イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「私の開高健」読了

2017年04月29日 | 2017読書
細川 布久子 「私の開高健」読了

この本はまさしく開高健への恋文だ。

この本が出版されていたことは知っていたが、同じ頃、師の生誕80年ということで立て続けにいくつかの本が出版され、なんだか便乗商売のようでまったく買いもしなかった。図書館を覗くようになりそのいくつかを読んだ。(というか、書架にあった本はこの本を除いてすべて読んでしまった。)「私の・・・」というタイトルで女性が書いているとなると著者の独りよがりの内容なのではないかと思えてますます読む気にならずにいたが、そのいくつか読んだ本の中に細川布久子という名前が出てきた。確かに師の周りのかなり近いところにいた人らしいということがわかった。

プロフィールを見ると、「面白半分」という雑誌の編集を経てサン・アド、集英社で働いていたそうだ。その後フランスへ渡り、ワインに関する書籍をいくつか執筆したということだ。執筆した本は少ないようで、ワインに関する記事を投稿したり、取材のコーディネーターのようなことをやっていたらしい。

学生時代に「夏の闇」を読み衝撃をうけてそのまま上京、「面白半分」で師が持ちまわり編集長をやっていることを知り半ば強引に入り込みそこで師と出会うことができ、それからは私設秘書のような役割をずっとしていたらしい。師のほうもプライベートなことなど、細々したことまで依頼をしていたようだ。たとえば、衣装にワッペンを付ける作業のようなことまで。
だから、師の身辺のこともたくさん知りえたのだろうが、文章のところどころ、特に女性関係などのようなところは、“すでに忘れてしまった・・・”とか、“記憶は曖昧で・・・”というような表現にはなっているものの、逆にそれほどまでにたくさんのこと知ってしまっていたのではないかと勘ぐりたくなってくる。

しかし、そういうところは問題ではない、著者は師の生き方そのものに心酔し、人生の最後の頃を迎える前に文章に残しておきたいと筆を取ったという。ワイン、パリへの憧れと移住、文体まで師のものによく似ている。この本の書き出し、「その頃、ぼんやり暮らしていた。」というセンテンスはまさしく「夏の闇」へのオマージュにほかならない。
そこには恋愛とは呼べないものの、何がしかの愛情、それもものすごく強い愛情が込められているように思う。 読む人のいない恋文だ。

まだ、牧羊子が存命中、師の追悼本を作成するにあたり、身近にいた人々の間では半ば公然と知られていた愛人であった人に執筆を依頼したところ、それは思い出話などではなく完全にラヴレターであったというエピソードが「壽屋コピーライター 開高健」に書かれていた。
師の周りには男女問わずいつも人だかりができていたそうだが、一方ではいつも自殺を考えているほど孤独を抱えて生きてもいたという。師もまた人の輪を欲していたということだろうか。
感情を抜きにしてもこれだけの博覧強記と知性を目の前にしたら耳を傾けずにはいられない。また、著者がたびたび受けたという、さりげない、なんの見返りも求めない援助を周りの人それぞれに多かれ少なかれ差し伸べていたのだとすれば、そういうところが人を引き付けてやまないのであろうということはあきらかなのではないだろうか。

再来年は師の没後30年を迎える。また関連本がいくつか出版されるのであろうが、それらを含めたとしてもこの本は屈指の1冊といえるのではないだろうか。
(僕もそう思うだろうという意味で。)

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山菜採り

2017年04月24日 | Weblog
去年より4日遅れての生石山への山菜採りだ。
いつもお世話になっている森に暮らすひまじんさんの情報では今年は遅れ気味でワラビも小さいとのことであったが、今年の新たな目的であるコゴミのスポットはすでに終わりに近づいているとのことなのでこれは早く行かねばと高原を目指した。

毎年、最初の山菜採りのころは駐車場で車のドアを開けたとたんに、寒ム・・・。となるところだが、今日は相当暖かい。まだまだ寒いと思っていたのでヒートテックをはいて来たのは失敗だった。

