ハレノヒ

日々の生活の、あわのようないろいろ。

「祈れ呪うな」

2012-06-02 20:00:00 | きょうのいっきょく


キリンジの配信限定シングル「祈れ呪うな」が5月30日に配信開始になりました。

以下作詞/作曲をした堀込高樹のコメント。

[新曲「祈れ呪うな」について] - 堀込高樹 より -

菜っ葉の一束さえ気軽に買えない世の中になってしまいましたね。
福島原発の事故の日以来、政府や東電への腹立ちと自分がこれまで
原子力発電の危うさを知っていながら「まあ大丈夫じゃないかな」と
高を括ってきたことへの後ろめたさ、世の子供達への申し訳ないという気持ち、
これらが混じり合った嫌な感情が大きくなったり小さくなったりしながら、
何時も心のどこかにあります。
原発の話題を扱うメディアで“神の火”とか“触らぬ神に祟りなし”とか
“安全神話”とか、“神”という字をしばしば目にします。果たしてあれが神なのか
悪魔なのか、責任が誰にあるのか、正しい情報はどれなのか等、やいのやいの言ったところで、
事故というヘヴィな現実の前にはそういった議論が言葉の遊びのように感じられてしまう。
一方で「福島原発事故の行方は現場の作業員の人々の働きに懸かっているのだから、
こうして馬鹿一人が気を揉んでいても、どうにもならないではないか。
ならば、自分は彼の人々の無事と事故の収束を祈るより他ない、誰かを呪って
精神の衛生を崩すようなことはやめよう」というようなことを考えたりもします。
そういうわけで、自戒も込めたこんな曲が出来ました。
長々と御託を並べましたが、こちらサウンドのほうは、謎のエスニックムードを漂わせつつ、
力強いシャッフル・ビートにギター(いつもよりキビしめに歪ませております)が絡む
古臭ロックとなっております!

昨年の「あたらしい友だち」に続いて、ちょっとイレギュラーなタイプの新曲。

コメントでははっきりとどういうことなのかについてあらわしてるけど、歌詞の中には
「福島」も「原発」も一切出てこない。
それでもこういう皮肉めいた、具体的だけど抽象的な歌詞を書けるのはさすが。
そして曲もちゃんとかっこいい。

まぁ結局今あるるのは福島原発についての問題なのだけど、日本にはたくさんの原発が
あちこちにあって、そういうもの全てに対してのことなんだよなぁと。
決して福島県民、東日本に住む国民、東京電力管内の住人だけの問題ではないという
ことなわけで。

表現の方法っていろいろあるもので、「脊髄反射で作っちゃったようなあの曲よりは…」
と斉藤和義のあの替え歌と比較する人もいるみたいだけど、あれはあれで、自分の曲で
替え歌にして…ということも含めて、そういうものなんだろうからね。
言い方は悪いけどポップな感じというか。

真っ只中にいる人達(現場で今も働く人達や、自分の家が警戒区域になってしまって
否応なしに追い出されてしまった人達など)以外にとっては、反原発とか胸を張って
言い切れるわけでは無いけど、でも…というような、多分自戒の意味もこめた今の
本当の声・気持ちってこんな感じなんだろうなと思う。
それじゃダメなんだ、行動しなきゃ何も変わらないんだというのはもっともで、それは
とても理想的なことなんだけど、皆が皆そうなれるわけでもないし。

去年の今頃(もう少し後か)は「夏の光」という、超がつくほどどストレートな
夏の曲を歌っていたのになぁ。
半年もしたら「あたらしい友だち」を歌って、そして「祈れ呪うな」になって。
なんかせつないな。


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