網創漠蓄

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推測・オスティアの経緯

2009-05-29 20:09:28 | UQ HOLDER!
オスティアの統治権についての
物語三昧~できればより深く物語を楽しむためにさんと
QMAと大戦とネギま!~アクシス日記~さんの考察を元に考えてみました。



何故オスティアがメガロメセンブリアの「信託統治領」になっていたのか、
実は恐らく、オスティアが帝国軍の侵攻を受けたときに
メセンブリーナ連合に助けを求めたことにあります。
現に「赤き翼」はメセンブリーナ連合側で戦っていましたし、
ウェスペルタティア王国も「連合」に参加していた可能性があります。

つまり、連合参加国が統治機構を失い「連合信託統治領」と化したのでは、と。
国連によるものと重ね合わせるなら、
将来の独立も視野に入れてのこととも思えますが・・・

また「連合参加国」ではなかったとしても、
帝国の侵攻を受けたときに連合がオスティアを保護していたことで
連合による信託統治の根拠になったのでは、と。



そしてもう一つ、統治領の名前が「新オスティア」になっていたこと。
実は今残っている浮遊島は本来「オスティア」と呼ばれてはおらず、
エリアとしての通称が残っているだけなのではないかと。

現実のオスティア(ローマの)でも
元のオスティアと現在のオスティアとの関連は薄いようです。

あたかも東京に例えれば、23区が使用不能になり
市部とか埼玉辺りを「新東京」と呼ぶような感じに。
あるいは「神聖ローマ帝国」か。



そして帝国と連合が「どう手打ちにしたのか」の簡単な推測を。
実際の処置は相当複雑になったと思われますし、
描写不足で推測する材料も現在のところ不足しています。
が、一つだけ言えそうなことがあります。

連合が帝国領の占領地から撤退したこと。完全にではないかもしれないが。

以前推測した限りでは、
連合側は連合構成国を守りきって帝国側からこれ以上の攻撃が無くなれば、
戦争目的は完全に達成されたといえます。
つまり兵を引くだけなら異論は出にくいのではないかと。
対する帝国側は戦争目的どころか領地を削られ押し込まれている状態までの描写です。
政治的責任者は処断されたかもしれませんが、国民感情などから見れば
負け分をかなり取り戻せたことで半ば納得、といったところではないかと。

とりあえず今回はこの辺りで。やはり材料不足なので・・・