くたくたルンゲクッタ

過ぎていく時間と思い出忘備録

ヤマニガナ

2015-07-29 | 日記
たろまる君(?)は小学校一年生の時のはじめての友達だった。隣の席だったから仲よしになってすぐに彼の家に遊びに行った。彼の母親は勉強が終わるまで遊ばせてくれないほど教育熱心だった。その家は豚小屋と接していて同じ屋根の下に豚が同居している感じだった。豚があまりに近くにいるのに驚いた。周りの家もみんな豚を飼っていた。そこは朝鮮人だった。家に帰って母にそのことを話すとそこに行ってはいけないと注意されて、その後はあまり行かなくなった。それから彼やそのどうなったか分からない。あれから何十年も経ち、2-3年前にたまたまその町を訪れた時に小学校付近を散歩してみると、朝鮮人があった所は今ではきれいな住宅地に変わっていた。たろまる君はどうしているのだろう?ふと坊主頭の彼の姿が浮かんだ。担任の先生はたろまる君のことをいつも、たろまろ君と間違って呼ぶのでたろまる君は可哀そうだと同情したことを思い出す。


ヤマニガナ キク科

林縁の田舎道の脇にキク科の花が咲いていた。背丈は1m以上あり道の方に倒れかけてきていた。茎上部の円錐状花序に、径2-3cmの黄色の小花を多数つけている。キク科アキノノゲシ属だろうとネット検索するとヤマニガナが近い。




痩果は長さ約5mmの扁平な惰円形で両面に3脈があるらしい。白色の冠毛が美しい。


小花は舌状花のみで総苞片はアキノノゲシと似ている。


これは上部の葉。下の方は藪の中で確認できなかった。

クズとベッコウハゴロモ

2015-07-27 | 日記
人生は前半と後半に分けることが出来る。若いころ人は誰も自分の可能性を信じ、競争に打ち勝ち成功することを夢見て努力する。そして成功し結果が実を結んだとしたらそれは最高の幸せになるだろう。昇進して職場での地位を獲得すること、高収入を得ること、業績や名誉を残し周囲からの称賛を得ること、教授になることなど、他から羨ましがられることこの上ない。しかしこの栄華も人生の後半になると事情が変わってくるようだ。定年を迎え身体、気力の衰えを感じ始めた頃、新進気鋭の後進が続々と現われ道を譲る時期が来て、自分の社会的地位が変化してくるのを悟る。人生の後半に入った時、これまで築きあげた業績や地位はもはや意味を失ってしまう。定年後もいきいきとしている人たちは決して若いころに成功した人たちではない。友達との付き合い、趣味、家族や社会への奉仕などに新たな生きがいを見いだし元気に活動する人は幸せである。そのために大事なことは心身ともに健康であること。人間も生物である限り必ず死へと向かう道を歩んでいる。その過程で病魔、認知症、寝たきり状態になる可能性の恐怖と闘わなければならない。人生前半の険しい峠を越えたあと、それが大した山ではなかったとしても、後半はゆっくりと野山の自然を楽しみ味わいながらスタート地点に帰ってくることができたらそれはいい旅、いい人生だったといえるのではないだろうか。


随分暑い日が続く。左にピーナツやゴボウの畑を眺めながら歩いていると、右手の藪に赤く燃えるような花が咲いていた。


クズ マメ科

もうクズの花が咲いていると手にとって嗅ぐとむっとするような甘い匂い、真夏の香りだ。




クズの花の旗弁は仏像の光背のように見える。そう思うと何となく神々しくて手を合わせて拝みたくなるなあ。


ベッコウハゴロモ ハゴロモ科

クズの葉やツルに小さな蛾のような虫がとまっていた。色もあまりよくないから美しいとはとても言えない。以前スケバハゴロモを観察したことがあるがスケバハゴロモのほうが見た目がいい。




このクズの枝には随分沢山のベッコウハゴロモがいた。クズの茎から吸汁しているのだろう。




翅には2本の白線と目のような斑紋がある。