豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“ 孤高の警部ジョージ・ジェントリー ”,“ 主任警部モース ”(ともに最終回)

2020年11月27日 | テレビ&ポップス
 
 きのう11月26日の夜、BS放送AXNミステリーで“主任警部モース”の最終回(第33話)をやっていた。
 「悔恨の日々」(The Remorseful Days)というやつで、以前にも(何度か)見たが、また見た。

             

 以前、「モース」のDVDが全35巻(メイキング・ビデオも2巻入っている)が7000円くらいだったので買った。字幕は英語だけで、残念ながらぼくの英語力では各シーン2行の英語字幕を読む前に場面が変わってしまう。かと言って音声だけではもっと聞き取れない。
 仕方なく放置したままになっている。
 ちなみに、このDVDの題名は“ Inspector Morse ”である。モース自身が“ chief inspector ”であることを強調するシーンがしばしば出てくるが、シリーズの最初の頃は平の“ inspector ”だったのだろうか。

 ラストシーンは、“ ルイス警部 ”へのつながりを予告するかのようであり(ぼくだったら、最終回のタイトルは(ルイスに対する)「懺悔の日」にする)、ストレンジ警視正は(俳優の体型から)若き日のモースを主人公にした“ 刑事モース ”とのつながりを感じさせる。モースだけが繋がらないのだが。

     *     *     *

 11月17日の午後8時から、同じくBS放送AXNミステリー(560ch)で、“ 孤高の警部ジョージ・ジェントリー ”を見た。
 チャンネルを回していたら、偶然この番組をやっていた。こんな時間帯にやっていたとは知らなかった。久しぶりである。
 
 第25話、最終回だった。
 「新しい時代」というタイトルだが、時代は保守党ヒース政権時代らしいから1970年から~74年ころ、舞台は労働争議で揺れるニューカッスルである。
 警察内部の腐敗、政治家と警察の癒着をジェントリーが暴くというストーリーだが、癒着が疑われる政治家は明らかに保守党であり、刺客は政府の意向を受けたMI5(元MI5だったか)メンバーである。
 21世紀に入ってからの作品とはいえ、よくぞ国営放送BBCがこのような番組を放映できたと感心する。わがNHKでは考えられない。政権交代が実際にたびたび起こる二大政党制のおかげか。

             

 ジェントリー役のマーティン・ショウは、数年前にイギリスへ行ったときに、ピカデリー・サーカスの劇場で“ Twelve Angry Men ”(12人の怒れる男たち)の主演を演じていた。有名な舞台俳優らしいが、部下のバッカスを演じていた役者も有名な俳優らしい。
 イギリスのテレビドラマは、舞台出身の俳優たちの演技力のおかげで、わがテレビ番組とは一味もふた味も違う仕上げになっている。

             

 最終回の結末は意外だった。
 12月末にまた再放送があるらしい。


  2020年11月18日、27日 記


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みかん ‐2

2020年11月24日 | あれこれ
 
 11月23日(月)は、勤労感謝の日。
 この3月で定年退職してしまった身としては、何をどう「感謝」すればよいのか。でも50年近く働いてきて、税金も諸々の社会保険の掛け金も払ってきたので、許してもらおうか。感謝してくれとは言わないが。

 中川善之助さんは、国民の祝日法が、「老人の日」の趣旨を「長年にわたり社会に尽くしてきた」がゆえに老人を敬愛するとしたことを、法学セミナーの巻頭言で怒っておられた。そして、ぼくの大学時代の先生は、この中川さんの巻頭言を大変に気に入っておられた。

 いずれにせよ、この日は孫たちの学校も休みなので、またぞろ近所の親戚の家に遊びに行き、わずかに残ったミカンをもいできた。
 鳥に食われたりして、5、6個しか残っていなかったが、孫たちはみかん狩りを楽しみにしている。

