極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

壁に止まった幸せなハエ

2018年07月17日 | 今日の風の吹きまわし
7月16日(月曜日)。続き・・・

そうやって本気を出して、1年かけて書き上げた芝居の脚本が査読を申し込む寸前で棚上げになったの
は去年の12月。またもや立ち往生かと思ったけど、それが実は幸運だったとわかったのが3月。半世紀
前に役者たちの自主制作の芝居小屋だったArts Clubを3つの劇場で1シーズンに10数本の作品を上
演するカナダ最大の劇団に育て上げた芸術監督のビル・ミラードが引退することになって、演劇界の有
志が彼の名前を冠した奨学基金の資金集めを兼ねた特別ショーを企画。同じ日にショーに先立って別に
資金集めのディナーパーティがあって、私たちもショーとペアのチケットを買って、柄にもなくカクテルドレ
スとスーツのいでたちで参加したんだけど、「思いがけない幸運」に遭遇したのはパーティでの余興オー
クションだった。

「リゾートで2泊3日」とか「マンマ・ミーアに端役で特別出演」といったロットがあって、一番最後が「ビル・
ミラードと共に~一生に一度の体験(Once in a Lifetime with Bill Millerd)」。ビルが2017年/18年の
シーズン最後のミュージカル『ONCE』を演出するので、1日彼のそばにいて、その後で夕食を共にする
という趣向だった。それを見たとたんに、これはワタシのだ!と決めて、オープニングの2千ドルで競りが
始まると同時に手を上げて、他の人が競り上げるのに負けじと手を上げっぱなし。最後はカナダで有名
なシンガーソングライターと俳優の姉妹との一騎打ちになってみんな大いに興奮。粘り抜いてとうとう競り
落としたときは5500ドルになっていた。芸術監督サークル(ADC)で親しくしている人たちがカレシに「ま
た心臓発作を起こすんじゃないかとハラハラしたよ」と言って大笑い。でも、ふと見たら、司会者の後ろに
立っていたビルが「でかした」と言うように親指を立てるサインを出していて、ああ、やっぱり初めからワタ
シのものだったんだと納得して感激したのだった。

それが3月の初めで、『ONCE』 リハーサルが始まるのは5月。スペシャルイベント担当のミスティから
「その日」について連絡が来るのを首を長くして待っていたら、5月の初めに何とビル・ミラードその人から
メールで「来週に最初のミーティングがあるので、退屈かもしれないけど興味があったらおいで。その後
に制作会議があるけど日時は未定。5月20日からBMOセンターでリハーサルが始まって、6月初めに
グランヴィルアイランド劇場のスタジオに移動して、13日にドレスリハーサルの後1週間のプレビューで
オープニングが20日という日程。詳しくは舞台監督のカリンが連絡するからね」。はああ?一生に一度
の「ビルとの1日」だったはずが、いつの間にか制作の初めから終わりまで通して見せてもらう話になっ
ていて、どうなってるの?話が違うどころか、天にも昇るような夢のような話・・・。

こうして5月に劇作家の卵の卵のワタシの「舞台芸術特訓コース」が始まって、夢のような1ヵ月をリハー
サルスタジオの壁に止まった(世界一幸せな)ハエとして過ごすことになったのだった。

猛暑ではあるけど・・・

2018年07月17日 | 今日の風の吹きまわし
7月16日(月曜日)。晴れ。異常高温警報発令中。近年は軽く30度まで行ってしまうから、やっぱり地球
が暑くなっているってことなんだろうな。でも、我が家はエアコンがないけど、外が30度を超えても窓の開
け閉めでけっこう快適に過ごせるのがいい。間取りはWを逆さまにして広げたようなL字型で、Wの2つ
の山が真東に当たるので、午前中に日が入る寝室やオフィス、ダイニングがあるLの一辺は正午を過ぎ
ると日陰になるし、もう一辺は角のリビングが2時を過ぎると上階のバルコニーの陰に入り、キッチンにつ
ながった園芸ルームとスペアの寝室は奥行きの深いバルコニーがあるおかげで直射日光が中まで差し
込まないので夏でも涼しい。
   

デベロッパーが広いユニットを配置して高値をつけたがる眺望の一番いい向きが東角だったのは運が良
かったと言えるかな。大きなユニットが3戸しかない最上階は全室エアコン付きだけど、その下3フロアの
東角の(一番大きな)ユニットは売り出し当初にエアコンがオプションになっていたらしく、聞くところによる
と実際についているのは我が家のすぐ上だけ。それもよく窓が開いてるところを見ると、新しいオーナー
はあまりエアコンをかけていないのかもしれない。我が家も最初の買主が希望しなかったからついてい
ないわけで、後付けは可能らしいけど、今のところは必要を感じない。というわけで、快適ではあるんだ
けど、ルーフデッキに面した東角のオフィス(一番小さい寝室)だけは、せいぜい10平米のオフィスに
PC2台、プリンタ1台、人間2人がほぼ1日を過ごすのに、隅にひとつしかない小さな窓からの風通しが
良くないもので家中でダントツに暑い。それでもダイソンのタワー扇風機1台で何とかなっているのは湿
度が低いせいかな。

窓壁が2面なので「金魚鉢」と呼んでいるオフィスで、ワタシのスペースはその窓壁の角。前を見ても、横
を見ても、空と連なる山並みとフレーザー川。視界の8割は空なので、刻々と形を変えながら流れる視界
いっぱいの雲やその視界を横切る旅客機を眺めて、のんびり白日夢を貪っていると、いろんなイメージ
やストーリーが浮かんで来る。ベースメントの外が見えないオフィスにモグラのように閉じこもって仕事を
していた頃には想像もできなかった解放感というか気持の広がりが15年くすぶり続けていた創作熱を再
燃させたと言えるけど、精神的などん底から這い上がるエネルギーになった前回と違って、今度はやり
残した夢を追求するためのエネルギー。無事に古希を迎えた今、まだ10年は創作エネルギーが残って
いると思うから「これから10年はワタシのもの」。カレシにそう言ったら困ったような顔をしていたけど、カ
レシと家庭を持ってから43年でやるべきことは全部やったと思うし、ずっと働いて来たおかげで潤沢な年
金をもらえるようになったんだから、60年来温めて来た夢に残る人生を賭けても誰にも文句は言われな
いと思うけどね。

