豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『軽井沢を青年が守った』

2021年09月30日 | 軽井沢
 
 荒井輝允『軽井沢を青年が守ったーー浅間山米軍演習地反対闘争1953』(ウインかもがわ、2014年)を読んだ。
 買った店は、国道18号沿い、マツヤの隣りにあった平安堂軽井沢店で、2014年8月19日11時09分のレシートが挟んであった。
 出版された直後に購入したようだが、パラパラ眺めただけでちゃんと読んでなかった。昨日、眼科の定期検査があり、何か待合室で読む本を持って行こうと思い、カバーのかかったままの本を何だろうと思って本棚から取り出したところ、この本だった(下の写真は平安堂のブックカバー)。
 待ち時間に読むのに程よく、知っている人や場所(追分公民館、西部小学校、軽井沢中学校など)も登場する面白い本だった。  

 敗戦後の1953年に、軽井沢にアメリカ占領軍が演習場を作ろうとしたこと、それに対して、地元の大日向、三石(ともに満蒙開拓団の帰村者が開拓した地域である)や、追分、借宿の青年団が中心になって、さらに千ヶ滝西区!、中軽井沢、発地などの青年らも参加して反対運動が起こったことは、今となっては軽井沢が好きな人の中でも知らない人の方が多いのではないだろうか。
 最終的には軽井沢町、長野県全県をあげての反対運動によって、計画発表から3か月後に米軍およおび外務省が設置を断念したという事件である。
 著者は、追分で農業を営んでいた青年団員で、この反対運動の中心メンバーの一人だった。

     

 米軍の計画は、実は軽井沢町長らが、町議会や町民に秘密のまま、独断で外務省に誘致を申し入れたのが契機だった。
 1953年4月2日に、突如、占領軍と外務省の担当者が軽井沢町にやって来て、計画を発表した。その夜にはグリーン・ホテルで(!)歓迎パーティーまで催されている。
 翌日このことが信濃毎日新聞で報じられると、翌4月4日には三石、追分、大日向、借宿の4集落が反対を決議し、またたく間に反対の動きは(軽井沢町)西部区長会、軽井沢町全域、さらに長野県全県、国会への陳情へと拡大して行く。
 満蒙開拓で辛酸をなめさせられ、引き揚げて移住した長野でようやく開墾が軌道に乗ったところで、演習地のためにその土地を接収され、三たび離村を強いられることは到底認められないという青年たちの強い思いが出発点にあった。
 町の調査団による富士山ろくの米軍演習場の調査(調査委員に星野嘉助の名前もある)により、周辺の環境破壊や、いわゆる“パンパン”が町中を歩きまわる姿などの映像が紹介されると、反対運動は勢いを強めた。

 追分という土地柄もあって、文化人の支援の輪も広がった。
 著者らと交流のあった堀辰雄の葬儀に参列した橋本福夫が支援に加わった。橋本は戦後数年間追分に移住して翻訳の傍ら農業を営み、追分の区長を務めたこともあった。橋本は戦前から島崎藤村の小諸学舎に参加しており、その閉鎖後は、教え子である油屋主人(の息子)小川貢に請われ、追分に開講された「高原学舎」で無償で講義を行なうなど、地元青年と交流があった。
 橋本は、後に青山学院の英文科の教授になった英文学者で、翻訳家でもあったが、ぼくは、その名前をサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」を日本で最初に翻訳した人として知っていた(彼は「危険な年齢」という邦題で出版した)。橋本は、後に堀辰雄宅の敷地の一角を譲受けて追分に永住し、没後はご夫妻とも追分泉洞寺の墓所に眠っているという。

 この反対運動は、当初から東大地震研究所の反対が援軍になっていた。それもあってか、反対運動の支持者の中には、当時東大総長だった矢内原忠雄や息子の矢内原伊作の名前も登場する。ぼくは何かの記事で、矢内原らの文化人が主導した基地反対運動のように思っていたが、これは誤解だった。
 著者らは、橋本の助言もあって、むしろ文化人の間の意見の対立に巻きこまれないように注意していた様子がうかがえる。著名な追分、軽井沢文化人でこの運動にかかわらなかった人もいる。そして、青年団や婦人会、在住の文化人、労働組合、教員組合だけでなく、当初は誘致推進派だった町長らをも反対運動に寝返らせ、町内に広い人脈をもつ中軽井沢地区のボス的人物をも反対派に巻き込むなど、人間関係を軸にして幅広い反対運動を繰り広げている。
 反対派の事務局は、何と町役場の中に設けられたという!
 
 演習地反対全町協議会の委員長になったのは田部井健次だった。
 彼は戦前に、大山郁夫の日本労農党の書記長や総評書記長などを務めた人物で、治安維持法による弾圧も受けたが、戦後は画家として千ヶ滝西区(!)に住み、西区長を務めていた。演説や交渉はお手の物だったようで、アメリカ軍との交渉での発言はなかなかのものである。
 「日本はアメリカ軍のおかげで民主主義の国になった、民主主義のアメリカが日本の民衆の意思を無視して演習場を設けるようなことはしないことを確認せよ」、「軽井沢は国立公園の中にある、アメリカ本国で国立公園の中に軍の演習場は1か所でもあるか」、「地震研究所の観測に影響することが明らかになったら演習地計画を撤回せよ」といった趣旨を穏やな口調で発言し、アメリカ側から言質を取ったという。
 ※ 田部井には『軽井沢を守った人々』という著書がある。版元の「三芳屋」は、あの中軽井沢駅北口や旧軽井沢テニスコート通りにあった書店だろう。その本の紹介が朝日新聞1987年4月10日付に載っている(下の写真)。

     

 それに引きかえ、日本政府側の岡崎外務大臣や井関アジア局長は、「日本はアメリカに守ってもらっている」、だから浅間山麓の演習地化に反対するな、という情けないアメリカ追随に終始した。橋本の手紙には、長野県選出の国会議員が役に立たないことへの不満も書かれている。
 しかし、反対運動から3か月後の7月16日に、その外務省から計画撤回が発表された。もちろん背後にあるアメリカ側の意向だろう。外務省は、表向きは、浅間山にある東大地震研究所の地震観測への影響を中止の理由にあげたが、本書を読めば、演習地建設の中止が反対運動の成果であることは明らかである。
 当時の衆議院議長が千ヶ滝開発に利害関係のある堤康次郎だったことも幸いしたようだ。ーー西武(国土計画)の社史にはこの運動に関する記述はあるのだろうか。

    

 江戸時代の軽井沢、沓掛、追分は中山道の宿場町(浅間三宿)として栄えたが、いわゆる「めしもり女」(娼婦。吉原から流れてきた娼婦もいたという)が2~300人もいるような宿場だった(上の写真は明治末期の追分、分去れを撮った写真の絵葉書。今も残る常夜灯が見える)。
 それが、信越線が開業して以来は衰退の一途をたどり、1953年頃になると追分の旅籠も廃墟と化するものが少なくなかった。国際観光都市に指定されていたものの、万平ホテル、三笠ホテルは米軍に接収されており、観光業も振るわなかった。そのため、町の有力者の中には、軽井沢を赤線地帯に指定してもらおうという意見や、米軍演習場を誘致しようという意見が起こったという。
 
 ーー軽井沢が現在も、曲がりなりにも軽井沢らしさを保つことができているのは、偏えに彼らの運動のおかげである。米軍は石尊山で(北朝鮮との山岳戦を想定した)軍事訓練を実施しようとしていたというのだから、もし実現していたら、夏の夕刻の石尊山のすそ野は悲惨な光景になっていただろう。
 近年の商業施設の乱立と別荘地の乱開発は、米軍の演習場建設に劣らぬ惨禍を軽井沢にもたらしているが、もはや反対運動の気運さえない。沖縄でも米軍基地反対の民意を無視した基地建設がすすめられるなど、1953年の軽井沢以上にアメリカへの従属化が進行している。
 浅間山に心があれば、何を思っていることだろう。

 その他、本書で印象に残ったことをいくつか。
 反対運動には、東大をはじめ東京の大学生たちが支援に駆けつけたという。彼らは、ビラ作成、ガリ版印刷、ビラ配りや、人手の足りない農家での援農なども行なった。時には地元の人たちとフォークダンスをすることもあり、異性と手をつなぐという日常ではない機会をあたえられ、連帯感も強まるとともに、恋が芽生えることもあったという。
 --1950年生れのぼくでも、この気持ちは分かる。高校の文化祭の後夜祭のフォークダンス、マイムマイムやオクラホマ・ミキサーなどは、近所の女子高生と手をつなぐ唯一の機会だった。そして1969年の新宿西口広場のべ平連のデモでは、腕を組んだ女子大生との間に連帯感も恋心も芽生えた。

 追分「すみや」は、橋本が推進した消費者組合、生活協同組合運動から生まれたとある。もともと旅籠だった「すみや」の土間を借りて始めた購買所が、後の「スーパーすみや」になったという。ぼくが毎夏の終わりにシャインマスカットなどを買いに行っていた追分の、あの「すみや」だろうか。
 そのほか、著者の実家が文官試験受験生のための民宿をやっていた話(ぼくの叔父が学生時代に追分学生村に滞在して地元のMさんと知り合ったことが、わが家族と軽井沢との関係の始まりだった)、発地の青年団との会議の際にはドジョウが跳ねる泥湿地の道路を自転車で行った話、恩賀や妙義での反対運動では計画撤回まで数年を要したこと、米軍基地周辺での売春の実態を暴いた『日本の貞操』の読書会をやったことなどなど。--中学か高校生の頃に、父親の書庫にあったこの本をエロ本かと思って中を見たところ、真面目な告発本で驚いた(がっかりした)思い出がある。

 そして何より、わが千ヶ滝の家を建ててくれた大工さんと思われる方も、反対運動の活動家の1人として登場する(本当はお名前を書きたいのだが、確認できたわけではないし、ご了解も得ていないので書かない)。
 わが家は1968年の建築だから、反対闘争から15年しかたっていなかったのだ。それからすでに50年以上が経過し、あちこちガタがきているが、基本的なところはいまだしっかりしている。
 この方とはぼくも何度かお会いしたことがあるが、演習場反対運動に加わったことはまったく話題に出なかったと思う。穏やかで大へんに誠実な大工さんだった。こんな経歴のある大工さんに作ってもらった思い出の家となると、表札に彼の名前を刻んでおきたいくらいで、戦後民主主義世代のぼくの目が黒いうちは壊すことはできない。雨露をしのげるうちは、修繕でしのいでいこう。

 2021年9月30日 記

 ※ 『橋本福夫著作集Ⅰ』を読んで、橋本氏に関する記述を若干訂正した。2012年11月9日 追記

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エンゲルス『空想から科学へ』

2021年09月28日 | 本と雑誌
 
 エンゲルス『空想から科学へ』(寺沢恒信他訳、大月書店、国民文庫、1968年4刷)を読んだ。
 表紙の題名は『空想から科学へ』だが、扉および目次の表題は『空想から科学への社会主義の発展』となっていて、奥付はふたたび『空想から科学へ』に戻っている。