しかし、ワラビの芽は小さい。穂先をやっと地面から持ち上げたばかりだ。日差しはいくら暖かくても、地面が暖かくならないと芽は大きくなれないのだということだろうか。



最初に入った北の斜面は毎年軸の太い赤みを帯びたものが採れる。ほんとうはもう少し、2日ほど置いておけばもっと立派になるのだがそんなことをしていたら後続の人たちの餌食になってしまう。
かわいそうだがポッキリといってしまうのだ。ただ、このサイズのワラビが一番柔らかくて美味しい。

この斜面はところどころに潅木があったのだが、今年は豪快に刈り取られている。平らになった斜面に僕の影が長く落ちてゆく。



そういえば、最後こんなに長くなった自分の影を見たのはいつのことだっただろうか・・・。

ひまじんさんと合流する前にコシアブラを見に行こうとポイントに入ってみたが今年は情報どおりかなり遅れているようだ。採れるどころか、枝の先がわずかに緑色をしているだけだ。これは残念。



その後、ひまじんさんと合流。何ヶ所かでワラビを採り、ヤマウドのスポットへ。ヤマウドも小さいがこれも小さいほど美味しい。



しかし、見つけるのが大変だ。去年の枯れた茎をたどったり地面からわずかに飛び出た芽を探すがなかなか見つからない。
ひまじんさんの奥さんは相変わらず鋭い探索眼で次々と芽を見つけてゆく。「ここにあるから採ってね。」と恐縮しながら譲っていただく。至近距離で見ていたはずの場所で後から入った奥さんが芽を見つけられたのには驚いたと同時にまだまだ修行が足りんとたじたじとなってしまった。

ひととおり採り終え、今度は今年の大きな目的であるコゴミのポイントへ案内していただいた。秘密にされているとのことであったのだが無理を言って場所を教えていただいた。
そこはなんともものすごい数のコゴミが生えていた。



まさにコゴミの絨毯だ。初めて見る海底の生物を思わせるようなフォルムはオームの触角の海原のようで、もう少し黄色身を帯びていたのなら向こうからナウシカが歩いてきそうな感じだ。
大きくなりすぎているとは言え、茎の間からはまだまだ小さな芽も顔を出している。かなりの量が収穫できた。コゴミは癖がなく、天ぷらにしても酢味噌和えにしても何にしても美味しい。

最後に、僕のために取っておきましたと、少し大きな芽が出ているというコシアブラの木に案内していただいた。
朝はもう少し待たねばならないとあきらめていたがうれしいコシアブラだ。
今日採った山菜の大半を持たせていただいて帰路についた。


家に帰って山菜の処理。ワラビとイタドリは母親に任せて僕はひたすらゼンマイの綿取りに熱中。この綿はかつてはテンカラ釣りの毛バリの胴体にも使われていたということを最近知ったのだが、なんだか身近に感じてしまう。
今までは下処理が相当面倒と聞いていて、母親が高原に行っていた頃にも持って帰ることがなかったのだが、根気よくやればそんなに面倒なこともない。去年少しだけ持って帰ったゼンマイはワラビより鮮烈な味わいであった。今年は本格的に採ってこようと考えて地面を眺めていると意外とたくさんの芽が出ている。画像の分量の半分以上はひまじんさんが持たせてくれたものではあるわけだが今年はゼンマイも堪能できそうだ。



堪能などと今は呑気に書いているが、遠い昔、そこまでして食べ物を確保しないと生きてゆけない時代があったのではないかということを想像しなければならない。厳しい冬を生き延びてやっと口にできるのがこれらの苦みを含んだ春の山菜であったのなら、僕たちはもっと心して味わねばならないのではないかと思うのだ。

と言ってもやっぱり山菜の天ぷらは、“堪能”という言葉の方が似合っている。




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「空想科学読本17」読了

2017年04月23日 | 2017読書
柳田 理科雄 「空想科学読本17」読了

このシリーズも最初の出版から20年(2016年時点)経ったそうだ。内容は同じようなもので、空想科学の登場人物がいかにものすごい力を発揮しているかということを本当に計算し続けている。
著者がこのような本を書くきっかけになったのは経営していた学習塾が倒産しそうになり、経営を続けるためにアルバイトで執筆した本がヒットして今に至ったということだ。
ある意味、自分の興味のあることを小商いでやってみたらそれがとんでもない利益を生んでしまったという大成功ともいえる業績で、あとがきなんかを読んでいると、いつもこんな人にあやかれないものかといつもあこがれてしまう。

