Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE 125TH ANNIVERSARY GALA (Sun, Mar 15, 2009) 前編

2009-03-15 | メトロポリタン・オペラ
準備編から続く>

そんな風に青筋を立てながら準備をしている最中に友人から電話があって、
”ルネ・パペが降板。”とのこと。
まじかよー!!
ボリスはどうなる?
それから、トリの『ラインの黄金』のヴォータンはどうする?
しかし、私の準備の手を止めるわけには行かないので、
やっとの思いで”代わりは誰?”とだけ聞くと、その答えが、
”トーマス・ハンプソン。”
、、、、、、ひゅるるるる~。
しかし、ちょっと待って下さいよ。
ハンプソンはバリトンだし。
ボリスとか、ヴォータンとか、歌えないし。
ってことは演目ごと変更か?と思うと、ますます暗澹とした気分になってきました。
また彼の、俺様な歌をたっぷり聴かされるのか、と。

オペラハウスに到着すると、ここ最近では、見た事がないほど、
多くのチケット希望者が外に溢れていました。
華やかさでは似た雰囲気のものに、オープニング・ナイトがありますが、
しかし、オープニング・ナイトではこういう光景は(少なくともここまでの希望者の多さは)まず見かけません。

これはオープニング・ナイトがやや社交イベントと化していて、
そういう場が苦手なオペラヘッズは遠慮したり敬遠してしまうのと、
また、例年は今年のオープニング・ナイトのフレミングによるガラのような形式ではなく、
その後に一般のランで引き続き上演される全幕ものが舞台にあげられることが多いので、
同じキャストを後の公演でも観れるので、そういった人はそちらに流れてしまう、ということなどが考えられます。
しかし、今日のこのガラのような面子が、こんな数で、一夜にして揃うのは、メトでもそう頻繁にはないこと。
社交イベントには全く興味がないと思しき激しいオペラヘッズたちが、
正々堂々と、全くの普段着で、”チケット求む!”の紙を掲げ、目を血走らせているのも、当たり前といえば当たり前です。

ほとんど開演ぎりぎりでオペラハウスに入ると、
もらったプレイビルからぴらぴらしている紙片。これだなー、ルネのキャンセル通知は!
さあ、ハンプソンが何を歌うか見てやる!とページを開けば、そこには、
”病欠のパペに変わって、ジョン・トムリンソンがボリスを歌い、
ジェームズ・モリスがヴォータンを歌います。
また、モリスが当初歌う予定だったメフィストフェレスの黄金の子牛の歌は、
ジョン・レリエーが変わりに歌います。”の文字が。

ん、、?トーマス・ハンプソンのことなんて、どこにも書いてないんですけど。
しかし、よーく見ると、ジョン・トムリンソンと、トーマス・ハンプソン、、。
確かに、なんとなーくですが、名前の感じが似てる。
私の友人も、私と同様、全くハンプソンのことがぴんと来ない、というか、
はっきり言って苦手に思っている人なので、
トムリンソンでも、ハンプソンでもどうでもええわ!ってことだったのでしょう。
いいんですよ。そんなもんです、ハンプソンは。
(まあ、間違えられたトムリンソンは迷惑でしょうが。)

従来、メトのガラといえば、これだけ歌われる演目、アリアの数が多い場合、
数種の演目の固定したセットを次々と用い、
そこに、歌手たちが自前のドレスやタキシードを着て現れる、というのが一般的なパターンでしたが、
今回は、プロジェクターやアンプを通した効果音でプログラムをつなぎながら、
非常に簡素なものではありますが、時にはそのプロジェクターの助けも借りながら、
過去の舞台にインスピレーションを受けた、それぞれの場、アリアを想定したセットが組まれていました。
ゆるい構成ではありますが、今日のガラ全体については、
天使(ジュディ・オングの衣装を借りた蝶に見えなくもない)が
観客をショーにいざなう、というような大きなストーリーがあって、
最初と最後をはじめとする要所に彼らが登場。
各演目の前には、その演目がメトで初演された当時のキャスト表(新聞か何かでの告知か、
プレイビルのいずれかだと思われます)が、
また、『魔笛』序曲が演奏される間に、メトのシンボルの一つでもある、
シャガールの絵が段々ペイントされていくアニメーションなどが
プロジェクターに写されたりして、楽しめました。
(ちなみにそのシャガールの絵を銀行の担保に入れることをメトが考えているらしいことが、
少し前のNYタイムズに掲載されていました。そんなに現金の調達に困っているのか?!)

