注:このポスティングはライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演をオペラハウスで観たものの感想です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。
『ホフマン物語』新演出の初日から、かれこれ2週間が経過し、HDの対象の公演がやって来ました。
初日の公演は、私を破産させる悪魔の囁き(連れの”これをブログで報告しないのかっ?”)に負け、
毒を喰らわば皿まで!の勢いで、滅多に座らない平土間席からどアップで、
アニメのキャラクターのようなキムのオランピアの可愛らしさ(もちろん歌も!)や
限りなくすっぽんぽんに近いダンサーの胸とお尻や、レヴァインのもしゃもしゃ頭などを堪能させて頂きました。
(注:ただし、すっぽんぽんについては、HDの日に関しては自己規制が入り、
女性の身につけているもののカバーアップ面積が大幅に増えてしまいました。)
レヴァインといえば、今年はまたいろいろな健康の問題に悩まされていて、
『トスカ』は確か初日だけ振って、あとはHDも含めてとんずらしてしまいましたし、
『ばらの騎士』はこれまたHDを含め、全てデ・ヴァールトに指揮を譲ることがすでに決定しています。
『ばらの騎士』を降板することになった理由の一部として、
今回の『ホフマン』に集中したいため、と説明がされていたんですが、
大体、『ホフマン』も後半はキーナンの指揮になっています。
実は、HDの一つ前の公演も、レヴァインが突然キャンセルをかまして、キーナンが代わりをつとめたので、
HDは大丈夫なんだろうか?と心配の声もあがっていましたが、
どうやら、今日のHDを兼ねた公演と、それから明日に予定されているメト・オケ
の演奏会のために(曲目がマーラーの5番だけに、、、)、大事をとって降板したもののようです。
ということで、彼が今プライオリティを置いているのは、シーズン初日、メト・オケの演奏会、HDの収録あたりで、
そのHDですら、トップ・プライオリティではなくなってきている有様ですので、
彼の指揮で公演を観たい、という方は、今後、その辺を読みつつ、チケットを買う必要があるかもしれません。
キーナンといえば、昨シーズンのリング・サイクルの『ラインの黄金』で、
公演開始予定時間を過ぎてから降板を決意したレヴァインの代わりにピットに入って、
公演を救った経緯がありますが、
両方の公演に居合わせた我らがオペラ警察によると、このキーナン、
『ラインの黄金』よりも、むしろ、『ホフマン』の方でオケをまとめるのに苦労している様子が見受けられたそうで、
『ホフマン』は、スコアの完成度が高い『ラインの黄金』とはまた違った面で、
指揮をするのが簡単でない作品です。
しかし、全世界の、映画館で鑑賞する人々にはおそらくラッキーなことに、
今日はレヴァインがちゃんと指揮台に這い上がってきました。
彼はもう立って長丁場の指揮をすることが出来なくなっているので、椅子に座って指揮をするんですが、
最近ではこの椅子に登る動作ですら危なっかしくてひやひやさせられます。
今回はグランド・ティアでの鑑賞で、平土間の時とは違って、舞台の全体をきちんと観ることができました。
それで何より気になったのは、シャー自身がリハーサル中に危惧していた通り、
この演出が舞台の空間をあまり上手く使えていないことです。
彼がメトで前回演出した『セヴィリヤの理髪師』は『ホフマン』以上に舞台がシンプルで、
プロップも少ないですが、同じ、”空間に何もない”のでも、
それが『セヴィリヤ』の時のように意図的で、かつ上手く計算されていると、シンプルさの中に良さも出ますが、
今回の『ホフマン』には、そこに何かがあるべきなのに忘れてしまったような、
”間に合わなかった”感が漂います。
シャー自身はレクチャーで一幕(オランピアの幕)がやばい、と言っていましたが、
私は今日、二幕(アントニアの幕)と三幕(ジュリエッタの幕)の方でむしろ、不完全さを感じました。
また、アントニアの幕で舞台の奥からしきつめられた布は、こうして上から見ると、かなり安っぽい。
三次元の空間を十全に使い切るという意味では、ゼッフィレッリとかシェンクのプロダクションというのは、
やはり、抜きん出たものがあって、オペラハウスの座っている場所によって、
あらが大きく見える、なんてことはまず起こらないし、座る場所によって、
それなりに違った面白さを提供してくれます。
ただ、このホフマンはHDのりはいいと思いますし、オペラハウスで観るなら平土間が向いている演出だと思います。
実際、これまでのHDも、グランド・ティアのような座席から見てもなお見応えのある、
もしくは伝わってくるものがある演出というのは、
かえって、HDなどの映像におさまると、その良さが十全には伝わらない、というジレンマをずっと感じています。
余談になりますが、つい先日、あの糞『トスカ』のテレビ放映がありました。
あれだけくさしておいて観てしまう私も何なんですが、
映像の方は舞台の上でアクションが起こっている部分だけをフォーカスすることにより、
実際の舞台よりはかなりましに見えているとは感じました。
舞台上の退屈な個所、わけのわからない個所は、編集で最初っからなかったようにしてしまえばいいんですから、
便利なものです。
余談ついでですが、NYタイムズによると、メトの2010年シーズンの『トスカ』に、
ゼッフィレッリの演出が、一部の公演か全部の公演かは未定ですが、
復活する可能性が出てきているようです。
表上の理由は、ルパージが製作している『ラインの黄金』のセットが巨大過ぎて、
ボンディの『トスカ』と同時期に上演することが不可能かもしれない、という説明なんですが、
まあ、それだけではないでしょう、おそらく。
(ゼッフィレッリの方が大きいんじゃ?という声もあるかもしれませんが、
セットは純粋な大きさだけではなく、どれ位分割しやすいか、とか、そういった要素もあるので、
そういう意味ではボンディのセットの方が場所取りである可能性はなくはありません。)
ゼッフィレッリもそのまま黙っておけば品位が保たれるものを、
この人も歳なんでしょうか?いつも一言多いというか、
”そんなロジスティックス上の理由は言い訳、言い訳。
メトは自分のしでかした間違いにやっと気が付いたのだよ。わっはっは。”ってなことを言っているそうです。
