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公債の中立命題

2010-01-07 | 日記
井堀利宏 『日本の財政改革』 ( p.95 )

 公債発行によって将来世代に何らかの経済的な負担が転嫁されることは、財政当局のみならず経済学者の常識であった。これが、特に赤字公債の発行の問題点として強調された点である。建設公債と違って赤字公債の場合に、何ら便益が将来世代に残らないとすれば、公債の負担のみが将来世代に転嫁されることになる。この点から、赤字公債よりは建設公債の方がより公平といえるだろう。しかし、最近になって、公債発行によってもなんら負担が将来世代に転嫁されないとする主張 ( 中立命題 ) が、一部の理論的な経済学者によって主張され、かつ、実際の経済にも当てはまるという実証研究も存在する。以下ではこの公債の中立命題を検討しよう。
 公債発行と公債償還とが同一の世代に限定されているなら、ある一定の政府支出を賄うのに、公債発行と課税調達とでは、全く同じ効果を持つであろう。課税調達のときと現在価値でみて同じ税金を支払うのであれば、公債発行と課税調達とに実質的な差はない。この議論は、「リカードの中立命題」 と呼ばれている。人々が生涯にわたる予算制約式に基づいて最適化行動をする限り、どの時点で課税されても税負担の現在価値は同じであって、生涯にわたる予算制約も同じとなる。したがって、課税と公債とでなんら相違はない。
 リカードの中立命題を表 2 の簡単な数値例で考えてみよう。政府支出は一定とし、今年一兆円の減税を実施し、その財源として公債を発行するとしよう。公債は、一年満期であり来年には償還しなければならないとする。利子率を五%とすると、来年には一兆五〇〇億円だけ償還のために増税しなければならない。今年の一兆円の減税の代わりに、来年一兆五〇〇億円の増税が行われることになる。人々の税負担の総額はどう変化するだろうか。表 2 が示すように、税負担の現在価値は、ゼロである。公債発行によって、税負担のタイミングは変化するが、総税負担額 ( の現在価値 ) は、政府支出が一定であるかぎり、変わらない。
 すなわち、今年の減税と来年の増税とは、ちょうど相殺されてネットではゼロとなる。税負担の総額が変わらなければ、その人の長期的な可処分所得も変化せず、したがって、今年と来年の消費も変化しない。人々は長期的な可処分所得 ( =恒常所得 ) に基づいて、消費計画をたてると考えるのが、もっともらしい消費仮説 ( =恒常所得仮説 ) である。その結果、今年の減税政策によって今年の消費は刺激されず、また、来年の増税政策によっても来年の消費は変化しない。
 では、公債の満期が来年にくるのではなく、もっと先まで伸ばされるときは、上の議論はどうなるだろうか。政府は、公債を償還することをせず、毎年毎年利子だけを支払い続けるとしよう。来年以降、政府は毎年五〇〇億円だけ利子を支払うから、その分だけ増税しなくてはならない。したがって、今年一兆円減税する代わりに、来年以降五〇〇億円だけ毎年増税が行われる。税負担の総額の現在価値を求めると、今度のケースでも、今年の減税と来年以降の増税とはちょうど相殺されて、ネットではゼロとなる。公債をいつ償還するかは、利払いのための増税をきちんと考慮にいれると、それほど重要なことではない。
 ところで、公債を償還するのを先送りし、借換債をどんどん発行していけば、現在の世代が死んでから、現在の公債が償還される。あるいは、上の数値例での償還しないで利払い分だけ増税が行われるケースのように、無限の先まで増税が及ぶこともある。このとき公債を発行し、それを先送りする現在世代は、償還のための増税という負担を将来世代に転嫁することができる。世代の枠を考慮すると、リカードの中立命題は成立しない。これまでの標準的な議論では、こうした状況が念頭に置かれていた。
 この場合にも課税と公債の無差別を主張するのが、遺産による世代間での自発的な再配分効果を考慮する 「バローの中立命題」 である。バローは、親の世代が利他的な遺産動機をもつことで、子の効用=経済状態にも関心を持つことを指摘し、その結果、子の子である孫の世代、さらに孫の子であるひ孫の世代の効用にも関心を持つことを示した。これは、結局無限の先の世代のことまで間接的に関心を持つことを意味するから、いくら公債の償還が先送りされても、人々は自らの生涯の間に償還があるときと同じように行動する。とすれば、公債発行と償還のための課税が同一の世代の枠を超えても、中立命題が成立する。現在自分の世代に対して、公債発行による財源で減税が行われても、将来子どもの世代に対して、公債償還のための増税も行われる。親の世代は、子どもの世代に対する増税をちょうど相殺するように、減税でもらった資金をすべて子どもへの遺産にまわすのである。その結果、親の消費も子の消費も、公債発行とは無関係に、ある最適水準に維持される。