 なんで『空想から科学へ』かというと、ホッブズ『リヴァイアサン』の解説の中で、誰かがエンゲルスのこの本がホッブズに言及していると紹介していたからである。中公バックス版<世界の名著>の永井道雄解説か、河出版<世界の大思想>の水田洋解説か、あるいは田中浩『ホッブズ』(岩波新書)だったかもしれない。
 エンゲルスはホッブズに対してどんなことを言っているのだろうと、該当箇所を探したが、ロック、ルソーは出てくるが、ホッブズは出てこない。改めて、本文の前に付いた「序文」にも目を通すと、「1892年英語版序文」の中にホッブズへの言及があった。

 エンゲルスはホッブズを唯物論者とみなしているが、エンゲルスによると、イギリスの唯物論は、「学者や教養ある俗人にだけ適当した哲学であると自称し、宗教はこれと違ってブルジョアジーをもふくめての無教養な大衆にとってはかなりよいものだと宣言した」という(39頁。「俗人」というのは意味が通らない。英語でいえば“common man”くらいではないか)。ぼくが読んだ範囲では、ホッブズにそのような記述はなかったように思う。ロックには、理性を有しない大衆には「聖書」を与えておくといった趣旨の記述があったように記憶するが・・・。
 つづけてエンゲルスは、「唯物論は、ホッブズでは、国王の特権と全能との擁護者として登場し、絶対君主制にむかって、あの強健だが根性の悪い子供・・・すなわち人民を抑圧するように呼びかけた」という(同頁)。

 ホッブズが主権者権力の絶対性を主張したことは間違いないが、それが君主の絶対性を唱えたものか、貴族制や民主制(議会)もふくめて一般的に主権者権力の絶対性を唱えたかについては議論がある。ホッブズのクロムウェルへの恭順を考えると、共和制の主権者でも、生命の保存を確保する主権者であれば認めるのではないか。
 エンゲルスは、ホッブズを「絶対君主制の擁護者」として一刀両断だが、『ビヒモス』を読めば、ホッブズにそのように捉えられても仕方ない一面は確かにあった。少なくともホッブズが民衆による統治を想定していないことは間違いないし、何よりも、ホッブズには(上部構造と下部構造という言葉は出てきたが)、経済関係に関する記述はほとんどなかった。
 ホッブズにとっては、人々の生命保存と平和のための(社会契約による)主権者権力の絶対性の確保が至上の命題であり、主権者の経済的な基盤には関心がなかったと思う。

 ホッブズへの言及はここだけだった。しかし、イギリス革命(1640年代)から「名誉」革命を経て、フランス革命(思想)のイギリスへの逆流、チャーティスト運動、産業革命と工業労働者の登場、1848年以降の反動、恐慌の経験、1830年代以降続いた選挙法改正にいたるイギリスの歴史を、経済的背景から説明したこの「序文」は、教科書的な通史とは違って説得的だった(35~48頁)。
 
 実は、ぼくが持っているこの『空想から科学へ』は、1969年にぼくが大学1年生の時に履修した「哲学B」(後期科目)のテキストか参考書に指定されたものである。訳者の寺沢恒信教授が担当だった。
 そのときには序文など読まないで放ってあったのだが、今回はじめて「英語版序文」を読もうとしたところ、なんと、肝心の英語版序文の17頁から32頁までが落丁になっているではないか! かわりに33頁から48頁が重複している。工場制手工業(?)のなせる業か。いまさら交換を要求もできまい(不特定物売買における瑕疵担保責任の時効は何年だったか? 50年未満であることは間違いない)。
 欠落した個所にホッブズへの言及がないことを祈るばかりである。

 今回改めて本文も再読した。本文は3章に分かれていて(各章に表題はついていないが)、第1章は「空想的社会主義」、第2章は「弁証法」、第3章は「唯物史観ないし資本主義的生産様式」とでもいうべき内容である。
 第1章は、今年になって、ダニエル・ゲラン『エロスの革命』(太平出版社)に収録されたフーリエ「新しい愛のかたち」で彼の私生活を知り、興味をもって再読した。エンゲルスは、サン・シモン、オーウェンにはそこそこ紙数を割いているが、フーリエは簡単にすまされている。
 それでも、マルクス、エンゲルスが「空想的社会主義」者から多くの示唆を得ていたことがうかがえる。本書が『空想から科学へ』をテーマにしていることから当然かもしれないが、ヘーゲルよりもサン・シモン、オーウェンの思想と行動から大きな影響を受けたとさえ思える。

 第2章は十分には理解できず、第3章はさらに理解困難だった。第3部こそ、マルクスによって社会主義が科学になったことを論証する重要部分なのだが。
 ソビエト連邦その他ほとんどの社会主義国が崩壊した今となっては、マルクスの夢見たコミュニズムも「ユートピア」のように見える。

     

 大学1年生の時の「哲学」の残りの半分「哲学A」(前期科目)は、戸塚七郎助教授(当時)の担当だった。
 こちらのテキストは、先生が訳したプラトン『ソクラテスの弁明』(旺文社文庫、1969年)だった。1969年、まさにぼくが大学に入学した年に初版が出ている。
 この本もあまり熱心に勉強した形跡はない。
 ホッブズの自然状態が、ギリシアのエピクロスの「自然状態」論とほぼ同じ内容であることを田中浩『ホッブズ』で知り、エピクロスの邦訳を探したところ、岩波文庫と筑摩書房「世界人生論全集」のなかにエピクロスが入っていた。そして筑摩のエピクロスの訳者が戸塚教授だった。
 そうと知っていたら、若い時にもっと勉強をしておけばよかったと反省するが、もう間に合わない。「人生の短さ」を痛感する。現役の教師時代に20年間、夜間部の授業を担当したが、時おりぼくと同年代だったり、ぼくより年長の学生がいた。彼ら(彼女ら)が大へんに勉強熱心なことに感心したが、今になって彼らの向学心が分かるような気がする。
 ぼくだって、可能なら今こそ寺沢先生や戸塚先生の授業を受けたいと思う。

 ちなみに、この旺文社文庫に挟まれた栞には、「書を読んで考えないのは、食べて消化しないのと同じである」というエドマンド・バークの言葉が書いてあった(上の写真)。読書はしているが、消化不良の感がつきまとっているぼくには耳の痛い言葉である。こんなところでバークに出会うとは。

 2021年9月28日 記


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ホッブズ『リヴァイアサン』第4部

2021年09月25日 | 本と雑誌
 
 ホッブズ『リヴァイアサン』第4部「暗黒の王国について」を読んだ。
 ただし、永井道雄・宗片邦義訳の中公バックス<世界の名著>『ホッブズ』(中央公論社、1979年)の抄訳による。
 抄訳(要約)では意味がとれない部分や、まったく省略されているが(掲載されている)小見出しから内容を推測して読んでおきたい部分は、水田洋・田中浩訳『リヴァイアサン<国家論>』(河出書房新社、<世界の大思想16・ホッブズ>、1973年)の全訳(第4部は田中訳)で確認した。        
 水田・田中訳の河出<世界の大思想>版は手元に置いておきたいので、Amazon で一番安いのを購入した。120円+送料257円で栃木の古書店から届いた。
 経年劣化は仕方ないが「可」としてはまずまずだった。天がかなり汚れた箱もついていたが、箱は捨てる主義なので構わない(下の写真)。ただ、古本臭がややきつい。ーーファブリーズを噴霧したビニル袋のなかに一晩閉じ込めておいたところ、古本臭はだいぶおさまった。
          

 カバーの色は、前の版(世界の大思想12巻、河出書房(新社に非ず)。下の写真)と同じ青色(青紫色?)を予想していたが、届いたのは、意外にも濃茶色を基調にえんじ色と金色のラインが入っていた。デザインは前の版とまったく変わらない、亀倉雄策さんのもの。
 濃茶色の表紙は、革表紙のような雰囲気さえ漂っている。さすが亀倉雄策である(冒頭の写真)。
     

 さて、第4部の内容は、田中浩『リヴァイアサン』(岩波新書、2016年)によれば、徹底したローマ教皇およびローマカトリックの教義、教会の批判である。
 たしかに強烈なローマ・カトリック批判であった。
 ホッブズ自身は、59歳の時に大病をして死を覚悟した際に、イギリス国教会による聖礼を受けているが(田中・前掲62頁。実際に亡くなったのは91歳)、宗教戦争によって生命の安全が損なわれることを避けるために、「イエスはキリスト(救世主)である」という一点で各宗派が和解することを提案している(第3章の各所)。

 第44章は「暗黒の王国」(the kingdom of darkness)で、『聖書』には神の主権(sovereign)、人間の主権のほかに、暗黒がこの世界を支配する「悪魔の王国(the kingdom of Satan)」または「ベルゼルブの領土(the principality,田中訳では権力)」についての記述がある(490頁)。
 そして現在(もちろんホッブズの時代)のローマカトリック教会は、いまだこの暗黒から解放されていない。その原因は『聖書』解釈の誤りにあるが、最大の誤りは「神の王国」は現在の教会であり、法王はキリストの総代理者であるから、キリスト教徒である国王は司教から王冠を受けなければならないとする解釈である(491頁)。
 『聖書』解釈の誤りの第2は、洗礼式や結婚式などの聖別の際にとなえられる呪文であり、さらに「永遠の生」の誤解からくる煉獄の教義の誤りである(493頁)。
 --この辺りはぼくには理解不能だが、カトリックの幼稚園で教えられた「悪いことをした子は煉獄の火で焼かれてしまう」という教師の脅しは、毎月配られる子供向け宗教雑誌に載っていた煉獄の挿絵とともに、幼かったぼくの心に恐怖心を植えつけるに十分だった。

 第45章は「悪魔学」(demonology)と偶像崇拝の批判。
 第46章は、自然理性に反する超自然的なものから成り立っているアリストテレスの誤った形而上学が、大学を通じて宗教に流れ込んだと批判する(498頁)。
 またアリストテレスの社会哲学は、民衆的政府(popular government)以外はすべて専制(tyranny)であり、民衆政治のもとで(のみ)人民は自由(liberty)だという。そして、民衆政治や貴族政治が気に入らなくなると、民衆政治を「無政府」(anarchy)と呼び、貴族政治を「寡頭政治」(oligarchy)と呼んでこれを批判する(499頁)。しかし、彼らは、専制政治がなければ内乱が続き、法を施行するのは(言葉や約束でなく)人間や武器であることを知らないとホッブズはいう(同頁)。
 『聖書』はコモンウェルスの権威によって法とされ、市民法の一部分になる。・・・市民法への不服従は合法的に罰せられ、反乱や騒乱を教唆する教師は処罰される、それが政治的権威であり、教会権力が国家権力の中でその権利を主張することは、実は神の権力の簒奪である(500頁)。