また、衣装に関しては、今日登場する歌手全員のために、
歌唱予定の作品それぞれにあわせたものを準備をしたようで、
ほとんど全てが、過去のプロダクションで着用されたものにインスピレーションを受けた
(おそらく、全くそのままではないが、大体のデザインは守られている、という意味だと思われます。)
ものとなっています。
各演目名の後の()内で、それぞれがどのプロダクションに基づいているか、表記します。
Sはセット、Cはコスチューム(衣装)を意味します。


 グノー 『ファウスト』
メトはここから始まった!といえる演目でガラはスタート。
ブロードウェイ39丁目の旧メトで、1883年10月22日、初年の、オープニング・ナイトの舞台にかかった
記念すべき演目が、グノーの『ファウスト』なのです。
(S、Cともに、その1883年シーズンのもの。)

 合唱 ”ワインでもビールでも Vin ou biere”
   Metropolitan Opera Chorus
今日は全プログラムをレヴァインが指揮したわけですが、ガラ系のイベントで、
これほどまでに彼の指揮の求心力の弱さを感じたのは初めてです。
以前は、特にガラなどの特別な場では、彼がぴしーっとオケを統制し、緊張感を生み出していて、
それがオケから、気迫のこもった音を引き出す理由にもなっていたのですが、
(音楽性がどうの、という話は別の次元の話になりますが、
まずは丁寧かつ気合の入った演奏であったことは、DVD化されている昔のガラの様子などからもわかります。)
しかし、今日は、体調が思わしくないんでしょうか?その指の先まで神経が行き届いた感じがありません。
結果として、オケの演奏も、いつになくバラバラな感じがしましたし、
それはこの曲で、合唱が全くオケとシンクロしていなかったことでも明らかだったように思います。

 ”黄金の子牛の歌 Le veau d'or"
   John Relyea replacing James Morris



今シーズンの『ファウストの劫罰』のメフィストフェレスの印象がまだ強烈なジョン・レリエーが、
先に説明したような事情により、グノーの『ファウスト』のメフィストフェレスとして登場。
また赤い衣装ですね。そして、相変わらずそれが似合ってしまってます。
ただ、声は、彼が絶好調な時は、もっとぱりっとクリスプで、深い声なんですが、
今日の彼は本領発揮とまでは行っていなかったように思います。
この役はまだ全幕では歌ったことがないんでしょうか?
あの『劫罰』のときの、迷いなきデモーニッシュな感じと比べると、
こちらのメフィストフェレスは少しキャラクターが薄かった気もします。
まだ役として、発展途上なのかもしれません。

 ”宝石の歌 O Dieu! que de bijoux...Ah! je ris de me voir"
   Angela Gheorghiu
かれこれ10年以上前になる日本公演の『カルメン』のミカエラ役のブロンドの鬘が気に入らない、と、
わがままを言って前支配人のヴォルピ氏を怒らせたのも今は昔。
ミカエラの鬘より、もっと似合っていないプラチナ・ブロンドの
おばさんパーマのような変てこりんな鬘にも文句を言わずちょこんと頭にのせて登場したゲオルギュー。
今日は彼女は高音の伸びが非常に良く、最近の中では最も好調な日の一つだったように思います。


 ”早く!早く! Alerte! alerte!...Anges purs"
   Sondra Radvanovsky / Roberto Alagna / John Relyea
アラーニャとゲオルギューの夫婦コンビは基本(『つばめ』以外は)ご勘弁!と思っている私なので、
アラーニャの、このラドヴァノフスキーとのコンビはいいかな、と思ったのですが、
どうやら少し無理があったようです。
アラーニャの割と線の細い声は、終始、ラドヴァノフスキーの大きな声の比較対照となってしまい、気の毒。
本来、このあたりのフランスものはアラーニャの歌唱が割と光るレパートリーなのに、、。
ラドヴァノフスキーは、この瓦も破る大声のせいで、逆にキャリア的に損をしているのではないかという気がします。
それこそ、デル・モナコのような声量の持ち主でないと、彼女には太刀打ちできないでしょう。
今、そういうテノールは実に少なく、彼女が全体のアンサンブルをぶち壊しにしてしまうことにもなりかねません。
全幕でキャスティングするのが、非常に難しい人だと感じます。
レリエーすら、影が薄く、何か、”マルグリートがとてもうるさい『ファウスト』”を聴いた感じでした。
もうちょっと優しいたおやかな『ファウスト』が聴きたい。