 街を行き 子どもの側を通るとき 蜜柑の香せり 冬がまた来る
 という国語の教科書に載っていた短歌は島木赤彦だったか。
 最近は子どもの側を通ってもみかんの香りはしない。そもそも町にあまり子どもがいないような気もするが。

 庭に生ったみかんだが、どういう訳か、他の数十個すべてが黄色く熟しているのに、1個だけまだ緑色のままで、いっこうに熟する気配のない固いのがあった。
 植物や果実の成長を見るたびに思うのだが、それぞれの個体は、それぞれ成長の度合いに違いがある。きっと人間も同じだろう。しかし、植物の成長を眺めるようなゆったりした気持ちで人間の成長を見守るのは難しい。
 かつて『家栽の人』という漫画があった。あの主人公の家裁の裁判官は理想にすぎると当時は思ったが、この年になって、植物や果実を眺めるようになって、少し考えが変わった。

 2020年11月24日 記  


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内田魯庵 『社会百面相』

2020年11月17日 | 本と雑誌
 
 内田魯庵 『社会百面相(上・下巻)』(岩波文庫、1977年。初版は1953年)を読んだ。
 すでに一度読んだらしく、所々に傍線が引いてあり、最終ページには「1982・1・23(土)。暖かいが風が強い。TVで「キリマンジャロの雪」を見る。xx(長男)が泣く」と書いてある。

 畔柳二美の『姉妹』を物置から救出する際に、同じ段ボール箱の中で見つけて部屋に持ち帰った。
 長いものは読む気にならないので、短めの随筆を集めたこの本を読んでみようと思ったのだが、巻末の解説(猪野謙二)によると、随筆ではなく小説らしい。
 収録されている「犬物語」は漱石の『吾輩は猫である』に着想を与えた小説と言われているそうだ。確かに、登場人物は「学士様」だったり「中学校教師」だったり、漱石の『猫』や『三四郎』を思わせる。
 出版されたのは明治35年(1902年)だが、日清戦争(1894年)以後の数年間の日本(ほとんどの舞台が東京だが)の様子がよく分かる。

 連作に登場するのは、当時の東京大学を出た「学士様」が、新しく「高等官」となり、外見だけは「ハイカラ紳士」を気取り、コネを伝って「猟官」運動を繰り広げ、勅任官だの官房長だのと出世を目ざして「閨閥」をつくるために結婚する。あるいは早い出世が約束されるという台湾に赴任したものの現地の娼婦から梅毒という「台湾土産」を頂戴する不届き者もいれば、教育への熱意もないのに田舎の中学校「教師」となり、教科書採用の見返りに教科書会社から賄賂を受け取る怪しからぬ教師なども登場する。
 代議士は選挙に金がかかるため歳費では賄うことができず賄賂を受け取り、議会は政府のご機嫌をうかがい、それどころか議会と株屋が肝胆相照らし、政党は主義ではなく利益を追う「徒党」(「モッブ」とルビがふってある)に堕しているなどと魯庵は批判しているが(「代議士」上巻185頁以下)、昨今の政治家や官僚たちの行状を見ると、わが国はこの100年以上の間ちっとも変わっていないではないかと、暗澹たる気持ちになる。
 
 ちなみに、『東京大学法理文三学部一覧(従明治十四年 至明治十五年)』という古本を見ると、その当時の東京大学卒業生(とくに理学部)の中には(旧制)中学校教員になった者が少なくない。化学科などは卒業生の半数近くの12名が中学校教員になっており(東京師範学校、大坂中学校、岐阜県中学校他)、法学部でも2名が教員になっている(山形県中学校、学習院)。なお、この年の卒業生には、増島六一郎、加藤高明、井上哲次郎、岡倉覚三、嘉納治五郎らの名がある。