 永井・宗片訳の<中公バックス>版では省略されているが、第46章では「合法的な結婚を不貞だとする説」(lawful marriage is incontinence)という『聖書』の誤まった解釈についても語っている。
 聖職者に対して結婚を否定する根拠として、結婚という行為が貞節、禁欲に矛盾する道徳的な悪であるという。しかし、一定の聖職者に貞節、禁欲、純潔の名のもとに女性からの不断の分離を要求するのは、教会の1つの制定物以外の何物でもない(田中訳<世界の大思想>463頁)。

 第47章では、「戦う教会は神の王国である」というローマ教会の誤った思想には、以下のような世俗的利益が伴っているとホッブズはいう(501頁)。
 教会とコモンウェルスは一体の人格であるから、教会の牧者は教区牧師および地方統治者の資格を与えられ、キリスト教徒王公の臣民を服従させ、王公と(教皇が)不和になった際には(臣民に)合法的主権者(王公)を放棄させた(501頁)。
 また政治的主権者の権限なしに、「破門」によって人の合法的な自由を奪うという権力の濫用が行われた。かかる「暗黒」の張本人はローマの聖職者たちと(イギリスでは)長老派の聖職者たちであった(502頁)。

 法王は、法王の利益に従って統治されることに従わない国家に対して、内乱を引き起こさせることができた。聖職者その他の祭司は、市民国家の権力によって保護されているにもかかわらず、公共的な費用を一切払わず、犯した行為に対して正当な刑罰にも従わなかった(503頁)。
 婚姻を聖礼の1つであるとする教義によって、聖職者は婚姻の合法性の判定権を獲得し(ーーヘンリー8世の再婚!)、嫡出認定による世襲的王国の継承権者を判定する権限を獲得した。
 さらに、「告白」を聴くことによって、王公ら政治的有力者の情報を教会の権力確保のために得ることができ(504頁)、罪を赦したり留保する権限を祭司らに帰属させることによって、自分たちの権力を確実なものとし、煉獄や免罪の教義によって富を増大させた(504~5頁)。
 --免罪符は知っている。山川出版社『新世界史』184頁は、ルターは「教皇による贖宥状(免罪符)の乱売に反対」したとまで書いている。「乱売」とは!。
 「法王制」とは死滅したローマ帝国の亡霊が、その墓の上に冠をいただいて坐っているのに他ならない、彼らが教会で用いるラテン語もローマ帝国の亡霊に他ならない(510頁)。 

 イギリスでは、エリザベス女王(1世)によって法王の権力は解体され司教制も廃止され、私たちは原始キリスト教徒の独立性を回復した(507~8頁)。ヘンリー8世が悪魔祓いにより、エリザベス女王も同じ方法で彼らを追い払ったのは、さして難しいことではなかった。
 しかし現在は、シナ、日本、インドを伝道してめぐり歩いているローマの亡霊が、ふたたび帰ってくることがないとは誰も知らない(510頁)。ーー『リヴァイアサン』に日本が登場するとは!

        
 
 以上で『リヴァイアサン』第4部「暗黒の王国について」は終わり、最後に、第1部から第4部を通じての「総括と結論」が語られる(角田訳『リヴァイアサン』では第1部(第1巻)の末尾についている)。
 各部の要約は省くが、新しいこととして、ここでホッブズは、「すべての人は、平時において彼を保護してくれる権威を、戦時においても可能な限り保護するよう自然によって義務づけられている」という第15の自然法を追加した(514頁)。
 また、(内乱に際して)「人が征服者の国民となる時点は、その人が降伏する自由をもっていて、明確な言葉またはしるしによって、征服者の国民になることに同意した時点である」という(515頁)。 
 --これはホッブズ自身のクロムウェル政府に対する恭順を含意しているのだろうか。

 同じように、人が国外にあるときに、自国が征服された場合には、彼が帰国してその統治に服するならば、それ(征服者)に従う義務が生じる。降伏によって彼らは、生命と自由の代わりに服従を約束するという契約を勝利者と結ぶのである(516頁)。
 --これは、亡命先のフランスから帰国して、クロムウェル政権と「エンゲージメント」を結んだホッブズ本人の立場の表明と読んで間違いないのではないか。
 『リヴァイアサン』全体がクロムウェルに阿るために執筆されたとは思わないが、最後の「総括と結論」が、クロムウェル政権への恭順の意を示したものであり、しかも生命の安全=自己保存を社会契約によるコモンウェルスの至高の目的と考えるホッブズにとって、現実政府への服従は自然の行為であったという田中浩『リヴァイアサン』の記述(63~4頁)はうなずける。 
 --以上の記述に際しては、基本的に永井道雄・宗片邦義訳<中公バックス>版『ホッブズ』の翻訳に依拠したが、田中浩訳『リヴァイアサン』第4部<河出・世界の大思想>版や、角田安正訳『リヴァイアサン (2)』<光文社古典新訳文庫>に収録された「総括と結論」も参照した。

 第3部、第4部を抄訳ですませたため、第1部、第2部を角田訳<光文社古典新訳文庫>で読み終えたときほどの満足感はない。しかし、かといって第3部、第4部を水田・田中訳<河出書房、世界の大思想>で読み直す元気もない。
 ホッブズはひとまず終わりにして(永遠に終わりかも)、『リヴァイアサン』で興味をもったエピクロス、ルクレティウスの「自然状態」論を読んでみるか、それとも時代を下って、ハリントンかロック『統治二論』を読んでみるか。モンテスキュー『法の精神』が半分近く残っているのも気になっているしのだが・・。
 --田中浩『リヴァイアサン』(岩波新書)の紹介で、ホッブズとエピクロスやルクレティウスとの関連を知って、Google で検索したら、ちゃんとエピクロスもルクレティウスも岩波文庫に入っていた。さすが岩波文庫!である。 

 2021年9月25日 記


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田中浩『ホッブズーーリヴァイアサンの哲学者』

2021年09月23日 | 本と雑誌
 
 田中浩『ホッブズーーリヴァイアサンの哲学者』(岩波新書、2016年)を読んだ。

 東京新聞に掲載された記事で、水田洋さんが101歳だったかでご健在ということを知り、以前水田氏が訳したアダム・スミス『グラスゴウ大学講義』(日本評論社)のアンコール復刊を希望したこともあって、懐かしさから、改訳版である『法学講義』(岩波文庫)を読んだ。 
 そして、どういう動機だったか、ホッブズも読み始めることになった。
 この夏の間、『法の原理』(高野清弘訳、ちくま学芸文庫)、『哲学者と法学徒との対話』(田中浩他訳、岩波文庫)、『リヴァイアサン (1) (2)』(第1部、第2部、角田安正訳、光文社古典新訳文庫)、『ビヒモス』(山田園子訳、岩波文庫)、『リヴァイアサン (3)』(第3部、永井道雄他抄訳、中公バックス・世界の名著)と読んできた。

 原典を読むと(もちろん翻訳でだが)、ホッブズの豪快さと、その一方での慎重さ、注意深さも伝わってきた。しかし、何を意図した記述なのかが分からなかったり、論旨というか論証の過程が理解できなかったりしたことも少なくなかった。
 今回、田中氏の本書を読んで、理解が不十分なとことが解明され、まったく理解できていなかったことなどをたくさん知ることができた。
 とくに、ホッブズの生きた時代、彼の生涯と著作との関係、先行する諸著作、その後の思想史上の諸著作(とくにロック)との関係について、多くを知ることができた。

         

 ぼくは教師時代に、専門外の憲法の授業を担当する必要から、日本国憲法の前提である自然権、社会契約論の勉強のために、田中氏の『国家と個人ーー市民革命から現代まで』(岩波書店、1990年)は読んだことがあった。
 市民革命の時代、憲法の時代、議会の時代を、『国家と個人』では、ホッブズ、ハリントン、ロックの思想で辿っていた。
 本書『ホッブズ』の論旨も基本的には変わっておらず、近代国家原理の始祖ホッブズに欠落していた制度論を、ハリントン、ロックらが補って、近代初期の民主主義(議会主義)の政治理論が完成したという系譜が前著より詳しく論述されている(131頁)。

 ホッブズの「自然状態」論が、古代ギリシアの思想家エピクロスの自然状態、自然権、自然法、社会契約論と「ほとんど同じである」という指摘に驚かされた(37頁)。
 エピクロスから、キケロらを経て、17世紀にガッサンディによって再生された「社会契約」論を、人民主権に昇華させたのがホッブズの功績であるという(72頁)。
 こんなエピクロス評価は、高校世界史ではまったく教えてもらえなかった。柴田三千雄他『新世界史』(山川出版社、1999年。ただし息子が使った教科書)では、エピクロス(派)は、衰退するポリス政治から逃避し、「生の目的は唯一の最高の善たる快楽にある」と説いたとしか書いてない(33~4頁)。

 「最高善」、すなわち快楽とは「生きていることそれ自体である」と考えれば、「生命の安全、自己保存」こそコモンウェルス設立の唯一の目的であるというホッブズの理論との親近性も感じられる。
 エピクロスの「自然状態」論を読んでみたいが、エピクロスの邦訳ははたしてあるのだろうか。
 「自然状態」が古代ギリシアのエピクロスに起源をもつものだったということで、15世紀以降の大航海時代にヨーロッパにもたらされた南洋の諸民族の社会、習俗に関する知見が、近代の社会契約論者の「自然状態」論に影響しているのではないかというぼくの仮説(思いつき)は見事に粉砕されてしまった。

 田中氏の本書では、ホッブズの思想の中核としての、自然状態、自然権、社会契約、市民法・自然法論が繰り返し語られる。ただ、この繰り返しは、田中氏が繰り返しているというよりは、ホッブズ自身が『法の原理』から『市民論』そして『リヴァイアサン』に至るまで繰り返し述べていることの反映でもある。
 『法の原理』第1部「人間の本性」において、人間にとって最高善は「生命の安全」(自己保存)であり、それを実現するために人々は「力を合成」(社会契約)して「共通権力」を作り、「自然状態」において生まれながらに持っていた「自然権」(生きるためのあらゆる行為を行なう権利)を放棄し、社会契約をした全員の「多数決」によって「代表」(主権者)を選び、主権者の作る市民法に従って平和に生きよ、とホッブズは命じた(33頁。さらに40頁以下で各々について敷衍される)。
 この内容は『市民論』においても(78頁。ただしここでの論点は主権者が有する絶対的権力にシフトしている)、『リヴァイアサン』においても見られる(92頁以下)。