私は両演出を同じシーズンに、それも出来れば同じキャストでかけたら面白いんでは、と思います。
観客に判断させればいいでしょう、この際。
すっかり、『ホフマン物語』の公演の感想から脱線してしまいました。
使用されている版のことなどは、すでに初日の公演の記事に書きましたので、
今日は歌唱についての感想を主にしたいと思います。
こうして複数回(実演、シリウス含め)鑑賞しても、今だエキサイティングさが衰えていないのは、
なんと言ってもオランピアの幕で、演出がこの幕で最も完成しているような気がするのも、
もしかしたら、歌唱の内容が影響しているのかもしれません。
もちろん、その立役者はオランピア役のキャスリーン・キムです。
彼女の歌唱は完全無欠なわけではなく、高音が少し浅く響く時とか、
技巧が若干甘く入る部分(音がもたつく、など)もあるんですが、
しかし、この演技をしながら、かつこれほどの内容を伴った歌を歌っている、というのは、
やはり大変に評価されていいことのはずです。
シリウスなど、音だけで聴かれた方は、彼女のアリアがスタジオ録音盤のように
発声が均一でないのが気になられるかもしれませんが、
それはこのHDを観れば、謎が解けると思います。彼女はバレエのレッスンのような動きを間に入れながら、
このアリアを歌っているわけです。映像でそれを確認しながら音を聴くと、
そういったマイナーな音の不均質感はそれほど気にならないはずです。
ヘッズの中に、”彼女があまりに可愛いから、箱につめて、クリスマスに友達全員に送りたくなった!”
と言っていた人がいましたが、本当に言いえて妙な表現です。
というか、このHDのプレッシャー、しかもレヴァインやネトレプコといったビッグ・ネームに囲まれて、
ひきかえ、自身はほとんど無名であるというプレッシャーをはねのけ、観客を魅了しきったこの度胸はすごいもので、
こういうのが、オペラを鑑賞していて最も美しい、と感じる瞬間の一つなのです。
私が”Brava!"と叫ぶと、たちまち、隣に座っていたヘッドのおじ様が立ち上がって”Bravissima!!!!”
声の掛け合いで競い合う二匹のヘッズの図、なのでした。
そういう一世一代のチャンスをかけたキムの歌唱に比べると、正直、ネトレプコの歌唱は、
ダルいな、と思ってしまいます。彼女にしては良く役の準備はして来てはいるんですが。
実演で二度聴いて、オランピアの幕なら喜んでもう一度観ますが、
アントニアの幕はもういいかな、というのが本音です。
それはなぜかと考えるに、彼女のこの役での歌は、まだ”それらしさ”の圏から、
突き抜けられていないんじゃないかな、と思うのです。
彼女は結構器用なところがあって、特にこういった大舞台では、
それなりにまとめて歌ってしまえる歌手なんですが、
私は彼女がその次のところに進むのを、ずっと待っているというか、、、。
このHDの時は涙を流して歌っていたそうなんですが、涙はHDの観客の心を揺さぶれても、
グランド・ティアで観ているこの頑固ヘッドの心は揺さぶれません。
歌唱の内容、特に音の細かいコントロール、も初日の方が良かったと思います。
それでも、最後にはキムより大きな拍手をもらってしまうネトレプコ。
二匹並んだヘッズが、心の中でむむむむ、、、と思っているのは日の目を見るより明らかです。
けれども、今回は、私は特に、彼女のファンが大騒ぎしているだけ、とは思わなくて、
なぜ、彼女が大きい喝采を受けているか、その理由はわかる気がしています。
それは、声のパワー、これです。
パワーというのは、単純な大きさを言っているのではなくて、音としての声で客の心を掴む力、という意味で。
彼女は、何度も言うようなんですが、それを持っているんですよね。
これが彼女の人気があなどれない理由です。決してビジュアルだけじゃない面がある。
実際、私の周りには彼女が美人だろうと超ド不細工だろうと、全然どうでもいいわ!という、
そして、もしかしたら彼女が誰か知らないかもしれないようなタイプの、
お歳を召したお客さんが結構いましたが、彼女が歌い終わった後に、思わず溜息をもらしていました。
ということで、声の力や個性というのは、本当にあなどれないわけです。
もちろん、おじ様&私のヘッズ組は、声の個性だけで、キムの美声と努力の賜物の結晶より大きな拍手をもらうとは、、
と臍をかむ思いで見守っていたわけですが。
ちょっと意表をついた順番で、カレイヤに行きましょう。
彼に関しては、やはり初日は風邪から完全復調する途中だったのだと思われ、
今日の公演の方が、ずっとずっと声のコンディションは良く、スタミナの配分も非常に上手かったです。
彼に関しては、前回の記事で、ビブラートを極端にしたような、
独特な音を出す、という点について書いたと思うのですが、
これは、ヘッズたちの間でも、はっきりと欠陥だと感じる人と、彼の歌唱の個性の一つ、と見る向きとで、
真っ二つに意見が分かれています。
私は、今日のこのHDの公演がすごくいいサンプルになったと思うのですが、
プロローグのクラインザックの歌とエピローグで再び登場するその一部、
この二つに現れる高音を比べると、非常にわかりやすいと思います。
私は、プロローグで現れるような非常にはっきりとした、ほとんど、
”あわあわあわあわ”という表記で表現したくなるほどのそれは、
これは欠陥だと個人的には感じていて、本人も、そのように出そうとしているわけではないと思います。
本人の個性、というには、本人がそれを出す意志を持って出していなければならないと思うのですが、
この音は決してそうではないと思います。
実際、声が良く出るようになるにつれて、そのあわあわ音が消えていっているのがわかります。
そして、エピローグでのクラインザックの高音は、確かに人によっては、
ビブラートが強い、と感じる人がいるかもしれませんが、
これなら、私は彼の個性として受け入れることが出来る範囲です。
このように、いくつか気になった音はありますが、全体の歌唱レベルとしては悪くなく、
私は彼の歌唱スタイルそのものは結構好きなので、全編を通して楽しめました。
HDを観た人、またシリウスで音だけ聴いている人には非常に評価が高いリンゼーのミューズ/ニクラウスなんですが、
劇場では声量の問題がかなり足かせになっています。
モーツァルトの作品ではそんなに声量がないとは思わなかったので、
作品のオーケストレーションとの兼ね合いでしょうか?