プッチーニ 『西部の娘』より
1910年12月10日にメトが世界初演の場所となったこの作品。
今回のガラは、ドミンゴのメト・デビュー40周年を記念したガラでもあるからか、
他の演目のセットがあくまで旧演出の雰囲気を残しているだけなのに対し、
こちらは豪華に、ほとんど忠実に再現されていたものの一つ。
(S、Cともに、その初演時のベラスコによるプロダクション。)



 ”やがて来る自由の日 Ch'ella mi creda"
   Placido Domingo
ドミンゴの現在の歌を、”過去のテノールのそれ”呼ばわりする輩は、
この歌唱を聴いてから、出直して来い!と言いたくなります。
細部にまで神経のこもった素晴らしい歌。
老人がフィギュア・スケートの世界大会に登場し、スピードでは上回る若者出場者と、
芸術性を武器に、首位を争っているような感じといいましょうか。
いや、はっきり言って、今日ガラに登場したテノールで、
彼とそういった意味で張り合っている若者出場者の例としてあげられるのはフローレスぐらいで、
(全然違うタイプの歌手ではありますが)
フローレス以外のテノールでは勝負にすらなっていないと言っても良いくらいです。
半分、自分が主役でもあるこの機会はすごく本人にとっても大事だったのでしょう。
その大事なときに、こうしてきちんと絶好調なところに自分のコンディションを持ってこれること自体もすごすぎます。
とにかく、彼が登場した演目は全て、全幕を見たくなった。
彼のようなピカ級の歌手と、そうでない歌手の差はそこにあるんだと思います。
高音も、まっすぐに飛んできていたし(ワブリングはほとんど感じられない。)、
声量も今日は全く問題がなく、観音様を見るように、思わず手を合わせてしまう私でした。
ああ、合掌。


ヴェルディ 『アイーダ』より
ここで安くメトにあげられた、グレギーナとブライスよ、怒れ!
というわけで、セットらしいセットはなし。
(S,なし。Cは1908-9年シーズンにエマ・イームズとルイズ・ホーマーによって着用されたものの復元。)

 ”静かになさい!アイーダが私たちの方にやって来ます Silenzio! Aida verso noi s'avanza!...Fu la sorte"
   Maria Guleghina / Stephanie Blythe
1908-9年という時代がなせるわざか、このエジプトやエチオピアに関する
勘違いなファッションにはちょっとひきました。
特にグレギーナが着用している虹のような布は一体何、、?
当時、アメリカの劇場がアフリカ文化に対して持っていた理解はこんなものか、とちょっと仰天です。
現在のプロダクション(来シーズンのHDに予定されています!)に感謝の念が湧いてきました。
いつもは、私の連れに、肩の肉の豊かさを理由に、アメフの選手呼ばわりされている
マリア・グレギーナですが(自家製の肩パッドに見えるらしい)、
そんな彼女も、ブライスの横に立つと、ものすごく小さく見えるから、あら不思議。
ブライスは、普段、たっぷりした衣装を着ることが多いので、ここまでとは思わなかったのですが、
ほんと、でかい!!!
でも、私は歌手については、歌さえよければ、巨体でも全然OKなので、ノー問題。
で、彼女は、私は才能豊かで、これからさらなる飛躍が期待できるメゾだと思ってはいるのですが、
このアムネリスはまだまだ”研究中””勉強中”の文字がちらちらしました。
フレージングに曖昧なところが散見されましたし、ある意味、魅力と背中合わせになっている、
彼女の少し下がりがちな声(しかし決して音が外れているわけではない)が、この役ではやや鈍重に感じます。
この役に関しては、もっと上に声をひっぱりあげることを心がけた方がいいかも。
もともと、メトでアムネリス!といえば、のザジックの歌と比べると、
高音でのキレは太刀打ちできないので、さらに研究を重ね、彼女の持ち味を高めていくことが大事です。
まだ、その、彼女の”これ!”というものが見えていないような感じのする歌唱でした。
それと、もっともっとこの役は、オケを聴いて遠慮しながら歌うのではなく、
自分がオケをひっぱるくらいに、”私はこう歌う!”というような、
確固としたフレージングや音の長さ(細かい意味での)への自信が必要だと思います。この役での彼女は遠慮しすぎ!
確か、近いうちにメトでこの役に挑戦するはずだと記憶しているので、それまでに彼女の確固としたアムネリスを
作り上げてくれることを期待しています。
一方、グレギーナは、逆にこれまで十分なアイーダ役での実演経験があるからか、
ずっとこなれている感じで、最近の彼女にしては高音も安定していましたし、悪くない歌唱だったと思います。


ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』より
1913年3月19日、メトでアメリカ初演。
(Cのみ、その1913年のイワン・ビリビンの演出から。)

 ”ボリスの死 Death of Boris(Proshchai, moi sin, umirayu!)"
   John Tomlinson replacing Rene Pape / Jesse Burnside Murray
事前にプレイビルに目を通す習慣のない人は、
”なんかパペ、急に老けて、かつ、体が水気を失って、かすかすになってない?、、”と思わされる
ハンプソン、じゃなかった、トムリンソンの登場。
パペの若くて勢いのある声に比べると、おそらく歳はずっと上であるトムリンソンのそれは枯れ気味。
だけれども、その枯れが決して不利だけに終わらない演目というのが、
オペラにはあって、このボリスはその一つでしょう。(他には『ドン・カルロ』のフィリッポなんかもそう。)
声の深さも今一歩、という感じで、飛び切りの歌唱、というのにはちょっと躊躇しますが、
演技が割合に達者で、観客を最後までひきつけていたのは賞賛に値します。


ヴェルディ 『ナブッコ』より
(Cは、2001年のプロダクションから、アンドレアン・ネオフィトゥによるデザインのもの。)

 ”行け、わが想いよ、金色の翼に乗って Va, pensiero"
   Metropolitan Opera Chorus
オペラ、特にイタリアものが好きなら、この曲は絶対好きなはず!の定番メニュー。
絶対に一緒に歌いだす人がまわりにいるのもこの曲。
そういえば、昨夏のパーク・コンサートでも演奏したばかりでした。
しかし、今日の演奏、『ファウスト』からの合唱とほとんど同じ理由で、
私は、ゲオルギューのまぶだち指揮者マリンが引っ張ったパーク・コンサートの時の方が
ずっと出来が良かったと感じました。
せっかくの曲が、エッジを欠いたまったりした演奏のせいで台無しだったと思います。


 ビゼー 『カルメン』より
(S自体は簡素なものですが、1952年のタイロン・ガスリーのプロダクションから、
ロルフ・ジェラールの手によるセットのデザイン画がプロジェクションで使用されました。
Cは、カルメンの衣装のみ、1935年の公演でローザ・ポンセルが着用したヴァレンティナの衣装をもとに。)

 ”あんたね! 俺だ! C'est toi?...C'est moi...Carmen, il est temps encore"
   Waltraud Meier / Roberto Alagna / Erin Morley / Kate Lindsey
タイのついたドレスと黒い髪をぴっちりとわけた髪型、まるで男装の麗人のような雰囲気でかっこよすぎのマイヤーと、
何となくたたずまいのかっこ悪い男、アラーニャの共演。
しかし、結果は全くの逆。
私は常日頃から、カルメンは、色気べたべたの女性ではなく、むしろ、非常に男性的な女性であると思っていて、
(そう感じ始めるようになってから、これと全く同じことを
カラスがインタビューの中で語っているのを聞いたことがあります。
また、実際、カルメン歌いとして名高かったバルツァの舞台からも、
私は女性特有のむんむんした色気というのを感じたことがありません。)
その意味では、カルメンの、孤独(自由であるということは孤独なのです)、
かつ、凛とした強さをきちんと演技で表現しているという点で、
演技面では、マイヤーのそれは、かなり私の好きなタイプのカルメンなのですが、
いかんせん、声の質と歌い方が、あまりに違和感がありすぎます。
その歌いまわしの妙さ、声の使い方の独自なことは、
ずっと聞いているうちに、『カルメン』ではない作品を聴いているような気がするほどです。
彼女はワーグナーなどの作品では本当に素晴らしい歌手なのですが、
この『カルメン』に関しては、歌唱面では同じレベルの興奮を求められません。
演技が達者なので、ホセに刺し殺されるところなんか、迫力満点でしたが、
全幕でこれを聴くのは辛いです。
(そして、それは、数日後の『カヴァレリア・~』の公演のサントゥッツァ役の歌唱で実証されてしまいます。)
逆に、格好良かった男が格好悪い男に転落していくというホセ役の、
まさに格好悪い方の極地にあたるこの場面を、アラーニャが上手くまとめていました。
マイヤーが相手だと、ラドヴァノフスキーの時のように声が小さく聴こえてしまう錯覚もなし。
ただ、マイヤーがものすごくクールで大人な感じのカルメンなので、
アラーニャとの組み合わせは、少しちぐはぐか?
来シーズンのメトではゲオルギューのカルメン(!)と共演する予定のアラーニャ。
ゲオルギューのカルメンなんて、全然想像できないので、アラーニャとのケミストリーがどうか、
なんてことも予想不可能。実際に観て確かめるしかありません。