昔はもっと具体的な計算式なんかが書かれていたが、ゆとり世代には難しすぎるのか(僕にもぜんぜんわからないが・・・)計算結果だけが書かれているのはちょっと寂しい。
古本ばかりとはいえ、今さら買ってまで読むのも・・と思っていたら、図書館にもラインナップが蔵書されていた。この本は蔵書の中では最新刊であった。ちょっとパラパラめくってみると、ついつい読みたくなってくるのだ。
今回は20周年記念ということで過去の掲載を含めてヒーローたちをいろいろなカテゴリーに分けてランキング形式で発表というかたちにしている。

蔵書されている書架はというと、ヤングアダルトのコーナーで、50歳を過ぎたおっさんが立ち寄るところではないのでほかの文学本の下にこっそり隠して借りるという昔のエロ本の買い方のような借り方になってしまったがそれでも読みたくなってくる。
僕の精神年齢は限りなく幼稚だ。

ものすごい力を発揮するというと、釣鉤に掛かった魚の力というのも侮れない。
どう考えてもたかだか40センチを少し超えたくらいのサイズの魚が釣竿を伸してしまうほどの力があるとは思えないがどうなんだろうか。
しかし、実際の場面ではこれ以上は耐えられないからドラグを緩めたり糸を送り出したりしてしまう。これは糸が切れてしまうだとか、竿が折れてしまうだとかいう心理的なものが働くからなのだろうか。それとも、水の中での魚の推進力というのは相当なものがあるのだろうか。まあ、相手もここでくたばったら命がなくなると思うと火事場のばか力が発揮されてとんでもない推進力を生むものなのだろうか。(ちなみに、脳のリミッターが解除されたときに発揮される筋力というのは、この本によると、通常の力の1.2~1.4倍位になるそうだ。)
この本にも、テコの原理が働くので魚の引きは強くなると書かれていた章があったがどちらにしても大きな魚の引きというのはたまらなく魅力的なのだ。

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田辺湾釣行

2017年04月20日 | 2017釣り
場所:田辺湾
条件:小潮 7:20干潮 11:16満潮
釣果:チヌ 48センチ以下4匹 脱走真鯛 1匹 カワハギ1匹 チャリコ 11匹

今シーズン最後の田辺釣行だ。今年は2回釣行しようと目論んでいたが、実行することができた。
天気が荒れた後はチヌがよく釣れる。ここ3日はかなり天気が荒れ模様だったのでかなり期待ができる。予報では今日も北西の風が強くなってくるということと、今日までの荒れ具合がかなりひどかったので魚は湾内に避難しているだろうと予測し、今日はカグラに乗ろうと考えていた。
しかし、釣り人たちも天気の回復を待ちわびていたか、かなりの人出だ。船頭には一応、カグラでお願いと言ったものの、磯に下りる段になって僕より先にふたりの紀州釣りの釣り人が下りてしまった。ここの有望ポイントはふたりが限度だ。
仕方なく、隣の金谷に降りることにした。
ここはひと月ほど前から異常にチャリコが釣れている。近くの養殖筏の網が破れたらしく、そこから脱走した真鯛の稚魚が大量に回遊しているらしい。小物ならチヌが寄ってくると逃げてくれるのだろうが、手のひらクラスの魚となるとどうなんだろう。チヌがチャリコの大群に怖気づいているのなら今日はかなり厳しい条件になるのだが、たくさんの人に交じって不本意なポイントで釣りをするよりましだ。

4月に入り、一番船は午前4時半出港。お昼ご飯を物色するために24時間営業のスーパーに寄り道して、エサ屋に寄って時間通りに到着するには2時間15分前には家を出なければならない。今日は午前2時15分に出発だ。早朝というよりも深夜の行動というのはきつい。
それでも夜明けは早く、磯に下りて仕掛けを作りヌカ団子を練っている間にはすっかり明るくなってしまっていた。



