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音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DIE WALKURE (Sat Mtn, Feb 2, 2008) Part II

2008-02-02 | メトロポリタン・オペラ
<Part I から続く>

さて、その不穏なシーンは、厳しい岩山のなかで進んでいきます。
うしろに、ひっきりなしにたなびいていく、黒い雲が印象的。
今日の公演のインターミッションでは、
たまたまテーブルが一緒になったオペラヘッドの初老の男性と話がもりあがり、
メールアドレスまで頂いてしまったので、ぜひこれからも親交を深めたいと思うのですが、
その方は、指環の初体験がバイロイトだったそうで(くーっ!うらやましい!!)、
ヴィーラント・ワーグナー(作曲したワーグナーの子孫)が演出したその指環では、
色のついた光が舞台の上を流れていくような効果を取り入れていたそうで、
この雲のシーンは彼の演出の影響を感じたそうです。
さらに、ハドソン・リバー派といわれる絵画の一派があるらしく、
(ハドソン川はマンハッタンの西側を流れている川)その流派の絵も、
私は見たことがないのですが、色が流れるような筆致が特徴だそうで、
シェンクは、この二つを合体させたのではないか、というのがおじ様のご意見でした。興味深い。


(岩山を流れる雲。)

リサ・ガスティーンは、オーストラリア出身。
ワーグナーの重たい役を歌えるソプラノが少ないこともあって、
一気に需要が増してあちこちでひっぱりだこのようですが、
彼女をもってしても、ブリュンヒルデ役を真に歌いこなしてはいないように思いました。
ワルキューレの騎行のシーンでもおなじみの、”ホーヨートーホー”
(ただし、三幕のそれではブリュンヒルデはこのフレーズは歌わないので、
ニ幕でしっかり聞いておかなければならない。)は、
音が上昇する部分の声の処理の仕方に上手さが出ているように思いましたが、
声そのものは、あの大きな体から出ているとは思えないほど線が細い。
三幕で登場する、他のワルキューレたちと完全に同化してしまいます、これでは。
ベーム盤でこのブリュンヒルデ役を歌っているのは、天下のビルギット・ニルソンなので、
あまりにも期待が大きすぎたのかもしれませんが、ニルソンみたいに歌える人が
いつになったら出てきてくれるのだろう?と思ってしまいます。


(ブリュンヒルデ役のリサ・ガスティーン)

ヴォータンを演じたジェームズ・モリス。
この人は身長があって、見た目も素敵なので、舞台での存在感は抜群。
DVDでの彼はあまりに若すぎて、役に食われてしまっているような印象がありましたが、
むしろ、今回の公演の方が、なんともいえない枯れた味わいが出ていて、すっかり
神様の長らしくなっていました。
しかし、歌手には往々にしてある悲劇ですが、そうやって、存在感や演技が役に追いついた時には、
声の方が衰えだしている、というケースがあって、
モリスも昨年のマイスタージンガーで全く同じことを感じたのですが、
出だしは声量も十分なのですが、中盤から後にかけてを乗りきるスタミナに欠けています。



DVDは80年代の公演なのですが、そのころにかぶっていた、へんてこりんなかつらはいただけない、と思っていたら、
(神様のくせに、どこかのヘアサロンに行ってきたような妙な作りこんだヘアスタイルがとっても変!)
今回は、ナチュラルな地毛でとっても素敵でした。
演技、存在感、表現がものすごくいいだけに、歌での衰えが本当に残念です。