 「自然状態」論も「社会契約」論も、先行する提唱者があったが、人間の意志(契約)や恐怖など人間の本性(情動)から出発して、国家(commonwealth)が、生命の保存および平和を目的として人間によって作られた人工の被造物である(=社会契約)という結論に導く点が、ホッブズのオリジナルな立論である。
 社会契約論の基本ラインは高校時代に知って以来、日本国憲法の基本思想でもあり(前文)、違和感なく受け入れてきた。しかし、主権者権力の絶対性は、ロックは平和な時代の思想家、ホッブズは戦争(内乱)の時代に生きた思想家だったからと言われても、違和感というより反感を禁じえなかった。
 ところが原典を読むことで、主権者権力の絶対性が、生命の維持、平和の希求という彼の出発点に由来することがよく理解できた。ホッブズの主権者権力論は、チャールズ1世の絶対王政や同2世の神授王権を支持するためのものではなく、それどころか、クロムウェル政府にすら絶対的主権者としての権力を認めていたことを本書によって知ることができた。
 ただし『ビヒモス』は議会主権を否定し、君主とくにチャールズ1世擁護の書のように思うのだが・・・。

 ホッブズの主権者権力の絶対性は、ローマ教皇ら非寛容なカトリック教会との戦い、国家を宗教から解放するための理論の支柱でもあった(84頁~)。

 本書を読んでも、なお理解できなかったことをいくつか。
 1つは、彼の社会契約論において、人民が多数決によって代表者を選び、選ばれた者が主権者となるという過程だが、なにゆえ「多数決」でよいのか、社会契約は全員一致でなければならないのではないのか。多数決だとしたら、敗れた少数派はその社会の構成員にならないのか。
 社会契約の中に、どのような理屈によって「多数決=多数者に従う」という合意が含まれるのか。多数決で平和は訪れるのか。いっそ、ホッブズ自身ときおり援用する「くじ」ではいけなかったのか。

 2つ。「社会契約」を「力の合成」と言い換えることも、田中氏の本書には頻出するが(初出は33頁)、原典を数冊読んだけれど、「力の合成」に出会った記憶がまったくない。読み落としたのか、角田訳や永井訳では違う言葉があてられていたのか・・・。
「力の合成」という言葉は、感覚と情動から出発して政治体の形成を説くホッブズがいかにも使いそうな言葉ではあるが、「合成」のニュアンスは理解できない。「社会契約」は全人民の意志の一致といえば十分ではないのか。
 社会契約は「力」の「合成」というよりは、「力」(=自分自身を自分で守る権利)の「放棄」(=主権者への譲渡)だったのではないか。

 3つ。“commonwealth” という言葉の使い方も、本書を読んでもなお理解できなかった。
 共通権力 “common power” と同じ意味なのか違うのか、“civil state” とは違うのか。 “Leviathan” とは違うのか。
 “commonwealth”は一般的な言葉で、社会契約によって成立したか否かにかかわらず「政府」とか「国家」一般をさすようにも使っているが(ポリスや「聖書」中の国家など)、社会契約に基づく主権者国家だけが “commonwealth” のようにも読める。

               
 ※ 上の写真は水田・田中訳『リヴァイアサン』(河出書房<世界の大思想16巻>、1973年)に掲載されたホッブズの肖像画。本書ⅴ頁にも晩年の肖像画が掲載されているほか、中公バックス版や岩波文庫版『リヴァイアサン』にも肖像画が載っているが、本書に描かれたホッブズの生き様からは、この肖像が一番ふさわしいと思う。

 ホッブズは、ピューリタン革命が進行中の1652年に亡命先のフランスからイギリスに帰国した。そのため、1651年に出版された『リヴァイアサン』は、クロムウェルに阿るために執筆されたという批判があるらしい。
 本書によれば、ホッブズが帰国を決意したのは、1649年に国王チャールズ1世が処刑され、息子の(後の)チャールズ2世のパリの亡命宮廷に出入りしていたホッブズも身の危険を感じて、新政府(クロムウェル政権)への帰順を考えたのではないかと推測する(63頁)。
 宗教的「寛容」を認めない長老派議員130余名を、クロムウェルの部下が追放し、議会(残部議会)が宗教的に「寛容」な独立派議員だけになったことも帰国をうながす要因となったようだ(63頁)。
 ホッブズは、クロムウェルの評議会に出頭してクロムウェル政権への服従を誓って帰国を許可されたという。この誓いを「エンゲージメント」というそうだが(65頁)、内心の自由を唱え、内心は最後の審判のときに神によってのみ裁かれる、法によって罰することはできないと書いているホッブズのことだから、「誓い」ながら内心でペロリと舌を出していたことだろう。
 スチュアート朝に忠誠を尽くすという心情に固執することなく、「生命の安全」を保障する主権者(現実の政権)に従うことは、ホッブズにとって自然な態度だったと田中氏はいう(63~4頁)。
 
 ホッブズは自然権論者、社会契約論者としての側面ばかりが強調されてきたが、彼の主戦場が「国家と宗教」の問題、信仰の自由の問題だったことも、本書で強調される。
 『リヴァイアサン』第3部、第4部は、ローマ・カトリック教会と教会およびローマ教皇との全面的対決であるという(91頁)。
 ホッブズの信仰の自由、内心の自由に対する信念は随所からうかがうことができたが、ローマ・カトリックとの対決は、抄訳ですませてしまったためか、あるいはまだ『リヴァイアサン』第4部を読んでいないせいか、十分には伝わってこなかった。
 ただし、オックスフォード大学やそこで教授されるスコラ哲学、アリストテレスに対する彼の反感、嫌悪感は、原典のあちらこちらで述べられていた。
 映画『クロムウェル』でも、ピューリタン革命当時のイギリス人の反カトリック(反フランス、反アイルランド)の心情は伝わってきた。ホッブズの約100年前のヘンリー8世治世初期を描いた映画『わが命つきるとも』では、大法官トマス・モアのカトリックの教義やローマ教皇に対する忠誠心はゆるぎないものだったのだが。

 ホッブズが、マグナ・カルタ(1215年)以来のイギリス政治の伝統である(国王と議会との)混合政体、田中氏のことばでは「制限・混合王政論」(例えば32頁)に対して消極的態度だったことも印象的だが、真意は理解できなかった。混合政体=主権の分割を峻拒するホッブズの真意はどこにあったのか。
 本書によれば、ホッブズにとって、議会は、ローマ教皇・カトリック教会や神授王権論と並ぶ「敵」だったという(メモには残っているのだが、ページ数を書きとめなかったためにどこかに書いてあったが、見つからない)。
 国家の原理を人間の本性、理性から構築するホッブズにとって、伝統や慣習を重視する議会(制限王政論や混合政体論)は受け入れがたいものだったのか、あるいは、クロムウェルが絶望したように、ホッブズもイギリス議会の現実に絶望して、君主制支持とも読める主権者権力の絶対性を唱えるに至ったのか。
 ただし、ぼくが理解した限りでは、ホッブズの絶対的主権者は必ずしも一人の人格(君主)を意味するものではなく、議会(議員団)を主権者とすることも理論的には排除されていないように思う。したがって、ここからロックの議会主権論に至る道が拓かれることもあるのではないか。

 などなど、今回もまとまりのないことを書いてしまった。理解が不十分であることの証明だろう。

         

 思い出したが、ホッブズの英語が明快であるという指摘も本書のどこかにあった。
 サマセット・モームも『要約すると』(中村能三訳、新潮文庫)のなかで、文章を研究するものがまず最初に研究すべきイギリス語として、ホッブズやロックの文章をあげている(228頁)。さらにモームは、『リヴァイアサン』に現われたホッブズの本質をジョンブル気質と書いているが(同頁)、本書によってホッブズの91年の波乱の生涯をたどってみれば、「ジョンブル」というのはこういう人物なのかと、納得がいく。

 2021年9月23日 記


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中秋の名月

2021年09月21日 | あれこれ
 
 今日は「中秋の名月」、しかも満月だそうだ。確か去年の中秋の名月は満月の2日前だったように記憶する。
 このところ、日中の暑さもだいぶ和らいできた。
 昼間の天気予報では、今夜の東京は曇天のため、あいにく月を眺めることはできない予報だったが、さっき空を見上げると、月が出ていた。

        

 流れる雲の隙間から一瞬でも完全な満月を拝みたかったけれど、残念ながら雲が切れることはなかった。
        


 ところが、午後10時すぎには雲に隠れて姿を見せなかった満月だったが、日付けのかわる12時になったら、真南の方角の雲間に姿を現わした。
 めでたし、めでたし。

       

 ということで、改めて夕べ12時ころの中秋の名月を。老人用のスマホについたカメラで撮ったものなので、残念ながら、ウサギは確認できなかった。

 2021年9月22日 記


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『リヴァイアサン 第3部』余滴

2021年09月20日 | 本と雑誌
 
 永井道雄・宗片邦義訳の中公バックス<世界の名著28巻>『ホッブズ』(中央公論社、1979年)に収められた抄訳で、ホッブズ『リヴァイアサン』第3部を読んだ。
 上の写真は河出書房版<世界の大思想・ホッブズ>『リヴァイアサン』の扉口絵に載っていたホッブズの肖像画。作者や年代の記載はない。
 
 ホッブズの生きた16~17世紀のイギリスは宗教改革の時代であり、1640年代の内戦もたんに国王チャールズ1世の絶対王政に対する議会派らの反発というだけではなく、「ピューリタン革命」と呼ばれるように、宗教戦争でもあった。したがって、この時期に書かれた『リヴァイアサン』(1651年出版)の、第3部「キリスト教的コモンウェルスについて」、第4部「暗黒の王国について」は重要な部分だろうと思う。
 しかし、『リヴァイアサン』の全訳のうち、水田洋訳『リヴァイアサン (3) (4)』(岩波文庫)を読み通す自信はない。水田・田中浩両氏の共訳である河出書房版<世界の大思想・ホッブズ>『リヴァイアサン(国家論)』は訳者の1人である水田氏ご自身が岩波文庫の解説の中で「脱落が多い」と書いている。
 なお、河出版の凡例によると、第3部は水田氏の訳、それ以外は田中氏の訳である。

     

 結局、中公バックス版の抄訳が一番無難という結論に落ち着いた(上の写真)。
 さっそくAmazon で一番リーズナブルな価格で、汚れの少なそうな古書を注文した。届いた本は、奥付に「贈呈本」という朱印が押されており、帯、月報、スリップ(売上カード)などもついた美本といえるレベルだった。当時の中央公論社の期待に反して、贈呈を受けた人は大事に飾っておいたが、読まなかったのだろう。
 ただし、天地と小口は刊行から40年以上たっているのでさすがにかなり黄ばんでいる。
 値段は390円+送料300円。クリックポストという追跡可能な郵便で届いた。クリックポストは1㎏以内なら180円くらいだが、宛名ラベルを作成したり投函する手間を考えれば送料(手数料込で)300円は仕方ないだろう。所沢の古書店だったが、直接買いに行けば往復の電車賃は300円では済まない。
 下の写真は同書の口絵。ホッブズのパトロンだったデヴォンシャー公爵の館。ただし1696年建造とあるから、ホッブズの死後に建てられたようだ(井上宗和氏撮影)。

