イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「酔っぱらいの歴史」読了

2022年11月29日 | 2022読書
マーク・フォーサイズ/著 篠儀直子/訳 「酔っぱらいの歴史」読了

年に1回、図書館が長期で休館する。この間はいつもよりたくさんの冊数を借りておかねばならない。
大体の本は新聞やネットでタイトルを探して借りるのだが、冊数をたくさん借りるときや、読みたい本がない時などは書架の間をウロウロしながら面白そうなタイトルを物色したりする。そういったときはある意味、至福のときでもある。
そんなとき、食や酒には興味があるのでそういったワードが入っているタイトルにはつい目がいってしまう。この本もそのようにして見つけた本だ。

この本はよくあるような酒の起源の話ではなくて、飲酒=“酔っぱらう”という行為の歴史が書かれている。遠い昔から世界中の人々はそれぞれ場所で酔っぱらってきたのである。
酔っぱらうということがいろいろなところで歴史を動かしてきた。そういった事実?を拾って集めたというのがこの本である。「?」と書いた理由は後ほど・・。

お酒の起源というと、酩酊状態を通して神様とのコンタクトをするため、すなわち、宗教的儀式をおこなうためであったと思われがちだが、著者はそういった一面もあるのだろうが、それは後から生まれたもので、元々の起源は、単に酔っぱらいたいからであったと考えている。
そもそもアルコールを人間が摂取しはじめたのは腐った果物を食べたことから始まる。それは人として意識をもつずっと前からのことに違いない。だから宗教的儀式も酔っぱらいたいがための後付けにすぎなかったのではないだろうか。人は酔っぱらいたい、だから酒がいっぱいあると人は集まってくる。ひとが集まってくると布教がしやすい。布教をしやすくするために教会にお酒を用意する。酔っぱらえるのなら信心もしてみようか・・。そういった流れがあったのかもしれないと読めてくるのである。
宗教だけでなく、政治の駆け引き、権力闘争も酔っぱらう中でおこなわれてきた。とにかく人はいつも酔っていたいのだから。
ギリシャ時代やエジプトの時代のように、国家の構造がそれほど複雑ではない時代は酔っぱらいながら政治をやってもたいして市民の迷惑にはならなかった。
しかし、時代が現代になり、例えば、オランダで生まれたジンはイギリスに入り、下層階級の人たちにたくさん飲まれるようになったとき、酔っぱらって法を守らない貧困者に困った為政者たちがおこなった政策がこういった人たちを別の大陸に棄民することであり、そうして生まれたのがアメリカとオーストラリアだった。
アメリカでは飲酒が嫌いというか、サルーンと呼ばれた酒場が嫌いな婦人たちによって禁酒法が生まれ(た。とこの本には書かれていた。)、偶然かどうかはわからないが、禁酒法が施行されていた間に世界恐慌が起こり、その世界恐慌が禁酒法を終わらせたと同時に女性の地位が向上したという。
ロシアではニコライ二世が禁酒の方針を出したことが原因で(と、この本には書かれていた。)ロシア革命が起こり、共産主義国家のソビエト連邦が生まれた。しかし、その共産主義もペレストロイカの影響でインフレが進みアルコールの価格も暴騰したことがその共産主義の終焉の引き金になった。(と、この本には書かれていた。)
また、スターリンは恐怖政治の武器として酒を使ったという。政治局のメンバーを毎晩夕食に招き、酒をいっぱい飲ませて口を軽くさせて相手が何を考えているかを探ったという。近代においてもお酒は権力闘争に使われていたということだ。

そういえば、文明を持つまえから酒が大好きであった人類はそれなのにたびたび酒を禁じてきた。禁酒法しかり、ロシアでの数々の禁酒の政策であった。オーストラリアでも当初は飲酒が禁じられていたという。ドライな地域というのは実は多かった。しかし、そういった政策は長くは続かなかった。
その最たるものがイスラム教であろう。しかし、コーランにはワインは祝福されたものの飲み物であると書かれていたという。
しかし、時代を経るにつれ酒を禁忌するようになる。『あなたがた信仰するものよ!強い酒、賭け事、偶像、占い矢は、悪魔の手による業に過ぎない。それらを退け、よきことを成しなさい。』というように変わっていく。これは、ムハンマドの信徒たちのあいだで酔いが原因の喧嘩が絶えないようになってきたからだという。
コーランには、『酔っているときは祈るな』とも書かれているそうだが、それほどかなりの時間当時の人は酔っていたことになる。が、混じられているにもかかわらず、その後の時代にも様々な飲酒の記録が残っている。一般人は薬ということにして、またスルタンたち権力者は自宅の奥のほうで酒を飲み続けた。(らしい。)ワールドカップを開催しているかの国においても、外国人ががぶがぶやっているのを横目で見ながら現地の人たちが我慢し続けることができるわけもなく、何かと言い訳をしながら飲んでいるに違いない。規則は破られるためにある。

そのほか、各国の飲酒の歴史、それは禁止と解放の繰り返しでもあるのだが、おそらくは正史とされているようなものとはかなりかけ離れているように見える。もちろん、これはまったくのウソではないのだろうが、それはきっとその歴史の記録をどう読んだかという違いなのだろう。はすかいに読むとこうも読めるという感じだ。別の書き方をすると、それは“信用できない”となる。それは、エピローグの最後の文章にも表れている。『----それは未来でもある。現在からはるか先のいつか、チンパンジーが醸造所を乗っ取り、ゾウが蒸留所を占拠し、パブが恋わずらいのミバエで満席になった日には、人類は地球上で最後の一杯をくいっと飲み干し、千鳥足で宇宙船へ転がり込んで、この小さな岩のボールをあとにすることだろう。素晴らしい旅になるだろう。大気を突き破って地球を離れていくわれわれを神々が応援してくれるだろう。-----どこへ向かうのか私は知っている。いて座B₂Nだ。それは2万6000光年も先にある分子雲だから、旅を始めた者たちがたどり着くことはないだろう。幅は150光年、質量は太陽の300万倍。想像できないほど巨大な、自然発生した宇宙アルコールの雲だ。そしてそこにおいて我々は、無の底でとうとう、なぜなら人間であるがゆえに、宇宙的規模で酔っぱらうのである。』
まあ、こういったお話を他人にするときには、相手も自分も酔っぱらっていることを確かめてからにしなさいということだ。
ただ、こういったちょっと知的で、本当ともウソともわからない話をすることができる人というのは最も尊敬できる人でもあるのだとも思えるのである。そして、酒場での会話というものはこういったウイットに富んだものが最上であるとも思うのである。
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加太沖釣行

2022年11月26日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:11満潮 
潮流:4:51転流 9:00上り3.4ノット最強 13:02転流
釣果:ハマチ2匹 カワハギ3匹

師がよく書いていたのが、「釣り師の時制には現在形がない。」ということであった。釣り師はいつも、昨日まではよかった。きっと明日からは釣れ始めるはずだ・・。と思っているし、釣りし同士の会話に中にもいつも登場するのがこのフレーズである。
今日はまさにその通りの展開になってしまった。

SNSにアップされていた昨日の釣果は真鯛もカワハギもかなりの数が上がっていた。
今日は潮もそこそこ流れているし、風も穏やかという予報だ。これはチャンスかと期待を込めて船を出したが、写真のとおり悲しい釣果で終わってしまった。
朝一にアタリがないとものすごく不安になるのだが、結局それがずっと続くという展開であったのだ。

