言語空間+備忘録

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可住地面積あたりの道路密度

2011-05-04 | 日記
藤井聡 『公共事業が日本を救う』 ( p.19 )

 さて、公共事業の見直しの議論の中でも、近年取り上げられることが多いのが、「道路」である。実際、様々な公共事業の中でも、道路事業が占める割合が最も高く、例年、約3割程度の公共事業費が道路に投入されている。
 そうした道路事業に対する批判として、しばしば、
 「日本の道路整備のレベルは極めて高い。だからもうこれ以上、道路なんて要らない。道路事業は縮小すべきだ」
 という主旨の論調を見聞きすることがある。
 例えば、「週刊ダイヤモンド」2009年12月12日号の「建設ありきでどこまでも続く公共事業の王様の "暴走"」という記事には、図4のようなグラフが紹介されている。ご覧のように、先進国中、日本だけが突出して高い水準にあることが分かる。
 高速道路においては各国の2倍以上、すべての道路においては7~8倍以上もの高水準にあることがわかる。そして、この記事では、「すでに日本は世界トップレベルの水準にある」と述べられ、もう道路建設事業は止めるべきなのだという論旨が展開される。
 実はこのグラフは、このダイヤモンドの記事だけで紹介されているものではなく、様々な書籍でも紹介されている、ある意味 "有名" なグラフなのである。
 例えば、先に引用した『道路をどうするか』(2008年)においても(P65)、また、『道路整備事業の大罪』という2009年に出版された書籍においても(P17)、同様のグラフが用いられている。
 しかし、著者がはじめてこのグラフを目にした時、ある種の違和感を感じた。なぜなら、道路のサービスレベルを論ずる時に、「可住地面積あたり」での密度が論じられているからである。
 この「可住地面積」という言葉であるが、これは、人々が住むことができない森林や湿地を除いた、人間が住むことができる地域の面積を意味する言葉である。しかしおそらくは、多くの一般の読者にとって、あまり耳にする言葉ではないだろうと思う。
 そもそも「可住地面積」を用いるのは、例えば、人口や都市公園の数など、「可住地にしかないもの」を評価する場合であることが一般的である。
 ところが、道路は山間地を走ることもあればトンネルも橋もある。つまり道路は、可住地のみにつくられる居住地や都市公園とは異なり、可住地と可住地とを結ぶ「非可住地」にもつくられるものである。
 だから道路のサービスレベルを論ずる時に、可住地面積を用いないのが一般的なのである。それにもかかわらず「可住地面積あたりの道路密度」が、道路のサービスレベルの評価に用いられている点に、違和感を感じざるを得なかったのである。
 そもそも、日本の可住地面積は、ヨーロッパの国々に比べて格段に少ない。考えてみれば当たり前だが、日本はヨーロッパと異なり、森林に覆われた山が多くて平地が少ない。したがって、可住地の割合は、ヨーロッパ諸国で7、8割もある一方で、日本は3割にも満たない。そうである以上、日本の「可住地面積あたり」の道路延長は、必然的に高いものとなる (割り算をするときに「分母」が小さければ、その数自体が大きくなるのは当たり前だ) 。

(中略)

 つまり、可住地のみにつくられるのでなく、可住地と可住地を「結ぶ」ものとしての道路のサービス水準を、「可住地面積あたり」という尺度で比較しようとすること自体が「ナンセンス」なのである。
 しかし、この「ナンセンス」な基準によって、日本が「世界に冠たる道路王国」であると主張されたり、「(日本が)道路後進国なんて大ウソだ」等と主張され、「道路事業をこれ以上続けるなんて、無意味なのだ、道路建設を止めるべきなのだ」という論が展開されるのである。さらには、「そんな無意味な道路建設が止められないのは、道路事業で甘い汁を吸っている業者や政治家、官僚達が、自分の利権を守りたいからに違いないのだ」という論へとつなげられていくのである。
 しかし、こうした道路事業批判が拠り所としている「日本の道路は世界トップクラス」という主張を導き出す図4そのものが「ナンセンス」なものなのである。
 つまり、道路事業批判の中でもとりわけ「日本の道路が世界トップクラス」という主張に基づくものについては、論理的に破綻しているのではないかという疑念が、現実的に考えられるのである。


 日本の道路は世界トップレベルであり「これ以上、道路なんて要らない。道路事業は縮小すべきだ」という主張の根拠になっているグラフは、「可住地面積あたり」で道路密度を比較しており、「ナンセンス」であると書かれています。



 引用文中にある「図4」のグラフから、(目分量で適当に) 読み取った値を次に記します。



図4 既往文献で紹介されている「主要国との道路密度比較」(可住地面積あたり)

       全道路(km) 高速道路(m)

米国     2      18
カナダ    0・3     2
フランス   2・5    30
ドイツ    1      50
イタリア   3・8    45
英国     2・5    22
日本    14・5    90



 たしかにこの表を見ると、日本が「道路王国」であるかのように感じられます。

 しかし著者が強調しているのは、これは「可住地面積あたり」のデータであり「ナンセンス」だということです。

 引用する際に省略した部分 (中略と記した部分) には、わかりやすい絵 (とその説明文) が描かれています。どのような絵かといえば、「可住地面積あたり」で道路密度を比較することがいかにナンセンスであるかを示す絵です。可住地面積の小さい国と、可住地面積の大きい国とを鳥瞰した絵を示し、どちらの国にも同じ長さの道路が必要であるにもかかわらず、「可住地面積」で割れば (=可住地面積あたりの計算をすれば) 、可住地面積の小さい国では道路が過剰であるかのような数値が得られることが、わかりやすく示されています。

 したがってこの点においても、「公共事業不要論」には説得力が欠けていることになります。



 なお、このブログでは「グラフ」や「絵」は引用しません (スキャナで読み込みません) 。私が引用しなかった「絵」は直観的にわかりやすく描かれていますので、必要であれば本を買ってください。



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■追記
 日本における「可住地面積あたり」の道路密度が高いというデータがナンセンスであることから、「公共事業不要論」には説得力が欠けていると考えられますが、しかしだからといって、逆に、「公共事業が必要である」ということにはなりません。たんに、「不要論」に説得力が欠けているというだけです。「必要論」を主張するためには、日本においては「山間地をも含めた国土面積あたり」の道路密度が「低い」というデータが必要ですが、そのようなデータを著者は示していません。