 内田魯庵は、(現在の)立教、早稲田を中退の後、得意の語学力を生かして翻訳の下請けなどをしたのち、丸善の社員となってブリタニカ百科事典を刊行したり、同社のPR誌「學鐙」の編集長となってトルストイの「イワンのばか」を翻訳して同誌に掲載したりしつつ、その傍ら社会小説の執筆をつづけたという。
 晩年の魯庵は、息子に向かって「私は芸術家にもなれなかったし、学者にもなれなかった。結局なんにもなれなかった」と寂しく語ったという。魯庵の葬儀に際して、友人だった長谷川如是閑は「二葉亭も魯庵も早くから外国文学に走ったが、四迷君は余りに現実的でついに帝国主義者となり、魯庵君は余りに高踏的でついに批判的態度に止まってしまった」と述べたという(内田巌「非文士の父魯庵--社会百面相に寄せて」下巻収録)。
 如是閑の指摘はその通りだが、その「批判的態度」の矛先となった政府、議会、政治家、官吏たちの行状は、現在のわが国の政治状況にもほぼそのまま当てはまるものであり、魯庵の批判がいかに日本社会(彼は「社会」に「せけん」とルビを振る)の本質を見抜いていたかを示している。

 魯庵は「芸術家になれなかった」と息子に述懐したが、息子の内田巌は父の遺訓を受けてか、東京芸大を出てフランスに留学し、ひとかどの画家になった。

 ところで、ぼくの祖父は1930年にドイツに留学したのだが、日本への帰途1932年にフランスに立ち寄って彼地にしばらく滞在している。そこで知り合った日本から留学していた画学生から、彼の絵を買って持ち帰っている。当時のドイツは敗戦国で、日本に比べると貨幣価値が低かったため、日本からの留学生が給費でベルリン大学の教授を家庭教師に雇って勉強することができるほどだったという。それに対してフランスに留学した学生は経済的に困窮する者もあったらしく、パリで知りあった画学生に懇願されて購入したと聞いた。              
 フランス人と思われる女性を描いた縦が70~80センチはある大きな絵で、もともとは母の家にあったのだが、30年近く前にぼくが家を建てた折に、寝室の壁面が殺風景だから飾っておきなさいと言われて貰い受け、それ以来わが家に飾ってある。作者については、パリで知りあった画学生というだけで、祖父からも母からも何も聞いていなかったが、今回、『社会百面相』で読んだ解説と、また1930年にフランスに留学したという彼の経歴からして(Google で調べた)、さらに祖父から聞いたこの絵の由来と、二人ともどちらかといえば左翼的だったことからして、この絵は内田巌の作品ではないかと思う。              
 
 『社会百面相』下巻の巻末に付された巌の随想を読むと、彼も父親譲りのなかなかの社会批評家であり、文章家であることが窺える。もし内田の作品だとすると、昨今のわが国の政治状況にうんざりさせられているぼくとしては、わが枕頭を飾るにふさわしい作者による絵だと思う。
             
 2020年11月17日 記
 

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柳田國男 『婚姻の話』

2020年11月13日 | 本と雑誌
 
 手術から4日が経つのに、気だるさが残り何もする気が起きない(コロナ?)。
 せめて本でも読もうと思って、コリン・デクスター『モース警部・最大の事件』、レイモンド・ポストゲイト『12人の評決』(ともにハヤカワ・ミステリ)、直井明『87分署のキャレラ』(六興出版)、柳田國男『婚姻の話』(岩波書店、昭和23年)を勉強机に並べて、次々にページをパラパラとめくって見た。

 柳田の中に「嫁盗み」という短編が入っていて、これなら短いので読めそうな気がした。
 実は数年前のぼくのゼミの卒業生に、ゼミ論のテーマに「略奪婚」(掠奪婚)を選んだ女子学生がいた。成績はきわめて優秀、履修した科目はほとんどが「優」で、国家公務員試験にも合格し卒業後は某省の公務員になった。
 そんな彼女のテーマが「略奪婚」というのでびっくりした。