彼女らしく役をまとめていて、好感は持てるのですが、(しかも、本人がとても可愛らしい好人物なだけに、、)
その一方で、ああ、これが予定通りガランチャだったなら、、という気持ちがふっと心を掠めたのも否定できません。
一番、しかし、残念なのは、ヘルドのヴィレインズかもしれないです。
気の毒なのは、彼自身は一生懸命役に取り組んでいて、声楽的にも大きな穴があるわけではない点です。
これはなんといえばいいのでしょう、、、メトでこの役を歌うには、個性がなさすぎるというか、、。
ま、直前までちゃんとスコアすら見なかった歌手の尻拭いをして、
ここまで言われるのは、割に合わないんですけれども。
でも、せっかくブレークする大、大、大チャンスだったと思うのですが、
何か自ら、自分はスターになるような器ではありません、と言っているような、
そんな印象を与えてしまっています。
もっと、もっと、突き抜けて演技して、それに歌唱をあわせていけば良かったのになあ、、
安全運転しすぎて失敗したような気がします。
その点も、キムはまず演技でなりふり構わず突き抜けてしまったことで、
オランピア役を非常に魅力的に見せているんですよね。
今シーズンの『ホフマン』で、役そのものが一番輝いているのも、彼女のオランピアなんです。
ニクラウスがメゾな上に、さらにメゾのジュリエッタを重ねて、
まったりした歌唱が一部のヘッズには不興を買っている、新演出のジュリエッタの幕ですが、
そういった好き嫌いの話を抜きにすると、今日のグバノーワの歌唱、これは悪くなかったです。
ニクラウスのリンゼーとの声量のバランスがすごく巧み、かつ、音のコントロールも初日より丁寧で、
これくらいの内容のものが聴けるなら、メゾonメゾもそう悪くはないかな、、と思ったり。
この幕は採用された音楽にも色々議論があるところなんですが、それに伴ってか、
他の幕に比べると、話自体も異様にさくさく進んで行く感じがあります。
なんだか、ジュリエッタの幕を削って、エピローグに専心しているような、そんな印象すら持ちます。
召使いセットを歌ったオーキは、すごいギャンブルに出て、
初日とは全然違う振付で、アントニアの幕のクプレを歌ったんですが、
これは必ずしも成功してなくて、少し空回ってしまった感があります。
例えば、繰り返しのヴァース(ダンスのことについて歌う個所)で、
初日は自分の片足をもう一方の片足で踏みつけて”ぎゃーっ!”と言って飛び上がっていたのが、
今回は前後開脚をして股を開きすぎた、という設定になっている、などです。
どうやったらもっと笑ってもらえるか、という飽くなき探究心は素晴らしいと思いますが、
この短期間で演技を入れ替えるのは、ちょっと冒険過ぎたかもしれません。
特に笑いをとる演技というのは、ちょっとした間とか、振りがポイントで、
これがちょっとでも変わると、全然笑えなくなったり、逆にものすごくおかしくなったりするので。
初日の方が面白かったと思います。
HDで、しかもレヴァインの指揮にしては、少しオケの演奏が散漫な感じがする個所があるのが意外でした。
もはや、HDはマジック・ワードではなくなってきているのかもしれません。
ただし、男性の合唱、これはいい音色でした。
プロローグは合唱がオケピに入っていたんですね。平土間で観たときは全然気付いてませんでした。
そうそう、それからbravissimaのヘッドのおじ様と最後の幕前に言葉を交わしたところ、
おじ様は最近のメトの演出が進んでいる方向に大変な杞憂を感じておられ、
この『ホフマン』の演出は”安っぽいブロードウェイ・ショーじゃ!”とお冠でした。
そして、ボンディのトスカに関してはさらりと、"piece of crap"。
イディオムとしては、くだらないもの、という意味ですが、crapには文字通り、”糞”という意味があって、
私がこのブログで連呼している”糞演出”とまさしく対応しています。
素敵なスーツを着こなしたおじ様からはその後も暴言の数々、、。
意気投合したのはいうまでもありません。
演出への暴言の一方で、レヴァインへの評価は高く、”彼の演奏は時に問題もあるが、
メト・オケから繊細で実に優しい音を引き出すことが出来るのは、彼だけなんだなあ。”とのことでした。
(別の日の公演になりますが、キムのオランピアのアリアの一部はこちらの記事で聴けます。)
Joseph Calleja (Hoffmann)
Kathleen Kim (Olympia)
Anna Netrebko (Antonia/Stella)
Ekaterina Gubanova (Giulietta)
Alan Held (Lindorf/Coppélius/Dappertutto/Dr. Miracle)
