Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

IL TROVATORE (Sat, Apr 25, 2009)

2009-04-25 | メトロポリタン・オペラ
”名歌手”と必ずしも同義の言葉ではありませんが(もちろんたまたまそうである場合もありますが)、
今のオペラ界には”セレブ歌手”と呼んでもよい、
聴き手側の好き嫌いに関わらずその動向が注目されるティアの歌手というのがいて、
このグループに含まれる歌手というのは、なんとなくではありますが、
オペラ好きの間でコンセンサスがとれているのではないかと思います。

ネトレプコはセレブ歌手か? Yes。
デッセイはセレブ歌手か?  Yes。
アラーニャはセレブ歌手か? Yes。
ジョルダーノはセレブ歌手か? No。
といった具合に。

メトは常にセレブ歌手度高めのキャスティングを売りにして来ましたし、
ゲルプ支配人になって、一層その傾向に拍車がかかっているともいえるのですが、
これらセレブ歌手が揃った公演の中には、
時に、”スターの祭典”へのイベント的興奮が大きくなって、
本来の演目の良さとかあるべき姿がぼやけたり、見えにくくなるようなものがあるように思います。

パフォーマンス、歌唱の出来が良くてもそうなってしまうケースというのはあって、
Aキャストの『トロヴァトーレ』は、まさにそこに分類される公演だったかも、、という気が、
今日のBキャストの公演を観た後では、しています。
そもそも、新演出(マクヴィカー)への異様なまでの興奮が観客側にあった上に、
マルセロ・アルヴァレスとホロストフスキー(この二人は間違いなくセレブ歌手!)への熱い期待、
ラドヴァノフスキーのやたらでかい声(彼女は決してセレブ歌手ではないけれど、、。)、
そして、ザジックの、いつもの彼女からはちょっと意外な感じのする、
歌唱よりも芝居にかなりな比重を置いたパフォーマンス、、などなど、
あちこちで火山が噴火しているような舞台でした。

誤解なきように付け加えておくと、Aキャストの公演も、
私は大いに楽しみましたし、歌唱も決して悪くはありませんでした。
しかし、その一方で、極端に言うと、アルヴァレスとホロストフスキーがすることならば、
”なんでもOK&大歓迎!!”という雰囲気が客側にあったのも事実で、
観客側の注意が、彼らを含む、あまりに個々の歌手や要素に向かってしまって、
終演後には、ふと、ところで『トロヴァトーレ』全体として見ると、
どんなパフォーマンスだったっけ?と自問したくなるような公演でもありました。

今日のBキャストはそのAキャストとは実に対照的。
マンリーコ役は、Aキャストのマルセロ・アルヴァレスから
声のやたらでかい男(ラドヴァノフスキーの男版?!)、マルコ・ベルティに。
レオノーラ役はラドヴァノフスキーから、ハスミク・パピアンに。
ルーナ伯爵はホロストフスキーからゼリコ・ルチーチに。
いやー、全く地味ですなあ。
このキャストを見て、”おっしゃー!!この公演日に合わせて
日本からNYに行くぞ!”と、この『トロヴァトーレ』のためにメト鑑賞を考えるオペラ・ファンなんか、
ほとんどいないか、いてもごくまれなはずです。
多分、リング・サイクルを観にNYへいらっしゃった方たちが、
”あ、合間に『トロヴァトーレ』もやってるみたいだから、観ておこうか。”
というノリで、この公演のチケットを購入したに違いありません。
確か、このBキャストが発表されて少なくともしばらくは、
アズチェーナ役がルチアーナ・ディンティーノに予定されていたと記憶しているのですが、
なぜか、今日、開演前に開いたプレイビルにはドローラ・ザジックとなっていました。
私はザジックが大好きなので、なーんの不満もないのですが、
一方で、Aキャスト時の彼女のアズチェーナの演技がかなり濃かったので、
これをディンティーノはどのようにアプローチしてくるのか?というのは非常に興味深いところだったので、
ちょっぴり残念ではあります。

というわけで、Aキャストではホロストフスキーやアルヴァレスの影で、
いつもよりも随分地味に見えたザジックが、今日の公演のキャストの中では、
もっともセレブ歌手に近いポジションにいる人になってしまいました。
(とはいえ、彼女をセレブ歌手のカテゴリーに入れるのは違和感あり。)
というわけで、キャストから受ける印象どおりの地味~な公演になるかと思いきや、
とんでもない!!これが、実にエキサイティングな公演になってしまったのです。


