豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『 「憲法改正」の真実』、『改憲的護憲論』(集英社新書)

2017年12月31日 | 本と雑誌

 今年の見納めの映画を見る時間はなかった。

 その代わりに、今年読んだ本の中で最も印象に残った本を2冊。

 両方とも、最近の憲法改正論議にかかわるものである。

 1冊目は、樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』、もう1冊は松竹伸幸『改憲的護憲論』。ともに集英社新書。

               

 私は、子どもの頃から非武装中立論者のつもりであったが、そして第9条と自衛隊が両立しがたい存在であるとともに、少なくとも災害時には国民の生命を守るために最も期待できる組織であるとも思ってきた。

 さらに、ソ連・中国かアメリカかどちらか一方を選べと言われれば、間違いなくアメリカを選んだと思う。
 しかし、日米安保条約が日本の安全を守ったという一面もあるとは思う一方、ベトナムや沖縄に対するアメリカ(そしてそれに追随する日本政府)の態度には大いに疑問を持ってきた。
 私のアメリカとの関係で最も古い事件の記憶は、沖縄でアメリカ兵が屑鉄ひろいをしていた日本人女性を射殺したジラード事件である。
 私は、ジラード事件を記憶する最後の世代かもしれない。

 そのような私の気持ちを整理する上で、この2冊は最も適切な事実を紹介し、方向性を示唆してくれた。

 両書の立論のすべてに賛成という訳ではないが、そして最終的に現在の第9条を維持すべきか、何らかの改正を加えるべきかについての結論を導いたわけではないが、両書がともに主張するように、第9条と自衛隊の関係を議論しなければならないこと、安保法制は違憲であること、真摯な改正論者の意見には耳を傾けなければいけないこと、しかし現在の政権のもとでの改正は決して行うべきではないことについては賛同したい。

 小林節がリベラルに思え、内閣法制局長官が自制的に思える時代が来るなどとは大学生の頃は想像だにしなかったが、成長したのか退化したのか知らないが、以上が私の今の偽らざる心境である。

 こんなことを書こうという気になったのは、昨日見た“プライベート・ライアン”の影響かもしれない。
 その意味では、今年最後の映画が“プライベート・ライアン”でもよかったということだろう。


 今年も、お付き合いくださった読者の方に感謝します。良いお年をお迎えください。


 2017/12/31 記


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ハルバースタム “ベスト & ブライテスト”

2017年12月30日 | 本と雑誌

 本の断捨離、第2弾もアメリカもの。

 ベトナム戦争期で、私のなかでアメリカ時代の終わりが始まった頃のものである。
 上の写真のハッカー“アメリカ時代の終わり”などは確かに一時代の終わりを印象づけた内容だったように記憶する。

 そうは言いつつ、やはりまだアメリカに興味は残っていたのだろう。時おり“アメリカもの”を買っている。
 終わりが始まっても、アメリカのダメなところを暴く“ベスト & ブライテスト”のような本が堂々とベストセラーになっていたあたりに、まだまだアメリカの力を感じさせた。
 最近の“America First !!”などとは大違いである。

         
  
 子どもの頃にテレビで見た“ララミー牧場”“ライフルマン”“ローン・レンジャー”“幌馬車隊”“ボナンザ”(“カートライト兄弟”)などなどの影響がまだ残存していたのかも知れない。
 あるいは、嫌いではあるけれど、アメリカというのは一体どういう成り立ちの国なのか、なんであのような振る舞いをしてしまうのか、という大人としての興味もあったのだろう。

 阿部斉さんの本なども読んでいる。
 ここには“アメリカの民主政治”と“アメリカ大統領”が写っている。
 この2冊の書名は、ある事情から私には印象的である。

         

 最後は建国200年を記念した“ライフ”の特別号の表紙。

              


 きょうの夕刻、BSで“プライベート・ライアン”(S・スピルバーグ監督、1998年)を見た。
 
 ラスト近くの戦闘シーンはただの“チャンバラ”だったし、武器や戦闘機を売って金を稼ぐ最近のアメリカを思うと、素直な気持ちで感情移入することはできなかった。
 ラストシーンからも、メッセージも伝わってこない。

 YOUTUBEでジャッキー・エバンコの“ダニー・ボーイ”を聴くこと(見ること?)ができる。
 戦死したアメリカ兵の棺が星条旗に包まれて共同墓地に戻ってきて、星条旗がたたまれて待ち受ける遺族に手渡されるのだが、正直言ってあのYOUTUBEの方が感動的だった。

 今年最後の映画にしたくはない。明日は何を見ようか・・・。


 2017/12/30 記

         

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亀井俊介 『摩天楼は荒野にそびえ』

2017年12月29日 | 本と雑誌

 2年後の定年に備えて、本の“断捨離”(“だんしゃり”はこんな漢字だったか?)を始めている。
 数年前に定年になった先輩から、研究室の片づけを業者に丸投げしたら、ン百万円かかった、自分でやるなら2年間はかかることを覚悟して、早めに始めたほうがよいと言われているので、そんなに費用と時間が掛かるならと、少しづつ処分し始めたのである。

 もう人生で2度と読むことはないと思われる本は、後輩の研究者に無理やり貰ってもらったり、資源ごみに出したりしている。

 もともと「本」が好きで(というより「本」だけが好きで)、大学卒業後は出版社に勤めたのであるが、あまりに忙しくて本を読む時間も取れないので、脱サラして大学院に入りなおして、その後教員になった私としては、本を処分するのは結構つらい作業である。
 本箱から捨てるべき本を引っぱり出してはみたものの、ついつい中身を読んでしまい、結局捨てたり他人にあげることをやめることになる場合も少なくない。

 「これではダメだ!」と先日は中身を一切見ないで岩波新書を数十冊まとめて、紐で縛って捨てたのだが、その後、小林直樹の「憲法第9条」を読みたくなったのだが、捨ててしまったらしく見つからない。
 そんなものである。ある時は読まず、捨ててしまうと読みたくなる。

 買ったまま読まずに放ってある大量の岩波文庫などはどうしたものだろう。定年後のあり余る自由な時間に何を読みたくなるのか、自分でも見当がつかない。“プルターク英雄伝”だの“18世紀パリ生活史”だのは、はたして読みたくなるのかならないのか・・・。
 逆に、“バルザック全集”(東京創元社)などは全巻読むつもりでいるが、あんな細かい活字の本をはたして読む視力が残っているのかどうか・・・。

         

 過去の一時期、熱中し、その後熱が冷めてしまった著者の本も悩むところであるが、これらはもはや読むことはないような気がするので、捨てることにした。

         
 
 その第一弾が、亀井俊介さんの本である。
 引っぱり出して、ホコリを払いながら眺めると、1978年から1983年ころにかけて出版された本である。
 しかし、今後再読することはなさそうである。これらの本が出版された当時は生まれてもいなかった後輩のアメリカ政治研究者が欲しいというので、あげることにした。

         

 お別れに記念写真を撮っておくことにした。


 最後の写真は、F・L・アレンの“オンリー・イエスタデイ”など、アメリカ建国200年ころ(1976年)に出版された本。

                  

 これはもうしばらくとっておくことにした。なぜか分からないが捨てがたい。
 私自身の“イエスタデイ”が籠っているような気がするので、もうしばらく手元に置いておこうと思う。

 なお、表題に掲げた“摩天楼は荒野にそびえ--わがアメリカ文化誌”(日本経済新聞社、1978年)は表題がお洒落なので採用したが、同書の末尾には、「1981.4.1(日)pm11:30読了。すべてどこかで既に読んだような印象」という読後感が記してあった。


 2017/12/28 記


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