森林火災の煙に覆われていた去年の今頃

2018年07月14日 | 今日の風の吹きまわし
7月14日(土曜日)。晴れ。猛暑注意報発令中。予想最高気温は(メトロバンクーバーのある)沿岸部で
25度から30度前後(ニューウェストミンスターでは28度)。いつも暑い内陸は35度から40度くらい。
(海風が通るバンクーバー国際空港で計測される)公式の平均気温は22度だそうだから、季節外れの
猛暑ってことになるのかな。まあ、湿度が45%前後だから、28度でも楽なことは楽だけど、土地っ子の
カレシは「蒸し暑い」と愚痴。内陸地方はもっと湿度が低いけど、乾燥しすぎて森林火災が多発するのが
悩み。去年は大規模な火災が数十ヵ所で発生して、焼失面積は合計で日本の国土面積の1.6%に当
たる6000平方キロを超え、数百キロ離れている私たちも流れて来た煙に何日も閉じ込められて、毎日
の天気予報は気象用語ではないはずの「煙」。

   
   朝の太陽はこんな感じ・・・
   
   夏の夜空の月もこんな感じ・・・

太陽の光が遮られたおかげでずっと出ていた異常高温注意報は解除になったけど、バンクーバー圏で
は普通なら「低リスク」の2か3のAQHI(空気質健康指数)も「高リスク」の7になって、街ではマスクがば
か売れ。でも、実際にして歩いていたのはほとんどがアジア系の人たちだったような気がする。でも、東
京に行くと新宿駅辺りでの「白いマスクの壁」についぎょっとしてしまうあのマスク、微粒子を95%ストップ
する等級「N-95」のものを正しく着用するのでなければ、かえって逆効果らしい。というのも、普通のマス
クは肌に密着させられないから、隙間から微粒子が入って来るし、マスクを通しての呼吸はどうしても強
く吸うようになるので、怖いPM2.5を肺の奥深くまで吸い込んでしまうことになるんだそうな。これじゃあ
気休めにもならないじゃないの。

振り返ってみると、煙が沿岸方面に流れ始めてから約1ヵ月、空が煙に覆われてAQHIが健康リスクが
高い7まで上がった約10日間のあの「不健康な夏」もカレシの急性心筋梗塞に寄与したんじゃないかと
言う気がするな。心臓発作を起こしたときのカレシはタバコをやめて30年以上経っていたし、血中コレス
テロールは正常に近かったし、血圧は高血圧「ぎりぎり」の数値でその1年前より低かったし、糖尿病もな
かったので、退院後の生活指導を担当した看護師さんがちょっと首を傾げていた。昔からやや不安神経
症的なところがあるカレシのことだから、ストレスの蓄積が主因であることは確かだろうと思うけど、去年
の「煙害」が進行を早めた可能性も考えられるな。それと上の階のドタバタとの関係が明らかな「白い粉
ぼこり」もある意味で大気汚染として寄与していたかもしれない。というのも、(子供が走っていた)リビン
グとダイニングの家具だけに毎日拭き掃除をするくらいの白い粉のような埃がたまって、掃除代行業の
シーラが異常だと言うくらいだったのが、騒音一家が引っ越すと同時にその白い粉も姿を消した(同時に
ひどくなっていたワタシの咳も収まった)というエピソードがあったからで、あれは築浅でまだ養生中だっ
たコンクリートの天井に(塗り直しが必要で入居前に)塗ったペンキ(あるいはコンクリート粉と混じったも
の)が振動で粉になって落ちて来たものだったんじゃないかと想像しているんだけど。

その前に書いていたモーツァルトとベートーベンをモチーフにした芝居脚本を棚上げして、騒音問題に始
まってマンション暮らし全般をテーマにした脚本を書き始めたのがおととしの秋。現実的なテーマだった
せいか話がどんどん進んで、テーマがマンション暮らしから、収まるところを知らない住宅価格の高騰や
賃貸アパートの空室不足と家賃の高騰などの「普通の市民」がなす術もなく巻き込まれた大都市圏の住
宅問題に広がって行って、ワタシのストーリーなのにどんどん勝手な方向に発展。何とかものになりそう
なところまで来たときには登場人物たちのラブストーリーになっていて、しまいに3組のカップルが誕生し
てジ・エンドになったからもう何をかいわんや。あちこちで聞いてみると、そういうことは良くあることらしい
けどね。手直しをして、考え直しをして、書き直しをして、と進めているうちに最初は見えなかったことが見
えて来て、それを取り込んで行くことでストーリーに幅や奥行きができて、見ている人の共感を呼ぶような
せりふや場面が生まれてくるのかもしれないな。

個人的に先生役を買って出てくれたArts Clubのキャシーが「PTCに送って査読してもらえるところまで
来た」と言ってくれたのが11月半ば。PTC(Playwright Theatre Centre)というのは舞台制作はしないで
劇作家の育成や支援をしている団体で、査読してもらうために「劇作家」として加入していたので、提出
するための「最終版」を仕上げようとがんばっていたところでカレシが心筋梗塞。入院している間、退院し
てから普通の生活に戻るまでの間、本業の仕事も忙しい時期だったので、1年かけて書き上げたワタシ
の「処女作」はしばらく埃をかぶることになってしまった。