二幕からは、ひたすらブリュンヒルデが魅力的。
いやー、キーロフで見た『神々の黄昏』のゴスっ子にこんな過去があったとは、、。
父親ヴォータンのお気に入りだった、従順な娘が、
ジークムントとジークリンデの愛を見て、心を動かされ、
初めて、父親の意志に反して、自分の感情に正直に行動する。
また、見ようによっては、ある意味、ブリュンヒルデにとって、ジークムントは、
初恋の人(しかし思いっきり片思い)のようにもとれます。
自分が好きになった人のために、その人の大事な人(ジークリンデ)を命を張って守る、、
なかなか泣かせるではありませんか!ブリュンヒルデ。
こちらのブリュンヒルデを見れば見るほど、あのキーロフのはすっぱなブリュンヒルデは、違和感あります。
しかも、彼女のそのおかげで、ヴォータンは、ジークフリート
(ジークリンデがおなかに宿しているジークムントとの子供。
『ワルキューレ』に続く、『ジークフリート』では、
このジークフリートが、ブリュンヒルデと結ばれるのである!)
という、新しいヒーローにチャンスを賭けることができるわけで、
(しかし、やっぱり指環の呪いによって、ジークフリートも『神々の黄昏』で命を落とすのですが)
彼女の、ジークムントを助けようとしたのは、
”お父さんが自分の気持ちに正直にならないから、私がかわりに実行したまで!”という主張もあながち見当はずれではないのです。

三幕での、ヴォータンがブリュンヒルデを勘当するシーンは、この作品の中の白眉の場面。
ブリュンヒルデの、若さゆえの一途な主張もいじらしければ、
ヴォータンの、自分の立場ゆえのにっちもさっちにもいかなさ、
ブリュンヒルデよりもよっぽど世間を知っていて、先を見通す能力をもっている、
それゆえに自分の気持ちを犠牲にしても下さなければいけない数々の決断、、。
その決断が、ジークムントをワルハラに呼び寄せることであり、
ブリュンヒルデを勘当することでもあったわけですが、
この三幕では、神の国を守るために、一番かわいがっている娘を手放す父親の悲しみが泣けます。

前後しますが、三幕序奏部分(いわゆる”ワルキューレの騎行”と呼ばれる有名な場面)で、
次々とワルキューレたちが数を増やして8人までに数が膨れ上がる場面はとってもエキサイティングです。
ワルキューレの役で、一人、ものすごい美声の人がいて、全員で歌っていても、彼女の声がたつくらい。
どの歌手か、とっても気になりました。



このメトのプロダクションでは、このワルキューレの役は全員、かなり若手の歌手を配したようで、
動きにも声にも若々しさが溢れていたのがよかったですが、
もう少しアンサンブルにまとまりがあってもいいかもしれません。



勘当されたブリュンヒルデは、ヴォータンのキスをもって神性を奪われ、
岩山にとじこめられます。
ヴォータンは、彼女を最初に発見した人物と彼女が結ばれるように運命づけますが、
彼女の意志を汲んで、最も勇敢な人物だけが彼女を発見することになるよう、岩山を火で囲みます。
真っ赤に燃えさかる火の中に娘をおいて、岩山を立ち去るヴォータン。
神の国を治める長としての責任と、一父親としての悲しさが交錯する、名場面となっています。
『ワルキューレ』はここで幕となります。

ワーグナーの作品に、いわゆる交響曲を中心とするクラシック・ファンが多い理由がわかる気がします。
イタリア・オペラの作品の場合、ある程度オケがしょぼくても、歌手がよければ何とか聴ける場合もありますが、
ワーグナーの作品は、とにかくオケがよくないと辛い。
歌の聴き所もあるにはあるのですが、イタリア・オペラに比べると、
ワーグナーの作品では、声も楽器の一部として使われているような印象さえ受けます。
そういうわけで、この公演、もう少し、オケと指揮がよければ、、。
最後まで、味気のない指揮に今ひとつ盛り上がれなかった私でした。

Lisa Gasteen (Brunnhilde)
Deborah Voigt (Sieglinde)
Michelle DeYoung (Fricka)
Clifton Forbis (Siegmund)
James Morris (Wotan)
Mikhail Petrenko (Hunding)
Kelly Cae Hogan (Gerhilde)
Claudia Waite (Helmwige)
Laura Vlasak Nolen (Waltraute)
Jane Bunnell (Schwertleite)
Wendy Bryn Harmer (Ortlinde)
Leann Sandel-Pantaleo (Siegrune)
Edyta Kulczak (Grimgerde)
Mary Phillips (Rossweisse)
Conductor: Lorin Maazel
Production: Otto Schenk
Grand Tier D Odd
OFF

***ワーグナー ワルキューレ Wagner Die Walkure***

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