 何でこのテーマなのかと聞いたところ、中央アジアのキルギスで今でもこの風習が残っているのをテレビ番組で見て興味を覚えたという。わがゼミではゼミ論のテーマは学生の自由に委ねていたので、「略奪婚」でも構わないのだが、ぼくには何のアドバイスもできなかった。
 彼女は、キルギスの略奪婚だけでなく、ちゃんと柳田の「嫁盗み」その他の文献も読んで、日本の「略奪婚」に類似した風習や、それに関係する判例まで紹介していた。

               

 それまでぼくは、「略奪婚」などというのは牛泥棒のようなもので、女の労働力の略奪目的か、さもなければ猥褻目的の誘拐のようなものだろうと思っていた。しかし、実際には持参金や祝言の費用を捻出できない場合に、その社会の習俗として要求されている儀式を免れるために、双方合意のもとで「略奪」された形をとる場合も少なくなかったことなどを教えられた。

 今回、柳田の「嫁盗み」を読んで、わが国の各地に「嫁盗み」的な風習が存在する(した)こと、「嫁盗み」といっても嫁側の承諾(黙諾)が条件となっている場合が少なくないこと、「嫁盗み」の実行には地域の若者頭や親族らの承認がある場合が多いこと(仲人まで介在する場合もある)、目的は性的興奮を得るためや遊戯的側面がある場合もあったが、キルギスと同じく、結婚資金(婚資)を準備できないなど経済的困窮のため、習俗上の儀式を回避する目的で行われることもあったということを知った。

 ぼくが面白いと思ったのは、「嫁盗み」には、数多いる村の娘たちの中で特に自分(女)を選んでこれほどの計画(嫁盗み)をしてくれたのか、という男の心ざしの深さを知る良い機会になったという柳田の解釈である(130頁)。要するに「嫁盗み」の挙にまで出るかどうかによって、男の求愛行動の真剣さを女の側で計ることができたというのである。
 ぼくが結婚した1970年代には、東京でもまだプロポーズは男がするものであるという習俗が残っていた。これには勇気がいった。断られたらみっともないが、彼女のしぐさや言葉が「私を奪って」というシグナルなのかどうかを判断する基準はない。まさに総合的、俯瞰的に判断するしかない。バイデン氏は4回プロポーズを断られ5回目に承諾してもらったというが、何という勇気、蛮勇の人なのか。
 ぼくは、「もしぼくがプロポーズしたら、君は『うん』と答えるの?」と仮定法で凌いだ。新宿駅南口、工事中のアルタ前だった。それでも求愛の真剣さを示すために「略奪」的行動を要求されたかつての若い男に比べれば、楽なものだったろう。

 2020年11月13日 記


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“ ひるの憩い ” & “ あねいもうと ”(NHK)

2020年11月10日 | あれこれ
 
 昨年12月31日に右膝蓋骨(ひざのお皿)を骨折し、入院、手術をした。
 半年後の7月に割れた骨を固定してあった釘を抜く手術の予定だったが、コロナ禍で延期していたが、第2波だか第3波だかが迫ってきたので、意を決して昨日11月9日に、再入院して抜釘(お医者さんや看護師さんたちが「ばってい」と言っていたので、「BATTEI」と打ったら本当に「抜釘」が最初に出てきた)の手術を受けてきた。

 なまじ、医療過誤訴訟の判例などを読んでいるため、たかが抜釘手術といっても、全身麻酔は恐い。麻酔の医者さんは「酔っぱらった時のようなものです」というのだが、こういう比喩による説明が後で問題になったケースはけっこうある。お酒でだって死ぬ人はいる。ベテランの医師は「メリハリの利いた説明を」というが、それが難しい。
 ぼくは、おとなしく「よろしくお願いします」というしかなかった。

             

 無事手術は終了。無事生還できた。最初の釘を打った時より時間も短く(30分程度。前回は1時間半)、麻酔も弱いものだったとかで、1時間半程度で覚醒。さいわい「悪酔い」もしなかった。
 「抜いた釘を欲しいですか」と聞かれたので、記念に貰ってきた。(上の写真)
 よくぞ、こんな釘と針金が11か月間もわが右ひざ頭を縛っていたものだと驚く。
 レントゲン写真で見ると、職場近くの中華料理屋の店頭で見た、木綿糸で縛られた上海蟹の姿煮のようだった。上海蟹(?)のレントゲン写真もアップしようかと思ったが、家人から悪趣味だと言われたので今はやめておく。--と書いたものの、やっぱりアップしてしまった。