だけど、世の中は塞翁が馬とはよく言ったもので、思いがけない幸運に恵まれて「処女作」はさらに手直
し。やっと査読の申し込みをしたのはつい先月の終わり。結果が返ってくるまでには1ヵ月くらいかかるそ
うなので、それまで毎日ちょっとどきどき。最悪「くだらない」と言われるかもしれないし、うまく行けば「よく
できました(花丸)」で終わるかもしれないし、もしかしたら「さらに磨き上げて制作を目指しましょう」と言っ
てもらえるかもしれない。どっちにしても、カレシの病気による中断と「思いがけない幸運」のおかげで半
年前よりは格段に進歩したものになったのは間違いない。ワタシって不思議に幸運がついて回るらしい
ところがあって、跳躍台になった「思いがけない幸運」は今でも信じられないくらい思いがけなかった。

あれは3月の初め・・・


波乱に満ちたごぶさたの1年10ヵ月

2018年07月10日 | 今日の風の吹きまわし
2018年7月9日(月曜日)。現在進行形の新ブログのログインページを見たら、更新が「2年前」になっ
ていて開けてみたら、何と2016年9月17日。大変ごぶさたいたしましたぁ。毎日(自分で文字数を制限
している)新ブログを更新しながら、続けている仕事をしたり、演劇熱が嵩じて芝居の脚本を書き始めた
りしているうちに、「饒舌」ブログには手が回らなくなってしまったというのが裏事情。でも、ネット上に場所
を取っておきながら、放置したままでいてはお行儀がいいとは言えないな。ごめんなさい。

最後の記事で書いたメトロバンクーバーの住宅事情は、やっと何となく翳りが見えて来たところだけど、
戸建てはほぼ高止まりで、マンションはまだ値上がり中。高くなり過ぎた戸建てを諦めてマンションを買お
うという人たちが増えたらしい。3年前の3月に8900万円で買った我が家も、市の固定資産税のベース
になる州の査定評価が去年9600万円になり、相場では1億2千万円で売りに出しても売れるというから
おそろしい。すぐ上の(同じ間取りの)ユニットは去年の6月に9500万円で売れたそうで、数年前に着工
前の事前販売で7200万円だったそうだから、わずかな間にすごい値上がり益が出たことになる。

この上階のユニット、双子の幼児が走り回ってうるさいという問題があって、一時は何とか我慢できるレ
ベルだったのが、最後の記事の数ヵ月後あたりから急にひどくなった。朝は6時半から寝ている上でドタ
バタ。昼もドタバタ。夜になってもダイニングエリアの真上で1時間も2時間も地団太を踏むようにドタバタ。
親が階下に大きく響いていることを知りながら何の対策も講じていないようだったのがムカついたけど、
幼児が9時半になっても走り続けているのは異常なな感じだったから、対策の取りようがない状況だった
のかもしれない。でも、毎日がこれではワタシもひどいストレスでうつっぽくなるし、いつも季節的に仕事
の多い春には昼も夜も集中できないしで、まさにぶっちぎれる寸前。4月になって管理組合に苦情を出す
ことしたところで直前にユニットが売りに出て苦情は出さないで済んだけど、不動産サイトに載った写真
に何と高価そうなダイニングテーブルの4隅に分厚いタオルが取り付けられていて絶句。防音対策じゃな
くて子供が安全に走れる対策を講じていたわけ。噂によると双子は2人とも何らかの障害があったらしい。
そう聞くと子供に同情を感じないわけでもないけど、それでもねえ・・・。

6月には一家が引っ越して騒音問題は解決したけど、持ち主はどちらも南アジア系のアメリカ人夫とカナ
ダ人妻の夫婦で、アメリカ国籍者は世界のどこに住んでいても値上がり益に課税されるんだけど、自宅
なのに共同名義にせずに妻だけの名義にして、ちゃっかり夫の持分にかかるアメリカの税金を回避(とい
うか脱税に近いような)したらしい。後でわかったことだけど、夫はアメリカの税務が専門の弁護士。カナ
ダの客にいかにアメリカの税金を回避するかをアドバイスしていて、実際にそれを実践してみせたってこ
とかな。聞くところによると、川向こうの(南アジア系が多い)サレーのずっと南側にある新興の高級住宅
地に引っ越したらしい。まあ、要するに、元々からそういう人たちだったってことだな。

惨憺たる数ヵ月だったけど、入居した新しい持ち主は建設や産業関連の法律が専門で法廷で弁論もす
る弁護士で、週末に4、5歳の女の子が泊まりに来る以外は「独身」。先手を打って前住人との経緯を説
明した「お願いレター」をシェリーにドアの下に入れてもらったので、子供だから走ることはあってもほん
のときたまでわずか数秒のことだし、アジア系と違って子供は早く寝かせているようで、マンションの「普
通の静けさ」を取り戻すことができたのは何より。このウィークエンドパパ、アウトドア派らしく、自分の娘
とは言え週末に小さな女の子と家にくすぶっていたくない人のようで、昼間はいたって静か。小さい子を
持つ親と言っても、この違いっぷりには驚く限り。

まあ、その経験から住宅問題をテーマにして芝居の脚本(処女作)を仕上げることができたから、人生は
まさに塞翁が馬。その前に書いていたのを棚上げして書き始めて、Arts Clubの資金開拓部門の部長の
キャシーに個人的に指導してもらいながら、何度も何度も手直しをしたり、大幅に書き直したりして、やっ
とこれならと思うところまで書き進めたんだけど、最後の見直しをして地元の劇作家の育成を支援をする
センターに送ろうというところで一大事が起きて中断。