                 

 内容は前の書込みに書いたとおり。抄訳であることのメリット、デメリットも前に書いたとおり。
 抄訳で意味が取れないときは、水田洋・田中浩共訳『ホッブズ・リヴァイアサン<国家論>』(河出書房、世界の大思想、1966年)で確認することになる。時にはOxford World's Classics, “Leviathan” (OUP, 2008)も参照したりした。
 全文を全訳で読むよりは時間はかからないが、そこそこの時間はかかってしまう。こんなことなら、むしろ水田・田中両氏による全訳を自分の判断で飛ばし読みしながら読んだほうが時間の節約になったのではないかとも思った。
 下の写真は中公版<世界の名著・ホッブズ>の扉口絵に載っていたホッブズの肖像画。作者、年代等は記載なし。
     

 とくに、省略された部分に自分にとって興味のあることが書かれているのではないか、ということが気になった。
 例えば、前の書込みでは書き忘れたが、第36章に「神のことば」はどのような方法で語られるかについての一節である(第17節)。神は、ときには「くじ」によって語ることがあったとホッブズは書いている。

 神は、預言者たちに直接語ったほか、夢や幻、精霊によって語り、ときに「くじ」(“lots”)によって語ることもあったといい、その例として、神がカナンの地をイスラエル人の間で「くじ」によって分割したと記されていること(ヨシュア記7.16)を例示する。
 残念ながら、永井・宗片訳では、「くじによって語った」とだけあるが、それ以上は省略されていた(412頁)。「くじ」によって決められた事柄がカナンの地の分割であったことは河出版の水田・田中訳によって知ることができたのである(水田・田中訳『リヴァイアサン』河出書房、1966年、286頁。原文は、Oxford World's Cassics,p.287(ch.17)を参照)。
 他にも、 第41章「救世主の職務について」の中で、スケープ・ゴート(贖罪のために荒野に逃がされた羊)を決める際に「くじ」が用いられたことが述べられている(452~3頁。訳注(1))。こちらは、中公版の訳注に説明があった。

 ホッブズは第2部でも、共有物を分割できなかったり、共同使用できない場合には「くじ」によって使用者を決定することを提案していた。長男による単独相続も、生まれた順番という偶然(一種の「くじ」)による合理的な決定であるとも書いていた。
 「くじ」の効用が「聖書」にまで遡ること、しかもカナンの地の分割などという大問題の解決が「くじ」によって行われていたとは意外な発見だった。

 2021年9月20日 記


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ホッブズ『リヴァイアサン』第3部

2021年09月19日 | 本と雑誌
 
 ホッブズ『リヴァイアサン』第3部「キリスト教的コモンウェルスについて」を読んだ。
 ただし、永井道雄・宗片邦義訳の<中公バックス・世界の名著28>『ホッブズ』に収録された抄訳による。

 何度も書いたが、『リヴァイアサン』の第3部、第4部を全訳で読むのには消耗感がある。しかし曲がりなりにも「リヴァイアサンを読んだ」というためには、少なくとも第3部は読んでおく必要があるだろう。そこで妥協策として、中公バックス版の抄訳を読むことにしたのである。
 中公バックス版では第3部は(上下2段組みで)117頁なのに対して、水田洋・田中浩訳の<河出書房・世界の大思想>版『リヴァイアサン』(下の写真)の第3部は169頁ある。1ページ当たりの字数は(数えてないが)河出版の方が多そうである。
 大体のところ、中公版は河出版(全訳)の2分の1か、せいぜい3分の2程度の分量だろう。そのくらいの要約版である。

               

 中公版の抄訳は、いくつかの節をまったく省略した部分と、省略した部分の<要約>が載っている部分がある。『リヴァイアサン』には各節ごとに小見出しがついており、小見出しは載っているのでどんな部分を省略したかは分かる。
 訳者が重要と考えた部分を残し、重要性が低いと判断した部分を省略したのだろうが、やはり全文を読んだのではないという不全感、後ろめたさはぬぐえない。
 省略された部分に、ひょっとしたら何かいいことが書いてあるのではないだろうかという気持ちが残っている。どうせなら、全訳に再挑戦しようかという気持ちになっている。

 以下は、抄訳のそのまた要約である。
 読んだ本の要約は、私の「頭の体操」のための作業のようなものなので、お付き合いいただくのが申し訳ない思いがある。
 『リヴァイアサン』第3部は第33章から第43章までの11章からなる。 

 自然の理性は人々に、平和と正義を得るためにはコモンウェルスの権威すなわち合法的主権者の権威に服するよう教えている(第33章、380頁)。
 「神の王国」(the kingdom of God)とは、臣民となる人民の同意によってその政治的統治のために設立されたコモンウェルスのことである。すなわち「神の王国」は現世的王国(civil kingdom)である(第35章、407頁)。

 私たちは平和と防衛の維持に必要なすべてを行う絶対権力を主権者に与えているが、心の中で何を信じ、何を信じないかの自由(思想の自由)は私たちの側に常にある(第38章、421頁)。別の個所でも、人は宗教上の外的行為については主権者の法に従わなければならないが、人の内的思想および信仰は神にしか知りえないものであるから、法によって左右されることはないと言っている(440頁)。
 * ホッブズが内心の自由としての信仰の自由を唱えていたことは疑いない。ホッブズの「内心」はどうだったのだろうか。「恐怖との双生児」として生まれたと自認するホッブズが生前に内心を明かすことはなかった。

 「教会」とは、キリスト教の信仰を告白する者たちが、一人の主権者のもとに結集し、彼の命令によって集まり、彼の権限なしには集まるべきではない一つの団体であり、キリスト教徒からなる世俗的コモンウェルス(civil state)とまったく同義である(第39章、438頁)。
 * 胡散くさい定義だが、宗教戦争を経験し、ピューリタン革命を経験したホッブズにとって、宗教の名における戦争はコモンウェルスの設立の目的を害する最大の敵だったのだろう。

 キリスト教のコモンウェルスにおいては、「聖書」を解釈する際には、何人も主権者によって定められた境界を超えて解釈してはならない。その境界は地上において神の人格を代表する人々(主権者)の法律である(第40章、444頁)。
 どのような教義が平和にふさわしく、国民に教えられるべきかを決定する権利は主権者の政治的権力に不可分に結びついている。(なぜなら)市民政府は混乱と内乱を避けるために設立されたのだから(第42章、476頁)。

 司教たちは授権に際して「国王陛下の名において」と言わなければならない。それを「神の配慮」と言うことは、自分の権限を世俗的国家から受けたことを否定し、コモンウェルスの統一と防衛に反するものである(第42章、478頁)。
 キリスト教徒である国王は宗教上の問題に関しては国民の統治を法王に委ねることができるが、この場合法王は王に従属するものとして「政治的主権者の権利」によって他人の領土において委託された業務を行う者である(478頁)。
 * ホッブズが批判したのは中世的な法王による統治だったが、『リヴァイアサン』における法王批判は穏やかに読める。省略された部分はどうなのか。
 ※ 田中浩『ホッブズ』(岩波新書)を読むと、『リヴァイアサン』におけるホッブズのローマ教皇およびローマ教会批判はそんな生易しいものではなく、徹底したものだったようだ(100、103、107頁~)。私の読みまちがいだった。

 神への服従と政治的権力への服従が対立した場合、人はいずれに服従すべきか。ホッブズは、王がキリスト教徒である場合もそうでない場合も、主権者に服従すべきだという(第43章、487頁)。市民法の中にはすべての自然法、すなわち神の法が含まれているからである。
 * 内心の信仰は、天上の王国に受け入れられることによって救済されるのだろう。

 さて、第3部を読み終えてから、永井道雄氏による解説を読んだところ、ホッブズが批判し否定したのはローマ法王の統治下にある中世ヨーロッパ世界であり、ホッブズの批判を理解するためには、第4部「暗黒の王国」を第3部より先に読むほうがよいというアドバイスがあった(34頁)。解説を先に読んでいればよかったのに・・・。やはり第4部も読まなければならないか。
 永井氏の解説には、ホッブズのいう権利がブルジョワ社会成立後の私有財産権に及んでいない点で、ロックよりも古い時代に属するという(33頁)。ロックの“property”とホッブズの“propriety”の関係もここにかかわるだろうか。
 『リヴァイアサン』は、王党派とみなされて(フランスに亡命して)いたホッブズが、望郷の念に駆られてクロムウェルらの歓心を買うために書かれたという解釈が紹介されているが(23、27頁)、この本の内容に「神の摂理」に奉じたクロムウェルが納得するとは思えない。

 2021年 9月19日 記

 実は、≪もう少し長い要約≫も書いたのだが、別の機会に。そんな機会があれば、だが。
 

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散歩の風景(2021年9月15日~17日)

2021年09月16日 | あれこれ
 
 このところ、読んだ本のことばかり書きこんでいるが、いま読んでいるホッブズ『リヴィアサン』第3部「キリスト教的コモンウェルスについて」はすぐには読み終わりそうもないので、ひと休みして日々の散歩の風景から。

 冒頭は、昨日(9月15日)の午後、放射7号線の延伸工事中の北園交差点の西方数100メートルの高台からの風景。
 野菜か何かの畑ごしに、南の遠方に大泉学園駅方向を眺めたもの。駅前の再開発で立てられた3本のビルがランドマークのようにそびえている。
 上空の雲(入道雲?)は、まだ夏の余韻を残しているように見えるが、真夏の入道雲のように真っ白ではない。

         

 つぎは、今日(9月16日)の夕方5時過ぎの散歩の道すがら、道端に咲いていた花を2枚。
 1枚目は石神井公園近くの小公園(春にはハナミズキが咲いているのでわが家では「ハナミズキ公園」と呼んでいる)に咲いていた花。
 名前は分からない。すでに盛りをすぎた様子で、少しくたびれた花の色だった。
 写メで花の写真を送ると花の名前を検索するという無料アプリを以前に入れてもらったが、延々と検索していて10分待っても結果が出てこない。通信料稼ぎの悪質アプリではないかといわれたので、削除した。
 散歩しながら道端の花や街路樹の名前が分かるといいなと思っていたのだが、それ以来あきらめた。女房がいれてもらった花の名前検索アプリはうまく機能していて、「ブッドレア」「西洋アジサイ」「鬼ユリ」などなど、すぐに教えてくれる。

         

 もう1枚は、これも名前も知らない小公園の一角に咲いていた花。
 こちらは、<さるすべり>というプレートが付いていたので、さるすべりだと分かった。キーボードで打つと「百日紅」と出てきた。いわれてみれば、たしかに紅色の花だった。
 あいにく夕日がさしていて、あまりよく見えなかった。こちらの背景の空には、秋の訪れを感じさせる薄い赤紫色のあかね雲が浮いていた。