Kate Lindsey (Nicklausse/Muse)
Alan Oke (Andrès/Cochenille/Pitichinaccio/Frantz)
Dean Peterson (Luther/Crespel)
Rodell Rosel (Nathanael)
Michael Todd Simpson (Hermann)
Mark Schowalter (Spalanzani)
Michael Todd Simpson (Schlemil)
Wendy White (Mother's Voice)
Conductor: James Levine
Production: Bartlett Sher
Set design: Michael Yeargan
Costume design: Catherine Zuber
Lighting design: James F. Ingalls
Choreography: Dou Dou Huang
Gr Tier C Even
ON
*** オッフェンバック ホフマン物語 Offenbach Les Contes d'Hoffmann ***
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。
『ホフマン物語』新演出の初日から、かれこれ2週間が経過し、HDの対象の公演がやって来ました。
初日の公演は、私を破産させる悪魔の囁き(連れの”これをブログで報告しないのかっ?”)に負け、
毒を喰らわば皿まで!の勢いで、滅多に座らない平土間席からどアップで、
アニメのキャラクターのようなキムのオランピアの可愛らしさ(もちろん歌も!)や
限りなくすっぽんぽんに近いダンサーの胸とお尻や、レヴァインのもしゃもしゃ頭などを堪能させて頂きました。
(注:ただし、すっぽんぽんについては、HDの日に関しては自己規制が入り、
女性の身につけているもののカバーアップ面積が大幅に増えてしまいました。)
レヴァインといえば、今年はまたいろいろな健康の問題に悩まされていて、
『トスカ』は確か初日だけ振って、あとはHDも含めてとんずらしてしまいましたし、
『ばらの騎士』はこれまたHDを含め、全てデ・ヴァールトに指揮を譲ることがすでに決定しています。
『ばらの騎士』を降板することになった理由の一部として、
今回の『ホフマン』に集中したいため、と説明がされていたんですが、
大体、『ホフマン』も後半はキーナンの指揮になっています。
実は、HDの一つ前の公演も、レヴァインが突然キャンセルをかまして、キーナンが代わりをつとめたので、
HDは大丈夫なんだろうか?と心配の声もあがっていましたが、
どうやら、今日のHDを兼ねた公演と、それから明日に予定されているメト・オケ
の演奏会のために(曲目がマーラーの5番だけに、、、)、大事をとって降板したもののようです。
ということで、彼が今プライオリティを置いているのは、シーズン初日、メト・オケの演奏会、HDの収録あたりで、
そのHDですら、トップ・プライオリティではなくなってきている有様ですので、
彼の指揮で公演を観たい、という方は、今後、その辺を読みつつ、チケットを買う必要があるかもしれません。
キーナンといえば、昨シーズンのリング・サイクルの『ラインの黄金』で、
公演開始予定時間を過ぎてから降板を決意したレヴァインの代わりにピットに入って、
公演を救った経緯がありますが、
両方の公演に居合わせた我らがオペラ警察によると、このキーナン、
『ラインの黄金』よりも、むしろ、『ホフマン』の方でオケをまとめるのに苦労している様子が見受けられたそうで、
『ホフマン』は、スコアの完成度が高い『ラインの黄金』とはまた違った面で、
指揮をするのが簡単でない作品です。
しかし、全世界の、映画館で鑑賞する人々にはおそらくラッキーなことに、
今日はレヴァインがちゃんと指揮台に這い上がってきました。
彼はもう立って長丁場の指揮をすることが出来なくなっているので、椅子に座って指揮をするんですが、
最近ではこの椅子に登る動作ですら危なっかしくてひやひやさせられます。
今回はグランド・ティアでの鑑賞で、平土間の時とは違って、舞台の全体をきちんと観ることができました。
それで何より気になったのは、シャー自身がリハーサル中に危惧していた通り、
この演出が舞台の空間をあまり上手く使えていないことです。
彼がメトで前回演出した『セヴィリヤの理髪師』は『ホフマン』以上に舞台がシンプルで、
プロップも少ないですが、同じ、”空間に何もない”のでも、
それが『セヴィリヤ』の時のように意図的で、かつ上手く計算されていると、シンプルさの中に良さも出ますが、
今回の『ホフマン』には、そこに何かがあるべきなのに忘れてしまったような、