                          

 前置きが長くなったが、きょうの昼すぎ、退院前の病室のベッドでNHKラジオ第1放送で“ ひるの憩い ”を聞いた。
 ぼくはこの番組の背景に流れる古関裕而作曲のテーマ曲が好きだ。
 古関の作品で好きな曲はたくさんあるが、中でもぼくは「東京オリンピック行進曲」と「ひるの憩い」が特に好きだ。

 この曲とともに、子どもの頃の昼時の思い出がよみがえってくる。一番の思い出は昭和30年代の夏の思い出である。
 軽井沢から東京へ戻る8月のある日の昼下がりだった。父と祖母と3人で午後1時ころに中軽井沢駅を出る汽車に乗る予定だったのだが、その日は、午前中に松川事件の判決が出る日だった。父がこの判決の結果を聞いてから家を出るというので、すべて戸締りを済ませてから、テラスでNHKラジオの正午のニュースに聞き入った。※
 そしてニュースが終わると、あの“ ひるの憩い ”の音楽が流れ始めた。
 ※ 1959年8月10日の最高裁の差戻し判決か、1961年8月8日の仙台高裁の無罪判決のどちらかだが、1961年のような気がする。

 当時は、手紙を投稿する視聴者には「農事放送通信員」という肩書がついていた。
 奥村チヨの「ガラスの指輪」という曲が今週の歌だったのも、この番組だったはずである。この歌も8月の軽井沢の記憶とともにある。

 そして、きょう11月10日(火)の“ ひるの憩い ”であるが、1曲目に流れたのが、岡崎友紀の「私は忘れない」という曲だった。
 この曲は知らなかったが、岡崎友紀はかつて好きなタレントだった。NHKテレビの“ 姉妹 ”(「あねいもうと」と読んでいた)という夕方の番組で妹役だった。Google で調べると、1968~69年に放映されたらしい。ぼくが予備校生から大学生になったころである。
 姉役の西尾三枝子の恋人が若き日の近藤正臣で、二人が鳥取砂丘でデートしているシーンが印象に残っている。近藤の役名は「麻生君」だった。恰好がよかった。
 原作は北海道が舞台らしいが、テレビ番組の方の舞台は瀬戸内海だったのではなかったか。

 Google で検索すると、このテレビ番組についてのコラムを書いている人に出会った。岩崎俊夫さんという方で、立教大学の先生だったらしい。経歴によると、ぼくと同じ1950年生まれとある。18、9歳のころに日本のどこかで一緒に見ていたのだろう。
 悔しいことに、彼は岡崎友紀と西尾三枝子のツーショットの写真が載ったこの番組のパンフレットまで持っている。岡崎友紀が若くて笑顔が可愛い。50年前である。

 この「姉妹」は畔柳二美という作家の原作で、NHKテレビで放映されていた頃は角川文庫版が出ていた。買って読んだが、テレビ番組ほどには面白いとは思わなかった。女性向けの小説だったような印象がある。この本の表紙をアップしたかったので探したが、見つからなかった。断捨離してしまったのだろうか。
 --と思っていたが、きょう、物置の段ボール箱の中から見つけ出した(冒頭の写真)。角川文庫1865番、昭和34年初版で、昭和43年第7版となっている。帯に「NHKテレビ『あねいもうと』」と書いてあるから、当時のぼくのようなテレビを見て読んでみようという読者を当て込んでの出版だろう。

 本は断捨離してしまったかもしれないが、あの頃の岡崎友紀を「私は忘れない」。


 2020年11月10日 記

 ※ きょう、改めて読み返したが、手術、麻酔、上海蟹、ひるの憩い、古関裕而、松川事件判決、姉妹、岡崎友紀・・・とエピソードが飛躍しすぎである。どうもまだ全身麻酔の影響から完全に覚めないうちに書いたようだ。