 2021年9月16日 記

         
 
 新たに立てるほどではないので、追記の形で。
 今日(9月17日)の午前中の散歩で見つけた黄色いコスモス。
 石神井公園駅に向かう線路沿いの道端に咲いていた。

 2021年9月17日 追記


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『リヴァイアサン』余滴・2

2021年09月12日 | あれこれ
 
 以下は『リヴァイアサン』から始まったぼくの “nostalgic journey” です。一部、以前に書いたものとの重複があります。

 『リヴァイアサン』には水田洋氏による全訳があり(岩波文庫、全4巻)、中央公論社版<世界の名著・ホッブズ>にも永井道雄他訳があるが、第3、4部は抄訳らしい。光文社古典新訳文庫でも、第3部、第4部の刊行の予定はないという。
 第3部と第4部はキリスト教権力と世俗の権力(“civil government”)との関係が論じられているらしく、本当は重要な内容だと思うのだが、キリスト教それ自体や、ホッブズの時代のイギリス(スコットランド、アイルランド)におけるカトリック(ローマ教皇)、イギリス国教会(長老派)、ピューリタン(清教徒)との関係や、当時のイギリスの人々への影響などについて知識がない私は、読み通す自信がない。

 7月下旬に、水田洋氏が全訳した岩波文庫の『リヴァイアサン』全4巻を、まずは図書館で借りてきて、斜め読みしてみた(上の写真)。
 最初に読んだ「第2部」は、水田訳に行き詰って、結局は角田安正氏が訳した光文社古典新訳文庫の『リヴァイアサン (2)』を読んだのだが、「第1部」については再び水田訳で挑戦しようと思った。
 Amazonで探したところ、生活困窮者支援の<もやい>と提携しているバリューブックス(長野県上田市)で、『リヴァイアサン (1)』(岩波文庫)の評価「非常に良い」が何と241円(+送料250円)で出品されていたので、即刻注文した。ほどなく新品同様の本当にきれいな本が届いた。
 ぼくは定年退職時に蔵書を処分する際に、売り上げの一部を<もやい>に寄付して困窮者支援に充てているというので、バリューブックスで売却した。古書もどうせならバリューブックスから買いたいと思った。(下の写真はバリューブックスから届いた『リヴァイアサン (1)』岩波文庫。)
      

 実は、「第1部」を岩波文庫版で読みたいと思ったのには、この他にも理由があった。
 岩波文庫版『リヴァイアサン』第1巻の巻末に付された水田氏の「解説」によれは、この第1巻は、私がかつて勤務した日本評論社から戦後間もなくに出版されたものを土台にしているという。
 しかも協力者として磯野富士子氏のお名前が出ていた。叔父である穂積重遠さんは大正時代にイギリスに留学された方だから、重遠さん旧蔵のホッブズの稀覯本でも貸与されたのではないかと想像した。さらに謝辞をささげられた杉本栄一氏は、同時期にドイツに留学した私の祖父の研究仲間だった。
 そんな縁もあったので、『リヴァイアサン』第1部は、できれば岩波文庫の水田訳で読みたいと思ったのだった。

      

 なかでも、磯野富士子先生、磯野誠一先生ご夫妻とは、私は多少のご縁があった(上の写真は磯野先生ご夫妻の共著『家族制度』岩波新書)。
 家族法研究会でご一緒させていただいただけでなく、日本の家族法に関心をもつフランス人の法律家カップルが来日した折に、磯野先生からご依頼を受けて、婚姻届出や戸籍の実情を知りたいというカップルを豊島区役所の戸籍課にお連れしたことがあった。当日の写真の日付けをみると、2001年7月24日のことだった。
 区役所からの帰り道、池袋駅西口の東京芸術劇場の前を通りかかると、この建物を見物したいと仰るのでお供した。建物内に入った時に、彼から「この建物をどう思うか?」と質問され、返答に窮した。後に、知人のゼネコン勤務の建築家に「こんな場合にはどう答えればよいのか」と質問したところ、「建築物を語るときは、構造物それ自体ではなく、その構造物によって仕切られた空間の印象を語れ」と助言された。

 見物の後、池袋駅から東上線に乗って東武練馬駅前にあった大東文化大学の宿泊施設までお見送りをして別れたのだが、この間どのようにして対話が成り立っていたのかまったく記憶にないが、ぼくの下手な片言英語で何とか凌いだのだろう。 

        

 --と、ここまでは昨日書いたのだが、1日経ったら(今朝の午前5時にNHKラジオ深夜便が終わってから起床するまでの寝床のなかでのことだった)、ふと2001年のあの日の一場面を20年ぶりに思い出した。

 道案内の途中で怪しげな一角を歩いているときに、私が「この辺は “milieu”です」と言ったところ、お二人とも怪訝な顔をされた。さらに下手な説明をすると女性の方が分かって下さったようで、彼に向ってフランス語で説明し、彼も「ほう」というような顔をされた。
 “milieu” などというフランス語は、シムノンの「メグレ警部」ものか(河出書房から全50巻のメグレ・シリーズの翻訳が出ていた)、ジャン・ギャバンの映画で知った言葉だと思う。(下の写真はジャン・ギャバンがメグレ警部を演じたテレビ・ドラマの1シーン。まさに “le milieu”ものだった。)
          

 改めて辞書で調べると、“milieu” には、(空間の)中央、(抽象的な)中間、(人間を取り巻く)環境、(社会的な)階層、(複数で)~界、などといった語義の後に、冠詞のついた “le milieu” で私の言いたかった意味が出てくる(小学館プログレッシブ仏和辞典。三省堂クラウン仏和辞典にも載っていた)。「売春[密売]組織、暗黒街、やくざ社会」と、すごい訳語が並んでいる。
 最初に伝わらなかったのは、フランス語どころか英語もろくに喋れない日本人からこんな単語が出てくるとは想像もしなかったからか、私の発音が悪かったからか(「魅了」の「ミリョウ」と発音したと思う)、冠詞 “le”をつけなかったからか、あるいはその一角を表現するのに適切な言葉ではなかった--パリの “le milieu”はもっと怖いところだったからか、のいずれかではないか。

 ぼくの海馬の中には、まだ20数年前のこんな記憶が残っていたらしい。
 何をきっかけに思い出すことができるのかはわからない。すべての記憶が一気に出てきても困るが、忘れている懐かしい思い出にはもっと出てきてほしい。とくに思春期の通学のバスの中で見そめた女の子なんかにはぜひ出てきてもらいたいのだが。
 海馬の中の記憶を出し入れする知識、技術はまだ開発されていないのか。学生時代に刑事訴訟法の授業で「アミタール・インタビューにおける被告人の発言の証拠能力(証明力だったかも)」に関する判例を読んだ。必ずしも過去の事実の自白とは認められないという判旨だったと思う。

 磯野先生ご夫妻とは、その後研究会や学会でもあまりお目にかからないなと思っているうちに、お二人とも私たちの前からフェイドアウトされてしまった。ネット上で確認すると、誠一先生のご逝去が2004年、富士子先生のご逝去が2008年となっている。
 お二人の思い出は、富士子先生の元気なお声と、誠一先生の穏やかな微笑みとともにある。

 2021年9月12日 記

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『リヴァイアサン』余滴・1

2021年09月11日 | 本と雑誌
 
 ホッブズ『リヴァイアサン』だが、ぼくは、まず『リヴィアサン』第2部を先に読んだ。
 もし途中で挫折することになっても、せめて第2部の「政治共同体(Commonwealth)」と「主権者権力(sovereign power)」については読んでおきたいと思ったからである。

 そして、角田安正訳『リヴァイアサン (2)』(光文社古典新訳文庫)で「第2部」を読み終えた後に、第1部「人間について」に挑戦したのだが、最初に読み始めた水田洋訳『リヴァイアサン (1)』(岩波文庫)の訳文は、残念ながら私には難解すぎて読み進めることができなかった。

 アダム・スミス(水田洋訳)『法学講義』(岩波文庫)もそうだったが、水田氏の訳は直訳というか、原文に忠実すぎるためなのだろうか、かえって日本語としての意味がとれない箇所が頻出する。とくに指示代名詞が原文のまま「それ」「その・・・」などと訳してあるのだが、何を指しているのか理解できない場合が少なくない。
 訳注も初学者向けの基本的なものではない。さらに巻末にはラテン語版と英語版との異同に関する大量の訳注がついているのだが、これも私には残念ながら無用の長物であった。
 10ページ程度読んだ段階で、そうそうに水田訳は断念し、角田安正訳の『リヴァイアサン (1)』(光文社古典新訳文庫)に切り替えることにした。『ビヒモス』の最後の1冊が売れ残っていた駅前のくまざわ書店に行ってみると、ちゃんと文庫本の棚に角田訳『リヴァイアサン (1)』も並んでぼくを待っていたので、さっそく買って帰って読み始めた。レシートを見ると8月18日の17時05分のことだった。

          

 角田氏の訳文は、「第2部」と同様大変に読みやすかった。
 「その」といった指示代名詞はあまり出てこない。何を指しているのかが分かりにくい個所では必ずその「その」が何を指しているのかを具体的に訳出してある。3年がかりの翻訳だったという訳業の困難が訳者の「解説」に書いてあるが、その苦労話からもこの訳書が読みやすくなっている理由がよくわかる。
 おそらく徹底的に辞書を引き、直訳に近い第1稿を添削して日本語として通る訳文に改めたのではないかと想像する。編集者時代の先輩だった翻訳家でもある横井忠夫氏が、誤訳を避けるためには辞書を引きまくるしかないと書いている。
 読むのに時間はかかったし、理解も十分とは思わないが、とにかく角田訳のおかげで、ぼくは人生の終盤において『リヴァイアサン』第1部、第2部を読み終えることができた。

 原文を知りたい場面では、適宜、Oxford World's Classics の “Leviathan” で確認した。
 原文を参照して生じた個人的な疑問の最大のものは、「所有」と訳された ホッブズの“propriety”と、ジョン・ロックの“property”との関係である。
 ロックの “property” 、すなわちその人に固有の(“proper”な)ものが “property”としてその人に帰属するというのは理解できたが、ホッブズの “propriety” はどのような転義を経て「所有」ないし「私有財産」となったのか。手元の辞書によれば「私有財産」の意味はその後「廃語」になったらしい。
 ロック “property” と“propriety”は同じ変遷をたどったものなのか、違う含意があるのか。
 辞書を引くと “property” の語源欄に「中英語 proprete・・・▷PROPRIETY」 とあるが、▷の意味が「凡例」の中に見つからない。“propriety” の語源欄には「ラテン語 proprietas・・・ ▷PROPERTY」とある(小学館プログレッシブ英和中辞典[第3版])。
 類義語は⇒や( )で表記しているようだし、▶は問題となる語法や文化的な背景の説明だという。では、この▷はいったい何なのか? まさにこの両者(両語)の関係(▷の意味)が知りたいのだが。
 