”間に合わなかった”感が漂います。
シャー自身はレクチャーで一幕(オランピアの幕)がやばい、と言っていましたが、
私は今日、二幕(アントニアの幕)と三幕(ジュリエッタの幕)の方でむしろ、不完全さを感じました。
また、アントニアの幕で舞台の奥からしきつめられた布は、こうして上から見ると、かなり安っぽい。
三次元の空間を十全に使い切るという意味では、ゼッフィレッリとかシェンクのプロダクションというのは、
やはり、抜きん出たものがあって、オペラハウスの座っている場所によって、
あらが大きく見える、なんてことはまず起こらないし、座る場所によって、
それなりに違った面白さを提供してくれます。
ただ、このホフマンはHDのりはいいと思いますし、オペラハウスで観るなら平土間が向いている演出だと思います。
実際、これまでのHDも、グランド・ティアのような座席から見てもなお見応えのある、
もしくは伝わってくるものがある演出というのは、
かえって、HDなどの映像におさまると、その良さが十全には伝わらない、というジレンマをずっと感じています。
余談になりますが、つい先日、あの糞『トスカ』のテレビ放映がありました。
あれだけくさしておいて観てしまう私も何なんですが、
映像の方は舞台の上でアクションが起こっている部分だけをフォーカスすることにより、
実際の舞台よりはかなりましに見えているとは感じました。
舞台上の退屈な個所、わけのわからない個所は、編集で最初っからなかったようにしてしまえばいいんですから、
便利なものです。
余談ついでですが、NYタイムズによると、メトの2010年シーズンの『トスカ』に、
ゼッフィレッリの演出が、一部の公演か全部の公演かは未定ですが、
復活する可能性が出てきているようです。
表上の理由は、ルパージが製作している『ラインの黄金』のセットが巨大過ぎて、
ボンディの『トスカ』と同時期に上演することが不可能かもしれない、という説明なんですが、
まあ、それだけではないでしょう、おそらく。
(ゼッフィレッリの方が大きいんじゃ?という声もあるかもしれませんが、
セットは純粋な大きさだけではなく、どれ位分割しやすいか、とか、そういった要素もあるので、
そういう意味ではボンディのセットの方が場所取りである可能性はなくはありません。)
ゼッフィレッリもそのまま黙っておけば品位が保たれるものを、
この人も歳なんでしょうか?いつも一言多いというか、
”そんなロジスティックス上の理由は言い訳、言い訳。
メトは自分のしでかした間違いにやっと気が付いたのだよ。わっはっは。”ってなことを言っているそうです。
私は両演出を同じシーズンに、それも出来れば同じキャストでかけたら面白いんでは、と思います。
観客に判断させればいいでしょう、この際。
すっかり、『ホフマン物語』の公演の感想から脱線してしまいました。
使用されている版のことなどは、すでに初日の公演の記事に書きましたので、
今日は歌唱についての感想を主にしたいと思います。
こうして複数回(実演、シリウス含め)鑑賞しても、今だエキサイティングさが衰えていないのは、
なんと言ってもオランピアの幕で、演出がこの幕で最も完成しているような気がするのも、
もしかしたら、歌唱の内容が影響しているのかもしれません。
もちろん、その立役者はオランピア役のキャスリーン・キムです。
彼女の歌唱は完全無欠なわけではなく、高音が少し浅く響く時とか、
技巧が若干甘く入る部分(音がもたつく、など)もあるんですが、
しかし、この演技をしながら、かつこれほどの内容を伴った歌を歌っている、というのは、
やはり大変に評価されていいことのはずです。
シリウスなど、音だけで聴かれた方は、彼女のアリアがスタジオ録音盤のように
発声が均一でないのが気になられるかもしれませんが、
それはこのHDを観れば、謎が解けると思います。彼女はバレエのレッスンのような動きを間に入れながら、
このアリアを歌っているわけです。映像でそれを確認しながら音を聴くと、
そういったマイナーな音の不均質感はそれほど気にならないはずです。
ヘッズの中に、”彼女があまりに可愛いから、箱につめて、クリスマスに友達全員に送りたくなった!”
と言っていた人がいましたが、本当に言いえて妙な表現です。
というか、このHDのプレッシャー、しかもレヴァインやネトレプコといったビッグ・ネームに囲まれて、
ひきかえ、自身はほとんど無名であるというプレッシャーをはねのけ、観客を魅了しきったこの度胸はすごいもので、
こういうのが、オペラを鑑賞していて最も美しい、と感じる瞬間の一つなのです。
私が”Brava!"と叫ぶと、たちまち、隣に座っていたヘッドのおじ様が立ち上がって”Bravissima!!!!”