今日の予定は、最初、高仕掛けから始めて、潮流が速くなってくるタイミングでサビキに変更し、最強時刻を超えたくらいから潮が止まるまでカワハギを釣ろうと考えている。

テッパンポイントに一目散に向かうが、その道中、魚探にはまったく反応が出ない。反応がない中、あそこなら釣れるかもしれないと、みんな同じようなことを考えているのだろうか、船団ができているのでとりあえずはここで釣りを始める準備をする。



しかし、その後も一向に反応は出てこない。
そこからはひたすらウロウロ。あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしたがどこにも反応はない。ほかの船もウロウロしているところを見るとみんな反応のある場所を探しているのだろう。その間、仕掛けをサビキに変更してみるもアタリはない。
そんなことをしながら1時間半が過ぎ、風が止んできたと同時に潮の動きも遅くなってきたような気がした。
もう一度高仕掛けに取り替え、最後の望みのテッパンポイントへ。幸いなことにここでは反応が出ている。さすがはテッパンポイントだ。僕を裏切らない。しばらくしてアタリがあった。
ここでトラブル発生。潮があまり流れていないので舳先にサビキの仕掛けをセットしておいたのだが、それに魚が絡まってしまった。なんとか魚は取り込んだが2本の仕掛けは元へ戻らないほどぐちゃぐちゃになってしまった。
ここで残り時間はわずかだ。
最後のカワハギ釣りに向かった。



潮が止まってしまう前に何匹かを釣りたいと思ったが、すでにこの時間には潮がほぼ止まってしまっていた感じだ。最初の半時間ほどはそれなりにアタリはあったがその後はぱったりとアタリがなくなった。
浅い場所に行くとアタリはあるけれどもベラかチャリコしか食わない。
そんなエサ取りを相手にしている間にイソメは尽きてしまい、高仕掛けに変更してもう少し残業してみたが何の成果もなく今日も終了。

今日は気温もそれほど低くなく、風も夜明け前後に吹いただけで穏やかな1日であった。仕掛けを操るための苦労をする必要もなかったので本来ならもっと魚が釣れるはずであったが、唯一気がかりだったのがスラッジが多かったということであった。唯一の気がかりではあるが汚れたまま仕掛けが上がってくる日にはあまり魚を釣ったことがない。
師は時制のエピソードのほかに、「釣り師は釣りに出る前には100の言い訳を用意しておけ。」と書いている。僕も、今日の言い訳としてこのスラッジを挙げておこうと思う。
決して、僕の腕が悪いということではない。はず。で、ある・・。

今年も残りあとひと月になったところでこの釣果は痛い。来月からはお正月の準備のために真鯛を一所懸命に狙わねばならないが、その前段としては最悪のスタートだ。お正月に真鯛の焼き物が無くても何かが困るというものでもないが、あるのとないのとでは大違いだ。なんとか時制の谷間から脱出しなければと思うが、あとは神のみぞ知るのである・・。
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「迷わず書ける記者式文章術:プロが実践する4つのパターン」読了

2022年11月23日 | 2022読書
松林薫 「迷わず書ける記者式文章術:プロが実践する4つのパターン」読了

僕がブログを書き始めたきっかけというのは、以前にも書いたことがあるが、釣りの記録と読書の記録の忘備録としてであった。釣りについてはいつごろどんな釣り方で何を釣ったかというのは次の年の釣りに多少なりとも役に立っている。また、読書の記録というのは、以前に読んだことがある本なのにそれを知らずに最後まで読んでやっとそのことに気付くというようなことがないようにということと、高校時代に書いた読書感想文があまりのひどさに赤面ものであったというトラウマをなんとか克服したいという思いであった。


もう、1000回以上もブログを書いているが、いつもなかなか考えがまとまらず、何かを書くということは何かを伝えたいという思いが少なからずあるはずなのだが、釣りでも読書の記録でも「これを伝えたい。」ということがはっきり書けない。
例えば11月12日のブログ。トピックスとしてはイソメを買うのを忘れたこととラインで指を切ったことだが前半と後半を読み比べてみると、「こいつはどちらを強調したかったのかがわからない。」ということになってしまったと自分でわかるのである。
10月1日の釣りでは、ジギングであんなに大きな魚を釣ったのは初めてで、その強烈なアタリと引きは自分の中では感動ものであったのだが、あとから読み返してみるとそういうところがまったくない・・。
もっとこう、自分が読み返してもわくわくするような文章を書きたいと思いながら図書館の中を歩いていると、「小説の書き方」のような本を見かけるが、小説並みのブログを書く能力はないということはわかっているなか、この本を見つけた。

著者は元日本経済新聞の記者だったそうだ。その経験を基にして文章を相手にわかりやすく、しかも素早く効率的に書けるという方法を解説している。
その方法のひとつは、タイトルのとおり、4つの文章構成のパターンを駆使するということで、その手法がメインになっている。
その他、一文当たりの文字数、読ませどころの設定法などが書かれている。
一番のポイントである4つのパターンはこういうものだ。
① 逆三角形
  重要なことから順に説明していく方法。ニュース記事やプレスリリースなどに使われる。
② 三部構成
  序論、本論、結論の三つのパートに分ける方法。見解とその根拠を示す必要がある論説や解説を書くときに適している。
③ 起承転結
  冒頭で読み手の気を引き、最後まで飽きさせないことを目的とした展開のしかた。コラムなどの短めの「読み物」を書くのに適している。
④ 起承展転結
  起承転結の応用で、ルポルタージュなどの長めの「読み物」に使われる。

新聞記事ではこういう文章構成を基本に、一文当たり40~60文字で書いていくそうだ。逆三角形パターンでは重要な部分ほど先に登場するので必要ならば後ろの部分をカットして記事の長さを自由に調整できるという。三部構成や起承転結パターンでは序論や、本論、起、承、などのパートをモジュール化することで複数の記者でひとつの記事を仕上げるという離れ業さえおこなっているそうだ。
朝のあわただしい時間に読むものだから、ほとんど読み飛ばすか、ただ眺めているだけになってしまっているが、そんな高度なシステムで作られている新聞はもっと尊敬しながら読まねばならないと改めて反省するのである・・。
読ませどころの設定としては、①知らなかった知識を得る。②予想や常識を覆される。③別々の要素がつながる。ということが大切だそうだ。読み手にとって、「新しいことを知る。」、「新しい視点を得る。」ということが面白い文章になるそうだ。
釣行記だけでは面白くはないと、帝国軍が登場したり、ばら積み船を宇宙戦艦ヤマトに見立てたりしているのだが、これが新しい視点といえるのかどうかはわからないものの、何かのアクセントにはなっているのではないかと思っている。しかし、これらもすでに何度も使っているネタなので新しいネタを組み込んでいきたいのだがそういったものも見つけていかねばならない。

もともと、自分のために書いているとはいえ、ネット上にアップしているということで、こんな駄文を読んでくれている人たちもいるわけで、少しは笑ってもらったり、ときにはうなってもらったりもしてもらいたい。
新聞記事風の文章は簡潔にしかもきちんと伝えるべきことを伝えることができると思うが、そういう意味ではもう少し読み物としての要素も取り入れたいと思ったりもしている。一応、これでも、遠い過去だが、ちょっとした感想文を新聞に取り上げてもらったこともある。