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みかん

2020年11月07日 | あれこれ

 近所に住む親せきの家に立ち寄って、庭に生えたみかんの木からみかんを20個もいできました。
 みかん狩りは孫たちが楽しみにしています。

 全部で40個くらい生っていました。3年前にも大量のみかんができ、その後はできなかったのですが、今年また豊作になりました。
 何が影響して、できたりできなかったりするのかは全く分かりません。

 2020年11月7日 記

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きのうの夕焼け(2020年11月6日)

2020年11月07日 | あれこれ

 きのうの午後4時過ぎの東京の西の空。

 おそらくこの秋一番の、きれいな夕焼けでした。

 2020年11月6日 記

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エリザベス・ブレイク『最小の結婚――結婚をめぐる法と道徳』

2020年11月06日 | 本と雑誌
 
 エリザベス・ブレイク/久保田裕之監訳『最小の結婚――結婚をめぐる法と道徳』(白澤社、2019年。“ Minimizing Marriage ”,OUP,2012)を読んだ。

 前のコラムで、同性婚の議論は賑やかだが、複婚や近親婚をめぐる議論が「まったく」ないのはなぜか?と書いたが、同性婚の承認とともに複婚をも許容する議論を展開する本書の存在を知った。しかも原著は2012年に出版されており、本書の中には複婚を認める先行文献もしばしば引用されている。
 しかし、結論を先にいえば、結婚制度は廃棄せず改革を試みる、改革された結婚では、同性婚、複婚、その他の成人間の継続的ケア関係にある者に「最小結婚」を認める(しかし近親者同士のケア関係にはあまり関心がなさそうである)という、本書の論理について行くことはできなかった。

 著者は、「倫理学、応用倫理学、政治哲学etc」を専攻する研究者であるが、ぼくは「倫理学」の議論の方法がどうしても理解できない。例えば、重い障害をもつ新生児を治療せずに自然の成り行きに任せることを認める(死を認める)倫理学者の論文、およびそれを否定する倫理学者の論文をいくつか読んだことがあるが、どう読んでも「初めに結論ありき」としか思えないのである。あらかじめ帽子の中にウサギを入れておいて手品師の杖の一振りで帽子の中からウサギが飛び出すのを見せられた観客のような印象を受けた。
 法律を勉強してきた者として、この問題に対する考え方は最後に少しだけ述べて、詳細は別の機会に書くつもりだが、以下の感想は、倫理学者の婚姻に関する法や道徳をめぐる議論の進め方を十分に理解できなかった一法律家の感想である。

 著者の基本的な立場は政治的リベラリズムであり、一夫一妻的単婚関係だけを想定する婚姻観では多元主義を尊重することができないとして、現行の単婚、異性愛を前提とする婚姻制度を否定するが、婚姻制度それ自体は廃棄しないで、政治的リベラリズムにかなうように婚姻法を改革する方向を目指す。そして関係の多様性を承認する「最小結婚」だけが政治的リベラリズムのもとでの婚姻法に矛盾しないという(285頁)。
 国家は、成人間のケア関係を保護し支援する婚姻法の法的枠組みを制定すればよい、そのためには、成人間の継続的ケア関係にある者(2者関係にとどまらず3人以上でもよい)に婚姻制度の利用を認めるべきであり、それを「最小結婚」と呼ぶ。著者によれば、「最小結婚」では、同性者間の結婚、複数当事者間の婚姻(複婚)、さらにはポリアモリー(多数者間の性関係)、アーバン・トライブなどを含む関係をも承認し、支援しなければならない(287頁)。しかし著者によれば、「最小結婚」においても獣婚(獣姦)は認められない。