(↑ Bキャストの舞台写真が全く存在しないという、このあたりにも、
メトがこのBキャストを全く見捨てていたことがよくわかるのですが、
よって、Aキャストの舞台写真からセレブなアルヴァレスのマンリーコと
セレブになりきれないザジックのアズチェーナ。)

はっきり言って、歌、演技、両方に関して、Aキャストほど個性的ではありません。
そこには、通常マンリーコ役に期待されるよりもリリカルな個性的な歌唱(アルヴァレス)もなければ、
気性の激しい、若さ一杯のレオノーラ(ラドヴァノフスキー)もいないし、
とかげな伯爵(ホロストフスキー)もいません。

代わりにあるのは、細かい技術はアルヴァレスに比べて粗いですが、
とにかく迫力満点の声のベルティのマンリーコ、
声のサイズと歌の迫力は落ちるので、多少不満が残るものの、
上品でおっとりした雰囲気が役にマッチしているパピアンのレオノーラ、
そして、異常性向よりエレガントさを強調したルチーチのルーナ(なかなか格好良かったです)、
彼らに合わせて演技を少しトーン・ダウンさせたザジックのアズチェーナ。
おそらくAキャストの面々しか、マクヴィカーの直接指導を受けていないのでしょう。
Bキャストは各役が、いわゆる、オーソドックス路線の役作りになっていて、
マクヴィカーが打ち出したかったことと離れているかもしれませんし、
その分、面白さには欠けるかもしれませんが、
こちらの方が、本来の『トロヴァトーレ』らしい良さがあります。

マンリーコ。
この役は、アルヴァレスがレクチャーで語っていたような、リリカルなアプローチもありかな、
としばらく結論を出せずにいたのですが、
『アイーダ』のラダメス役なんかでは、声が大きいばっかりで、
私にはそのやたらめったらな吠え声とおおざっばな歌唱が我慢ならなかったベルティが、
(フレージングの曖昧さや繊細さの欠如、など、、。)
基本このマンリーコ役でも同じスタイルの歌であるにも関わらず、
それでもアルヴァレスのそれよりエキサイティングだったことをもってして、
今さらながらではありますが、やはり、この役には最低必要な声のサイズと
ロブストさというものがある、という結論に、今日至りました。
”ラダメスではうるさくて聴けないくらいの声が、マンリーコでは丁度よい”
これを、私は”ベルティ理論”と名づけることにします。
というか、ベルティが、もう少し役によってアプローチを変えられれば問題はないわけですが、
まあ、それだと、この理論の発見はできなかったことになりますから、よしとせねば。

レオノーラ。
パピアンの声を聴くと、いつも、どこか乾いている、というのか、
声にふくよかさがなく、音が浅い感じがします。
このレオノーラという役は、声は必ずしも大きくなくてもいいと私は思っていますが
(特にラドヴァノフスキーのような大きさは無用の長物だとすら、、。)、
”ふくよかさ”、”厚み”、”温かみ”、これは絶対必要です。
その点で、パピアンのレオノーラは物足りない部分があります。
あと、ノルマ役を歌っているくらいですから、ベル・カンティッシュな力は持っているはずですし、
実際、昨シーズンに観た『ノルマ』では、もっと技術がしっかりしているような印象があったのですが、
なぜか、今日のレオノーラ役の歌唱では、今ひとつコロラトゥーラの技術が試される部分で、
歌がぴしっと決まらなくて、技術の面でラドヴァノフスキーの方が彼女を上回ってしまったのは、これは痛いです。
声のサイズが役に対して小さいなら、技術で勝負するしかないんですから。
ただし、彼女の持っている雰囲気、これは悪くありません。
彼女はどこかちょっとのんびりしている雰囲気があって、
それが舞台上で独特の上品さを醸し出す原因になっている気がします。
私個人的には、レオノーラは、ラドヴァノフスキーのような超ハイパー・ギャルより、
こちらのパピアンのような上品な雰囲気が好みです。