中編に続く>


The 125th Anniversary Gala
And Celebration of Placido Domingo's 40 Years at the Met

Conductor: James Levine
Director: Phelim McDermott
Associate director & set designer: Julian Crouch
Costume design: Catherine Zuber
Lighting design: Peter Mumford
Video design: Leo Warner & Mark Grimmer for Fifty Nine Productions Ltd.
Sound design: Scott Lehrer
Chorus master: Donald Palumbo
Grand Tier SB 35 Front
ON

*** 125周年記念ガラ The 125th Anniversary Gala ***

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7 コメント

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私も行きたかった (チャッピー)
2009-03-16 20:14:21
3月中旬でなければ私も行きたかった。
3月は休み取れないのよね。

>ドミンゴとハンプソン(えっ!?)の歌に涙し
20世紀のテノールと21世紀のバリトンの競演!!!
レポ、楽しみにしてますよん。
返信する
レポ楽しみです♪ (naokodua)
2009-03-17 08:02:10
昨日探りを入れてみた(密かに)ものの、
やっぱり全部を通したレポ、とっても楽しみにしております!
ものすごい量なので、ゆっくり書いてくださいね!睡眠大事ですっ。
返信する
二つの世紀が出会うとき/叱られないように、、 (Madokakip)
2009-03-17 12:04:56
頂いた順です。

 チャッピーさん、

>20世紀のテノールと21世紀のバリトンの競演!!!

おかしすぎます。
ハンプソンは常に横にドミンゴをくっつけておけば、
いい歌を歌えるのかもしれません。
こんな真摯な歌を歌えるとは仰天でした。
あまりにハンプソン臭がしないので、
舞台に駆け出して行って、
”あなた、本当にハンプソンよね!?”と肩をつかんで揺らしてみたくなったほどです。
このブログでけなした直後にこんな歌を歌うとは反則!
そしてドミンゴの歌は、、、
このパフォーマンスは、本当に最高でした。
涙出ましたから。
この二人が入ったキャストで『パルシファル』を見たくなりました。
私がハンプソンで何かの役を観たい、と言う日が来るなんて、、、。

>レポ、楽しみにしてますよん。

ありがとうございます!

 naokoduaさん、

長丁場、お疲れ様でした&ガラ後のディナーもとても楽しかったです!!

探り(笑)とは全く気付かぬまま、酔いにまかせて、
プッチーニの三点セット(カレイヤ、アントネンコ、
ジョルダーニ)、あれは全然だめ!
あんなのに大拍手をしてちゃいけません!などなど、
とどまるところを知らぬ暴言にさえ、温かく耳を傾けていただき、
本当に感謝しております。

そして、私のやる気のない拍手から、
全く三点セットの彼らの歌に感銘を受けていないことを対面のボックスから見破られたご主人は鋭い!
(というか、私がわかりやすすぎ、、?)

>睡眠大事ですっ。

はい、ありがとうございます(笑)。
連れに”ちゃんと寝なさい!”と、叱られないように、こっそり夜に起き出して書きます。
返信する
思い出しています。 (ゆみゆみ)
2009-03-21 22:12:26
1つ・1つ思い出しながら、拝読しています。ラドさんはここでもラドさんでした。≪ブライスのアムネリスとラドさんのアイーダ≫なんて、如何でしょうか?