 近親婚に関しては、成人の兄弟姉妹や近親者(範囲は不明)の婚姻は認めるようだ(277頁)。ただし兄妹や近親者間の性行為、生殖は道徳に委ねるようである(同頁)。
 著者が主張するように、「結婚」という言葉は「個人的関係」、「成人間のケア・ネットワーク」に置き換えられるのが望ましいとするならば(310頁)、ケア関係にある近親者(父子、母子、兄妹、叔父伯母、義父母、養親子ら)を「婚姻」から排除する理由・根拠はないだろう。
 新聞などでは、高齢の(例えば65歳の)独身の息子・娘が介護してきた老親(例えば90歳)を介護疲れで殺害するといった事件が報道されることがある。このような親子は、現行民法では直系血族という近親関係にあり婚姻することはできないが、「成人間のケア関係」にあたるので、著者に従えば「婚姻」関係の成立を認め、婚姻の法的効果――配偶者相続権など民法上の効果だけでなく、配偶者として年金分割や社会保障法上の遺族給付などを認めるべきことになるのではないのか。
 著者は同性婚や複婚、ポリアモリーまで認めるのだから、成人間のケア関係にある近親者を「最小結婚」から排除(ないし無視)するする理由はないだろう。しかも著者は「結婚」から性愛規範性を排除するのだから(22頁、166頁以下など)、この点からも、近親者間の「最小結婚」を否定する理由はないと思う。

 私は、婚姻は最終的には完全に両当事者の自由に任せるべきである、すなわち自由な契約関係に委ねるべきと考える。結婚するか否か、誰と結婚するか、結婚生活に要する費用負担の割合や双方の財産の帰属などの財産関係、どこに婚姻住居を置きどのような協働関係によるか(共働き、夫主働き、妻主働きなど)を含む結婚生活の具体的内容、婚姻解消(離婚)の条件などはすべて当事者間の自由意思に委ねるのである。(なお、親子関係は当事者の自治に委ねることはできない。)
 しかし現状では、平均的通常人は婚姻の法的効果について十分な知識を持っておらず、かつ当事者間(現時点では男女)の契約締結能力に格差がありすぎる場合もあり、完全な自由契約に委ねたのでは交渉面での弱者の権利が侵害される恐れがあるので、婚姻を完全な当事者自治に委ねることはできない。
 そこで、当分の間は(ひょっとすると半永久的に?)、婚姻に関して十分な知識を持たず、締結能力の劣った当事者を保護するために、民法は「婚姻」契約の「完全パッケージ」(本書の著者の用語を拝借した。273頁)を用意したのであるが、このような「完全パッケージ」を用意すること自体は、憲法24条1項および同2項の「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という規定の範囲内に属すると考える。
 本書の著者も、現在の婚姻制度は「モデル」としてのみ役立つと書いているが(141頁)、まさに「モデル」を提供するという点にこそ、少なくともわが民法が定める婚姻制度は存在意義を有すると考える。
 ただし、わが民法が定めるその「完全パッケージ」ないし「モデル」の具体的内容(個別的条文)には検討を要する問題が多く存在するが、長くなるので省略する。

 近親者間のケア関係に焦点を絞りすぎたが、その他でも、事実婚・内縁関係は(近親婚的内縁、重婚的内縁も含めて)わが国では判例法によって保護されており、年金、遺族給付、在留資格、税制の優遇なども、個別制度の制度趣旨、制度設計の議論で対応できる。あえて「婚姻」制度の廃棄か改革かなどという議論に取り込む必要はない。祖父母ら第三者の(孫や子らとの)面会権も、ケア提供者であれば判例で認められうることになっており(考慮すべきは子の利益である)、これも婚姻制度改廃の議論には直ちに結びつかない。
 なお、著者は、「最小結婚」の成立要件--どの程度の「ケア関係」をどのように認定するのか--、その登録(公示)方法、個別事案ごと(例えば、病院・刑務所での面会などの場合)の「最小結婚」関係の証明方法などについては明記していなかったように思う(読み落としていなければ)。 

 2020年11月6日 記

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