一緒に下りたかご釣の釣り人は早速チャリコを釣り上げている。僕にも釣り始めて少ししてからチャリコが食ってきた。やはり今日はこれに悩まれそうだ。鉤を飲み込んで放流しても死んでしまうものだけをクーラーに入れながら僕の勘を信じてダンゴを放り込む。午前7時過ぎごろ、1匹目のチヌが釣れた。湾内にはチヌが避難していたのだ。決して僕の腕がいいのではないが僕の勘が当たってくれた。

午前8時半までに連続して合計3匹。この時間帯が今日の時合だったようだ。その後は小潮と予報に反して無風状態が続いてまったく潮が流れなくなってしまった。(おかげで1センチ単位でもウキ下の調整ができた。)
釣りを終えるまでに明らかに脱走兵にしか見えない真鯛が掛かりその後、多分今日の最大サイズと思われるチヌがかかったが、水面まで引き上げた後に痛恨のバラし。チャリコに鉤を飲み込まれないように早合わせをしていたのが仇になってしまった。
釣り上げたチヌの最大サイズは48センチ。前回の釣行からは1センチアップしたものの今年の挑戦は年なしが無しで終わってしまった。

これ以上釣ってしまうとクーラーの蓋が閉まらなくなる恐れがあるので午後2時終了。
最近のエサ屋さんはサービスが充実していて、魚をさばく場所と道具を貸してくれる。
とにかく今日は匹数が多いのですべての魚をここで捌いて帰途についた。

記録:
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「小商いのはじめかた 身の丈にあった小さな商いを自分ではじめるための本」読了

2017年04月18日 | 2017読書
伊藤洋志/監修 「小商いのはじめかた~身の丈にあった小さな商いを自分ではじめるための本」読了

「基本的に、自分の器を大きくすることはできません。」というよう言葉が新聞に載っていた。
だから「小商い」というタイトルに引かれて借りてみた。

まだまだ定年後の生き方を考えるには早いのだろうが、ただ、何かを楽しみながら収入を得ることができればいいと思っている。

この本は自分のできる範囲、手が届く範囲で商売をしている18人の人が紹介されている。
将来のための何かの参考になるかと思ったが、登場する人はみんな30代のこれからの人生を夢見る人々ばかりであった。
老後を心配して何かを考えておこうというようなこざかしい初老の男はいなかった。

本業の得意分野を活かしている人、自分があったらいいなと思うモノやサービスを売る人、小さなコミュニティーで地域の社会貢献を目指す人。
共通するのは自分で作っていること、人脈があること。

小商いにはマーケティングの能力などではなく、やる気と指先、それと人との関わりを大切にすることのようだ。



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「高僧伝 (5) 法然 ひとすじの道 」読了

2017年04月17日 | 2017読書
藤井 正雄 「高僧伝 (5) 法然 ひとすじの道 」読了

3月の中ごろくらいの新聞に、最近の教科書は法然より親鸞のほうが偉いような書き方をされてきたがそれを今後は改めるというような内容の記事が出ていた。
僕の家も浄土宗なので法然に関する本を選んで読んでみた。
以前にもこのブログに書いたことがあるが、僕もウチの宗派は浄土真宗だと思っていた。名号は同じ南無阿弥陀仏だし、紀州の傭兵集団、雑賀衆は門徒の人々で、僕の育ったところはその真っ只中だったものだから、ずっとそう思っていて、父親が死んだときに葬儀屋さんから宗派とお寺を教えてと言われ、本家のお寺の名前と浄土真宗ですと答えたら、そのお寺は浄土宗やで。と言われて初めて間違いを知ってしまった。そんなようなものだから世間的にも知名度は親鸞のほうが上なのは否めないというところだろう。

法然の出自は天皇家から続く名門で、源氏姓の一流でもあったそうだ。父親は政敵に暗殺されたが、今際の際に、「敵を恨むな。」と諭され、そのままかくまわれるように仏門に入ったそうだ。
平家が堕ちてゆく時代、都は戦や伝染病、飢饉で死人があふれ、その苦しみながら死んでゆく様を見てなんとか緩やかに死を迎える道はないだろうかと比叡山で勉強に明け暮れた。
ありとあらゆる経典を理解できる天才でたくさんの師匠に問答しながらその中で見出したのが専修念仏だった。その中には母のような凡人でもなんとか極楽浄土へ導いてあげる方法はないだろうかという考えもあったというのは母への愛もすごく強かったのだろう。

