カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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2008年07月26日 | メッセージ(その他)
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毎週の一言 1- 16 (年間第十七主日)

2008年07月26日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

この頃の暑さで食欲のない人たちのために、登場する食べ物があります。素麺です。奈良時代から伝えられてきたという麺類の一種です。小麦粉を食塩水でこねて、ごく細い麺にするために胡麻油で伸ばします。出来立てより、一年も寝かせたものの方が味が良いとされます。これを茹でて冷やしたものを冷やし素麺といいます。この厳しい暑さの中で七月の最終日曜日に向かうことになりました。ちょっと苦しくてもこの暑さと共に、イエス様の言葉をご一緒に分かち合いたいと思います。
初代キリスト信者にとって、復活されたイエス様のイメージは、登る太陽の姿に結びついていました。イエス様の降誕祭の祝いでも、ローマ帝国の年末の太陽の通俗的な祝いの代わりに、この世の太陽の光りであるイエス様を祝うようになりました。さて、日曜日は太陽の日としてイエス様の日になっています。今日もイエス様は綺麗なたとえ話を三つ語ってくださいます。
畑で発見された宝のたとえ話。素晴らしい真珠を探し求めた商人のたとえ話。網に掛かった魚の取り分けられ方のたとえ話です。このようなたとえ話は、わたし達にとって知恵の箱のようなもので、神の国のあり様をより深く語ってくれます。まず神の国は、どんな人にとっても本当の宝です。その宝はどんなことよりも、この世の全ての財産よりも貴重なものです。神の国はこの世の財産よりも貴重だとわかる人だけが、アシジの聖フランシスコのように全てを捨てて、畑に隠された宝つまり神の国を手に入れることができます。同じように素晴らしい真珠を探し求める商人も、一番綺麗な真珠を手に入れた時に、他の輝きのない真珠を全て売り払い、それを買います。イエス様に従うわたし達にとって、神の国は全くそのようなものです。わたし達の価値観の中で、神の国は本当に一番貴重な宝です。世界一素晴らしい真珠のようなものです。そのように思う私たちは、日常生活の行動でそのことを見せるべきではないでしょうか。
では、今日もパウロのローマの教会への手紙の言葉に注目しましょう。神様はわたし達一人一人に皆で一緒に働くように呼びかけています。神様は呼ばれた者たちにご自分の計画として、この世でイエス様の姿に似たものになるように勧めています。このように神様の秘められた計画は明らかにされています。神様は人間を自分のところまで呼び集め、ご自分「儀(慈しみと愛)」の中に包み込み、生かされる一人一人に大きな報いの喜びを与えるのです。このパウロから教えられた神様のご計画は、私たちに大きな生きる希望を与えてくれるものではないでしょうか。
                       モヨリ神父 

*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
  聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。
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毎週の一言 1- 15 (年間第十六主日)

2008年07月19日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

山肌にそって流れ落ちる水、草木の間から染み出る水、水底からこんこんと湧き出す水、どのような清水も清冽で手に触れて冷たく、口に含めば歯が痛いほどです。水の豊かな菊池では野山の至るところでこの自然の恵みを受けることが出来来て感謝です。今日の祭日もイエス様がたとえ話を通して話しながら、わたし達の心を窺っています。実はイエス様はたとえ話を通して神の国の素晴らしさを語りつづけています。神様はこの世のこと、またわたし達一人一人を大切にしてくださいます。ですから、わたし達が大きな喜びを実らせるまで確実に導いてくださいます。その喜びの根は神の国にあります。神の国の始まりはとても小さくて素朴です。毒麦の間にも成長し、からし種のようにとても小さいものです。パン種にも似ています。良いことは小さくても成長し実り、素晴らしい影響を至るところに及ぼします。良いことは大きな力を持っています。パン種のように人の心、環境まで全部をふくらませ変えることができます。イエス様がたとえ話を用いて自分の聞き手の心の教育をされ、彼ら自身が神の国の神秘的な存在を見出すように話ましました。このようなイエス様の話し方はとても優しくて、だれもが神様の働きを見出す能力を与えられました。ですから、神の国はすでにこの世にあり、だれをも受け入れるならこの世の中に溶け込んでいることを知るでしょう。
では、聖パウロの手紙の中にある思いを深めるようにしましょう。ご存じのように第一朗読の旧約聖書と福音書のテーマは大体同じで、旧約聖書の言葉と新約聖書の言葉も一緒に歩むことを示されています。第二朗読は新約聖書の使徒達の書簡か使徒言行録から独特な課題を取り上げています。今回聖パウロはローマの教会への手紙で「霊」という神秘的な存在について語っています。弱いわたし達は「霊」によって強くなることができます。どう祈るべきかを知らないわたし達は「霊」の執り成しによって神様と直接話すことができるのです。私たちの心の中にあるものは何でも知っているのは「霊」です。同じ霊は、聖パウロが語るようにわたし達の中にもおられますから、わたし達は神の国の中心に生きていると実感することができるのです。
                      モヨリ神父


