Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

L'ELISIR D'AMORE (Sat Mtn, Apr 4, 2009) 前編

2009-04-04 | メトロポリタン・オペラ
他のメジャー歌劇場でもある程度同じ状況だと思うのですが、
スター歌手を取り揃えることをセールス・ポイントの一つにしている
メトのようなオペラハウスでは、つい、観客の方も、
どのスター歌手が登場するか?その歌手がどんな素晴らしいスキルを披露したか
(実力のある歌手だったとして、ですが。)、
ということばかりに注意が向かいがちになってしまいます。

しかし、一年に一度か二度、単純な”スター歌手 X 彼らの技術=公演の出来”
という公式ではオペラは図れない、ということを思い出させてくれる公演というのがあって、
そのような、歌唱だけ取り出して見ると、超一級なわけではないのに、
どこか心に訴えかけてくる公演を、私は、”素晴らしい公演”と区別して、
”チャーミングな公演”と呼んでいるのですが、
その”チャーミングな公演”の極端な一例には、例えば、
今年で幕を閉じてしまうアマート・オペラで昨年鑑賞した『ラ・ボエーム』などがあります。
”人の心に訴える公演とは何か?”という問を投げかけてくるような公演のこと、と定義してもいいかもしれません。

シーズン前から、ランの終わりの一、二公演でニコール・キャベルと
ジョゼフ・カレイヤが登場する以外、ほとんどの公演が
ゲオルギューのアディーナと、ヴィラゾンのネモリーノというステラー・キャストであることを
売りにしていた『愛の妙薬』ですが、蓋を開けてみれば、
つい二ヶ月ほど前の『ルチア』でのヴィラゾンの絶不調ぶりに対する私たちの不安が的中、
結局、NYタイムズら多くのメディアの公演評の対象となる初日(3/31)と、
全国ネットのラジオ放送(シリウスではなくFMによる放送)がある今日の二日目の公演から
ヴィラゾンが降りることがシーズン・プレミアの数日前に発表されてしまいました。
二年前のネトレプコとヴィラゾンのコンビによる40周年記念ガラで観た
『愛の妙薬』からの第二幕での、ヴィラゾンの好演ぶりが今でも記憶に残っていて、
私は彼のネモリーノはとっても楽しみにしていたのに、、。
そして、刺客として放たれて来たのが、びっくり仰天のジョルダーノ!!

マッシモ・ジョルダーノは今シーズン、メトではシングル・キャストで『椿姫』のアルフレードを、
ダブル・キャストのBキャストの方で『ラ・ボエーム』のロドルフォ(Aはヴァルガス)を歌い、
もしかするとギャラが手ごろなのかもしれませんが、それにしても人気演目で
主役二本を張るという、破格の待遇を受けています。
その上に、ヴィラゾンの代役でネモリーノまで、、一体なぜ、、?!と不思議に思っていたのですが、
ジョルダーノのオフィシャル・サイトには、マネジメントにヴァンダーヴィーン氏の名前が入っています。
そして、ヴィラゾンのマネジメントは現在、ユニバーサル・ミュージック・クラシカル・マネジメント&プロダクションズ。
以前の記事の中でもふれましたが、ヴァンダーヴィーン氏とユニバーサルは一体と言ってもよく、
ヴィラゾンが開けた穴に体よく自らが手がけるアーティストを押し付けて来た、ということのようです。
本当抜け目ないですね、ヴァンダーヴィーン氏。
(しかも、秋にヨーロッパで予定されているネトレプコが出演するコンサートに共演者として
ジョルダーノの名前が見られ、今やジョルダーノはコンディションの不安定なこと著しい
ヴィラゾンをカバーするコンテンジェンシー・プランの役割も期待されているようです。)

しかし、どんな画策が後ろであろうとも、
本人に観客に有無を言わさぬ実力があれば何も言うことはないのですが、
『ラ・ボエーム』のBキャスト初日は私の連れに”メト史上最悪のロドルフォ”と形容された代物で、
私も『椿姫』『ラ・ボエーム』、いずれも全くぴんと来ませんでしたので、
ジョルダーノが代役に入ると聞いた時には肩が床に着くかと思うくらい落胆してしまいました。