それまでの仏教は上流階級の人々のものであり、僧侶も厳しい修行の上に悟りを得るもので、民衆のためのものというよりも国家安泰や貴族の加持祈祷のためにあるようなものであったが、南無阿弥陀仏と念じるだけで阿弥陀如来の加護を受けて極楽浄土まで行けるというのは画期的でありそれに続く鎌倉仏教の嚆矢でもあった。
そういう意味では本当はもっと今の世の中でも知れ渡っていてもいいようなものだが、あとから出てきた親鸞のほうがよほど世間受けはよかったのだろう。

その理由のひとつとしては、法然という人はまじめすぎて、自分の宗派を大きくしようと(もともと自分が開祖だとも思っていなかったようなところもあるらしい。)いう野望みたいなものはまったくなかったということらしい。坊さんも偉くなってくると、大概はいい衣を着て、取り巻きがたくさんできてというところだろうが、法然は生涯墨染めの衣を着て質素な生活をしていたそうだ。だから、他の宗派と争うこともなく逆に流罪にされてしまうは、没後も墓から遺骨を盗まれそうになるようなことまで起こってしまった。
知恩院は大きな伽藍だが、これは江戸時代に建設されたものだ。

また、もともと日本に入ってきた宗教は中国で古くから伝わったものを受戒した僧侶が日本で広めていったものだが、そういうこともなかった。自分が学問してきた中でこれが一番と考えたのか導善の「観経疏(かんぎょうしょ)」であったので専修念仏に目覚めたのだが、それは学問として会得したことであって、宗教としての伝授というものがなかった。そういう意味でも正統性に難があったと思われたのかもしれない。まあ、ご本人が宗祖ではないと思っていたのなら、そんなことは何の問題でもなかったのだろうし。

ただ、奇跡はあった。500年前に中国で没した善導大師と夢の中での対話で専修念仏を世に広めよと諭されたといのうだ。
夢の中で出会ったという奇跡は奇跡だが、あまりセンセーショナルな感じもあまりしないし、それも後の人がなんとか正統性を作りたいという願いから作り出したものだったのかもしれない。
法然以前の浄土教の書物としては源信の「往生要集」があるが、これをたよりに善導大師にたどりついたということになっているけれども、伝記によってどちらを先に学んだかということもよくわかっていないそうで、自分をあまりひけらかさず、その生涯もはっきりわからないというのももったいない。

それよりも親鸞みたいに、肉も食うしエッチもしますみたいな感じのほうがインパクトがあったのかもしれない。浄土真宗で有名な教えのひとつは悪人正機説だがそれは法然も同じ考えで信徒になったひとの中にはとんでもない悪人もいたという記録も残っているらしい。
それも、善人でも成仏できるのだからなおさら悪人は当然成仏できるのだと言ったほうが聞く人はギョッとする。ものは言いようで人々に訴えられる度合いが違うということだろう。
しかしながら、やはり、法然の潔癖さや一途さ、そして多分、“いいひと”であったということのようなものを僕は支持したい。

ウチの仏壇にも阿弥陀如来様の両脇には法然上人と善導大師が祀られている。仏壇の前に行くときというのはお供え物のお菓子を物色する時くらいなのだが、極楽浄土へ成仏するためにももうちょっと真剣に阿弥陀様を心に念じて称名を唱えないといけないのだと改めて思うのだ・・・。

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加太沖釣行

2017年04月14日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:中潮 7:32満潮
潮流:5:40転流 8:25上り1.3ノット最強
釣果:ボウズ

今日もボウズだった・・・。
8時半には潮流が最強になるので午前5時に出港。
今日はかなり南の方に大きな船団ができいたが、僕ははテッパンポイントからスタート。しかしここにはまったく船がなく、やはり郷に入っては郷に従えということですぐに南下。
船団の混ざって再スタート。潮流は少し早いが全然やれないというほどではない。
今日もビニールと毛糸の混成仕掛けで臨んだがまったくアタリがないまま午前9時半に終了。

