昼が短く暗い時間が多くなり、人間は光に憧れています。イエス様は私たちの人生の暗闇に来られる救いの光です、だから今日、私たちの心は大きな喜びで満たされます。キリスト信者の望みは素晴らしい光に満たされ、大きな喜びを味わっています。
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(Ⅰ)5・16-24
使徒パウロはテサロニケの信者に、大きな情熱で神様の望みを伝えています。祈るように、喜ぶように勧めています。感謝の心で生きることです。聖霊で照らされた私たちの人生を、いつも良い事で、肯定的な思いで満たさねばなりません。そのようにすることで神様の心を現わせます。聖霊がイエス様に従った者たちの中に宿っていますから、使徒パウロは彼らに対してご自分の書簡に於いて大きな尊敬を現わし、聖なる者、聖人、神に選ばれた者などと呼んでいます。そして使徒パウロは神様に招かれた者たちに、いつもイエス様に反する思いや行いをしないように願い、いつも神様の思いのままに生きるように勧めています。そうすることによって、来られる光である救い主は私たちの人生を豊かに満たしてくださいます。
ヨハネによる福音書 1・6-8、19-28
ヨハネの福音書の当節は洗礼者ヨハネの姿を描きながら、実はキリスト信者の姿を紹介します。洗礼者ヨハネは「証し」とよばれていますが、ラテン語でこの言葉は「マルチレス」と訳されています。キリストにつながった者はイエス様の光の証であり、イエス様自身の姿を現わしています。そして当個所では洗礼者ヨハネに向けられた質問に特に注目してください、イエス様に従った私たちにも同じ質問が向けられています。洗礼者ヨハネと共に答えるようにしましょう。「あなたはどなたですか」と聞かれた時に洗礼者ヨハネと一緒にキリスト信者も、自分はメシアではなく、予言者でもなく、素朴な立場に立ってイエス様が来られる道を準備している者だと答えます。この世に洗礼者ヨハネと同じように、キリスト信者も神様に遣わされて、神様が宣べる言葉の声になり、神様の方に導く道をまっすぐにする役割を持っています。ヨハネから洗礼を授かるのは、キリスト信者にとって意味深いしるしになっています。イエス様に従った者たちは洗礼によって聖霊で満たされて、この世のどんな人にも来られるイエス様の、心の証人になっています。                  モヨリ神父            
                                   
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毎週の一言 B年 待降節第二主日

2008年12月06日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

冬の気配が次第に濃くなり、木々の落ち葉が散り敷く頃です。強い北風の吹くことがあります。枝々に残っていた葉をすっかり吹き払い、木を枯らしてしまいそうなことから「木枯」といいます。または「凩」とも書きます。
教会の典礼により降誕祭の準備も進み、イエス様の到来を期待しながら、私たちと一緒に偉大なものたちも歩んでいきます。12月3日お祝いされた聖フランシスコ・ザビエルと、12月8日お祝いされる日本の保護者である無原罪の聖母です。聖フランシスコ・ザビエルの姿は日本人にとって、日本人の信者にとってかかせない情熱的な模範になっていますが、マリア様はどんな人物よりも、どんな女性よりもイエス様の誕生を期待された方ですから、私たちの降誕祭への準備を支え、導いてくれる方です。このような大きな力で支えられる取次によって、心を変え、目を覚ましていましょう、そしてこの世に来られた神様の愛の鏡であるイエス様を迎えるようにしましょう。
使徒ペトロの手紙(Ⅱ)3・8-14
いつもと違って今週は降誕祭のための準備として、ペトロの手紙が朗読されました。ペトロは確かに忘れてほしくない重要なことを述べています。それは「この世の存在は永久なものではありません、その終わりの時をふさわしく迎える為に目を覚ましていなければない」とおっしゃっています。そしていくつかの心の態度が必要です。その時は誰にも知られていません。けれども神様に直接、出会う時になっています。聖ペトロがその時を迎えるために心の準備として勧めていることは信心深い生活を送ること、そして神様の約束に従って待ち望むこと、最後に忍耐をもって神様に認めていただけるように励みながら、平和の中に過ごすことです。
マルコによる福音書 1・1-8
マルコ福音記者はその福音書の入門のところに「キリストの福音」という言葉を使っています。この音はだれにとっても愛(め)でたい音であり、福をもたらす言葉です。祝福を述べる言葉ですから、それを受け入れられる心だけが幸せを感じています。さて預言者のように洗礼者ヨハネは砂漠で叫ぶ声として、直接私たちの心に向かって、ふさわしい心で神様の言葉を受け入れるように勧めています。洗礼者ヨハネはイエス様の先駆者であり、イエス様の到来の準備をしています。これから降誕祭に向かって、花婿であるイエス様が花嫁である人類を迎えようとしています。だから洗礼者ヨハネは花婿の靴の紐をとく値打ちのない花婿の友人として、イエス様の世への入場のための準備をしています。洗礼者ヨハネに「私は道である」と言われたイエス様は、神様に出会う場として私たちの人生唯一の道です。その道は整えられると、イエス様と全く同じような歩みを歩まなければなりません。その道は目標までまっすぐに導くのですから、価値のないものに捕らわれてはいけません。その道の目標は人類の救いで、神様の慈しみから罪を赦されて、イエス様がなさったように、人に苦しみを通してより大きな愛をみせることです。さて私たちが受けた洗礼は、この道であるイエス様との歩みの出発点であり、神秘的な力である聖霊の導きでイエス様と同じ目標までたどることになっています。         
                              モヨリ神父
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