師は自分の文章術について、読者の心に響くような一元半句さえあればよいということを語っていた。この記事の感想文にも、およそ釣りにはまったく関連性がない“ハシゴ”というような言葉を意識して使ってみたことが採用してもらえた要因かと自分では思っているが、毎回書くたびにそういった一元半句を求めているのだがそれがなかなかうまくはいかないのである。

毎日始発で出勤するようになり、ブログを書く時間がどんどん少なくなってきて、もっと短時間で目標の3000文字を書きたいと思っている。この本を読んで実践することでその能力が身に付くだろうか・・。
一応、このブログも起承転結パターンを意識して書いてみたが、うまく書けているかどうかはわからないし、目標の3000文字には程遠い文字数で今回も終わってしまった。
僕の文章修業はまだまだ続きそうである・・・。

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加太沖釣行

2022年11月20日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:中潮 3:40満潮 9:30干潮
潮流:4:18上り2.1ノット最強 7:43転流 10:44下り2.2ノット最強
釣果:ハマチ1匹 カスゴ1匹

一昨日までの天気予報では今日は雨ということになっていたので安息日にしようと思っていたのだが、昨日の予報で午前中は雨が降らないと変わってきた。
一昨日はイカ釣りに行っていて、昨日は友人の船の引っ越しを手伝っていたのでいい休養になると思っていたのだが雨が降らないとなると行かないわけにはいかない。
おまけに昨日の夜、日付が変わった頃から立て続けに3回地震がおこり、ほとんど寝ていないのでかなり疲れているのだ・・。

午前4時半に起床して友ヶ島のリアルタイムの風速を見てみると6メートルの風が吹いている。これは釣りができるギリギリの風速だ。雨雲の様子を見てみると、予報通り当面は降りそうではない。とりあえず港までは行ってみようと服を着替え家を出るとわずかだが雨が降ってきた。内心、これでもう一度布団に入れるとホッとするのだが、バイクの周りをグルグル回っているうちにまったく気にならないくらいの降りかたになってきた。これでまたとりあえず港まで行くことにした。
一昨日に比べると雲が多いおかげであまり寒さは感じない。

港には岸辺の哲学者がいつものように佇んでいた。



大概はじっと見つめているとどこかに飛び立ってしまうのだが、今日はなぜだかまったく動かない。写真に収めることができたのは初めてではないだろうか。

港は無風。橋を越えた港内は東の風で少し波立っている。一文字の切れ目を抜けるとまたべた凪だ。やっぱり来てみてよかったと思ったが、田倉崎を越えるとかなりの風が吹いている。
家に帰ってその頃のリアルタイムでの風速を見てみたら北東の風7メートル。まったくこの通りの吹き方だ。



カワハギも釣りたいなと思い、イソメを買おうかどうか悩んだのだが雨も風も心配で、買ったもののほとんど捨ててしまうというのはもったいないので今日はサビキと高仕掛けだけにしておこうと考えたのは正しい選択であった。と思ったものの、実は今日、カワハギ狙いで出た人たちはけっこうな釣果を上げていたらしい・・。

加太に到着した時点ではまだ上りの潮が残っているはずなのでまずは高仕掛けで真鯛を探ってみて、下りに入ってから大和堆ポイントでアジサバを狙おうと考えていた。
四国ポイントからテッパンポイントに向かうラインを魚探を見ながら移動しているとテッパンポイントの手前で反応が出てきた。



ここで釣りを始める準備をし始めたのだが、風が強すぎてスパンカーのブームを広げることができない。風は強いが潮はほとんど流れていない。あれまあ、これで魚が釣れるのだろうかと最初から戦意は消失してしまった。
しかし、そんな中、アタリがあった。
仕掛けが浮き上がるようなアタリだったのでこれは青物だろう。上がってきたのは小さなハマチだ。
とりあえずはボウズは免れた。
その後はあっちへウロウロ、こっちへウロウロ。アタリはまったくない。
後半は大和堆ポイントだと考えていたので、沖ノ島方面に向かっていたのだが、この海域は北風がすごい。ちょっと恐怖を感じるくらいだ。



この頃のリアルタイム風速は7メートル。これは厳しいと大和堆ポイントに行くのはあきらめ、いつでも風裏に逃げ込めるよう田倉崎に移動。風が吹く谷間であったのかどうか、ここに来いたときにはまったく風の強さは気にならない程度に治まっていた。
ここでもなにやら魚の反応はある。しばらくすると、大きなアタリ。仕掛けが海底についてすぐにアタってきた。型は小さいが一応真鯛だ。
魚探の反応も海底付近で、こういったアタり方であったということは、きっとサビキ仕掛けに変更したほうがよかったのかもしれないが、釣りができる残り時間はわずかで、僕が作るサビキ仕掛けは1回使うだけで鉤が錆びてしまう。要は、仕掛けがもったいないということなのだが、あとから考えるとここでサビキ仕掛けに変えておけばもう少し何かが釣れたのではないかと悔やんでしまったのである。

午前9時を前にして風は再び強くなってきた。このまま釣りを続けても大して数は伸びないと考えてそのまま釣りを終了。
釣りを始めてから終了までは約2時間。ポイントの移動の時間を差っ引けば仕掛けを下していた時間はわずか1時間足らずというところだろう。たったこれだけの時間では2匹しか釣れないというのは仕方がないというかなんというか・・・。ちょっと海が荒れ気味だとはいえ、もう少し粘りの釣りをしないとまともな釣果を得られないのだろうなと反省するのである。

帰途に大型のばら積み船が停泊していたので周辺を回ってプリムソル・ラインを探してみた。



確かに本に載っていたものとまったく同じマークを見つけることができた。このラインが船員さんの命を守っているのである。



丸によこ棒(積み荷が均等に積まれていて水平を保っているかどうかのチェックマークだそうだ。)のマークのNKというのは日本海事協会のイニシャルで、この船は日本船籍であるという表示だそうである。

この船のデータを調べてみると、全長299.95m、全幅50.00m、総屯数108,100屯だそうだ。波動エンジンのスラスター部分を除くとほぼ宇宙戦艦ヤマトと同じサイズだ。
う~ん、これでイスカンダル星まで行くのかと思うとやはりあの航海は大冒険であったと感慨無量になるのである。


ハマチは叔父さんの家に持っていき、残ったカスゴは久々の清蒸にした。たまたま家に紹興酒があったので今日は本格的中華風に仕上げてみた。



確かに日本酒で作るよりもコクが出る。
師は釣った魚をたべるとき、一度はその魚をこの料理で食べると書いていたが、今日のカスゴの清蒸はその味に近かったのではないかと思うのである。
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水軒沖釣行

2022年11月18日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:長潮 7:33干潮
釣果:コウイカ 1匹

今日は平日だが、母親を病院へ連れてゆかねばならず有給休暇を取った。今の仕事も大した仕事ではなく、それをきちんとやったからといって人事考課の評価が上がるわけでもなくもちろん給料も下がりはすれど上がることはまったくない。楽しみといえば有給休暇をどれだけ消化できるかということだけである。
だから何かと理由をつけて今日も有給休暇を取るのである。