釣り船の「海龍」も今日は出ていて、前回と同じようにこの船の見える範囲で釣りをしていたのだが、彼らが流しているということはまったくトンチンカンな場所で釣りをしているというわけではないとは思っている。一体どうすれば魚が釣れるのだろうか。今までのやり方とそれほど変わったことをしてるわけではなく、自然環境が変わってしまったわけでもないとは思うのだが・・・。



レイチェル・カーソンでもあるまいし、僕の春は沈黙したままだ・・・。
あんまりアタリがないので替え歌の歌詞を考えるには十分な時間があった。
浜田省吾の、「悲しみは雪のように」のメロディーで口ずさんでいただきたい・・・。


草の上に氷が
雪のように積もる理由は~
潮(うしお)の中から魚を
手にすることが無理だから~
ボウズで僕のからっぽの
そのクーラーを満たさないで

魚は~WoWoWo~笑うぞ~
釣れない人を茶化して~
魚は~WoWoWo~垂らしたエサの前を
気付かずに通り過ぎてく~。


今日、流し続けた場所では何艘かの船は漁礁の上を行ったり来たりしては何かの魚を上げているようだった。
よく見てみるとメバルを釣っているようだ。あまり近づくことができないのでどんな仕掛けで釣っているのかを知ることができない。
魚が釣れればなんでもいい。それに加太で釣れる魚はなんでも美味しい。
サビキかエサか、いろいろ考えてみよう。

港に戻り、小船の性能維持を兼ねて未練たらしくワカメを採りに出かけてみた。
もう、大きくなりきってしまっているのはわかっているのだが佃煮の材料としては十分使えるはずだ。
南西の風が強くなってきていたので青岸の際のテトラに行ってみると大きなワカメがまだまだたくさん生えていた。いくらかのワカメはタケてしまっていたがきれいなものを選んでクーラー一杯分だけ持って帰ってきた。
ボウズでいっぱいになった僕の空っぽのクーラーにはワカメの運搬という仕事がよく似合う。



港に戻ると章魚頭姿山の斜面にはまだ桜がきれいに咲いている。
気温が低いままなので散らずに残っているようだ。これも釣れない言い訳のひとつとして使うことはできないものだろうか・・・。



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花見の言い訳は・・・。

2017年04月10日 | Weblog
昨夜、電車を降りたらかなり強い北風が吹いていた。
翌日の天気図を見てみると午前中は前線と前線の間にはさまれて何とか釣りに行けそうな感じだった。しかしながら午前3時40分起床して西の空を眺めるといつもの煙突からの煙が真横に流れている。
少しは東寄りの風のようだが釣りに出るのをあきらめた。というより、それを言い訳にして釣りに行かなかったというのが正しい。
ここ何回かの釣行でいい結果が出ていないのもそうだが、なぜだか気分が乗らない。どうしてだか気分が乗らない。両方の船とも半月以上乗っていないので性能維持のためにも乗らなければならないのだがダメだ。
衣食足りて礼節を知るというが、何かひとつつまずいてしまっていることがあるとなにもかもが嫌になる。

ということで途中で釣具屋やスーパーに寄り道して和歌山城と章魚頭姿山を巡った。

 

そして展望台から田倉崎方面を眺めてみると、ほぼ凪状態になっていた。
間違いなく出撃できる天気で、あった、はずだ・・・。



桜予報は花吹雪だったが気持ちとはうらはらにどちらもほぼ満開状態。
今度の休みこそは船を出す。絶対に・・・。

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「文豪たちの釣旅」読了

2017年04月06日 | 2017読書
大岡 玲 「文豪たちの釣旅」読了 

本書はシマノが発行する「フィッシングカフェ」に連載されていたものを1冊の本にまとめたものだ。

「文豪」と言われた作家が体験したであろう釣りを実際に体験してみようという企画になっている。
著者は師をことのほか崇拝している作家ということで師に関する著作を読んでいるとときたま出てくる人だ。
偶然かどうか、今朝の新聞に大岡信という詩人が亡くなったという記事がそれも1面に掲載されていた。文学者の死が新聞の1面に掲載されるというのはなかなかないことだろうと思う。(僕が購読しているのが朝日新聞であるということもあるとは思うが。)
著者はこの人の長男である。