ところが、初日(3/31)の公演をシリウスで聴いたところ、
彼のネモリーノは思っていたほど悪くはなく、
それどころか、アリア”人知れぬ涙 Una furtiva lagrima ”はなかなか聴かせ、
特に第二ヴァースの最初の、Un solo instante i palpiti del suo bel cor sentir
(ほんの一瞬、彼女の愛すべき心の鼓動を聞き~)という歌詞の部分での、
引き絞った音の美しさは思わず、夜ご飯を食べる箸が止まるほどでした。
むしろ、ゲオルギューの歌の方が、音程はぴっちりと決まらないわ、
装飾音はぎこちないわ、で、しかも、いちいち、高音に達するときに、
”どっこらしょ!”という声が聴こえてきそうな気がするほど、
妙な音への踏み切りみたいなものがあからさまに感じられ、
耳に心地よい歌唱ではありませんでした。
彼女は、いわゆる王道のベル・カント作品をレパートリーの中心にしているソプラノではないとはいえ、
『椿姫』のヴィオレッタというベル・カントに片足を突っ込んでいるような役をずっと
最高の当たり役としてきたのですから、コロラトゥーラの基本的な技術がないはずはないのですが、
およそ”らしくない”歌唱で、びっくりしました。

NYタイムズの初日の公演評(執筆者はスミス氏)は、
ヴィラゾンの抜けた穴は大きく、それが公演に影を落とした、と説明。
ジョルダーノの歌は、”好感は持てるが硬く”、”十分に耳に心地良くはあるが、粗さが見られ、
熱情的な響きがない”が、”後半段々と調子があがり”、
”人知れぬ涙”については、”賞賛に値するものであった”としています。
NYタイムズの評については、”はあ?”と思わされることがままあるのですが、
この評は、ヴィラゾンの抜けた穴云々という部分を除き
(大体、まだ歌ってもいない人間と比べること自体ナンセンス。)、
後半の部分については、私がシリウスで聴いた限り、かなり同意できます。
ゲオルギューについての、”時にやや声のサイズが小さく感じられる個所があったが、
歌はスタイリッシュで、技術的にも確か”という文章の最後の部分には、
一瞬、新聞が真っ二つに裂けるかと思うくらい、手に力が入りましたが。
あの初日の歌唱で、技術が確か、なんて言われた日には、
デヴィーアやグルベローヴァといった名人芸域の歌手たちの立場は、、?って感じです。

しかし、ゲオルギューの強いところは、ここ一番!というところの集中力でしょう。
なんといっても、長年一線でやってきた経験もありますし、
コンディションさえ整っていれば(『つばめ』のHDでは、風邪ということで、この地点がすでに狂ってしまいましたが)、
もともと力はある人ですから、歌のレベルをかなり高めることが出来る人です。
今日はラジオ放送があることで気合も入ったのでしょうが、
初日に比べ、ずっと丁寧に音が追えていて、高音も楽に出ています。
これくらいで、”技術は確か”と言う言葉もぎりぎりで納得できるというものです。


(写真はベルコーレ役のヴァサロ。ネモリーノではない。)

厳密に言うと、ベル・カントの演目で一部の観客が期待するような繊細さにやや欠け、大味なところがありますし、
後述するように低音域と高音域で音色が統一できていない、という、痛い欠点もあるのですが、
しかし、彼女がこの役に持ち込んでいる長所は、歌以上に、役の”雰囲気”の方だと思います。

アディーナという役は、結構複雑なところがあって、
”私の魔法の薬はこの美貌と目に宿った媚薬”としゃーしゃーと自分で言ってのける、
私ってば綺麗系(他に『タイス』のタイスや、『ドン・カルロ』のエボリがこのグループに入る)の役で、
かつ、女地主という貫禄も感じさせなければならず、
さらには、その美人なところ、知的なところがほんの少しだけ鼻につくことを
表現しなければなりません。
(大体、文盲がほとんどであろう村人の前で、本を広げて読む、というのが嫌味。家で読めばいいのに。)、
この作品は、音楽もリブレットも本当に良く出来ているのですが、
結構早く歌われる場面も多く、そのうえに重唱が結構あるので、
メトの英語の字幕でも、とても全部は訳しきれていません。
そんなやむをえない理由により、メト・タイトルズ(メトの字幕システム)には訳出しきれなかった中に、
ネモリーノが叔父の遺産を継ぐことがわかった後の、村の女性の合唱シーンの中に、
”彼女(アディーナのこと)は男はみんな自分に跪くと思ってんのかしら?”なんていう、
一見、彼女を慕っていそうに見えながら、
彼女たちの微妙な心理を表した一文があって、にやりとさせられます。
女性なら、調子に乗ってる同性を見て、一度は思ったことがある心理じゃないでしょうか?