昨年11月30日、カレシが心筋梗塞を起こして救急センターに駆け込み、そのまま5日間に緊急のステ
ント(2個)挿入、病室に入って間もなく心停止になってたまたま傍にいた男性看護師の心臓マッサージと
電気ショックで事なきを得、落ち着いたところでバイパス(3本)手術。救急センターで心筋梗塞だと言わ
れて「冗談だろ」と言い返したカレシだけど、これくらい運に恵まれた人はいないんじゃないかと思うくらい
の幸運続きだった。猛烈な胸焼けと吐き気で始まって、胸の痛みがどんどん広がるのに、かっこ悪いか
ら救急車は嫌だと駄々をこねたカレシが意を決して救急センターに向かったのは午前1時。小都市なの
で夜半過ぎは交通もほぼ途絶えていて、カレシはスピード違反と信号無視で日中でも10分かからない
病院に5分ちょっとで到着。自分で車を運転して(しかも妻を同乗させて)来るとは危険極まりないと看護
師に叱られながら何本ものチューブやワイヤをつけられたカレシ。そのときには右冠動脈が99%閉塞し
て一刻を争う状態だったなんて、今振り返ると信じられないけど、予想もしなかった突然のことで2人とも
危機感を持てる状態になかったんだと思う。

午前2時に緊急呼び出しを受けた当番の心臓専門医が駆けつけて、すぐにカテーテルでの血管造影と
ステント挿入。寒々とした廊下の椅子で仮眠していたワタシが治療室に呼ばれたのは午前4時半過ぎ。
カレシが開口一番に「胸を開けて手術するんだって」。あ、そうなのと言ったワタシ。先生の説明では左の
冠動脈にもステントを入れ難い部分が90%、80%と塞がっているので、バイパス手術の方が安全で確
実ということだった。救急センターに駆け込まなかったら「今生きていないよ」と言われ、左冠動脈も心筋
梗塞が起こるのは時間の問題で、そっちの方が先に詰まったら助かる確率は限りなくゼロに近かった
とも言われても、まだあんまり危機感がなかった2人・・・。

すでに入院しているということで優先順位が上がって、カレシがバイパス手術を受けたのは12月4日。
手術中に片肺がしぼんだせいか、ドレーンがなかなかクリアにならず、白血球のカウントも下がらなくて、
やっと退院したのは9日目の12日(通常は5日目。)クリスマスの夜に鼻血がとまらなくて救急センターに
駆け込んだし、お正月早々に胸が痛いと言い出して救急車を呼んだり。胸痛のときは血栓が疑われて、
X線やCTスキャンで異常なしとわかるまで救急センターで7時間も過ごしたもので、2人とも風邪をもらっ
て帰って来てダウン。カレシは肺炎を起こしかけて処方された抗生物質の副作用の味覚障害で食べ物
が喉を通らなくなって、ワタシは少しでも何とか食べてもらわなければと熱を押しての大奮闘。買い物に
行ったスーパーの床にヘタッと座り込んでしまいたかったときもあって、今でも2人で振り返っては「あれ
が一番辛い時期だったね」。でも、これだけのことがあって、2人分月々7500円の医療保険料で私たち
が負担した費用は(収入が多すぎて医薬品保険が適用されない)薬代と救急車の出動料(8千円)だけ。
州の医療制度にはみんないつも不満たらたらだけど、いざ患者になってみるとつくづくありがたいと思う。

その後のカレシの回復は仰天するくらいの目覚しさで、手術から7ヵ月経った今では心停止して死にかけ
た人には見えないし、傷痕を見なければ心臓の手術をしたなんて信じてもらえないくらいの元気さ。これ
も退院後のフォローと生活指導の体制が充実していて、かかりつけの家庭医も薬局も検査ラボもみんな
徒歩3分圏内にあって、リハビリ運動にはマンション 内に住人専用のジムがあって、ウォーキング運動
にはニューウェスト中に坂道があって、常に食品の栄養成分表をチェックしてコレステロールやナトリウ
ムに注意したり土曜日の夜ごとに1週間分の薬をオーガナイズしたりと世話を焼いてくれる奥さんがい
て・・・ほんと、カレシよりも幸運な心臓患者っていないと思うよ。

ということで、半年中断を余儀なくされたワタシの芝居脚本は書き始めてから1年半でやっと劇作家セン
ターに提出。こっちの方面でも信じられないようなエピソードがたくさんあるんだけど、長くなるから次の
更新までお預けにしておこう。ごぶさたしていた1年と10ヵ月は何か慌しくて波乱が多かった。これから
は元の極楽とんぼに戻って、新ブログでは書ききれないことをぼちぼちと饒舌に書いて行こうっと。

マンションは小さなコミュニティと見つけたり

2016年09月17日 | 今日の風の吹きまわし
高層マンション23階の天井から床までの窓にぐるりと囲まれた明るい住居に移り住んで、1年と1ヵ月あ
まり。昼ごろに起きて午前3時過ぎに寝るまで、1日のほとんどを半地下の部屋で過ごしていた15年の
もぐら生活からすんなりと抜け出して、今は午前8時前後に起床、夜中前後に就寝と言うごく「普通」の生
活がすっかり板についた感じ。晴れた日は太陽の光の中で空と町並みが視界いっぱいに広がって、そ
の開放感につい大きく伸びをしてしまう。その外の世界に無限に開けている空間を見て感じる、何とも言
えない解放感は言葉では表現しきれないインパクトがある。空を見たい!と青天の霹靂のように転居を
思い立ったワタシだけど、あんがい精神的な閉塞空間からの解放を求めていたのかもしれないと思う。

先月8月にはマンション管理組合が主催するバーベキューパーティがあった。まだ築2年ちょっとのマン
ションの住人の親睦を図る目的で理事長の奥さんの発案で始まったもので、今年は2回目。100人くら
い来ていた。去年は引っ越したばかりで参加したので、かっこうの「ごあいさつ」の場になったけど、今年
は普段からエレベーターで一緒になって挨拶や世間話をしているうちにすっかり顔なじみになった「ご近
所さん」たちがたくさん。顔なじみではあっても名前を知らないので、ファーストネームと居住階だけを書
いた名札を見ては改めて「よろしく~」。いろんな民族がいて、高齢者世帯や子育て世帯、子なしカップル、
独身者と、ライフスタイルも年代も幅広いけど、いつも気軽に世間話をしているから、おしゃべりにも自然
に花が咲いて、パーティルームはにぎやか。