企画が企画だけに文体もそれほど堅苦しくなく、芥川賞作家の文体とも思えない砕けたものだ。それはそれでいいのだが、そのわりに、突如として難しい単語が現れる。(少なくとも僕にとっては字引で調べないとわからないのだ。)その中には師が好んで使っていた言葉も使われているので、釣りをテーマにした文章だけによけいに思い入れが入っているのだろうか、そのアンバランスはどうもなじめない。
それを除けば、大学教授である作家の博識というか、どれだけの本を読んでいるのだろうと思うほど多彩な引用が出てくる。やはり、本を書くという人の頭の構造は一般人とはまったく違う。
引用されている本の中の数冊は僕も読んだことがあるのだが、そんな内容が入っていたという記憶はつゆほども残っていない。

まあ、他人のふんどしで相撲を取っている感があって本文は大して感慨がないのだが、出版にあたって書き下ろされた最後の章に、“釣人”、“釣り人”、“釣師”の違いというものが論じられている。
“師”という言葉は、古代中国の軍隊単位で、約2500名規模のものを指す言葉だった。今でも師団と言われているやつだ。いつしかその隊長が師と呼ばれるようになりそれが転じて人に何かを教える人を指す。だから、釣師は人に釣りを教えることができる人となる。
“釣り人”は現代かな使いで表現された、ただ釣りという行為をおこなっているだけの人。流れている死体なんかを運悪く見つけてしまってニュースに出てくる人。
“釣人”、これが難しい。人はある程度歳をとると人生の様々なことを体験し、何か心の中に穴が空いてきた。もしくは傷が目立ってきた。その穴を埋めるために、または傷を癒すために釣人は水辺に向かう。なんだか林房雄のパクリのような気もするが、著者は3つの釣りをする人をこのように分類する。

とすると、僕はいったい何者なのだろうか。人様に教えることができるほど腕が立つわけではなく、釣り人と言われるとプライドが傷つく。釣人というにはそんなに人生を深く思っているわけではなく、ただ、魚を際限なく釣りたいだけなのだ。
何か新しい言葉を見つけなければならないのだ。

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タラノメ採り3回目

2017年04月02日 | Weblog
去年は3月24日が最後のタラノメ採りで、遅きに失したような感があったが、今年は約10日遅れであった。
それもまだまだ採り頃だ。
港近くのスポットは前回採り残しのものまでことごとく失しており、第2ポイントへ。

ここはちょうど採り頃。この1週間、少し暖かい日があったので後発で伸びてきたタラノメはフン詰まりにならずに伸びていてくれた。



そうであれば、前回、慌てて採らずにいたらそれらももっと大きくなっていたと思うとあまりにも拙速であった。
師のよく使った言葉に、「毒蛇は急がない。」というのがあるが、まったくそのとおりだ。僕が採らなくても誰かが採ってくれればいいじゃないか。なんていう寛容な心があればいいのだが、残念ながらそんな心根の人間ではない。
誰かに盗られるくらいならいっそ枯らしてしまいたいのだ・・・。


このポイントにも開発の波が押し寄せてきているのか、タラの大木が切り倒されてしまっていた。



この木はたくさんの枝が分かれていたのでたくさんの芽が採れていた。あまりにも大きいのでいくつかの高い芽には手が届かず、いつも悔しい思いをしたものだ。

そんな悲しみを引きづり第3ポイントへ。ここはすでに大きくなってしまっている芽とまだまだ固い芽が混在してしまっている。去年見つけた第4の木の芽はまだ固いまま。
もう、今年の気候の不安定さをものの見事に表しているようだ。

ポイントから眺める里山もどこかまだまだ寒さを残しているように見える。



ちょっと不完全燃焼だが、春のミッションをひとつ終えたということにしておこう。




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