私は告白すると、ベル・カントの、悲劇でない、喜劇的要素のある作品に時に登場する、
切れ者でおきゃんな女性が、正直言って苦手で、
なので、ひとえに歌の旋律や音楽としては好きですが、
実はロジーナ(『セヴィリヤの理髪師』)とか、ノリーナ(『ドン・パスクワーレ』)みたいな女性が大嫌いです。
で、アディーナもこの系譜に入るだろう、と思われるかもしれませんが、それがそうではない。
彼女は、ちょっと鼻につくところもあるけれども、決定的にロジーナやノリーナと違っているところがあって、
そのために、彼女は私の”オペラで好きな主役の女性”のグループの方に入っています。
それはすなわち、

1)自分でそのことに気付いてないが、実は最初からネモリーノのことを深く思いやっている
(作品自体が持っている個性のせいもありますが、ロジーナやノリーナには、
ロマンスのヒロインである前の、人間としての寛大さ、優しさみたいなものがあまり描写されていない。)

2)この作品の中で、彼女自身が成長し、その過程で、迷ったり、悩んだりする
(作品を通して、ほとんどキャラクターに変化がないロジーナやノリーナとは対照的)

3)2と関連しますが、アディーナの場合、ネモリーノを嫉妬させようとする小細工(ベルコーレとの結婚)も、
結局は彼女自身の得には何一つなっていない。そういう意味ではしたたかそうに見えて意外とどんくさい。
こういう点や、ちょっぴり自分の美人や知性を鼻にかけている、といった欠点が逆に人間らしくていい。
(ロジーナとノリーナは小細工がことごとく自分の目的を達するために役立っている、という、
真にしたたかな女性たち。実生活で周りにいたらぞっとしてしまいます。)

こういった複数の面を表現できてこそ、アディーナ役として説得力が出てくるのであって、
40周年記念ガラで見たネトレプコのアディーナが全然存在感がなかったのは、
役(というか彼女のこの役の演じ方)と彼女自身の間には、
美人なことくらいしか共通項がないことからも、驚きではありません。

一方、ゲオルギューの方は、これらの点をどの分野でもかなり高得点でマークしていて、
役として、非常に説得力があります。
彼女がシリアスな役では演技にどこか手持ち無沙汰なところがあったり、
歌唱が少し”遠い”感じがする、と、何度かこのブログでも書いて来ましたが、
個人的には、彼女はこういった少しコケティッシュであったり、
コミカルな役の方が生き生きとして、個性にあっているような感じがします。
この公演では演技が手持ち無沙汰どころか、一つ一つの動きがつぼを押さえていて、
このアディーナという女性のちょっと誇り高い性格なのに、ずっこけで、
でも憎めなくて、というところが良く表現できていました。
私がとても気になったのは、先述したことと重なりますが、
最近は『蝶々夫人』なんかまでレコーディングしてしまっているうえに
メトの来シーズンではカルメンまで歌ってしまう彼女の、
そんなレパートリーの移行の中で付いてきた癖なのか、
高音域から低音域に大きく音が下がるときに、
低音域側の音が、ベル・カントのレパートリーで聴くにはちょっと厳しいまでに音が汚いことです。
こういう音は『カルメン』やヴェリズモもや、せいぜいプッチーニの一部の役くらいまでは
ぎりぎりで許せるとしても、こんな『愛の妙薬』みたいな演目で聴きたい音ではありません。

とにかく、こういう演目で彼女の歌を聴くと、
良くも悪くも歌がドラマチックになってしまう人なんだな、と感じます。
その点で、役作りの巧みさとは裏腹に、歌唱スタイルの方では
アディーナ役は必ずしも彼女にぴったりの役柄ではない部分もあって、
それが観客を少し戸惑わせるのでしょうか?
特に一幕で、客側の反応が歌の出来に比して少し大人しかったように思います。