予約時間は午後12時。それまでは自由な時間だ。これだけの時間があればコウイカに行ける。と思ったが、予想に反して風が強く、潮も緩かったのか、かなりの苦戦であった。
おまけに、港にやってきてからカメラを持ってくるのを忘れたことに気付いたり、あまりの寒さに対応できずにブルブル震えていたりとへまばかりをしてしまっていた。
ということで、今日は全部スマホでの撮影だ。スマホはどうも使いにくい。これがひとつ目のへまだ。

朝は明るくなってから出港しようと思っていたので、港に到着したのは午前6時。エンジンを温めたり、仕掛けのセットをしていると航海灯は必要ないくらいの明るさになってきた。



それほど風は吹いていないと思っていたが、鉄鋼団地の前を通ると港内でもかなりの風波が出ていた。小船では厳しいなと思っていたが、風は東風、一文字の切れ目を抜けると今度はべた凪業態になっていた。長潮なので潮は動かないと考えていたのでできるだけ沖、新々波止のさらに沖まで行ってみようと思っていたのでこれなら楽勝だと一気に沖を目指すと、再び風波が強くなってきた。



船もかなり流されているので、以前、この方法はいいのじゃないかと思っていたコンクリートブロックをロープに括り付けて沈めるという方法を試してみた。確かにこれはいい方法だ。25号のオモリで底が取れない状態だったがきちんと底が取れるようになった。あとは、仕掛けのすぐ近くにコンクリートブロックが浮いていてもイカは警戒心を持たないものだろうかと心配していたがそれは杞憂だった。間もなくアタリがあった。これは幸先がいいではないかと思ったが途中でバレてしまった。イカを釣っていてバラすということはあまりないのだが、今日はその後もそういうことが度々あった。潮が動かないわりに船はかなりの速度で流されるのでしっかりスッテを抱きかかえてくれないのかもしれない。
この場所で粘ればいいのかもしれないが、船があまりにも早く流れてゆくので少し陸の方に移動。新々波止の中ほどのところまで来ると流れは穏やかだ。コンクリートブロックがなくても底が取れる。
ここでふたつ目のへまをやってしまった。和歌山市の今朝の最低気温は今季最低の7.9度、おまけに海上はかなりの風が吹いているので体感温度はもっと低いだろう。そんな中でロープの引き上げを手袋をしたままやってしまった。海水で濡れた手袋は気化熱を奪い指先はもうダメと思うほど冷たくなる。もともと、カッパの上下だけでは寒くてたまらないと感じていたので気持ちはどんどん萎えてゆく。アタリも最初のバラしからいっこうになく、その気持ちに拍車がかかる。渡船屋は今週、連休しているので港は無人だ。焚火の用意を持ってくればよかったと後悔した。こんなに寒くてアタリもないのなら港で焚火をやっていたほうが楽しいではないか・・。

どこに移動してもアタリがなく、ここが最後と新々波止の元の切れ目跡の前に移動するとやっとアタリ。今度は大きそうだとリールを巻いているとフッと軽くなってしまった。またバラしたかと思ったらスッテを持っていかれてしまっていた。



これが三つ目のへま・・。フロロの3号なのでめったに切れるものではないが、去年から使っているものをラインの取り換えもしないでそのまま使っていたのでラインが弱っていたのかもしれない。貴重なスッテを失ってしまった。そういえば、以前にも同じようなへまをしているのを思い出した。
僕はまったく進歩のない人間だ・・。

スッテはまだひとつ残っているのでそのまま釣りを続けると、このポイント周辺はけっこうアタリがある。しかし、冒頭に書いた通り、合わせを入れても一瞬重さを感じるが、すぐに抜けてしまう。そんなことの繰り返しだ。
やっとしっかり鉤掛かりがしたと思ったら上がってきたイカはサイズが小さい。その後、すぐにアタリがあったが今度は小さなタコ。さすがにこれは小さすぎるのでお帰り願った。



まだ生エサを使っていた頃は何度かタコを釣った記憶はあるが、スッテで釣り上げたのは初めてだ。
ひょっとしてスッテを持って行ったのもタコだったのだろうか。タコなら少しサイズが大きいと3号では持たなかったのかもしれない。それなら納得がいくのだが・・。

その後はアタリもなく、予定通り午前9時に終了。
家に帰っても手の冷たさは治まらず、イカをさばく手元が狂って墨袋を破いてしまった。四つ目のへまだ・・。


早めの昼食を食べて病院に向かう。検査待ちの間、待合室でじっとしているのももったいないので徒歩で中古の釣具屋へ行ってみた。



たかだか10分ほどの行程だが、やっぱり途中で息が上がってめまいがする。
これは母親の検査の前に僕が検査を受けたほうがいいのではないかとも思ったりするのだが、こんなに待つくらいなら僕は御免だといつも思うのである・・。



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「世界を変えた100のシンボル 上」読了

2022年11月17日 | 2022読書
コリン・ソルター /著 甲斐理恵子/訳 「世界を変えた100のシンボル 上」読了

この本のカバーの裏にはこんな言葉が書かれている。
『このマークはなぜこういう形なのか、どのように生まれたのか?よく知られた記号、サイン、シンボルを整理し、それらの起源や作られた経緯などを詳しく見てゆく。
アイデアの源泉となるヴィジュアル・レファレンス。』
たしかに世の中にはマークやシンボルというものがあふれているように思う。マークというと、道を走ると交通標識、駅にいくとピクトグラム、パソコンの画面にもいっぱい出てくる。文字で書けよ!!とも思うが、こういった記号のおかけで、貿易や海外旅行を阻んでいた地形や言語の壁はなくなったとこの本には書かれている。確かにコツさえわかれば言葉はわからなくても記号ならここには何があるとか、ここでは何をしなければならないかということがわかることもある。
また、「シンボル」でいうと、それを使う目的というのは、物事の解説、方向の指示、特徴の説明、そして明確な警告を混乱なく伝えることである。シンボルの解釈を間違えたら、命を落とすことにもなりかねず、自分たちがどんな場所や集団に属しているか、どこへ行こうとしているか、そこに到着したら何をすべきか、もしくはしてはいけないかを知る手がかりなのである。

ヒトというのは、唯一、実体のない虚構の存在を信じることができる生物だそうだ。そうすることで集団を維持、発展させてきたという。太古からは神話、貨幣、国家というようなものが信じられ、その延長線上にシンボルというものがあるのであろうと思った。
様々なシンボルが人を束ね、人を区別してきた。

上巻のこの本には100のシンボルのうち半分の50が取り上げられている。
印象に残ったもののひとつは十字だ。十字といって思い浮かぶのはキリスト教のシンボルとスイスの国旗であるが、この十字というマークはキリストが生まれるはるか前かヒトが使っていたスンボルダそうだ。確かに簡単に描けるというとこの上ないほど簡単に描ける。
だから文字というものを知らなかったころの人類もお手軽に描けたのだろう。
それはエジプト時代のアンク十字という象形文字から始まる。



なんとも十字には見えないがこれも十字だそうだ。ファラオに与えられた魔よけの意味があったらしい。
本家と思われる、キリスト教が十字をシンボルとしたのは紀元4世紀ごろというのだからキリストが磔にされてから相当後のことだったらしい。主とあがめる人が処刑されたものをシンボルとするというのには当初、抵抗があったという。
そのほか、十字のバリエーションにはロレーヌ十字という横に2本線が入った十字や8個の頂点をもつマルタ十字というものもある。

 