ルーナ伯爵。
中堅から若手どころのバリトンの中で、最も期待している一人がルチーチなので、
今日、実は一番楽しみにしていたのが彼のルーナです。
シーズン前にキャスティングされていた『リゴレット』のBキャストの公演を
なぜだか全て降板してしまったので余計に。
リゴレット役は結局、一日だけルチーチがフロンターリの逆代役で歌うことになり
それがたまたま観に行った日の公演にあたる、という幸運に預かりましたが、
準備不足のためか、本来の役作りではないように感じました。
それに比べると、さすがに、こちらのルーナ伯は役作りはしっかり出来ています。
先にも書いた通り、彼のルーナ伯はエレガント。かつアーシー。
ホロストフスキーのルーナはあまりに見目麗しすぎて、怪しい異常性向の中にも、
”ベルばら”的雰囲気が漂っていましたが、ルチーチの方は泥臭い感じも適度にあって、
それがこのスペインを舞台にした『トロヴァトーレ』に似つかわしいです。
ホロストフスキーの声は、私は優雅な中にも、まっすぐ飛んでくるような、
直線的な強さがあるように感じるのですが、
ルチーチの声は逆に、波のようにオペラハウスの端まで一旦声が広がって、
そこからじわじわっと内側に巻いてくるような感覚がします。
どちらが良い、ということではなく、声から受ける空間感覚がこの二人は全く違います。
ただ、惜しむらくは、この役は比較的取り組んでから年数が浅いんでしょうか?
彼にしては珍しく、歌唱、特に旋律の取り方が少し心もとないところがあって、
その点は、ホロストフスキーの方がほころびなく歌っているように感じました。
また、”君の微笑み Il balen del suo sorriso"の一番最後の音がかなり高めに入ってしまって、
”ピッチが甘い”と言うより、”音を外した”域に入ってしまったのは、いかにも残念で、
これが結構響いてカーテン・コールでも、
それ以外の部分の彼の歌唱が値するよりもずっと少ない拍手になってしまい、
本人もこの失敗がこたえているのか、ずっと浮かない表情でした。
ただ、相変わらずこの人は重唱が上手くて、相手の歌手との和音が
ものすごく綺麗に入っている個所がいくつもありましたし、
彼の歌唱スタイルとこの役は合っているし、役作りの方向性もすごく良くて、
地味ながらいい歌唱だったと思うので、
ホロストフスキーみたいに拍手をもらえなくても元気をお出し、、と励ましたいです。

アズチェーナ。
最近、日による歌唱の出来の波が激しくなりつつあるザジックですが、
今日の彼女の歌は絶好調で、Aキャストで観た時より、数倍出来が良かったです。
おそらく、Aキャストから、共演者たちの演技が変わっていることに対応して、
彼女自身が演技をトーン・ダウンしたことに起因していると思うのですが、
これが彼女の注意を、演技から、より歌唱に多く振り向けることになったと思われ、
それがいい結果につながったように思います。

ベルティのマンリーコについて書いたこととも関連するのですが、
やはり、この『トロヴァトーレ』という作品は、良い演技がついているに越したことはないのですが、
それ以前に、まず、”歌合戦”でなければいけないんだな、と思います。
歌唱の比重が実に大きい、ということで、ここをないがしろにしたら、
この作品は真価が出ないです。
今日のザジックの歌は、役作りよりもまず第一に、歌唱で勝負している感じがきちんとしました。
Aキャストの公演では、私が実際に観たもの、シリウスで聴いたものを含め、
軒並み危なかった(というかきちんと出ていない日もあった)高音を、
今日はばしーっ!と決めてくれました。
その一音に全神経を集中して、思いっきり息を吸った時の彼女の、
”今日は絶対に決めてやる!”というテンションがすごくて、
こちらまで感電するかと思いました。
全盛期の彼女が戻ってきたようで、超、嬉しかったです。
彼女が歌唱で勝負に出たら、そんじょそこらの歌手が太刀打ちできないのは当然で、
今日の公演の最大のスターは彼女。万雷の拍手でした。

今日のお客さんの中には旅行でいらっしゃって、マチネの指環とはしごをしているオペラ好きの人も結構多く混じっているのか、
普段に比べると、客席に浮ついた感じが少なく、非常に観客が聴き上手だった公演だと思うのですが、
その彼らが、それぞれの歌手に、過不足なく、かなり歌の結果に忠実に、拍手を送っていたのが興味深く、
セレブ歌手で大盛り上がりの公演もそれはそれで楽しいですが、
こういうバイアスのない、本来あるべき姿のカーテン・コールというのは、またこれで良いな、と思った次第です。