全体的に若い独身者の参加が少なかったけど、賃貸組の多い年代だからだろうな。マンション開発には
ユニットの構成に一定のパターンがあって、寝室がひとつ(1BR)のユニットはたいていどこでも投資目
的で買われて賃貸に出されることが多い。新築の予定戸数の60%以上が売約済にならないと銀行が融
資を渋るんだそうで、そのために賃貸物件を求める投資家に売りやすい1BRや2BRの小さいユニット
がまずプレセールとして売りに出されるらしい。たしかに住むつもりで買う人はできるだけ居住条件のい
いユニットを求めて、完成予想図や間取り図やモデルルームなどをじっくり検討して決めるだろうけど、家
賃収入が目的の人は買いやすい値段で貸しやすいサイズと立地条件であれば(外国からでも)即決で
買うから、いきおい小さいユニットの数が多いほど60%完売を達成しやすくなるということだろうな。

私たちのマンションも高層棟168戸のうちほぼ半数の83戸が0BR(ワンルーム)、1BR、あるいは1.5
BR(「デン」と呼ばれる寝室に転用可能な小さいスペース付き)で、ほとんどが中・低層階にあって賃貸に
出ている。マンションのプレセール市場の牛耳っているのは爆買い中国人だから、賃貸ユニットの持ち主
はほとんどが中国人で、テナントも大半が若い中国人。それが不動産市場の現状だからそれでいいんだ
けど、エレベーターで会っても挨拶しない人が多い。親が買って留学生の子供をテナントとして住まわせ
るケースもあるだろうけど、大学生なら英語もそれなりのレベルだろうから、挨拶のひとつやふたつくらい
できそうなもんだと思うけど、「話しかけんな」オーラ丸出しで、にこりともせずに無言でスマホをいじって
いるから、印象は良くないし、当然住人の懇親会みたいなパーティには出て来ない。

まとまりのあるコミュニティ作りという観点ではめんどうくさい人たちと言えるけど、海外(現在は「中国」と
同意語に近い)の投資家が買って、買主もテナントも住まないままで何年も空き家として放置されている
家やマンションが今すごい住宅難のメトロバンクーバー中で大きな問題になっている。バンクーバーの月
光市長どんも放置されている「空き家」を何とかせめて賃貸に出させようと課税する方針を打ち出したけ
ど、「空き家」をどう定義するかがあいまいだし、投資目的のオーナーにはよっぽど高率でない限り屁とも
思わないだろうし、何よりも「空き家」の多くはン十億円の豪邸だったり、高級住宅地にあったり、超高層
マンションの高層階の広いユニットだったりして、住宅難に困っている人たちが借りられるような物件じゃ
ないから、あまり効果はなさそうに見える。

州政府も住宅市場の過熱を冷やそうと先月から外国籍の非永住者の不動産購入に15%の特別課税を
導入したけど、膨らみすぎたバブルがパチッと弾けるかどうかは怪しいもんだと思う。ちょっとはしぼむか
もしれないけど、「外国籍の非永住者」(ここでも金余り中国人とほぼ同意語)が買うのはン十億円の豪
邸だから、税金のせいで売れ行きが止まって価格が暴落したとしても庶民がそれっと買いに走れるわけ
がない。外国人のおかげでマイホームが買えないと怒っている庶民が買うような家やマンションは人口
増加で需要が高まりはしても減ることはなさそうだから、一時的に下がったとしても1982年の大暴落の
ようなことは起きないと思う。

住宅難対策は「高密度化」しかないとばかりに、どこでもタウンハウスのような集合住宅や高層マンション
の開発を後押ししていて、特に「ファミリーサイズ」とされる3BRの戸数を増やすように市の条例を変えた
りしているけど、広いユニットが増えると投資家に売りやすい小さいユニットの戸数が減るし、総戸数が
減ればデベロッパーの利益も減るから、結局は「ファミリー」には高すぎて手が届かなくなってしまいそう。
ワタシとしては、子育て世代は眺望なんかどうでもいいだろうから、4階くらいまでの低層階にファミリー
向けの3BRを集中すれば少しは価格を抑えられて、しかも子供たちにも安全なんじゃないかと思う。そ
の上の階に賃貸用の小さいユニットをまとめてたくさん作って、最上階から下2、3階くらいの眺めの良い
角の部分に大人向けの3BRを作って、静かに暮らしたい「空の巣」世代に高く売ればいい。

実際のところは、何としてもファミリー向けの3BRを増やさせようと、建築条例を変更して窓のない寝室
を認めたりしために、戸数を減らしたくないデベロッパーが従来なら2BRのユニットをむりやり3BRに仕
立てるようになり、結局は子育てには不便な間取りの「狭小3BR」が増えているらしい。バルコニーから
見える完成間近の中層マンションの3BRなどは2つの寝室の壁が可動式(つまり寝るときだけの寝室)
で、クローゼットも収納スペースもない。たしかに売り出し価格は若い世代でも買えるレベルで、広告にで
かでかと「60%完売」と書いてあったけど、その中に子育て中の家族はいないと思う。近頃の政治家や
お役所の考えることって、意図しない結果を生むことが多くなったような・・・。

マンションの騒音問題について書いた記事の後日談になるけど、私たちのすぐ上の階にはそろそろ2歳
になる双子の男の子がいて、ときどき走る足音が聞こえる。赤ん坊の足はもろに偏平足なので、歩き始
めの頃は全体重をかけて半ば走るような歩き方をするから、ドッタドッタという足音がコンクリートで増幅
されて響いて、しばらくは毎朝子供の走る音で目を覚まされていたけど、土踏まずが出来上がって来たら
しく、初夏の頃にはトタトタという音になり、最近はパタパタという軽い音になっている。(子供の走る音以
外、大人の足音や生活音はほとんど聞こえない。)アジア系の両親は共働きらしく、子供が生まれる前に
高層階の3.5BRを買って、住み込みのナニーが子供の世話をしているところを見ると、かなり裕福なん
だろうな。子供はかわいいというよりも美しいと言った方が良さそうなエキゾチックな顔立ちで、ナニーが
押すベビーカーで散歩しているのをよく見かける。