<マッシモ人生最大のチャンス!の後編へ続く>

Angela Gheorghiu (Adina)
Massimo Giordano (Nemorino)
Franco Vassallo (Sergeant Belcore)
Simone Alaimo (Doctor Dulcamara)
Ying Huang (Giannetta)
Conductor: Maurizio Benini
Production: John Copley
Set and Costume design: Beni Montresor
Lighting designer: Gil Wechsler
Stage direction: Sharon Thomas
Grand Tier B Even
SB

*** ドニゼッティ 愛の妙薬 Donizetti L'Elisir d'Amore ***

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16 コメント

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おお、こちらでも愛の妙薬ですか (babyfairy)
2009-04-08 05:30:43
5日の日曜日に、ウィーン国立歌劇場でフローレスがネモリーノ、ヌッチがベルコーレと言うキャストの愛の妙薬を観て来たばかりです。かの歌劇場恒例のこれ以上無い程伝統的で全うな演出で、『安心して』音楽に浸る事が出来ました。

ネモリーノの役は色々なテノールが歌えるし、また歌って来たので、繊細なフローレス・ヴァージョンから、パヴァロッティ、そしてジョルダーニ・ヴァージョンもありなんでしょうけど、ゲオルギューがアディーナと言うのが面白いなと思いました。
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羨望のまなざしを感じてください (Madokakip)
2009-04-08 14:07:38
 babyfairyさん、

>フローレスがネモリーノ、ヌッチがベルコーレ

ひゃーっ!!!めちゃくちゃ羨ましいですー。
私のこの猛烈な羨望のまなざしに焼き焦がされないようにご注意ください!!
今、babyfairyさんのブログを拝見しましたら、
アディーナは、ゲオルギュー違いのテオドラさん、、、
この方は、全然アンジェラとは関係ないのですよね?
名前もちょっと記憶にないので、まだNYには未登場の方かもしれません。

そうなんですよね。
ネモリーノは歌う歌手によって全然違う感じになるので、とても面白いです。
(ちなみに、マルチェッロ・ジョルダーニと、
名前も苗字も似ていて紛らわしいのですが、
今回は、マッシモ・ジョルダーノです。
ジョルダーニとジョルダーノ、
私もいつも書いていて間違えそうになります

ゲオルギューのアディーナというのに
興味を持って頂いたと拝読し、
もともと少しゲオルギューの歌についての記述が少なかったことに気付き、
加筆してみました。
字数制限に引っかかりそうですので、
今出来た部分だけを前編として上げさせていただきますね。
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楽しそうな舞台ですね。 (ゆみゆみ)
2009-04-08 21:30:45
写真を拝見すると「夢遊病」のようでなくて良かった。
「夢遊病」は、13日に行った「バックステージツアー」と重なって、あ~~でございました。
ところで、私は15日に「愛の妙薬」を見る予定ですが、ヴィラゾンのまま出ていますが、これも代わるのですか?
正直申しまして、ゲオルギューは苦手です。
ミカエラ・ヴィオレッタ・アメーリアとお目にかかっていますが、避けて通りたい方の1人でした。
でも、コミカルはとのこと。楽しみにしています。今回は、どうぞお風邪を召されませんように・・。
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演出は最高です (Madokakip)
2009-04-09 12:47:07
 ゆみゆみさん、

後編でゆっくり書くつもりですが、
この演出は私は大好きですね。
メトは、この演出での『愛の妙薬』を持って来日公演もしてますし、
DVDとかにもなっているので、おなじみなんですが、
やっぱり何度見ても、いい演出は楽しませてくれます。