*【注目】
* 毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
* 聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります

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毎週の一言 1- 14 (年間第十五主日)

2008年07月12日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

田植えが終わり十日もたつと、苗は薄緑から日々濃くなってきます。この頃の苗は成長若しくどんどん分裂を始め、目を見張るばかりの美しい青田に変わってきます。そこを吹く風を「青田風」といい、その風により、青稲が揺れ渡る景象を「青田波」とよびます。
さて、わたし達は心を整えることによって、身も整えられます。神様から与えられた時間の神殿である日曜日は、心によって体を育む機会となっています。この日、わたし達の心も体も神様の懐に戻っていき一体となります。つまり「贖われます・あがなわれます」 イエス様のご復活によって、わたし達の心は神様の心の中に溶け込み、わたし達の体も神様のものになります。
今日の祝日の朗読は神様の言葉に注目いたしましょう。み言葉は種のように人間の弱い心に落ちています。その言葉は人間の心、人間の人生の中で豊かに働いて人間の祈りによって神様の方に戻っていきます。その言葉は人間に、いつも真摯な心で受け入れられているとは限りません、だからみ言葉の生命力が場合によって無効になります。しかし、いい土のように心にみ言葉を受け入れる準備があれば豊かに実ります。その実りは信じられないほど大きく、働き手が足りないほど豊かな収穫をもたらします。 
イエス様自身が種まく人のたとえ話を説明されていますが、多分、初代教会の共同体からずっと、伝え手はその中に自分の思いを付け加えた解説をして、今日のわたし達にまで届けられているはずです。さて、神様の言葉に抗うこと、あるいはみ言葉を実らせない原因はいくつかあります。たとえば、み言葉自体を理解しないこと、その意味はいつも簡単ではなく、理解することが難しいこともありますので、豊かな意味を知る機会を失う場合があります。そして、み言葉の成長を抑えるのは、み言葉のメッセージに忠実でないこと、またいろんなわたし達のこの世の心配事などです。
もうひとつ、今日の主日に朗読される聖パウロのローマの使徒への手紙の、二つの単語に注目しましょう。まず、「期待する」という言葉です。私たちは生きている間に神様との出会い、またその栄光とその喜びを期待しています。その時、人間にとって考えられないほど素晴らしい喜びに向かっています。しかしその喜びが完全に得られ味わえるまで、この世の人生の間待たなければなりません。しかし待つ時間はとても短いのです。あっという間に苦労の時は過ぎ去って「期待する」時がやってきます。もう一つの言葉は「贖われる」という神様の救いの計画です。「贖う」というのは身代金を支払って、自分の失った人生を再び得ることです。ラテン語では「redemptio」「レデンプティオ」といいます。つまりイエス様の死によって、人類が失った自由、その中に生きる喜びも再び得られたことになりました。
さて、私たちの心の中にある隠れた宝であるイエス様のみ言葉と共に、それを実らせたパウロの言葉も大切に受け入れて大事にされるべきではないでしょうか。                              
                        モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。
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菊池市山鹿市 キリシタンの遺跡