子供はかわいいけど、頭の上を走り回られるのは迷惑なことに変わりはない。でも、コンクリートは音が
伝わらないと思い込んでいる人が多いので、いきなり苦情もなんだと思って、エレベーターに乗り合わせ
る機会を待って、子供の走る足音が下に聞こえるのを知っているかとさりげなく聞いてみたら、白人系の
ハーフらしいママは「ほんとですか?」と目を丸くし、若いパパは「えっ、それは知りませんでした」。目覚
ましがいらなくて便利ねえと言っているんですよ~と冗談っぽく言ったら、パパが双子のひとりをさして「こ
の子は走りたがるんですよね」。まあ、コンクリートには独特な音の伝わり方があるからと言っておいたけ
ど、その日から走る足音が聞こえてもすぐに止むようになり、朝からたたき起こされることもなくなったの
には少々びっくりした。彼らのすぐ上の階はずっと空室(最近売りに出されて新しいオーナーが入居)だっ
たので、ほんとうに衝撃音が階下に伝わるとは思っていなかったんだと思う。

少し前にオンタリオ州で最近来たシリア人の難民家族が、与えられたアパートから子供の走り回る騒音
への苦情に基づく繰り返しの注意に対して何の改善もしなかったという理由で退去を求められたケース
があって、取材に訪れた記者に(3歳の子供がひっきりなしにドタバタと走り回る中でのインタビューで)
子供が子供らしくできないのはおかしいと愚痴っていて、思わずそんな子育て文化だからあんたの国は
めちゃくちゃなんだよと言いたくなった。たしかに2歳児に走るなといっても無理なのはわかるけど、そこ
をコントロールするのが親の責任だと思う。その点、上階の若い夫婦がきちんとした躾をしようとしていて、
それをナニーにも徹底させているらしいことに2人の人としての資質が見えるような気がする。マンション
には戸建てとは違うコミュニティとしての生活ルールがあるわけで、そこで親が子供に「コミュニティ精神」
を教えることができれば、次の世代には他人の権利やニーズを互いに尊重し合う気遣いのできる若者た
ちが育って、自己中満開の現代よりもずっと暮らしやすい世の中になるかもしれないという気もする。だと
したら、高密度化もあながち悪いことじゃないのかもしれないけど・・・。

とかいなか暮らしはいいもんだ

2016年07月04日 | 今日の風の吹きまわし
7月。もう1年が半分過ぎてしまった。ニューウェストミンスター市民になって11ヵ月。もっと前からここに
住んでいたような気がするのは、それだけ新しい環境に馴染んだと言うことか。総人口250万人の「メト
ロバンクーバー」の地理的な中心にあって、四方をバーナビーとコクィットラム、リッチモンド、川向こうの
サレーという、いずれも移民の流入で近年急速に発展しつつある都市に囲まれた人口7万人そこそこの
「スモールタウン」がニューウェストミンスター市。その地理的な中心がアップタウン地区にある「Sixth &
Sixth」と呼ばれる6番アベニューと6番ストリートが交差するビジネスセンターなんだけど、初めて来たと
きの印象は「とある地方都市の○丁目商店街」。駐車場を備えた2フロアのインドア型ショッピングモール
があって、その後ろには1980年代から90年代に建てられたしゃれた高層マンションが並んでいるのに、
夜になれば通りは閑散として、開いているファストフード店も人影はまばら・・・。

新しい生活が落ち着いたら、新しい「我が町」のことをもっと知りたくなって、週刊コミュニティ新聞『New
Westminster Record』デジタル版をブックマークして定期的に読むようになった。(めったにない)事件の
ニュースや(かなり活発な)文化活動やイベントなどの身近なニュースに混じって、市議会や市役所の活
動もけっこう詳しく報じているところはいかにも「スモールタウン」らしいと言えるかな。最終的に私たちの
新居になったマンションはゾーニングが「コミュニティ商業区域(高層)」(商業施設と集合住宅の混合用
途)になっていて、正面玄関の両側は貸し店舗になっている。片側に歯科と補聴器クリニックが入ってい
るけど、もう一方は空いたまま。向かいの建物も空き店舗があるし、6番ストリートには「テナント募集」の
張り紙をしたウィンドウがあちこちにある。市が進めている「アップタウン活性化」はまだ途上という感じだ
けど、それでもモールにウォルマートが進出するなどして、Sixth & Sixth界隈はかなり活気が感じられる
ようになって来ている。

ニューウェストミンスター市の街づくりの目標は「ウォーカブルシティ」で、交通政策の主軸は「歩行者最
優先」。面積がわずか15平方キロの気がついたら通り抜けてしまっていそうな小さな街で、生活基盤が
基本的に徒歩圏にあるもので、歩行者は王様みたいなところがある。マンション前の道路と6番ストリー
トのT字型交差点はコーヒーショップのティムホートンとスターバックスが向かい合っているので「Coffee
Crossing」と呼ばれていて、歩行者は信号のないレンガ色の横断歩道をコーヒーカップ片手に我がもの
顔に渡るので、歩行者が続くときは6番ストリートは渋滞しがち。止まった車に後続車が追突することが
あっても、のろのろ運転なので大事になることはないらしい。6番アベニューの図書館前とモールの間に
ある横断歩道には歩行者が渡ろうとしていることを知らせる「beg button(お願いボタン)」というのがあっ
て、ボタンを押すと黄色の信号が急速に点滅するようになっている。歩行者が車に「お願い」して止まって
もらうという趣旨なんだけど、みんなボタンをピッとやると同時に渡り始めるし、自動車の9割はきちんと
止まって、歩行者が渡り切るまで辛抱強く待っているから、どっちが「通らせて」とお願いしているのかわ
からない。