しかし、今日、大好きなザジックを越えて、最も私が熱い拍手を送りたいのは、指揮のフリッツァです。
Aキャストを指揮したノセダも悪くはないし、ノッた時のノセダは面白い公演を聴かせるのですが、
こと、この『トロヴァトーレ』に関しては、ノセダが目じゃなく感じるほど、フリッツァの指揮が良いです。
この『トロヴァトーレ』という演目と、この人は何かがクリックするのか、
今シーズンの『リゴレット』も振っていましたが、
『リゴレット』より、『トロヴァトーレ』での彼の方が全然良いです。
この日の次の『トロヴァトーレ』の公演を観に行った友人も、彼の指揮は良い!と言っていました。
適切なテンポ感、各楽器のバランスの取り方の上手さ、歌手へのフォロー、
どこをとっても文句の付け所がなく、全ての場面が、耳に心地良かったです。
オケがマチネで演奏したリング(『神々の黄昏』)の熱気をそのまま持ってきたような、
疲れ知らずのパワフルな演奏で、フリッツァの指揮に機敏に答えていたのも素晴らしい。

先に、『トロヴァトーレ』はまず歌合戦でなければ、と書きましたが、
”良いオケの演奏にのった歌合戦”であることは言うまでもありません。
連日鑑賞+マチネと夜のダブル・ヘッダーの疲れも吹き飛ぶ好演。
こういう演奏なら、ダブル・ヘッダー七日連続でもへっちゃらです。

Marco Berti (Manrico)
Hasmik Papian (Leonora)
Dolora Zajick (Azucena)
Zeljko Lucic (Count di Luna)
Burak Bilgili (Ferrando)
Eduardo Valdes (Ruiz)
Laura Vlasak Nolen (Inez)
Conductor: Riccardo Frizza
Production: David McVicar
Set design: Charles Edwards
Costume design: Brigitte Reiffenstuel
Lighting design: Jennifer Tipton
Choreography: Leah Hausman
Grand Tier A Even
OFF

*** ヴェルディ イル・トロヴァトーレ Verdi Il Trovatore ***

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10 コメント

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セレブ歌手 (チャッピー)
2009-05-01 21:34:04
私が行く日はザジックではなくNioradzeという歌手が出る模様。
ニオラーゼ?グルジア人かな。初めて聞く名前です。
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またdzeですね! (Madokakip)
2009-05-02 00:38:56
 チャッピーさん、

>グルジア人かな

みたいです。
グルジアのティビリシ出身の方のようです。
2002年の『戦争と平和』(ということは、ネトレプコとホロストフスキーが歌ったときかな?)でのマトリョーシャがメト・デビューだったようです。
私もあまり名前に記憶がないですね。
間違ってもセレブ歌手ではなさそうです。
返信する
ベルティ理論 (シャンティ)
2009-05-03 11:34:14
>この役には最低必要な声のサイズと ロブストさというものがある、という結論

アイーダの時、わたしはベルティのガンガンデカ声を聞いているうちに”演技なんかどうでもいい、好きに歌ってて”という気になってしまいました。彼のロブストな音色はこのあたりの役にはぴったりだと思うし、今他に誰か?というとクーラくらいしか思いつきません。アルミリャート(なぜかメトには出ない)と、リチートラは声質が違うと思うし...。ベルティ、貴重です。

ところで、ヴィラゾンが喉の手術のため2009年の公演をキャンセルするようですね。HDの予定がある”ホフマン”は アラーニャ、ジョルダーニ orジョルダーノ(笑)or.. 誰が代わりに歌うのでしょう? ぎりぎり復帰するのでしょうか?
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ラダメスのときは (Madokakip)
2009-05-04 11:43:47
 シャンティさん、

>ベルティ

ラダメスの時は、うるさいのと、歌い回しがとにかく雑なのが気になって気になって仕方ありませんでした。
このマンリーコでもその欠点は変わってないんですが(ちょっとは変わろうよ、、)
ラダメスに比べると致命的ではなく感じます。
マンリーコはやはりこの声で歌われるとそれなりにスリリングなんですよね。
丁寧で上手いのはアルヴァレスなんでしょうけど、
それだけで客に興奮を与えるのは難しい役かもしれません。

>ヴィラゾンが喉の手術のため

私が聞いたところでが、まず、
今シーズンの『愛の妙薬』オール・キャンセルが決定した後すぐに、
メトがホフマンから彼を降ろすのではないか、という噂と、
さらにエスカレートして、メトは今後二度とヴィラゾンを雇わないことも考えているらしい、という話が出ました。
(まあ、彼は昨シーズンの『ロミ・ジュリ』、
今年の『ルチア』、『愛の妙薬』、そして『ホフマン』と四連発でメトを振り回しましたので、、。)
この手術の話はつい最近出てきた話ですので、
ネガティヴな見方をすれば、体をはった最後の砦かもしれませんし、
逆に手術で喉が全快すれば、メトもこれまでの噂とは反対に、彼を再度登用することは十分ありえると思います。
代わりは誰でしょうね?