声の掛け合いで競い合う二匹のヘッズの図、なのでした。
そういう一世一代のチャンスをかけたキムの歌唱に比べると、正直、ネトレプコの歌唱は、
ダルいな、と思ってしまいます。彼女にしては良く役の準備はして来てはいるんですが。
実演で二度聴いて、オランピアの幕なら喜んでもう一度観ますが、
アントニアの幕はもういいかな、というのが本音です。
それはなぜかと考えるに、彼女のこの役での歌は、まだ”それらしさ”の圏から、
突き抜けられていないんじゃないかな、と思うのです。
彼女は結構器用なところがあって、特にこういった大舞台では、
それなりにまとめて歌ってしまえる歌手なんですが、
私は彼女がその次のところに進むのを、ずっと待っているというか、、、。
このHDの時は涙を流して歌っていたそうなんですが、涙はHDの観客の心を揺さぶれても、
グランド・ティアで観ているこの頑固ヘッドの心は揺さぶれません。
歌唱の内容、特に音の細かいコントロール、も初日の方が良かったと思います。
それでも、最後にはキムより大きな拍手をもらってしまうネトレプコ。
二匹並んだヘッズが、心の中でむむむむ、、、と思っているのは日の目を見るより明らかです。
けれども、今回は、私は特に、彼女のファンが大騒ぎしているだけ、とは思わなくて、
なぜ、彼女が大きい喝采を受けているか、その理由はわかる気がしています。
それは、声のパワー、これです。
パワーというのは、単純な大きさを言っているのではなくて、音としての声で客の心を掴む力、という意味で。
彼女は、何度も言うようなんですが、それを持っているんですよね。
これが彼女の人気があなどれない理由です。決してビジュアルだけじゃない面がある。
実際、私の周りには彼女が美人だろうと超ド不細工だろうと、全然どうでもいいわ!という、
そして、もしかしたら彼女が誰か知らないかもしれないようなタイプの、
お歳を召したお客さんが結構いましたが、彼女が歌い終わった後に、思わず溜息をもらしていました。
ということで、声の力や個性というのは、本当にあなどれないわけです。
もちろん、おじ様&私のヘッズ組は、声の個性だけで、キムの美声と努力の賜物の結晶より大きな拍手をもらうとは、、
と臍をかむ思いで見守っていたわけですが。
ちょっと意表をついた順番で、カレイヤに行きましょう。
彼に関しては、やはり初日は風邪から完全復調する途中だったのだと思われ、
今日の公演の方が、ずっとずっと声のコンディションは良く、スタミナの配分も非常に上手かったです。
彼に関しては、前回の記事で、ビブラートを極端にしたような、
独特な音を出す、という点について書いたと思うのですが、
これは、ヘッズたちの間でも、はっきりと欠陥だと感じる人と、彼の歌唱の個性の一つ、と見る向きとで、
真っ二つに意見が分かれています。
私は、今日のこのHDの公演がすごくいいサンプルになったと思うのですが、
プロローグのクラインザックの歌とエピローグで再び登場するその一部、
この二つに現れる高音を比べると、非常にわかりやすいと思います。
私は、プロローグで現れるような非常にはっきりとした、ほとんど、
”あわあわあわあわ”という表記で表現したくなるほどのそれは、
これは欠陥だと個人的には感じていて、本人も、そのように出そうとしているわけではないと思います。
本人の個性、というには、本人がそれを出す意志を持って出していなければならないと思うのですが、
この音は決してそうではないと思います。
実際、声が良く出るようになるにつれて、そのあわあわ音が消えていっているのがわかります。
そして、エピローグでのクラインザックの高音は、確かに人によっては、
ビブラートが強い、と感じる人がいるかもしれませんが、
これなら、私は彼の個性として受け入れることが出来る範囲です。
このように、いくつか気になった音はありますが、全体の歌唱レベルとしては悪くなく、
私は彼の歌唱スタイルそのものは結構好きなので、全編を通して楽しめました。
HDを観た人、またシリウスで音だけ聴いている人には非常に評価が高いリンゼーのミューズ/ニクラウスなんですが、
劇場では声量の問題がかなり足かせになっています。
モーツァルトの作品ではそんなに声量がないとは思わなかったので、
作品のオーケストレーションとの兼ね合いでしょうか?
彼女らしく役をまとめていて、好感は持てるのですが、(しかも、本人がとても可愛らしい好人物なだけに、、)
その一方で、ああ、これが予定通りガランチャだったなら、、という気持ちがふっと心を掠めたのも否定できません。
一番、しかし、残念なのは、ヘルドのヴィレインズかもしれないです。
気の毒なのは、彼自身は一生懸命役に取り組んでいて、声楽的にも大きな穴があるわけではない点です。
これはなんといえばいいのでしょう、、、メトでこの役を歌うには、個性がなさすぎるというか、、。
ま、直前までちゃんとスコアすら見なかった歌手の尻拭いをして、
ここまで言われるのは、割に合わないんですけれども。
でも、せっかくブレークする大、大、大チャンスだったと思うのですが、
何か自ら、自分はスターになるような器ではありません、と言っているような、
そんな印象を与えてしまっています。
もっと、もっと、突き抜けて演技して、それに歌唱をあわせていけば良かったのになあ、、
安全運転しすぎて失敗したような気がします。
その点も、キムはまず演技でなりふり構わず突き抜けてしまったことで、
オランピア役を非常に魅力的に見せているんですよね。
今シーズンの『ホフマン』で、役そのものが一番輝いているのも、彼女のオランピアなんです。
ニクラウスがメゾな上に、さらにメゾのジュリエッタを重ねて、
まったりした歌唱が一部のヘッズには不興を買っている、新演出のジュリエッタの幕ですが、
そういった好き嫌いの話を抜きにすると、今日のグバノーワの歌唱、これは悪くなかったです。
ニクラウスのリンゼーとの声量のバランスがすごく巧み、かつ、音のコントロールも初日より丁寧で、
これくらいの内容のものが聴けるなら、メゾonメゾもそう悪くはないかな、、と思ったり。
この幕は採用された音楽にも色々議論があるところなんですが、それに伴ってか、
他の幕に比べると、話自体も異様にさくさく進んで行く感じがあります。
なんだか、ジュリエッタの幕を削って、エピローグに専心しているような、そんな印象すら持ちます。
召使いセットを歌ったオーキは、すごいギャンブルに出て、
初日とは全然違う振付で、アントニアの幕のクプレを歌ったんですが、
これは必ずしも成功してなくて、少し空回ってしまった感があります。
例えば、繰り返しのヴァース(ダンスのことについて歌う個所)で、