これはどう見ても十字とは言えなさそうだが、やはり起源は簡単な十字のマークだそうだ。
これらもすべてキリスト教が起源になっている。特にそれぞれの時代の十字軍やキリスト教系の騎士団がシンボルとした。

そして、もうひとつの十字というと赤十字だが、これはもともと永世中立国であるスイスの国旗からヒントを得て赤と白を逆転させて考案されたものらしいが、これはきっとキリスト教の思想が含まれているというのでイスラム国家からは不満が出て、今では赤十字と赤い三日月(赤新月)がセットで描かれたシンボルを使うこともあるそうだ。



こんなことは初めて知った。ここにも分断と結束の狭間が見え隠れしている感じだ。

また、最近よく見る、Bluetoothの記号だが、これは「ルーン文字」という、聞いたこともない北欧の文字が起源だそうだ。この文字はナイフや斧で木、石、金属に彫られてきたものらしいが、短い直線が彫りやすかったのと、木目に沿って横線を彫ると木が割れやすくなるのでそれがないという特徴がある。確かにBluetoothの記号には横線がない。



くだんのマークは、デンマーク王であった、ハラルド・ブルートゥースの頭文字を組み合わせたものらしい。なんでそれがデバイスの接続のシンボルになったのかというのは、この人がデンマークを統一したというところから来ているらしいが、別にデンマークでなくてもよかったのではないかと・・。
ちなみに僕のパソコンのBluetooth機能は突然ダウンし、それ以来このマークは僕のシンボルから脱落してしまった・・。。

「プリムソル・ライン」というのも面白い。



これがシンボルといえるのかどうかはわからないが、大型船には貨物を乗せた時に喫水の限界を示すラインが引かれているらしい。今まで撮りためた画像では確認できなかったが、舷側にこんなマークが書かれているということだ。
無茶苦茶な積載で船の運航の危険がないように監視するためにかかれているのだが、これはプリムソルという人物の必死の努力によって乗務員たちの安全を守った証だそうだ。
この画像を探している最中に、こんなマークを見つけた。



これは、「この船はバウバルバス構造になっている。」というマークだそうで、これも接近する小型船に対する衝突防止のためのマークだそうだ。何気なく見ているマークにもすべて意味があるということなのである。

だから、そういった意味のあるシンボルやマークがないとリアリティに欠けるというのがスターウォーズを観ているとなんだかよくわかる。スターウォーズという映画は、世界中の神話や歴史の故事を研究してストーリーが創られたというが、帝国側にも反乱軍側にもそれぞれの属性を示すシンボルというものが見当たらない。唯一垣間見えるシンボルもなんだかよくわからなくて、少なくとも地球上の歴史の中で感じられる宗教やイデオロギーとはまったくの無関係のように見える。



確かに、これを何かを連想させるようなデザインにしてしまうと世界のどこかでは映画を売ることができないという事態になってしまうのだろうが、それがかえってリアリティを失くし、ファンタジーになってしまっている。ここにも分断と結束の狭間が見え隠れしている感じだ。

それほどまでにシンボルというものは必要不可欠であると同時に恐ろしくもある。
日本人も家紋というものに縛られてきた。お家のために生きるというのがお上になんでも従うという国民性を作ってしまった。
下巻ではそういったものもとり挙げられているのだろうか。

小さい頃から、こういった「シンボル」の元に集うというのが苦手だった。制服しかり、草野球でもおそろいの帽子を被るのが嫌で仕方がなく、就職してから職場で無理やり作らされたユニフォームにも辟易していた。どうも集団に属するということに窮屈感を感じるのだ。かといって自分で何もかも完結できるほどの能力も心の太さもない。そうなってくると僕は人間としての基本的な本能に欠けていると思えてくるのである・・。
やはり仲間は欲しいしその仲間は頼りになるし僕も頼りにされたい。SNSの仲間たちとともに海上でお互い識別できるようにフラッグとステッカーを作ったが僕はほとんど掲示をすることはない。



これに限っては集団に属するのが嫌なのではなく、それを掲示することによって、帝国軍に自分を識別されてしまうことが恐ろしいからなのである。心の中にはシンボルを持っているのである・・。
だからこれでも若い頃に比べると少しは人間としての本能を回復しつつあるのではないかと思っているのである。
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加太沖釣行

2022年11月12日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:42満潮
潮流:5:20転流、9:27上り3.3ノット最強
釣果:カワハギ2匹 ハマチ2匹 真鯛2匹 チャリコ1匹

カワハギの釣果が相変わらずいいらしい。僕も再び肝和えを食べたいと思うのだが、今日の潮を見てみると、アジ釣りと真鯛釣りに専念するのがよいのではないかと思える潮である。しかし、前日の釣果でN氏が大量にカワハギを釣ったという写真がSNSにアップされているのを見ると、僕も予定の中に入れておかねばと考えた。
しかし、肝心のエサを買ってくるのを忘れていたことをエンジンに火を入れてから気付くという体たらくなのだが、実はこれは僕が単に2分前の記憶さえ保持できない脳細胞しか持っていないというのではなく、僕の中の内なる神の啓示であったのかもしれないと思えるほどカワハギは釣れなかった。今日はカワハギをやらなかったほうがよかった日だったのかもしれないのだ。

今朝は温かい。もう、手袋をはめないとバイクの運転は辛いのではないかと思っていたがまったくそんなことはなかった。
港に到着した時にはまだ満月に近い月のそばに火星が輝いていて、今朝はこの月を眺めながら加太に向かえると思ったが、結局、ゴカイを買うために港を一度離れたので出港はかなり明るくなってからになってしまい、その時には火星もすでに空の中に紛れてしまっていた。

 

朝一、潮はあまり動いていないようであったがモーニングサービスを期待して四国ポイントの北でサビキを下してみた。しかし、魚探の反応もなく、時間がもったいないのですぐにカワハギポイントに移動。
二枚潮なのか、仕掛けは安定しない。しかし間もなく、これはカワハギのアタリだというアタリがあってかなり食い込ませたつもりだったがすっぽ抜けてしまった。これがケチのつき始めだったようである。
その後はアタリがあってもチャリコばかりだ。アオイソメはどんどん消耗し、1時間余りでほとんどを使ってしまった。そんな中、今日も魚探には魚の反応がいっぱい出ている。真鯛にしては反応が広範囲に広がっているのでこれはひょっとしてアジかもしれないとサビキ仕掛けに変更。まあ、そんなに簡単に魚は釣れるわけはないのだが、それならばとサビキを少しずつ巻き上げて誘いをかけてみるとかすかだがアタリがあった。これは真鯛かもしれないと高仕掛けに変更。確かにそのとおりで、鉤掛かりはしないものの結構な回数でアタリが出る。
そしてやっと鉤に乗ったのは小さなハマチであった。その後もビニールはかじられるものの鉤に乗らない。なんとかもう1匹真鯛を追加したが、その頃になると太陽がまぶしいくらいになりこれはきっとビニールの色が濃すぎるのかもしれないと考えて、もう少し薄い色のものを準備するため仕掛けを下したまま道具箱をまさぐってから竿を持つと、すぐにアタリが出た。これは偶然なのか、ずっと底で仕掛けを動かさずにいて突然動いたビニールにリアクションで反応したのか、その真意は魚に聞かねばわからないことだが、これは大きい。幸いにして周りには船はいない。無理をせずゆっくりやりとりをして、いざリーダーに手をかけた瞬間に再び魚が走り出した。思わず手を放したがそのときのわずかな時間にリーダーが指に食い込んだようだ。そのときはまったくわからず、もう一度竿を持ち直し、出て行った道糸を巻き込んで魚を取り込んだ後に右指が痛いことに気付いた。手のひらを見てみると血が滲んでいる。そのときになってやっと指を切っていたことを知った。



