港区まち創り研究会(まち研)ブログ

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「高輪今昔」の例会でお話しました

2023-12-16 09:22:22 | 高輪地区のできごと
「高輪今昔」代表の金子芳夫さんのお招きで、「高輪今昔」の例会に、私が「高輪今昔」に投稿した昭和20~30年代の写真数枚についてお話をしました。

父の写真です。父は外にでかける時は上から下まで着るものに気を使ってとてもおしゃれでした。帽子もソフト帽かベレー帽か必ずつけていました。ネクタイも必ず着用。
スーツは出入りの洋服屋がいて、仕立てていました。といっても、家は金持ちではなく、父の衣装代のウエイトが高かったのでしょう。
この写真は写真家でもあった外語大の教え子の高島誠さんが撮影したもので、写真としての精度は高いです。
道路は未舗装で、ほとんど車が通らなかった時代です。
ねこが写っていますが、当時のねこは外と内とを自由に出入りしており、このねこはけんかが強く、地域のボス猫のような存在でした。

母の写真です。母はたいてい和装で、このかっこうで外出していました。
うしろに旧細川邸の椎の木が写っています。当時はこんなに脊が高かったのです。
ふくろうがすみついていました。
昭和32年ごろ、この木に落雷があり、木の中央部が焼けこげてしまい、枯れかかったのですが、港区が再生手術をし、枝を切り落として脊を低くして今の姿になりました。
さらに、その後ろに今の区民センターやTAPのある当たりが写っていますが、当時は何もなく原っぱで正月はよく凧あげをしていました。

母の写真です。洋装でバトミントンをしています。活発な感じです。母には、こんな一面もありました。
ただ、この写真は姉が撮影し「母の日写真コンテスト」に応募した写真です。活発な母の感じを表現し、確か佳作に入賞したと記憶しています。
カメラは当時流行していた二眼レフを買っていました。二眼レフは画像がカメラに映り、ピントが合いやすく、よく撮れたのでしょう。

近くに住んでいた姉の友人と黒門です。
昭和28年位まで、高松宮邸には黒門がありました。この黒門は旧細川邸のころからあったと思われます。
国指定の文化財として、移転し現在は上野国立博物館にあります。
今の門とへいの前に、この黒門があったようです。
なにか威厳がありものものしい感じですね。
姉の友人は正装しており、記念写真をとりたかったのでしょう。
これらの写真は70年前位ですが、たった70年で地域の姿は大きく変わっています。



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