 リカードの中立命題 ( 一つの世代における公債の中立命題 ) と、バローの中立命題 ( 複数世代間における公債の中立命題 ) が、概説されています。



 この命題、どこか 「変」 だと思います。とくに、バローの中立命題は、どう考えても現実には当てはまらないと思います。

 以下、その根拠を述べます。



 まず、リカードの中立命題についてですが、この命題は、「いま減税されても、あとで増税されると当然予想されるので、誰も消費を増やさない。将来の増税に備えて貯蓄する」 と主張しています。

 たしかに、そういう面もあります。しかし、人間には、その逆の面、すなわち、「いまあるお金は、使ってしまう」 という一面も、同居しているのではないでしょうか。

 私についていえば、手元にお金があると、つい、使ってしまいます。といっても、高額消費をするわけではありません。なんて言えばよいのでしょうか、たとえば、缶珈琲を買ったりして、お金を使ってしまいます。缶珈琲は 1 本、120 円です。ものによっては 160 円くらいしますが、高々、百数十円程度のものです。しかし、それらの少額消費を合計すると、それなりの金額になっていることが多いです。

 缶珈琲などは、べつに、「なくても困らない」 のであり、お金がなければ、買いません。けれども、お金を持っていると、つい、買ってしまいます。

 こういうことは、ほとんどの人に、共通しているのではないでしょうか。とすれば、人間には、「いまあるお金は、使ってしまう」 という一面も、同居していると考えてよいのではないかと思います。

 したがって、リカードの中立命題は、「変」 だと思います。さすがに私も、減税された分が、全額、消費されるとは思いませんが、その一部は消費にまわされると考えるのが、自然ではないかと思います。



 次に、バローの中立命題ですが、この命題は、「もっと変」 だと思います。この命題は、「親は、子どもや孫の利益を考えて、減税された分を貯蓄にまわす」 と主張しているのですが、こんな主張が、本気でなされているのか、疑問を感じます。

 いま、「子ども手当」 を支給しても、親が消費してしまうのではないか、といった疑問が提起されています。世間が、この疑問に説得力を感じている現状は、バローの中立命題が、現実とはズレていることを示しています。

 もちろん、すべての親が、「子ども手当」 を消費にまわすとは思いませんが、子の利益のために貯蓄する親ばかりではないことは、あきらかだと思います。ましてや、孫や、ひ孫の世代のことまで考えている親が、どれほどいるでしょうか。かなり疑問を感じます。

 したがって、バローの中立命題は、リカードの中立命題以上に、「変」 だと思います。



 このような命題が主張される背景には、人間を 「合理的な行動をする主体」 とみなす発想があるのではないかと思います。また、バローの中立命題については、そのうえに、さらに、「親子は一心同体」 であると考える発想 ( 無条件の愛 ) があるのではないかと思います。

 これらの前提のもと、数学的な計算をすれば、おそらく、リカードの中立命題や、バローの中立命題が導かれるのでしょう。

 しかし、人間はかならずしも、そのような存在ではない。そのあたりに、公債の中立命題に対する疑問が浮上してくる原因があるのではないか、と思います。
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