 いずれにしても、ホッブズ『リヴァイアサン』第1部と第2部を読み終えたという達成感は何とも言えず、心地よい。
 そうなると、第3部、第4部はどうしたものか・・・。水田氏の書誌情報によると、河出書房の<世界の大思想>シリーズに水田洋・田中浩共訳の『リヴァイアサン』の全訳があるらしいが、水田氏ご本人が「脱落が多い」と書いているのが気になる(『リヴァイアサン (1)』岩波文庫、385頁)。他人ごとのような書きぶりからすると、河出<世界の大思想>の『リヴァイアサン』は、ひょっとすると田中浩氏単独の翻訳なのではないかと思ったりもする。図書館で借りて読んでみよう。

 2021年 9月11日 記


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ホッブズ『リヴァイアサン』第1部

2021年09月10日 | 本と雑誌
 
 トマス・ホッブズ『リヴァイアサン (1)』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2014年)をようやく読み終えた。
 途中で旅行をしたり、『ビヒモス』を先に読んだり、クロムウェルやトマス・モアを描いた映画を見たりと、途中で何度も中断したため、3週間以上かかってしまった。
 訳文は前に読んだ同じ訳者による『リヴァイアサン(2)』と同様に、きわめて読みやすく分かりやすかったのだが、内容の理解は難しかった。

 本書には、原著 “Leviathan” の第1部「人間について」(“Of Man”)が収録されている。
 ホッブズは、政治的共同体(commonwealth)の成立を人間の本性から説き起こす。
 人間は、共通権力 (common power) が存在しない自然状態(natural condition)にあっては、万人の万人に対する戦争状態(condition・・・called war;as if of every man, against every man)に陥ってしまう(角田訳216-7頁、Oxford World's Classics,“Leviathan”, p.84)。そのため人々は、自己保存の権利(自分の生命や自由を守る権利)を一人格(one person,角田訳278頁~)に譲渡する契約に合意するのだが、本書に収録された第1部では、その前提となる人間の本性を分析し、人間の諸々の情動から演繹的に共通権力(common power)さらには政治的共同体(commonwealth”, “Leviathan”)が成立するに至る前提が論じられる。

 第1部の読み方については、訳者が「解説」で示した提案(読み飛ばし方)が説得的である(305頁~)。もしぼくがこの「解説」を先に読んでいたら、本文を読むことをスルーしてしまったかもしれない。
 読み終えたぼくの感想でも、第1章から第12章までは序章で、第13章「自然状態」からがクライマックスというか、高校世界史で得た知識、すなわち近代自然権思想と社会契約説の創始者という紋切り型のホッブズ理解を原典によって確認する部分といえる。
 今のぼくには時間が有り余っているので、愚直に第1章から第16章まで順番に読むことにした。

 第1章「感覚」(sense)から始まり、感覚をもった人間が「想像」し(第2章 imagination)、ついで人間相互間で言葉やサインを伝達する=「話す能力」を取得し(第4章 speech)、言語能力と論理的思考が可能となったことによって「推論と学問」が発展する(第5章 reason and science)。

 第6章「意志的な行動の契機としての情動・・・」(passions)からは第2楽章に入る。動物は生命維持のための様々な運動を行う。人間は心に何かを思い描くことによって意識的な運動を始動させる。始動の契機となるのは欲求(appetite)、欲望、愛着、反感、嫌悪、期待、憂慮などの情動(passions)である(97頁)。
 ホッブズが摘示する情動の項目には圧倒される(それぞれの関連性は理解の限りでなかったが)。
 すなわち、希望、絶望、恐れ、気概、憤慨、自信、義憤、善意、博愛、物欲、野心、小心、大様、豪勇、吝嗇、親切、情欲、色欲(“luxury” にこんな意味があるとは知らなかった)、熱愛、復讐心、好奇心、信仰・迷信、恐慌、感興、虚勢、無力感、涙、恥、不遜、憐憫、冷淡、そして熟考(deliberation)の末に、最終的な欲求として意思(will)が生じる(97~106頁)。
 ホッブズの議論において一番重要なのは、(社会)契約の基本要素となる「意思」(will)だが、「恐れ」(fear)も重要な情動だろう。人間が生命維持=自己保存のために必要な行動を各自が自由勝手に相手方に対して行使したなら、各自は相手方からも同じ行動(攻撃)を受ける恐れがある。この恐れを回避するために、人間は自己保存のための権利を放棄し、共通権力に譲渡することになるのだから。

 第8章「知力・・・」(intellectual)では、知力、想像力、判断力の優劣が論じられる。興味をひいたのは、「内心の思考にタブーはない」と言い(126頁)、並々ならぬ虚栄心(行きすぎた自尊心や自負心)は錯乱の原因となる情念であると言っている個所である(131頁)。
 そこにはキリスト教(カトリック)の倫理観からは独立した近代人の倫理が示されており、後半は、中島敦の「李陵」だったか「山月記」の、尊大な自尊心のために身を滅ぼして虎になってしまった男を思い起こさせる。
 第9章「学術分野の分類」、第10章「権力と位階」、第11章「行動様式」は、各々がここで論じられている意味を理解できなかった。第12章「宗教」も重要なのだろうが、同じく理解できなかった。そして最終楽章の第13章~第16章になる。

 第13章「人類の自然状態」(natural condition)。
 造物主は人間を能力において平等な存在として作った。しかしすべての人間が平等であると、自己保存という目的のための行動を万人がひとしく目指すことになり、他人はすべて敵となり、人は常に相手方から襲撃されることを恐れながら生きるしかない。
 万人を畏怖させる共通権力が成立しない限り、人間は戦争状態すなわち万人の万人に対する闘争状態に陥ってしまう。
 共通権力が存在しないところでは、正・不正はすべて各々が自分で判断することになるから、万人に共通の(正・不正の判断)基準は存在しない。共通権力のないところには法も存在しないから、正義も不正も存在しない。私の物とあなたの物の区別も存在しないから、所有(propriety)も支配(dominion)も存在しない。
 このような戦争状態から人々を解放し平和な生活にするために、理性(reason)は平和の要目たる自然法を教える(suggest)。

 第14章、第15章は「自然法」(laws of nature)の内容である。
 人は自分の生命を維持する目的で、自分が有する力を自分の判断と理性に従って発揮する自由を有する。この自由を自然権(jus naturale)という。
 自然法とは、理性によって発見された人間の行動規範である。人々の自己保存という目的を実現する手段として平和を命ずるのが自然法であるとも言うことができる(272頁)。
 自然法は、人が他人の生命を奪うことを禁じている。自然状態において各人はすべてのものを自由に扱う権利を有するが、理性=自然法は、まず第1に、各人が平和を求めて努力することを要求する。
 次いで、第2の自然法は、各人に、相手方に許容するのと同じだけの自由を許容する。すなわち(他の人々の同意を前提として)、各人は、すべてのものを自由に扱う権利を放棄しなければならない。その目的は各自の生命を守るためである。平和を乱す権利を第三者に譲渡することを命ずるのが第2の自然法であるとも言い換えられる(248頁)。
 第14章では、契約(の有効、無効)、権利の放棄、宣誓の意義などが語られるが、わが契約法と同趣旨のこともあれば、何のための議論か分からないところもある。無償の贈与(gift)についての興味深い言及もある(231頁~)。「贈与されたものだから返さなくてよい」と嘯いていたどこかの法科大学院生に読んでもらいたい。贈与は民法が定める契約類型の中でもっとも奥深い契約なのである。

 第15章は、第3の自然法から第19の自然法までが続く。
 第3の自然法は、契約は履行されるべしというものである。これなしには、万人の万人に対する戦争状態は解消されない。正・不正(justice,just and unjust)および所有権(propriety)が確立するためには、処罰されるという恐怖心によって契約の履行を確保する強制力(coercive power)すなわち政治的共同体(commonwealth)の成立が必要である。
 以下、第4の自然法として「報恩」、第5「協調性」、第6「赦し」・・・と第19の自然法まで続くのだが、訳者の「解説」が、ひとまず第3の自然法まででよいと書いている(311頁)のに便乗して、ぼくも第3の自然法で終わることにする。

 第16章「人格・・・」(person)においてホッブズは、人格には自然的人格(自然人だろう)と人為的(擬制的)人格(法人のことだろう)があるという。
 この章でホッブズは、政治的共同体が成立した場合の、政治的共同体(訳者は時おり「国家」という訳語もあてる)とその共同体の個々の構成員との関係を論ずる前提作業をしているように読める。
 政治的共同体も一つの人格であるが、それは必ずしも一個人(君主)である必要はなく、人民全体(選挙人団)であったり(人民主権)、議会構成員(議会主権)であったりすることを排除するものではない。したがって『リヴァイアサン』を執筆した1650年頃の時点において、ホッブズは君主主権を主張したわけではなく、人民主権や議会主権の可能性も排除してはいなかったと思う。
 晩年に書かれた『ビヒモス』(1670年代の執筆)では、明らかに君主主権を支持し、議会主権、人民主権を排除していると読めるが。
 
       

 
 --こんなことを書きながら、ぼくは大学2年生の時に、当時の自分には力不足だったにもかかわらず履修した「日本近代法史」という科目で、中村雄二郎、丸山眞男、石田雄氏らの論文を読んで、報告レジュメを作成していた頃を思い出した。定年を控えた身辺整理の際にそのレジュメが出てきたのだが、いずれも長々しい要約程度の内容であり、読み返すのも恥ずかしかった。
 今回の『リヴァイアサン』第1部も、同じ長々しい要約ではないかという思いが湧いてくる。しかし、ただ読むだけで済ませたのでは呆けてしまいそうなので、とにかく何かを書いておくことにした。

 ホッブズの意図したとおりに彼のロジックを理解できたとは思わないが、随所で印象的な文章や指摘に出会うことができた。例によって、ランダムに記しておく。
 「合理的な」(rational)という言葉の語源は、ラテン語の“rationes” で、「金銭勘定書」の意味であったという(65頁)。これなどはトリビアではあるが、ぼくの辞書(プログレッシブ英和中辞典)の語源欄には載っていなかった。「合理的」というのは便利な言葉だけれど、実は何も言っていなかったり何も論証していないことが多いが、もともとが金の勘定書のことだと知れば腹も立たない。

 ホッブズは、分割が不可能な場合や共同使用が不可能な場合に、くじ(lot)による決定の正当性を説く(269頁)。
 最近の選択的夫婦別姓論に対する(ためにする)批判として「子どもの氏はどうするのか」というのがある。確かに夫婦の氏で合意できない夫婦が子どもの氏で合意できるとは思えない。家裁裁判官が決めるという提案もあるが、家裁の裁判官にそのような能力があるとも思えない。前にも書いたが、「くじ」は法律問題の解決策の一つとして本気で検討してよいと思う。