初日は自分の片足をもう一方の片足で踏みつけて”ぎゃーっ!”と言って飛び上がっていたのが、
今回は前後開脚をして股を開きすぎた、という設定になっている、などです。
どうやったらもっと笑ってもらえるか、という飽くなき探究心は素晴らしいと思いますが、
この短期間で演技を入れ替えるのは、ちょっと冒険過ぎたかもしれません。
特に笑いをとる演技というのは、ちょっとした間とか、振りがポイントで、
これがちょっとでも変わると、全然笑えなくなったり、逆にものすごくおかしくなったりするので。
初日の方が面白かったと思います。
HDで、しかもレヴァインの指揮にしては、少しオケの演奏が散漫な感じがする個所があるのが意外でした。
もはや、HDはマジック・ワードではなくなってきているのかもしれません。
ただし、男性の合唱、これはいい音色でした。
プロローグは合唱がオケピに入っていたんですね。平土間で観たときは全然気付いてませんでした。
そうそう、それからbravissimaのヘッドのおじ様と最後の幕前に言葉を交わしたところ、
おじ様は最近のメトの演出が進んでいる方向に大変な杞憂を感じておられ、
この『ホフマン』の演出は”安っぽいブロードウェイ・ショーじゃ!”とお冠でした。
そして、ボンディのトスカに関してはさらりと、"piece of crap"。
イディオムとしては、くだらないもの、という意味ですが、crapには文字通り、”糞”という意味があって、
私がこのブログで連呼している”糞演出”とまさしく対応しています。
素敵なスーツを着こなしたおじ様からはその後も暴言の数々、、。
意気投合したのはいうまでもありません。
演出への暴言の一方で、レヴァインへの評価は高く、”彼の演奏は時に問題もあるが、
メト・オケから繊細で実に優しい音を引き出すことが出来るのは、彼だけなんだなあ。”とのことでした。
(別の日の公演になりますが、キムのオランピアのアリアの一部はこちらの記事で聴けます。)
Joseph Calleja (Hoffmann)
Kathleen Kim (Olympia)
Anna Netrebko (Antonia/Stella)
Ekaterina Gubanova (Giulietta)
Alan Held (Lindorf/Coppélius/Dappertutto/Dr. Miracle)
Kate Lindsey (Nicklausse/Muse)
Alan Oke (Andrès/Cochenille/Pitichinaccio/Frantz)
Dean Peterson (Luther/Crespel)
Rodell Rosel (Nathanael)
Michael Todd Simpson (Hermann)
Mark Schowalter (Spalanzani)
Michael Todd Simpson (Schlemil)
Wendy White (Mother's Voice)
Conductor: James Levine
Production: Bartlett Sher
Set design: Michael Yeargan
Costume design: Catherine Zuber
Lighting design: James F. Ingalls
Choreography: Dou Dou Huang
Gr Tier C Even
ON
*** オッフェンバック ホフマン物語 Offenbach Les Contes d'Hoffmann ***
それに比べてレヴァインは可哀想ですね。
一時的なものだといいんですが、、、
小澤征爾みたく一時休暇をとった方がいいのかも、、、
本当にそろそろ次の音楽監督を思案しなくてはいけなくなってきているんですね。
そして質問なのですが
>ルパージが製作している『ラインの黄金』のセットが巨大過ぎて、
>ボンディの『トスカ』と同時期に上演することが不可能かもしれない、
新国みたく一ヶ月に一つの演目では済まないメトは同時に上演するほかのセットはどこに収納するんですか?
リンカーンセンターに倉庫が?なんだか考えづらいです。
やはりメトの舞台裏に置いておくのでしょうか?
最近部活が忙しいせいで普段の学校生活よりも多忙な日々を過ごしております。
クリスマスも部活で消えます、、、別に彼女がいるわけでもないですが、、、
ローマでは一言多いどころかいろいろもめているようですよ。
ダニエラ・デッシーとファビオ・アルミリアートとは訴訟に発展するような事態になっています。
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2009-12-05
メトのトスカは、来シーズンは予定では、ウルマーナとゲオルギューのようですから、ゲオルギューがゼッフィレッリの演出舞台じゃないと出ないわよ....なんて言った....なんてことはないかしら?
《ホフマン物語》は、19日の録音を聞いてみました。カレイヤは、多分はじめてだと思いますが、高音だけでなくまんべんなくビブラートがかかっているようにも聞こえます。ビブラートじゃなくて響いてるだけかな.....
今、ダッペルトゥットの「鏡の歌」でしたが、最後を上げて終わりませんでしたよ。全音下げでも終わりはFa♯で派手に上げるのが一般的ですが、Reで地味に終わりましたね。
bokuさんて男の子だったんですね。
なぜかずっとボーイッシュな女の子だと思ってました
>メトのトスカは、来シーズンは予定では、ウルマーナとゲオルギュー
ウルマーナのトスカ?
なんだかピンとこないです。
でももしかしたら可愛いトスカになるのですかね~。
>リンカーンセンターに倉庫が?
ニュー・ジャージーに倉庫があるんですよ。
基本的には毎公演ごとにセットの大部分は解体してその倉庫に行きます。
毎日、終演後にオペラハウスの裏には大きなトラックがとまってます。
あと、メトは舞台裏とステージが回転式の大きなエレベーターみたいな仕組みになっていて、
それを使って、舞台の裏とか横手とか、また地下(セットごとさげてしまう)に降ろすこともできます。
なので、それで言うと、トスカとラインを両立できないというのは、
それらをマチネと夜の連続で上演するのでもない限り、
ちょっと辻褄が合わない部分もあるんですよね。
それがゼッフィレッリをして、”言い訳、言い訳”と言わせているのだと思いますし、
実際、ただの口実なのかもしれませんし、
なんともいえません。
>別に彼女がいるわけでもないですが、、、
あらら、bokuさん、そんなしんみりと、、。
クリスマス・ブルーですか?