アラーニャは可能性はあるかもしれませんが、
ホフマンが終わる頃に少しオーバーラップして始まる『カルメン』に出演しますから、
どうでしょうね、、。
ジョルダー二はもう何でも歌わされていますからね、あるかもしれませんね(笑)
(でも最近やや重くなってきた声の質からいうと、一番可能性が薄いかもしれません。)

ジョルダーノは、またしてもマネジメントの陰謀という線で、、と思いましたが、
彼のサイトによると、『ホフマン』はレパートリーには入っていないみたいですね。また、少し役不足な感が否めません。

持ちのレパートリーに入っていて、もしからしたら可能性があるかも、、と思うのはベチャーラあたりでしょうか?
どうなるか、要注目です!!
返信する
出待ち@トロヴァBキャス (チャッピー)
2009-05-21 21:16:28
「ノルマ」の時のパピアンが好きなもんで、オーケストラ席ゲット。何と指揮者真後ろ、前から2列目の席!
ががっ、始まってみると指揮者が邪魔で、思いっきりPartial View。指揮者に邪魔だから座れとは言えないもんなあ。その代わり、歌手と視線が合いまくり。贔屓の男性歌手が出てたらたまらない席でしょうねえ。
公演自体は地味に良かったです。ワーグナーの谷間で、ロッシーニが軽いと感じるのは当然なんだけど、トロヴァも軽く感じた。恐るべしワーグナー。

で、出待ち。最初に出てきたのはパピアン。一番最初に私にサインしてくれた。ど真ん中の2列目だし、東洋人だし覚えてたのかも。
セレブ歌手だと、サインは流れ作業的に書きなぐっていく人が多いんだけど、彼女は書いて欲しい場所に丁寧にサインしてくれたし、カメラ(携帯)を向けると、こっちを向いてくれた。非セレブ(アルメニア限定セレブではある。アルメニア大統領の訪独の際、大統領官邸に呼ばれてるし)ならではの良さ。

いわゆる美人国には、男女共レベルの高い国、女性はキレイだが男性がイマイチ、またはその逆と色々あるんですけど、ルチッチの母国セルビアは男性がいけてる国。何たってあのアラン・ドロンの出身国だ。容姿だけでなく、気風も良いのよ~。サムライって感じ。ルチッチも素敵な人でしたよ。セルビア人としては、かなりきれいな英語を話してました。

他の皆さんも親切だった。出待ちの人数の少ないこともあって、終演から出待ち終了まで30分。いつもこうなら楽なのに。
返信する
レヴァインだとPartialですみませんよ (Madokakip)
2009-05-22 06:10:38
 チャッピーさん、

そうなんですよね、平土間席の前方は、やっぱりすごく臨場感ありますよね。
ビジュアル面の、ある側面では最高の席ですね。
ただ、私の場合、音については、
それぞれの楽器が聞こえすぎて聴いていてすごく疲れてしまうんですね。
それが数時間続きますからね、、。
それで音とビジュアルの板ばさみに入り、
大抵の場合、音の方を重視した座席どりになってしまいます。

でもですね、まだフリッツァだからパーシャル・ビューで済みましたけど、
これがレヴァインだと大変ですよ。
私はマイスタージンガーで一度、彼の斜め後ろにすわったのですが、
あのもしゃもしゃ頭が気になって気になってしょうがありませんでした。
あれが真後ろだったら、多分視界は全滅だったと思います。

>トロヴァも軽く感じた。恐るべしワーグナー。

そうそう、それ、私も感じました。
ワーグナー漬けでしたからね。
公演がない日もずっとiPodでリングしてましたので、
トロヴァでは、幕が降りたとき、
あれ?トロヴァってこんなに短くてあっさりした作品だっけ?と思いましたもの(笑)。

パピアンはおっとりした優しそうな人ですよね。
がつがつしてなくて上品です。

そうですよー、私はルチッチみたいな人、
素敵だと思うんですけどね。
地味なんだか、なかなかブレイクしないですね。
ビジュアルでそれこそアラン・ドロンくらいいけてないと、
世界レベルで大ブレイクするのは無理なんでしょうか、、、?