今日は生簀を開けることもなかろうと釣った魚はすべてすぐに締めていたのだが、その間も海水に浸みて痛いことこのうえない。魚を取り込めていたのでうれしい痛みだが、これで糸だけ切られていたら痛みが倍増していたところだ。
その後、もう1匹真鯛を追加して11時過ぎに終了。

小春日和というのは、晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天なのだが、先に書いたように、今日は小春日和を通り越して夏の終わりころに逆戻りしてしまったのではないかと思えるほど暑い1日になった。そろそろ焚火の準備をと思っていたけれどもとんでもないことだと思い直したのであった。




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「深海生物テヅルモヅルの謎を追え!: 系統分類から進化を探る ( フィールドの生物学 20 )」読了

2022年11月11日 | 2022読書
岡西政典 「深海生物テヅルモヅルの謎を追え!: 系統分類から進化を探る ( フィールドの生物学 20 )」読了

この本は以前に読んだ「裏山の奇人: 野にたゆたう博物学」と同じシリーズの本だ。「フィールドの生物学」という副題がついているとおり、フィールドワークを中心に生物学の研究をしている科学者が書いたエッセイであるが、自身の学問についての業績を述べているだけではなく、それを志した動機や一人前の科学者となるまでのドタバタのようなものまで様々なことが盛り込まれている。

この本を書いた著者はツルクモヒトデの系統分類を研究テーマにしている科学者だ。クモヒトデというのは大きくは二つの系統があって、ひとつはふつうのクモヒトデ、もうひとつは主に深海に棲んでいるツルクモヒトデという綱だ。ちなみに、生物の分類は界、門、綱、目、科、属、種という具合に細かく分かれてゆく。
その、ツルクモヒトデの綱の中にテヅルモヅルという科が含まれている。前に読んだ、「深海学」の中に、この生物の名前が出てきて、なんともインパクトのある名前だと思いいろいろ調べているうちにこの本を見つけた。著者自身もテヅルモヅルだけの研究をしているだけではないが、この名前にインパクトがあるというのでタイトルとして取り上げたということらしい。(まあ、これは編集者の仕業だろう・・・)

そしてそのテズルモズルだが、こんな形をしている。



普通のクモヒトデだと腕が5本だが、テズルモズルはその先が無数といっていいほど枝分かれしている。なんともグロテスクな形だ。どう見ても動物に見えない。わりと浅い場所にも棲んでいるらしいが僕は見たことがない。そこにいたとしても海藻か何かと間違って見つけることはできないだろうとは思う。
このような生物を研究している科学者は非常に少なく、分類はおろか生態についてもほとんどわかっていないらしい。著者の業績は従来考えられていた分類が、DNAの解析などによって従来の分類が生物学的にはかなり違っていたということを発見したといことだ。



しかし、まあ、こう言ってはなんだが、この生物がどんな分類になろうが世間になにか大きな変化がおこるわけではなく、誰も困らないし関係ないというのは間違いがないことだ。
だから、「仕事をする」ということが世の中のためになることをするものであるというのであればこの分類のための仕事というのはまったく何の役にも立っていないと僕には思える。ひょっとしたら未来の食糧危機の時に有用な食材としてクローズアップされるのかもしれないが、これを食べるくらいなら僕は飢え死にしたいと思うほどあまり美味しそうではない。しかし、僕はどうしてもこのような人に嫉妬してしまう。
そういうことに全身全霊を傾け、そしてそれで生活できているのだ。僕がしている仕事、してきた仕事というのも今思えばまったく世の中のためになるような仕事ではなかったように思う。阪神淡路大震災のときも、コロナショックの間も、その仕事が消滅しても誰も困ることはなかったのだからそれはきっと世の中には必要とされていない仕事であったのだろう。そんなことを言い始めると、世の中の仕事のほとんどは世の中の役に立っていないと言えるのかもしれない。現職の法務大臣でさえ、自分の仕事は「死刑のハンコを押すときだけしかニュースにならない。」ほどくだらない仕事だと自ら述べているのだからそうなのだが、僕の仕事もどう見ても法務大臣以下だ。
そうなってくると、世の中のライフラインといわれる部分を担っている人たち以外の仕事はまったく世の中の役に立たない仕事ということになってしまうのだとは思うが、それを自分で思っていたとしてもそれを言ってしまっては身も蓋もないのだが、今の法務大臣はそれをやってしまったのだからこの人は僕よりもかなり「アホ」、もしくは「正直」であると言わざるを得ない。

しかし、著者はそういうことも少なからず思いながらも自分の使命をその中に見つけようと努力する。それはこんな文章に表れている。『自分が楽しいから研究をするのではなく、誰もやっていないからその分類学を志すのではなく、自分の研究する分類学が、社会にどう役に立つのか?そう聞かれたときに、何でもいいので無言にならないよう、何らかの答えを自分の中に持っておくことが、これからの分類学研究者には求められるのではないか・・』と考えているのだ。
また、自分が目指す学位については自虐的ではあるが『理学の博士号ほどつぶしが効かないものはない。これがあったからと言ってどこの就職に役立つわけではないし、誰が知る資格でもない。しかし、理学部の博士課程の学生はこの号の取得を目指す。なぜか。それは、その人たちが科学者たらんとするからである。自分の中に芽生えた疑問を、科学的な手法で解明せんと欲し、それを究明した、またはそれを究明するための知識と技術を有する証だからである。』とも語っている。まさに自分自身のアイデンティティを求める姿である。僕の所属していた業界もよくつぶしが効かないとは言われていて、転職など考えられることもなくただその会社にしがみついているしか術はなくアイデンティティもなにもないのとは大違いでもある。

ただ、キャリー・マリス博士が言うように、「単に面白いからやっているのだ。」ということも忘れてはいない。『そしてその系統樹が自分の仮説を証明していた瞬間。自分のみぞ知る事実が、今この手にある、という得も言われぬ充足感が胸の中に広がる。』という感覚は僕がおそらく普通の人なら捉えることはできないであろうコウイカのアタリを捉えているときと同じ感覚であろうと思えるのだ。

科学の始まりというのは『西洋では、少なくとも近代の初め頃まで、人々万物を神の創造物と信じた。そして、神に選ばれた人間は、その万物、特に自然物の研究を通じて神の御心を知らなければならない、という思いに従い、それらが人間に有用か無用かを問わず、この世に存在するすべてのものを徹底的に「研究」しようとした。』ことからだそうだ。言い換えれば、自分の知らないことを知りたいと思うのは人間の本能だといえるものなのかもしれない。その本能のままに自分の知的好奇心の触手を伸ばし続け、その欲求を満たし続けているのだからそれはもう、嫉妬するしかないのである。どうせ世間の役に立たない人間であるのなら自分の好きなことを興味のおもむくままに探求する生き方というのは最も人間的であると思うのだ。