 2021年9月10日 記


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トマス・モア『ユートピア』

2021年09月03日 | 本と雑誌
 
 トマス・モア『ユートピア』(平井正穂訳、岩波文庫)を読んだ。
 数日前に、トマス・モアの後半生を描いた映画『わが命つきるとも』を見て、彼に興味を抱いたのが動機である。

 アメリゴ・ヴェスプッチの航海に4回とも同行し、4回目の航海の際に帰国を拒んで航海先の赤道直下にある南洋の島国ユートピアに住み着いた船乗りラファエル・ヒスロディから、ユートピア国の風俗や法律などについて話を聞いたトマス・モアがその内容を書きとめた、という形式で叙述された作品である。
 1516年にラテン語で出版され、1551年に英訳本が出版されたとある。

 「・・・王者の徳において比肩するもののないわがイギリス国王ヘンリ8世陛下」から、カスティリア王との間の紛争について最終的な解決を図るよう命を受けたモアが、まずブルージュに向かいその後はアントワープに滞在している折に、同地でエラスムスの友人と出会い、彼が紹介するラファエルからユートピアの話を聞くことになった。
 ーーと、書き出しはヘンリ8世への阿りから始まる。
 このユートピアはまさに理想郷なのだが、地形や産業(生業)はイギリスそのもののように描かれている。ただ、政治制度と富の分配は当時のイギリスの現実とは全く異なっている。ユートピア国は、実はモアが考える理想のイギリスの姿なのであろう。

 ユートピアでは、財産の私有は廃止されており、全ての財産は国民の共有となっている。貨幣や貴金属に価値はなく、金は便器に使われ、宝石は赤子の首にぶら下げられている。人々は人間性と隣人愛に基づいて交際し、法律は必要最小限のものが一般人にも分かりやすい文章で規定されており、弁護士は存在せず、訴えのある者は直接裁判官に対して申し立てをすることができる(138頁)。
 ただし、私有財産を追放しないかぎり、ものの平等かつ公平な分担は行われず、われわれの完全な幸福も実現しないというラファエルに対して、モアは「一切のものが共有である所では、人間はかえって幸福な生活を営むことができないのではないか」、「自分の利益という観念があればこそ仕事にも精を出す・・・が、他人の労働を当てにする気持があれば、自然、人は怠け者にならざるをえません」と懸念を示している(64頁)。

 私有財産制を否定し、ものの共有を主張するモアは、まさに「空想的」社会主義者の先駆け(の1人)ではなかったのか。エンゲルス『空想から科学へ』ではサン・シモン、フーリエ、ロバート・オーウェンの3人を偉大な空想的社会主義者としているが(大月書店、国民文庫版59頁、寺沢恒信他訳)、「空想的」(Utopian)という言葉はまさにトマス・モアの本書に由来するものである。
 無為徒食の貴族やその従僕を批判し、農民、労働者や職人に正当な労働の対価を支払うべしという公平な分配を主張するモアは(82頁ほか随所)、「社会主義者」の資格もなくはない。
 ネット上には、『ユートピア』を架空の世界の物語であるとして、現実社会を出発点としたその後の「空想的」社会主義の論者と区別する意見も見られるが、『ユートピア』は赤道直下の架空の国に仮託しながら、実は当時のイギリス貴族社会を批判し、その変革の目標(=すべての人が公平な分配にあずかるコモンウェルス国家の実現)を語った本である。目標に至る行程と手段について具体的な提言が何も書かれていないのが弱点であり、限界だろうが。
 
 実はこの本は何十年か前に(手元にある岩波文庫は昭和50年の第26刷、200円)買ったまま放置してあったと思っていたが、今回読んでみると何か所かに読んだ形跡が認められた。すべて家族や結婚に関する記述の部分である。
 ルソー『エミール』もヘーゲル『法の哲学』なども同じような状態であった。どうもぼくは、このようなあまり感心しない読み方(つまみ読み)を続けてきたようだ。
 
 ユートピアでは、女は18歳、男は22歳になるまでは結婚することができない。結婚前の性交渉が明らかになった場合にはその男女は一生涯結婚することはできない。「この種の放縦な悖徳行為をきびしく取締らないかぎり、結婚の正しい愛情生活をいとなむ者が少なくなる」恐れがあるからであり、正しい結婚生活とは、一生涯ただ一人の配偶者と生活を共にし、艱難辛苦を耐え忍ぶことであるとモアはいう(132頁)。
 ところがモアは、男は婦人の気高い品性だけで満足できるものではなく、肉体上の欠陥が明らかになった場合には妻に対する愛情も消え去ってしまうので、ユートピアでは、夫婦となろうとする者は結婚前にお互いに自分の裸体を相手方に見せなければならない習慣になっているという(133頁)。エレン・ケイ『児童の世紀』(冨山房)では、生まれてくる子どものために結婚に際して夫婦は互いに健康診断書を交換しなければならないと書いていた。
 
 さらにモアは、結婚は神が二人を合わせたもうた秘蹟であるから離婚は禁止、婚姻は非解消というカトリックの教義に反して、一定の場合に離婚を認める。カトリックでも認められる相手方に姦通や異常行動があった場合だけでなく、円満を欠く夫婦が、ともに配偶者以外のうまくやっていけそうな相手を見つけ、お互いが十分に了解した場合には、市会の慎重な審議を経て離婚以外に解決の道はないと認められた場合には離婚できるという(134~5頁)。
 これもカトリック信者にしては驚くべき提案である。法律家としてのモアが、そのような理由による夫婦の不和の案件を多く経験したのだろう。ここまで言うのであれば、ヘンリー8世の離婚も何とかならなかったのか、と思うのだが。
 「離婚の自由」を説いたミルトンとモアはどちらが先の人間だったか。※ミルトンのほうが約100年後だった。

 映画『わが命つきるとも』では、家庭人としてのモアのすがたが描かれていたが、彼が家庭をいつくしんだことは、本書の初めのほうで、フランダースでの滞在が長期化したモアが、ラファエルの話を聞くうちに「故国や妻や子供を見たいという、やるせない気持も大分和らいだ」と書いていることからも伺うことができる(10頁)。
 ただし、『わが命・・・』に登場するモアの妻(二度目の妻か?)は、夫(モア)の言動に必ずしも共感的ではない。例えばモアが国王に抵抗して大法官を辞任する際に、妻は収入や使用人が減ることが不満で仏頂面をしていた。
 『ユートピア』にも、妻との関係がそれほど円満ではなかったことを想像させるような妻(一般)に対する皮肉な記述がどこかにあったが見つからなくなってしまった。引用するなということだろう。 

 奴隷の存在を認めたり、夫の妻に対する、また親の子に対する懲戒権を認めたり(135頁)、非同盟を唱えながら、戦争を否定せず、傭兵制度も認めている。また、女子は結婚すると大体婚家に行くが、男子は子々孫々に至るまで生家に留まり家長に従うなどという、時代の制約を受けた記述もみられる(90頁)。

 『ユートピア』が安楽死を肯定していることは安楽死論議の中で(肯定論者が)しばしば援用するところである。不治の病であり、猛烈な痛みを伴う場合という条件はあるが、司祭と役人が相談して彼らの側から病者に安楽死を提案し、その理由として、生き続けることは病者本人が苦しいだけでなく、他人に対しても大きな負担をかけることになると述べているあたりは(131頁)、モアが敬虔なカトリック信者であるだけに意外である。
 モア自身が、見るに見かねる末期の患者の苦しみを身近で体験したのだろうか。

 ユートピア国にもいろいろな宗教があるという(158頁)。人間愛が共有され隣人愛が実現している理想郷にあっては、人々は何の悩みもなく宗教の必要もないように思うが・・・。いま併行して読んでいるホッブズ『リヴァイアサン』でも信仰心は将来への不安から生じると言っている(角田安正訳『リヴァイアサン(1)』光文社古典新訳文庫、187頁~)。
 モアが言いたかったのは、ユートピアにおいては宗教選択の自由、信仰の自由が認められているということのようでもあるが、彼はキリスト教の布教を目ざしているようにも読めた(159頁~)。

 世界の中で真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウィール)の名に値するのはユートピアだけである。コモン・ウェルスを名のっている国は他にもあるが、実際にそれらの国で人々が追求しているのは個人繁栄(プライベイト・ウェルス)にすぎないとして、おそらく当時のイギリスの実情を厳しく批判して本書は終結に近づく(176~7頁)。
 批判の対象はヘンリー7世治下のイギリスだったのだろうが、このような本を著したトマス・モアを宮廷に招き、大法官にまで任命したヘンリー8世も豪胆な人物であった。わが国の宰相だったら学術会議会員にすらしなかっただろう。

 巻末に訳者の平井正穂氏による懇切なモアの経歴および時代背景の解説がついている。
 モアは1478年にロンドンで生まれた。父親は後に高等法院判事となる法律家だった。最初はオックスフォードで学んだが、父親の意向でリンカーン法学院で法学を学ぶことになる。1499年頃にエラスムスと出会い生涯の友となる。下院議員となり、ヘンリ7世を弾劾する。結婚をせずに聖職者の道を進むか世俗的に生きるか迷った挙句、1505年に結婚する(最初の妻は1511年に亡くなり再婚)。
 1510年にヘンリ7世が死亡し、ヘンリ8世が18歳で即位するが、その年モアはロンドン市の法律顧問に就任した。1515年には本書にもある通り、ヘンリ8世の命でフランダースに派遣される。ここで本書の第2部を執筆する(1516年出版)。帰国後は国王およびウルジ枢機卿(オーソン・ウェルズ!)の信望を得て宮廷に仕官し、ウルジの失脚後の1529年に、彼の後を襲って大法官となる。しかし最後まで国王の再婚を承認せず、1535年に反逆罪の罪名を着せられて斬首によって刑死することになる。映画によれば、彼の首は1か月間晒し首にされた後、娘マーガレットに引き取られ彼女によって守られたという。
 訳者はユーモアがモアの性格の重要な一要素であったと指摘し(202頁)、本書を中世の絶対主義から自らを解放しようとする近代人の自由宣言であると指摘する(203頁)。残念ながら、近代日本ではモアほどの法律家は今のところ現れていないと思う。

 『ユートピア』はたんなる南洋の未開社会の習俗の紹介というより、現実のイギリス社会を批判、風刺するという性格が強いが、それでも表面的には赤道直下の南洋の島に理想の社会を見い出している。 
 『ユートピア』だけでなく、ディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』をはじめ、ホッブズやロック、ルソーら近代自然権思想家の「自然状態」観には、大航海時代の記録に記された南洋などの未開の地の習俗の知見が与えた影響が大きいように思う。このことを論じた本はあるのだろうか。ぜひ読んでみたい。

 2021年9月3日 記


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