私もこの公演、いい公演だな、と思いましたよ!
別の公演でおしゃべりさせていただいた観客の方からも同じ意見を耳にしました。
返信する
Unknown (チャッピー)
2009-05-24 20:17:44
マイスタージンガーといえば、ギフトショップでMETガラのマイスタージンガー序曲を流してた。
店内の客の多くはモニターを見てたんだけど、うち一人が目を閉じて指揮するジェスチャー。
もち、指環の時の客。お前はカラヤンか(笑)。
日本だけじゃないのね、逝っちゃってる人@ワグネリアン。
死ぬ前に一度は行ってみたいな、バイロイト音楽祭。半分怖いもの見たさだ。

トロヴァの話。昨日NHKでコヴェントガーデンの2002年の公演を放送してました。http://www.nhk.or.jp/bsclassic/hvwth/index.html
MET版と違う点;
・フェランドの存在感が凄かった
・アズチェーナが捕まった際レイプされる(年齢設定がMETよりも若い印象)
・修道院の場面もかなり違う印象(特に伯爵)
・ホロが今より肥えてる(歌はロンドンの方が良い)

「復讐の炎・・」はMETの方が戦闘モードが出ててるが、レオノーラが毒薬を飲む前の聞かせ所はロンドンの方がしっとり感あり。METは場面転換を優先させた作りだから仕方ないか。演出によってかなり印象が変わるんですね。こうなると「月光仮面のトロヴァトーレ」も見たくなってきます。

ホセ・クーラってラモス瑠偉に似てる。
ルックスはかなり好きかも。
テレビはルックの良くない歌手は辛いね。
レオノーラ役がルックスが駄目駄目だった。
ネフはワーグナーの方が良いと思う。
返信する
ネフがアズチェーナ! (Madokakip)
2009-05-30 17:43:15
 チャッピーさん、

>・フェランドの存在感が凄かった

歌が良い、ということでしょうか?
だとしたらすごいですね。そんなに登場場面の多いキャラじゃないですし。
それとも別に何か仕掛けが、、?

>・アズチェーナが捕まった際レイプされる(年齢設定がMETよりも若い印象)

これ、実はメトのランの極く初期の公演では若干それも微妙に示唆するニュアンスの芝居になっていたように私は感じたんですが、
まあ、アズチェーナがザジックですからね。
襲われる前に相手をなぎ倒しそうな感じもありますので、
馬鹿馬鹿しくなったのか、段々そんなニュアンスは消えてましたね。

・ホロが今より肥えてる(歌はロンドンの方が良い)

彼のこのルーナについては、声の変化のタイミングと微妙にマッチしない時期にメトの公演時期が重なってしまったような気もします。
ROHの頃の方が歌がいい、ということなので、
メトでも同様に歌えることを予期していたんでしょうが、
ROHの公演は2002年。もう7年も経ってますもの、
声に多少変化があってもおかしくないですよね。
オペラの公演は人気歌手なら何年も前からブッキングが始まりますし、難しいところです。

それにしてもネフってアズチェーナも歌っていたんですか?
びっくりです。
あまりにワーグナー作品にぴったりだったので、
ワーグナー専かと思ってました。
返信する
トロヴァ@ROH (チャッピー)
2009-05-31 00:09:13
フェランドを歌ったのは、ユル・ブリンナーみたいな容姿の歌手で、演出も派手でした。METのは脇役の一つ、って感じの扱いでしたが。歌はMETのAキャスのコリアン歌手が一番良かった。彼、出待ちで誰もサイン貰いにいかなかったので、傷ついてたみたいだった。

アズチェーナ、コヴェントガーデンのそれは、伯爵の兵士の腰が動きまくりで、遠目にもレイプしてることが分かる演出でしたね。ネフも艶っぽいから、違和感はなかったです。
METのはザジックだけでなく、Bキャスで私が見た日のグルジア人歌手も老婆ちっくで、レイプの対象にはならないような感じでした。

ところでこのトロヴァ@ROHは、娑羅さんがホロにはまった記念すべき公演だそうです。DVDも出てるみたいです。

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ジャケ写を観た覚えがあります、そういえば! (Madokakip)
2009-05-31 14:58:14
 チャッピーさん、

>フェランドを歌ったのは、ユル・ブリンナーみたいな容姿の歌手

トマス・トウマソンって、語呂遊びみたいな名前ですが、
聞いたことないですね、、。

>METのAキャスのコリアン歌手

クワンチュル・ユンですね。
サイン、もらってあげてください、、。
泣けてきました。

>グルジア人歌手も老婆ちっく

でしたか(笑)

>DVDも出てるみたいです

はい、Opera Newsだったか、レビューが出ていて、
ジャケ写が記憶に残ってます。
クーラのマンリーコはちょっと興味ありますね。
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