科学の読み物だと思っていたが、これはきっと哲学的な読み物であったのだ。



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水軒沖釣行

2022年11月06日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:38満潮
釣果:コウイカ 3匹

まずは昨日の話から。
午前中、友人の船を新たに港に迎えるための準備をしていた。1艘の船が抜けたのでそこに迎えるのだが、引き取った業者がもとあった碇のロープを切ってしまって放ったままにしているという。しかし、こんなことをされると海底にゴミが残るだけだし次に入る予定のひとのためにはとりあえずそのまま残しておいてほしかった。業者は邪魔なものは残しておかないほうがよいとでも思ったのだろうがこれは明らかにありがた迷惑なのである。
海底をまさぐるとひょっとしたらロープの先を捉えることができるかもしれないと思い朝から竹竿を切り出してきて適当な金具を取り付けてゴリゴリやってみた。
こんなことをしたのは初めてのことだったのだが、この港の底はゴミだらけだ。ロープの切れ端が引っ掛かってきたり、引っ掛かったきりなにやら動かないものもある。強引に引っ張ったら金具が抜けてしまった。こうなってしまったらあとは何もすることができない。
仕方がないので「わかやま〇しぇ」へ。今日のお目当ては250円のハチミツだ。激安スーパーでも400円近くするからこれもかなりの破格値だ。



毎週土曜日はけっこうな人の数でごった返している。いつものおじさんが僕を見つけてくれていて、「今日はタダで針ショウガあげるからあとで声をかけてよ。」と言ってくれる。
冷凍食品なんかを物色して清算を済ませ、おじさんに声をかけるとほかの人がいる中で、「あんたは特別だからいくらでも持っていけ。」と言ってくれるのだが、僕はどんなところが特別なのだろうか・・・。
賞味期限が切れているとはいえ、これを全部タダでもらえるのだ!



そして、午後、もう一度金具を買いなおして港へ。その前に粗大ごみを捨てに青岸清掃センターに行ったのだが、平日ならすんなり入れるところが、渋滞ができている。



土日はどこでも人がいっぱいだ。もう、嫌になってくる。こういう、特定の場所に土日に人が集中するというのはまったく社会的には非効率なものではないだろうか。大体、日曜日が休みなどというのは、旧約聖書の世界で創造神ヤハウェが光と大地と星と鳥と魚と獣と家畜を作った7日目に休んだというところからきているのだから仏教を基に建国を始めた日本人がそれに合わせることはなかろうというものだ。みんなまんべんなく休日を振り分けて生活すればどこも込み合うことがないはずなのだ。
大体、ヤハウェ神も、その2千7百年後、アダムとイヴのたったふたりから始まった人間の数がこんなに多くまで増えて土日はどこも混雑するようになってしまうとは思っていなかったのだろう。そう予想していたのなら、水曜日ぐらいにひと息いれて分散休日の段取りをしておいてくれたのではないだろうか・・。

そんなことを考えながら港に到着し、新たな金具をつけてまさぐっていると、係留予定場所の隣のNさんたちがやってきた。一応、新しい人にこの場所を紹介してるということと、碇を探すつもりだということを事前に話をしていいたので、「どうよ、見つかるか?」と聞いてくれる。
あきません・・。と答えると、今から釣りに行くからその前に船で沖を探ってやるわと言ってくれる。僕もそう考えたことがあるのだが、他人の碇のロープをひっかけると厄介なのでそこまではやりたくはないと考えていたのでありがたい申し出だ。
探している碇はこの人たちが沈めたものなので大体の位置は把握しているようだ。
風に煽られながら何度か探ってみてくれるがなかなか見つからない。
「もう、あきらめましょう」と声をかけようとしたとき、どうも碇を見つけたようだ。探していたものではないが、もっと昔に捨てられたもののようだ。位置的にもちょっとずれているが強度も十分残っていそうなので使えなくはなさそうだ。途中で切れているロープに応急でロープを繋いでもらってなんとか確保できた。
しかし、この人たちは親切なひとたちだ。4年前の台風の時も大半の船の碇が引けてしまったのですべての碇を入れなおしてくれたのもこの人たちだ。人力では引き上げられないほどの重さのある碇を全部抜いては入れ直しをするというのは相当な労力だろう。ありがたいことだ。

借りているロープを自分のロープにつなぎ替えたりそれを沈めておく作業をしながら彼が視察にやって来るのを待つ。
ほぼ予定通りの午後3時。今日は息子と釣りに出ていてその帰りですと彼がやってきた。
息子さんの年齢を聞くと22歳だそうだ。大学生か社会人になって間なしというところだろうが、仲がよさそうだ。僕には考えられない。まあ、息子などを連れてゆくと足手まといになるだけだから面倒だし、もとより息子のほうも父親と釣りに行こうなどという思考は脳細胞のかけらにもインプットされてはいまい。ということで僕にとってはなんだか違和感のある姿であった。

そんなことをやりながら1日が過ぎてしまった。

そして今日。時期的にはまだ2週間は早いと思うのだが、コウイカの調査に出てみた。
港に向かう時、素手でバイクのハンドルを握っていると手がしびれて感覚がなくなるくらいの寒さにならないと釣れないと思っていたのだが、このブログを書くために去年のコウイカはいつからだったかと調べてみたら最初に釣ったのは11月5日であった。あれ、まあ・・、去年もすでに同じときに釣りに行っているではないか。やはり記録は残しておくべきだがそれを活用しなけれ意味がないと、今、実感している。
そして、去年はまあまあの型を5匹も釣っているから今年はかなり出だしが悪いという結果になってしまった。


朝一はコチを狙ってみようと思い、紀ノ川方面に向かった。しかし、今朝も早く出過ぎたので真っ暗だ。



昨日の渡船屋の釣果には大きなタチウオが出ていたので僕も明るくなるまではタチウオを狙ってみることにした。
どこがよいのかわからないが、防波堤の一角に電気ウキが集中して光っている。ここがきっとポイントなのだろうと僕もそこの沖でルアーを投げ始めた。



アタリはなく明るくなるのを待って紀ノ川河口に移動。前々回アタリがあった場所に行くと、引き潮と川の流れが合わさってかなりの流れだ。



これではなんとなくだが釣れる気がしない。
今日の本命はコウイカなのだからとさっさと移動。新々波止のもとの切れ目に向かう。



仕掛けを流し続けるもアタリはない。この時点ではやっぱり時期が早すぎるかと思っている。
最初のアタリがあったのは釣りを始めて1時間ほどあとだったそれも型が小さい。この時点ではまだ、時期が早いのだから仕方がないと思っている。

その後もアタリはなかなか得られず・・。4回のアタリがあって3匹を取り込んだだけに終わってしまった。
去年は結局あまりたくさん釣ることができなかったけれども、出だしだけを比較してみるともっと悪くなりそうだ・・・。
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「旧約聖書の世界」読了

2022年11月05日 | 2022読書
谷口江里也/著 ギュスターヴ・ドレ/画 「旧約聖書の世界」読了

長い旅に持って行く本として師が挙げているのが旧約聖書とレストランのメニューだということがいくつかの本で書かれていた。信仰心がなくてもそれほど想像力をかきたてるのが聖書というのだろう。何冊か旧約聖書について書かれた本を読んだが、この本はかなり詳しく書かれている。
詳しく書かれているといっても、元の旧約聖書というのは、日本聖書教会発行の「聖書 新共同訳」で上下2段組で1502ページあるのだから、本編300ページで書かれ、その3分の1はギュスターヴ・ドレという画家が描いた版画が掲載されているので相当な意訳にはなっている。部分部分は聖書そのものの日本語訳が書かれ、その前後は物語のダイジェストという構成になっていてその場面を描いた版画がセットされるという構成だ。
版画が掲載されていたり、天の部分には金箔が貼られていたりと、聖書らしい重厚感がある。値段も重厚で、税込み4400円だ。



キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の原典になっているのがこの旧約聖書だけれども、もともとはユダヤ人が信じる神様のお話である。それがどうして世界中で信仰の対象になっているのかというは確かに不思議なことである。およそ宗教というのは世界中のどの場所でも発生していて信じられていたはずだがいつの間にかキリスト教やイスラム教に鞍替えされてしまっている。ヨーロッパの植民地であったところは無理やり改宗させられたということがあるのだろうが、そのヨーロッパの各国がユダヤ人の宗教を信じるようになったというのはなかなか謎だ。ローマにはたくさんの神様がいたし、北欧にも独特の神話が伝わってきたのでそれをずっと信じ続けてもよかったはずなのだが・・。

その謎を僕なりに考えてみようと思って、同時進行で古事記の現代語訳も読んでみていた。
旧約聖書は、唯一の神様であるヤウエイ(とこの本にはつづられている。)が生み出したアダムとイヴ、その10代目の子孫であるノア、さらに10代目の子孫であるアブラム(とこの本にはつづられている)の一族と神との関係が書かれた書物である。アブラムの子供のイサクの双子の子供ひとりであるヤコブがイスラエル人の元祖なのであるが、その一族が故郷であるカナンの地を離れエジプトに向かう。その子孫がモーセ(とこの本にはづつられている)であり、再びカナンの地を目指す。
この、ヤコブという人は、父親のイサクが老いてきたことにつけ込んで、父から一族の長とする祝福をだまし取ったり、家督を継ぐ兄からも財産をだまし取ったりする。
ユダヤ人というのは狡猾、用心深さ、忍耐強さがあり、これはある意味差別的な意味も込められているのだろうが、お金にも執着するというあまり良いイメージを持たれていないが、これも聖書の時代から植え付けられているイメージのようである。しかし、天使と一晩中戦っても負けなかったという不屈の精神も持っていて、その時に神様から「イスラエル」と名乗れと言われたというのだから今のイスラエル人の強さというのも聖書の時代から受け継がれているのであるから驚きだ。ここらあたりは創世記である。
そして彼らは飢饉が訪れた故郷を捨てエジプトに逃れたあと、モーセに率いられ再び神の宣託によってカナンの地に向かいイスラエル王国を建国するのだが、この辺りの物語は国土を得るための戦いの物語になる。確かに、こんなことは「イスラエル」な人々ではなかなかできない偉業ではあると思う。そういった物語は、出エジプト記、民数記、ヨシュア記という部分に当たる。サムソン王やダビデ王が登場する。その後、イスラエル王国は一番の隆盛を極める。ここは士師記、烈王記に当たる。ここではソロモン王が登場する。その後、この国は衰退をしてゆくのだが、それらはエレミア書、エゼキエル書、エズラ記、ヨブ記などにたくさんの預言者が登場し、国を腐敗させる様々なものを糾弾し排除しようと努力するが結局、イスラエルのユダヤ人たちはちりぢりバラバラになり世界をさまようようになる。その跡地に住み始めたのがパレスチナ人で、2千数百年後再びこの地でユダヤ人たちがイスラエルを建国したことがこの辺りの紛争の素になっているというはある意味、聖書の世界を引きづっていると言えるのだからすごいし因縁も深そうだ。
対して、日本の建国の物語は穏やかなものだ。
イザナギの命とイザナミの命が日本の島々を創って以来、大した戦いもなく、スサノオノミコトの末裔の大国主命が拡大した国土は、スサノオノの姉(無性生殖ではあるが両神ともイザナギの命から生まれた感じなので姉弟という関係といってもよいだろう)である天照大神の末裔のヒコホノニニギの命にあっさりと譲ってしまうのである。姉弟の相続争いといえばそうなのかもしれないが、何事もなくその子孫が代々の天皇となる。古事記には神武天皇が東に向かって進軍した戦いの記録があるだけで代々の天皇は平和的に正しい政治をおこなってこの国を治めたことになっている。
異教徒は殲滅せよという旧約聖書の世界とは対極にあるように思えるのだ。

地政学ではないが、やはり島国と大陸にあって陸続きで国境を持っていた国の違いなのだろうが、常に戦っていないと自分の国が無くなってしまう中ではたとえそれに疲れたとしても戦わねばならず、心を奮い立たせるためにはそれは人を超えたものから与えられた運命なのだと思うしかなかったのだろうと思うしかなくて、旧約聖書というのはそれにぴったりな物語であったということであったのだろうと思うのだ。しかし、結局、それも実際のところは人間が創り出したものなのだから、なんだか戦うことへの言い訳の無限のループの思想のようにむなしくも思えてくるのである。

ヨーロッパも地続きの国がせめぎ合う世界だから、自分たちが戦う正当性と意味を信じ込むにはちょうどよかったのかもしれない。ギリシャや北欧にはたくさんの神話や宗教が伝わっていたのだろうが、アニミズムや楽天的な神様たちの物語では心を奮い立たせることはできなかったのだろうと思う。

それに加えて、この書物が文字で書かれていたということも大きかったのではないだろうか。旧約聖書が生まれた場所というのは世界で初めて文字が生まれた地域だそうだ。モーセが授けられた十戒も石板に文字で刻まれていたくらいだ。それを見た人たちは、きっと、これはただものではないと中身はともかく、文字の羅列を見ただけで畏れ入ってしまったのではないかとも思うのである。だから、どこに行ってもあっさり信じられてしまったのかもしれないと思ったのだ。

この感想文とはまったく関係がないが、文字が生まれたのはたかだか5000年ほど前のことで、ホモサピエンスが生まれた20万年と比べるとほんのわずかな時間しか経っていない。だから、人間の脳は進化の部分では文字を認識する機能を持っていないらしい。それではどこで文字を認識しているかというと、人の顔を認識しているような領域を使っているらしいのである。人の顔というのは大体左右対称なので、実は左右対称ではない文字を認識するは苦手で、それを無理やりなんとか使っているというのが現状なのだそうだ。だから、鏡文字というような誤った書き方をしてしまうことがあるというのである。大体は大きくなるとそういうことがなくなってくるのだそうだが、僕は時々そういったことを今でもしてしまう。
思い当たるのが、人の顔を覚えるのがものすごく苦手だということだ。だから、文字も覚えるのが苦手で偏と旁を逆に書いてしまったりということになってしまう。どうも僕の脳は子供の頃から発達をやめてしまったようなのだということを知ってしまったのだ。ここでも僕の脳ミソは人並みではないということを思い知ってしまった。

それはさておき、2700年前に生まれた聖書の世界を引きずってイスラエルは戦っているのだと思うと、そんなに簡単にはあの地域に平和がもたらされるということはなく、そのほかの地域でも似たりよったりの思想を持った人たちが戦いを続けているのだから、世界に平和がもたらされるということはなく、むしろ、戦いが行われている世界、そうとまでは言わないが、隣国とは分かり合えることができずに対峙した状態というのが正常な世界の在り方であるのではないかと神聖なものを読みながらも思ってしまったのである。




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