【いや、はっきり言って、今日ガラに登場したテノールで、
彼とそういった意味で張り合っている若者出場者の例としてあげられるのはフローレス】
本当に仰るとおりで、ポスト3大テノールは?
なんて考えるのは止めましょう。
私も含めて音楽に携わるものに「勉強しなさいよ」と、「私も未だ勉強していくんだから」と実践を通して語ってもらった気がしました。

バックステージツアーでは、今回は何処も忙しく、中に入って見せてもらえなかったので、説明が多くその度におじさんが、「衣装代が高い・高い」と何度も話しておられました。
今回の衣装は、今後使う?記念に保存?
説明の殆どわからない私ですが、おじさんのボヤキがなんともお気の毒でした。
中篇楽しみにしています。
返信する
思い出すことが多すぎて (Madokakip)
2009-03-22 12:29:05
 ゆみゆみさん、

このてんこ盛りな内容に、思い出すことが多すぎて、
すでに何かを書き忘れているような気分になっている私です。

ブライスのアムネリスとラドヴァノフスキーのアイーダ、、
すんごい迫力ですね。
ラドヴァノフスキーは声の波がざわざわざわっと広がっていく感じがするんですよね。
だから、私にはうるさく感じてしまうのかもしれません。
ブライスは声量があっても、もうちょっと線として飛んでくるような感じがします。

>ポスト3大テノールは?
なんて考えるのは止めましょう。

ほんとに。今日の三点セット(カレイヤ、ジョルダーニ、アントネンコ)も、
全然、ポスト3大テノールとはいえないですし、、。
カレイヤは、役によってはいいものを持っていると思いますが。
(ロドルフォのアリアより、デッセイの『椿姫』のために、
舞台袖から歌ったアルフレードの方が私は全然好きでした。)

衣装はほんと、こういうガラのは、
一回着て終わりですから、ほんと、もったいないですよ。
景気のいい時なら、こういうリバイバル衣装もいいですが、
今のような状況下では、現行のプロダクションの衣装でサイズをあわせるだけでも良かったと思うのですが、、。
(自前のドレスやタキシードでなく、実際に衣装を着けてくれるのは、すごく良かったです。)
最近のメトの無駄な金遣いの荒さは見てられません。
中編もあげました!
返信する
それが私です(汗) (娑羅)
2009-03-27 01:48:28
>事前にプレイビルに目を通す習慣のない人は、”なんかパペ、急に老けて、かつ、体が水気を失って、かすかすになってない?、、”と思わされる

あはは、それ私です
さすがにパペとトムリンソンは一目でわかりましたが、レリエーの不意打ちにはやられました

「カルメン」までで前半にされたのですね。
私は1部と2部に分けて書いている途中。
2部を書き上げたら、続きのほうを読ませていただきます

しかし、本当に細かく観察されていて感動してしまいます!
私なんか、「良かった~」「あんまりだった~」というド素人感想で恥ずかしい限り・・・。
でも、初めてオペラを観る人って、こんな感想ですよね。←初めてちゃうやん。

ゲオルギュー、好調だったんだ・・・
私、彼女はやっぱり映像の人なのかな~と思ってしまいました・・・。
実はナマ、初めてだったんです。
返信する
薄幕のむこうの人 (Madokakip)
2009-03-27 13:22:24
 娑羅さん、

>レリエーの不意打ち

あれは、始まってすぐのいきなりでしたからねー。
私はプレイビルは見ずとも、挟んである紙だけは目を通す習慣があるので、
(恐ろしい通知である場合があるので!)
読みながら、”娑羅さん、この通知、ご覧になったかなー”と思っていたのですよ!

gooブログの字数制限により、前、後だけでは足りず、
中まで書く羽目に陥りました!

>ド素人感想で

いえいえ、すごく正確で、そうだった、そうだった!と
思いつつ読ませていただきました。

>ゲオルギュー、好調だったんだ・

最近、かなり頻繁に低音の衰退を指摘されていて、それは目をつむるとしたら、
この日の歌唱はかなりいい方でした。
しかし、彼女はゆみゆみさんもおっしゃっていたように記憶しているんですが、
なんだか、遠い感じがするんですよね。
心にばーん!と直接訴えてくるような歌が
出てくることが少ないというか、、。
薄幕のむこうの人、と呼びたくなる由縁です。
歌は上手いのは間違いないんですが、、。
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