2008年07月10日 | 神父様からメッセージ(A年)
菊池市と山鹿市の景色や自然や歴史的な遺跡などを楽しみながら、菊池市と山鹿市の地方を通る長崎から、大分までキリシタンルートに残されたキリシタン遺跡を窺ってみたい場合、ボランチアの形でご案内いたします。
連絡場:カトリック菊地教会 電話:0968-2523-81

+ 対象になる見物は
菊池市
1) キリシタン墓地   (上木庭地区)
2) キリシタン灯篭   (七城町亀尾城、前川地区)
3) キリシタンの墓の石材 (しすい町の公民館の前)

山鹿市
4) 小西行長供養塔 (鹿本町の富田地区)
5) マリア観音のご像(鹿本町の袋田地区)    
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毎週の一言 1- 13 (年間第十四主日)

2008年07月05日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

牽牛(けんぎゅう)星と織女(しょくじょ)星が一年に一度会うという古代中国の星合いの伝説があります。女子が手芸に巧みになることを祈る行事として伝来し、これと日本では在来の棚機女(たなはたつめ)の信仰が習合されたのです。この日に、詩や歌、願いごとを短冊にしたため七夕竹に吊るし、手習いの上達を祈るのです。現在でも広く行われています。
さて、主の日に向かっているわたし達の心は、希望と喜びで満たされています。主の日、光の日、お日様の日はわたし達に復活されたイエス様の姿を示しながら、大きな喜びをもたらしています。
今日は聖パウロの手紙に耳を傾けましょう。パウロはローマにあった共同体に手紙を書いています。パウロの時代の前、このような共同体は、イエス様のことを述べ伝えてきた無名の者達によって作られた共同体でした。時代がすすみ、ペトロやパウロの訪問によって、少しずつ大きな共同体になり、現代キリスト教会の礎となったのです。このように成長してきた共同体にあてた手紙の中で、パウロは貴重な話を取り上げています。これから、パウロの書簡を理解する為に、少しずつパウロの専門的な用語に親しみをもつようにしましょう。それは「霊と肉」、又「命と死」。ではまず、使徒パウロのローマの教会への手紙の8章11節から13節までに3回も出てくる霊という単語に注目しましょう。パウロにとって神様の霊は命と力であることを示し、わたし達の内にも宿っています。それはわたし達の心を、肉のくびきである死から自由にしてくれる命です。わたし達が自身の内に神様の霊が宿られたと実感するその時、わたし達の人生は注意深い生き方になるのではないでしょうか。洗礼の時に神の霊を受け入れたわたし達は自由に生きるものになって、神様の大きな愛に包まれています。わたし達は法を超えて人に出会い、心のつながりを築くことによって神様の命と愛を示すことができます。又、パウロは神の霊に対立している言葉である「肉」という単語を使っています。わたし達の耳には不思議に聞こえる言葉ですが、実はギリシャ文化の強い影響がパウロの考え方に与えたものです。肉とは人間の心を奴隷のようにしばる欲望を示しています。又、物理的な考え方、あるいは法の鎖も示しています。つまり、人間の自由ではない心を表現しています。さて、神の霊を受け入れるとわたし達にとって命になり、イエス様と一緒に同じ命で生きることになっています。まったく同じ言葉は、今度列福される187人の殉教者が死刑の直前、殉教の栄光に感動しながら口にした言葉でした。「体が死んでも、イエス様と一緒に生きる」 そして、パウロが使っているもう一つの言葉「肉」とは、死に導く心の態度を示しています。つまり自己中心的な考え方に基づいて考えること、あるいは欲望をもつことです。そのような道は死と孤独の生きかたに導かれているので、人間にとって神様とその喜びから離れて生きることです。最後に、パウロはわたし達に一つの義務しか勧めておりません、それは神様の霊によって永久に生きるのです。
                         モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。

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