ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

贅沢な自己陶酔

2010年10月19日 | 倫理・道徳関係
小学校近くにヒグマ、市街地徘徊後に2頭射殺(読売新聞) - goo ニュース

 18日午前11時25分頃、北海道斜里町朝日町の斜里町立朝日小で、児童らが、グラウンドから20~30メートルほど離れた森にヒグマがいるのを見つけ、斜里町教育委員会に通報した。
 2頭のクマは一時、商店が立ち並ぶ市街地を 徘徊したものの、ハンターによって近くの森で射殺された。
 道警斜里署の発表によると射殺されたクマは体長1・3メートルと1・5メートル。いずれもメスで親子とみられる。エサ不足のため人里に現れるクマの被害が全国で相次いでいるが、同町役場は「市街地にクマが出没するのはおそらく初めてだろう」としている。



 こうした類のニュースが出るとすぐ、「クマが可哀相だ」とか、「人間のほうが害がある」とかといった、スイーツ(笑)な連中が湧いてくるのだが、こういう連中を見るたびに辟易するのは私だけではないだろう。

 こういうのを、「偽善」と言うのであろうが、私は偽善自体は否定しないし、偽善によって自分以外の誰かが幸せになれば、偽善も結構だと思っている。しかし、この場合、この偽善によって幸せになるのは、野生動物の怖さを知らないスイーツ脳の連中だけで、もし住民がクマに襲われた場合、彼らの偽善は糞の役にも立たない。

 彼らはクマに襲われた人に言えるのだろうか?
 「あなたたち人間のほうが害獣ですよ」と。

 思うに、彼らは、「動物に優しい私って素敵~」みたいな程度の発想しか持ち合わせていないのだろう。昨今話題の某エコテロリストと同じようなものだ。


 今回は住宅街ということなので話題は少し外れるが、だいたい、こういう連中が普段スーパーとかで購入している食料品の多く、とりわけ野菜などは、人間にときに害を及ぼす野生動物(鳥獣)が出没するような環境で、農家の人たちが育てているものだ。

 その売り物である野菜が、いくら野生動物が飢えていたからとはいえ、食い荒らされたならば、農家の人たちは、それこそ生活もままならないようなことになりかねない。

 それでもなお、彼らは「動物愛護」もとい、動物愛「誤」にもとづき、そうした害を働いた動物を駆除した人や農家の人たちに対し、「野蛮」だの「人間が悪い」だのと言うつもりなのか?


 こういう批判をすると、「麻酔銃がある」という者がいるが、これもまた麻酔銃の実態を分かっていないゆえの批判に過ぎない。

 私の調べたところでは、麻酔銃とはいわば注射針のようなものを、銃を使用することによって発射するものであり、これは、動物の「当たり所」が悪いと、逆に死に至る危険性もある道具なのだ。

 したがって、狙える場所も限られ、また普通の銃と同じ力で発射すればこれもまた死んでしまうから、麻酔銃を使用する場合には、銃の威力を抑え、死なない場所(尻など)を、しかも相当の至近距離から撃たないと、成功する可能性は低いという。

 さらに、麻酔銃を撃たれると、麻酔が効いてくるまで動物が物凄い勢いで暴れ出すため、シカや小熊程度ならまだしも、大人のクマといった大型クラスになると、麻酔が効くまでに更なる拡大被害が発生するということで、麻酔銃というのは彼らが考えているほど都合のいい道具ではないのだ。



 要するに、彼らは、自分たちは野生動物による被害のない安全な場所で、こうした場所で生活している人たちの恩恵を受けながら、かかる偽善をのたまうのは、所詮は「贅沢な自己陶酔」でしかないということだ。

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