>ヴィラゾンのまま出ていますが、これも代わるのですか

変わってしまいましたねー。
今メトのサイトを見ると、
11、15、18日はディミトリ・ピッタスにキャストが変更されています。
彼の歌声は、私、結構好きなので、もう一度観に行ってもいいかなと思います。
22日は最初の予定通り、カレイヤです。
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フローレスのネモリーノ (Boni)
2009-04-09 17:27:31
ウィーン国立歌劇場の「愛の妙薬」、最終日の公演を観る予定です。ちょうどイースターですね(だからと言って、別に卵やウサギの被り物を着けて出てくるわけでもないでしょうが)。フローレスでは、その後の「アルジェのイタリア女」も観ることになっているのですが、相変わらず絶好調のようで、今からわくわくしております。
オーストリアの新聞の批評でも絶賛されているようで、”Aus seiner Kehle stroemte pures Gold(彼の喉から純金が流れ出てきた)”という見出しの記事になっていました。(直訳するとちょっと変ですね。)
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2人のゲオルギュー (babyfairy)
2009-04-10 03:23:05
マッシモ・ジョルダーノだったんですね。ウェブサイトに載っていた写真よりも体型が随分丸くなったような気がしますが。

ゲオルキューについて詳しくレポート、どうもありがとうございました。やっぱりドラマティックになり過ぎだったんですね。ベルカント・オペラでは明らかな声のギアチェンジがマイナスになるので、演技的には表現出来ても声的に辛い訳ですね。
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もうご出発でしょうか?/紛らわしい名前でごめんなさい (Madokakip)
2009-04-10 14:56:47
頂いた順です。

 Boniさん、

羨ましいですねー。ウィーン旅行!!
ということは、babyfairyさんがご覧になったのと同じキャストになるんでしょうか(フローレスは同じですが他のキャストも、、?)

ちょうどイースターとお書きになっているということは、
もう出発直前でいらっしゃると見ました。
どうぞ、思う存分、楽しんでいらしゃってくださいね。
ご覧になった公演の簡単な感想などもお聞かせ願えると嬉しいです。

”Aus seiner Kehle stroemte pures Gold"

素晴らしい表現ですね。本当にその通りだと思います!!

 babyfairyさん、

そうなんですよー、紛らわしい名前ですみません。

>ウェブサイトに載っていた写真よりも体型が随分丸くなったような

一昨年くらいまではあのウェブサイトみたいな感じだったのですが、
いつの間にやらこんなんことになってしまいました。
坂道を転げ落ちるとはまさにこのこと、、。

>ベルカント・オペラでは明らかな声のギアチェンジがマイナスになるので

それをすごく今回感じました。
本文にヴィオレッタは半分ベル・カントに足をつっこんでいる、
みたいなことを書いたので、矛盾している、と感じられる方もいるかもしれませんが、
いわゆる王道ベル・カントとヴェルディの作品
(中でもベル・カント・レパートリーの要素がまだ多く感じられるもの)は
やっぱり全然性質が違うんだな、と、、。

例えばヴィオレッタなんかは、ゲオルギューの
ギアチェンジも、高音、低音、それぞれが
ドラマティックで効果的に鳴るので、
それはむしろ長所なくらいで、
彼女のヴィオレッタをこりゃだめだ!と感じる人はあまりいないのではないかと思うのですが、
同じそのギアチェンジが、
『愛の妙薬』のような演目では足をひっぱっていました。

歌声だけで聴きたいアディーナでは正直なかったです。
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ウィーンより (Boni)
2009-04-19 01:41:42
フローレスのネモリーノ、聴きましたよ。アンコールに応えて「人知れぬ涙」も2回歌ってくれて、もう満腹です。
他のキャストは、アディーナが当初予定のリスニクである他はbabyfairyさんがご覧になったのと同じだと思います。

パヴァロッティやディ・ステファノのように、美声を恃んで一気に歌い上げるのではなく(まあ彼らのような声をもってすれば、それだけでも十分魅力的なのですが)、さらに彫琢し、丁寧に歌い込んでいく姿勢は、フローレスの最も称賛されるべき美点だと思います。そして、その結果は、磨き上げられた宝石のような、ベルカントの手本です。

レオ・ヌッチのベルコーレもまた歌、演技ともに素晴らしいものでした。ヌッチといえばドラマティックな役柄ばかりを想像しがちですが、彼がこのベルコーレやフィガロなどの喜劇的な役も得意にしていたことを改めて思い出しました。

ドゥルカマーラ役は、この役がウィーンデビューとなるブルーノ・デ・シモーネという知らない歌手だったのですが、声質こそ硬く若干魅力に欠けるとはいえ、声量も十分、歌も演技も上手く、古典的なイカサマ商人を好演しており、フローレスとヌッチに次ぐ喝采を博しておりました。

明日はフローレスの出演する「アルジェのイタリア女」を観る予定です。
返信する
ウィーンからなんて感激です! (Madokakip)
2009-04-19 14:16:26
 Boniさん、

ウィーンからこのブログをチェックして頂いて、
コメントまでいただけるなんて嬉しいです!!

