ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

中国人対ジプシーの抗争

2011-02-07 | ルーマニア・ブカレストの日常
大規模な『中国人村』の建設(本記事はこちらから)で、中国人を以前に増して見かけるようになってきたブカレスト。彼らがこの地に大挙してやってきたのは、1989年12月のルーマニア社会主義革命の直後から。中国商人として乗り込んできたのです。
 
チャウシエスクの政策により国民の食糧まで輸出してしまい、飢餓状態に陥っていた社会主義の後期。市場に物が流通しているはずもなく、衣類なども入手しにくかったそんな時代から転じて自由主義に突入、これをビジネスチャンスとばかりにどんどん中国製品を持ちこんで商売をはじめ、定住していった中国人。
 
これを見ていて面白くないのが、ブカレストのロマ人(=ジプシー)たち。中国人が住むようになったブカレスト北東部には、ロマ人もすでに多く住んでいました。同じような場所に居を構えるにいたって、先住者と入植者の間で協調できず、小競り合いが。
 
そしてその小競り合いが積み重なり、1992年ごろにはついに大きな抗争に。ナイフでは事たりずに飛び道具も持ち出され、血に血を塗る戦いとなり・・・、このジプシー対中国人の抗争、なんと勝利したのは中国人!
 
このブカレスト北東部、オボールからパンテリモンのあたり、その流れで中国人が多く住んでいます。ロマ人たちも相変わらず住み続け、路上で物を売ったりしているけれど、その大抗争の後、ロマ人は中国人におおっぴらに手を出さなくなったといいます。(とはいえ、こんなこともあります、こちらから。)
 
ここでも恐るべし、中国パワー。ジプシーに勝利するとは・・・、「やるときは本気」が見えてくる巨大パワー。 

チャウシェスクの政策:
その時代、130億ドル以上の借金があったのですが、チャウシェスクはそれを返還しようと、国内のものをどんどん輸出していったのです。当時、国民は貧困生活を強いられていたけれど、今となっては「多額の借金を返すためのチャウシェスクの政策だったんだ。そして国民も努力し、全額返済し借金ゼロになった。」とむしろその政策を評価する人のほうが多いようです。

現在のルーマニアは借金だらけ。2008年秋以降の経済恐慌により、2009年春にIMFなどから200億ユーロの支援を受け、その期限が今年の5月。到底、追いつかないのでさらに追加支援を要請、おなじくIMFなどから50億ユーロ(日本円にして約5600億円)を受けることが決定しています。36億ユーロをIMFから、残りの14億ユーロを欧州連合(EU)から、期限は先の支援と同じく2年間。

ちなみに日本の借金はこちら、『日本の借金カウンター』から。刻一刻と増加の一途。


ランニング部門⇔⇔⇔にほんブログ村 海外生活ブログ ルーマニア情報へ
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑ 
♪♪ご面倒ですがふたつともクリックしていただければとっても嬉しいです♪♪