都市学の修士号を持つジョナサン・コーテ市長は36歳で、市会議員を3期務めた後に、おととしの市町
村選挙で現職市長を大差で破って初当選。フレーザー川上流のポートマン橋の有料化で古いパタロ橋
を利用する車やトラックが急増して市内の主要道路の混雑や騒音が問題になっていた折、その緩和を
選挙公約に掲げ、就任後は優先政策として進めている。市の交通計画の目標は2031年までに市内で
の移動手段の50%を徒歩と自転車、公共交通にすることだそうで、ダウンタウンのマンションに妻と3人
の子供と住む市長自身も徒歩通勤。駐車スペースは不要だから市役所に来る市民に利用してもらおうと、
市長専用駐車スポットに自転車ラックを設置してしまった。散歩がてら市役所裏を通ってみたら、自転車
6台分くらいのラックがコンクリートの地面にボルトでしっかり固定されていて、「市長専用/駐車禁止」の
標識に「自転車は除く」と付け加えてあった。(急な坂が多いせいか自転車はあまり見かけないけど。)

「スモールタウン」ニューウェストでは隣の隣で「世界一流」を誇るバンクーバーでは考えられない光景が
よく目にとまる。たとえば、ある土曜日の午後、サイレンも鳴らさずに来た消防車が5番アベニュー角の
銀行の前に止まり、降りて来た消防士?が銀行の中へすたすた。「銀行で金を出して来るんでちょっと借
りるよ」ということだったのか、しばらくして消防士が戻って来て、消防車は何事もなかったように走って行
った。暇なところなんだなあと思っていたら、今度は同じ銀行の前で車がエンスト。ドライバーと信号待ち
の歩行者と後続車のドライバーの3人がかりで銀行の裏の駐車場へ移動させた後、手伝ったドライバー
が後ろで立ち往生していたバスに「や、どうも」的に手を振って車を発進させ、バスの後ろで数珠つなぎに
なっていた車も何事もなかったように動き出した。その間、誰もクラクションを鳴らさずに辛抱強く待って
いたからびっくり。

くだんのCoffee Crossingのティムホートン側の角にはいつも人が集まっていて、消火栓をテーブル代
わりにコーヒーを飲みながら談笑しているんだけど、先週この角に忽然と「ミニ公園」が出現した。6番ス
トリートからの左折進入を禁止して、駐車スペースに木のテラスを作ってプランターやベンチを置き、車道
部分は低いバリアで囲って人工芝を敷き、おしゃれなテーブルや椅子を並べてある。公園課の職員がま
だプランターに花を植える作業をしている傍から椅子はもう満員。このミニミニ公園はコーテ市長が出張
先のアメリカから持ち帰ったアイデアに基づくパイロットプロジェクトのひとつなんだそうで、他にも市内の
あちこちの歩道にテーブルと椅子を置いて通りがかる市民に利用してもらう計画だとか。

6番ストリートをまっすぐ下がったところ、首都をビクトリアに取られなければ今頃は州議会議事堂が建っ
ているはずの一角にある市役所へ固定資産税の補助金申請と繰延べの申請をしに行ったときのこと。
正面玄関を入ってすぐのところ窓口業務のカウンターがあり、向き合う形で案内デスクがある。そこで受
付の女性にどの窓口に行ったらいいのか聞いたら、「どうぞお座りください」。待たされるのかと思ったら、
書類をチェックして、PCに向かって手続きを始めたのでびっくり。自宅所有者の補助金申請の「受付」ス
タンプを押したところで「ちょっと失礼」。デスクの下においてあった箱から犬のビスケットを出して、電気
料金を払いに来た人が連れていた2匹のワンちゃんに「はい、おやつ」。(飼い主と一緒に列に並ぶペット
のために用意してあるらしい。)何とものんきなところだなあと感心したけど、ニューウェストではスーパー
でも銀行でも街角でもどこでも、知っている人同士のみならず、明らかに知らない人同士の交流風景が
日常的に見られる。

郊外が波紋のように広がって行くメトロバンクーバーでドーナツの穴のような存在だったニューウェストは、
大都市圏の便利さを享受しながら、知らず知らずのうちに誰とでも「知り合い」になってしまえる田舎っぽ
さを色濃く残しているということで、今どきの日本語で言う「とかいなか」なんだろうと思う。不動産バブル
でバンクーバーから閉め出された子育て世代や郊外からダウンサイズするシニア世代がニューウェスト
に続々と移り住んで来て、10年後には人口が10万人を突破すると予測されているので、いつまでまっ
たりした「とかいなか」でいられるかはわからないけど、州最古の市、元首都としての由緒あるニューウェ
ストミンスターの雰囲気を守りながら都市再開発を図って行こうという若いコーテ市長の施策は、第1期
目の張り切りもあるとしても、成果を上げつつあるように見える。住んでいる人、住んだことのある人が口
をそろえて「好きだ」と言うニューウェストミンスター。「とかいなか」がこんなに住みやすいところだとは想
像もしなかったけど、もうすぐ市民歴1年の私たちも今ではすっかり「ニューウェスト大好き」。とかいなか
バンザイ!

保証期間中で良かったマンションの雨漏り事件

2016年05月02日 | 今日の風の吹きまわし
あっという間にもう5月。ビジネスが年度末を迎える「魔の3月」に入ってからは仕事が立て込んだりした
けど、今日本はゴールデンウィークの真っただ中で仕事戦線もちょっとひと休み。ただし、月曜日と金曜
日が「平日」なもので、これ幸いとばかりに金曜日の朝が期限の仕事を送り込まれたけど、そんなに詰ま
るほどの量ではないから、ま、いっかぁ、と休めなかったコーディネータさんに返事。週のど真ん中に三連
休で、日本全国いったいどれだけの人たちが10連休のミニバケーションを取っているんだろう。週明け
に1日仕事をして、週末前にまた1日仕事というのはあまり効率的でないような気もするけど、カレンダー
がそうなんだからしゃあないか。でも、通勤電車はいつもより混雑が少なくて楽かな。それを見ると休みを
取れなかった自分がかわいそうになると言う人もいるのかな。来年は少なくとも自然に5連休になるはず
だから、今から来年のレジャー計画を立てるのも気晴らしになっていいんじゃないかと思うけど。