フローレスの宝石のようなネモリーノ、
私も聴きたいです。
しかも、アリアはアンコールまでとは、
滅茶苦茶羨ましい。

本当におっしゃるとおりで、
ベル・カントは、繊細に、”磨いて”歌ってほしいですね。
実は私もパヴァロッティの歌は、
もちろん声の魅力はスーパーなんですが、
特にベル・カントのレパートリーにおいては、
フローレスみたいな歌を聴いてしまうと、
ちょっと物足りない気がしてしまうときがあります。

つい先ほど、二回目の妙薬の記事を上げましたが、
今年のメトは、正攻ベル・カントなネモリーノは聴けずにいますので、
なおさら羨ましいです。

ヌッチは、幅のある役をどれも器用にこなす人ですが、
個人的にはコミカルな役での彼が一番好きです。
というのも、本人が歌い演じていて実に楽しそうなんですよね。
それが客にまで伝播してきます。
実演で観たフィガロは最高でした。

ウィーン便り、本当にありがとうございました!
『アルジェのイタリア女』、大いに楽しまれますように!
返信する
「アルジェのイタリア女」 (Boni)
2009-04-29 17:23:55
帰国後ばたばたしていたので、古いエントリーに再度コメントすることになってしまい、すみません。お言葉通り、大いに楽しんでまいりました。

実は能天気なことに当日まで知らなかったのですが、16日の公演ではフローレスが急病でキャンセル、代役がリンドーロを歌ったとのことでした。
私が観た19日の公演ではフローレスは歌ったのですが(病み上がりとは思えない見事な出来でした)、今度はムスタファ役のイルデブランド・ダルカンジェロが当日の配役表の印刷も間に合わないほどの急病で降板。
代わって登場したのがフェルッチョ・フルラネット(何とも豪勢な代役です)。そして、そのフルラネット演じるムスタファが最高でした。急な出演を承諾してくれたことへの感謝もあってか、カーテンコールではフローレスを上回るほどの拍手で迎えられていました。
ヌッチの場合もそうでしたが、歌もさることながら、年季の入った名歌手の演じる喜劇は格別な魅力があります。

今回、フローレスと少し古いスタイルのベテラン歌手の共演を二度観ることになったのですが、驚いたことに波長がぴったりと合っているのですね。このことは、彼の古典的な歌唱スタイルがまさに完成されつつあることを示しているのだと思います。
実際、最近の彼の歌を聴くと、私は現代の歌手や一世代前のパヴァロッティのような歌手よりも、もっと古い時代の名歌手達、例えばタイプは全く異なりますが、カルロ・ベルゴンツィや、更に前の世代のタリアヴィーニなどを強く想起いたします。(そういえばこの二人もネモリーノを得意としていましたね。)
数年前に彼とデセイが共演した「連隊の娘」を見た折に僅かに感じられた違和感は、ここに原因があったような気がいたします。
「夢遊病の娘」のHDを観ていないので何とも言えないのですが、今ではその違和感はもっと大きくなっているのではないでしょうか。

>ヌッチは、幅のある役をどれも器用にこなす人ですが、個人的にはコミカルな役での彼が一番好きです。

ウィーン国立歌劇場の”pro:log”と題した宣伝紙があるのですが、ヌッチのウィーンデビュー30周年にあたるということで、その4月号に記事が掲載されていました(歌劇場のウェブサイトでもPDFで読むことが出来ます)。
それによれば、最も出演回数が多いのはリゴレット(30回)で、次いでルーナ伯爵(27回)なのですが、興味深いのは3位と4位が、フィガロ(22回)、ジャンニ・スキッキ(17回)と、いずれもコメディーなのですね。彼の幅の広さがよくわかります。
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