ヘッド人生には、彼氏や彼女がいない方が幸いだったりしますよ。
空いた時間、目一杯オペラに使えますしね!
”なんで、そんなの見てんの!”なんてうざい彼女に言われることもないのです!
いやー、世界中で暴れまくってますね、ゼッフィレッリ翁。
この人って昔からこんなキャラでしたっけ?
最近の暴走ぶりは目に余るものがありますね。
なんか、多分、このローマ事件の釈明のためか、
メディアを相手にインタビューを受けた時に、
怒鳴りあいの大喧嘩になった様子は耳にしました。
メトなんかでは、段々と新しい演出家に自分の演出が取って代わられるので、
きりきりしている部分もあるのかもしれないですね。
>ゲオルギューがゼッフィレッリの演出舞台じゃないと出ないわよ....
ああー、それはグッド・ポイントですね。
いいそう、いいそう、ゲオルギュー。
そして、noと言えなさそう、言えなさそう、ゲルプ支配人。
あれほど、ゼッフィレッリ演出に逆戻りすることはない!と啖呵をきっていたゲルプ氏ですが、
パトロンに先に情報をリークされちゃ、手も足も出ない、って感じです。
それにしても、ウルマナのトスカって、これまた、マッティラに負けないくらい、
魅力を感じないですね、、。
>カレイヤ
>高音だけでなくまんべんなくビブラートがかかっているようにも
そう、そうなんです。
これが彼の発声の特徴なんですよね。
これは、かなり強いビブラートだからすごく気になる!という人と、
個性のうち、ととれる人とで、
意見が真っ二つにわかれてる状態なんです。
どの音域にもビブラートの傾向はあるんですが、
一番それが顕著になるのが、高音の一部の音で、
(発声の仕方ではそれほど顕著にならない場合もある)
これは、もうビブラートどころの騒ぎでなく、
すっごく変わった音なんですよ。
うわうわうわ、、ていうような、、。
ここに至ると私はもう個性としては絶対に片付けられないレベルですね。
他の音域は、許容できる範囲なんですけど。
>最後を上げて終わりませんでしたよ
あ、これ、前回の感想にも書いてなかったですよね。
大変、失礼いたしました。
突然の代役で頑張っている彼をかばいたい心理が無意識に働いているんでしょうか、、?
こちらでも、これにはがっかりした、と言っていた人が結構いました。
でも、彼はなんといっても、ヴィレインズの怪しさが全く出ていない、
この点が最大にして最悪の欠点になっていますね。
ライモンディがヴィレインズに扮しているDVDを購入したものの、
まだ見てないんですよー。
写真では面白そうな演出に見えるので早く観たいんですけど!
>勘違い
って、それもまた、かなり長い間でしたね(笑)
良かった、良かった、年明け前にbokuさんの正体が割れて!
>ウルマーナのトスカ?
>なんだかピンとこないです
全くもって同感です!
ウルマーナが相手なら、多少年を食っていようが、
デッシーの方が全然雰囲気だと思いますけどね。
(詳しくは、keyakiさんのブログを。)
幸田浩子さんのオランピアのほうが、はるかに素晴らしいです。
http://www.youtube.com/watch?v=TUTvc7CrhqI
ボーイッシュな女の子・・・実際はただの男の子でした~(こういうところから誤解が?、、、)
ここ数年めきめきと身長が伸び、ずいぶん肩幅が出来てしまったのでNYはともかく日本だとかなり目立つんですよね。
彼女は、、、同年代の女性との出会いすらも”皆無”ですから(男子校でして)しばらくは幸せなヘッズ人生を送れそうです、、、
その時の写真を見て「ウルマーナさん、やっぱりかわいくないというかこれでも小柄ならなんとかなるでしょうけど・・・・」なんて書いてます。
この時の演出がけっこう面白くて、現代版なんですけど、スカルピアの執務室にはテレビがあるんです。トスカが来る前に、スカルピアはテレビの取材に応じているという設定で、トスカが、スカルピアを殺した後、ふと我に返りテレビを見ると、そこには、やさしくほほえみながら話す紳士的なスカルピアが.....
なんて演出だったそうです。
私のブログに写真があります。
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2005-05-12
また素人丸出しの質問で失礼します。以前のキャンセル騒動の後くらいに疑問に思ったのですが、質問するタイミングを逃してしまっていたので、ちょうどこの話題が出てる機会に質問させてください。
Scintille, diamantのスコアを見ると、最後はミとソ#が重なってますよね?声楽ソロでは両方同時に出すことを意味しているわけがないと思うので、これはスコアの意図としては、どちらかを選べという理解でよいでしょうか(すいません、こんなレベルで・・・)。それなら何故ミが指定されてるのに半音下げとか全音下げとか、そういう選択肢が出てくるのでしょう?既に上げることが慣習化している?観客が、Scintille, diamantの最後といえば上げるものだと待ち構えているから、期待に応えて中途半端でも上げようとする?
レというのは、実はミの書き間違いで、スコア通りに歌っただけじゃないでしょうか。私は放送を聴いていないので、本当にレだったのかもしれませんが・・・・
参考にしたスコアはこちらです。
http://www.dlib.indiana.edu/variations/scores/bhr7120/large/index.html
ちなみに、私も、bokuさんは女の子だとずっと思い込んでいて、なんかのときに(たぶん学校が男子校という話題で)判明して驚いた記憶があります。