私たちの新しいライフスタイルもそろそろ9ヵ月。分譲マンションのいろんなイベントを経験して、ある意味
でマンション暮らしのリズムや習慣のようなものがほぼ身に付いて来たような気がする。年を取ってから
の住み替えは、住み慣れた住居の荷物をまとめて引っ越すという物理的なストレスよりも、日常生活の
環境の変化による心理的なストレスの方が格段に大きいんじゃないかと思うけど、やがては介護付きホ
ームに入ることを見越してのダウンサイズは思いのほかスムーズに行って、落ち着くのに時間がかから
なかったのは今でもちょっと意外。運よくいろんな面でタイミングが良かったということもある。

旧居の売却を条件にこの「23階の我が家」の売買契約を結んで、新築から27年住んだその家を解体・
新築することを条件に売り出したら1週間もかからずにあっさり売約済みになって、売買契約の確定を待
っていたのが去年の今ごろ。いきなり1億ン千万円のお金が入って来て仰天してからほぼ1年。バンクー
バーの住宅市場はあれからも上がり続けていて、今ならもっと高値で売れたのに早まったのではと言わ
れることがある。でも、戸建てが高くなりすぎた勢いでマンションも戸建て並みのペースで値上がりし始め
ているから、もっと高く売れても、もっと高く買うことになるわけで、結局は同じことだと思う。それに、あれ
から候補だった3地区のどこにも新居と同じかそれ以上の条件の物件は出て来ていないから、待つこと
で得られたかもしれない金銭的な利益と待たなかったことで得た日常生活の満足度を比べたら、ダウン
サイズでいくらかまとまったお金が手元に残れば良かった私たちにとっては後者の方が何倍、何十倍も
の価値があるということで、売買の両側でタイミングが良かったとしかいいようがない。

今のところ唯一の「想定外」のハプニングはリビングのフローリング下の雨漏り浸水。暮れあたりからとこ
ろどころでフローリングがポコッと膨れ始めて、直感的に窓枠の防水シールの不具合を疑ったんだけど、
たまたま管理会社から「結露による壁と床の被害防止」というメモが回って来て、とりあえずメモにあった
処置の他に自分なりの結露防止策も講じて様子見。そうしたら、何と窓からずっと離れたところにまた新
しいのがポコッ。それも床にこぼした水が浸み込んでできるような継ぎ目の膨れではなくて、板の真ん中
に3つ。それが1週間後にはつながって長い楕円形の膨れになってしまった。やっぱり結露の被害(私た
ちのせい)なんかじゃない!

     

そこで管理人に相談して、問題の発生状況と間取り図に膨れの発せ箇所を赤丸で示したレポートを管理
会社に出したら、デベロッパーのBosaからカスタマーサービスの担当者がすっ飛んで来て調査。さすが
州の最大手のひとつで、定評のあるデベロッパーだけある。膨れたところにゲージを当てて「濡れていま
すね」。バルコニーから身を乗り出すようにして窓枠の隅を目視検査して「防水のコーキングの不具合で
すね。このあたりでは珍しいことではないんです。修理の手配をしますからご安心を」。つまり、ワタシの
最初の直感が正しかったということなのだ。翌朝に別の人が来て一部のフローリングと防水/遮音アン
ダーレイを剥がしたら、あらら、むき出しになったコンクリートの床の上に水たまりが!どうりで冬中の電
気代がすごかったはずだな。床暖房ならぬ「水冷式」の床冷房になっていたんだもの。

荒れ模様のときに一番雨風が当たる側の窓の隅の防水シールにできた小さな割れ目から浸み込んだ雨
がフローリングの下にたまり、リビングを斜めに横断してダイニングエリアにまで広がって行く途中でアン
ダーレイの継ぎ目を見つけてしみ出し、「中密度繊維板」のフローリングに吸い込まれて膨れを作ってい
たという結論になった。水と言うものは乾いているところへ、低いところへとひたすら這って行くものなん
だそうで、さすが地球上のあらゆる命の素だけあって、そのエネルギーの威力に恐れ入ってしまった。と
にかく、問題の原因が建物の外壁にあると認定されて、保証期間中だったので被害を受けたフローリン
グは無償で修理してもらえることになった。

カナダには俗に「2-5-10」(内装設備2年、エンベロープ5年、構造体10年)と呼ばれる住宅保証制度が
義務化されていて、建築業者はそのための保険に加入して補償費をまかなうことになっている。ここには
1980年代後半から90年代の終わりにかけてBC州で起こった大規模な雨漏り被害から得た教訓が生
かされている。あの当時は建築ブームでアメリカのカリフォルニア州や地中海諸国の住居をまねたポスト
モダン様式のマンションが続々と建てられ、建売の戸建ては「カリフォルニアピンク」という、派手だけどあ
まり冴えない印象の色が主流だった。

雨漏り問題の原因のひとつは、夏は冷涼少雨、冬は温暖多雨という温帯雨林地域に太陽が燦々と輝く
乾燥した土地のデザインを持ち込んだことで、BC州だけでも木造の低層マンションを中心に900棟以
上の建物に総額4000億円の被害が出た。修理費を払えずにマイホームを捨てた人たちや破産した人
たちも多くて社会問題にまでなり、続々と集団訴訟が起こされた。その後、州政府が設置した調査委員
会の報告を元に建築基準法で雨漏りを防ぐ工法が義務付けられて、フォローアップの調査では効果を挙
げていることが確認されている。今回の雨漏りはその5年保証の対象で、今は住宅の検査士や建物の
外壁の修繕スペシャリストの認定制度もできているし、かっての「leaky condo crisis」(「雨漏りマンション
危機」)から得られた教訓が国の建築基準法から州の建築基準法、さらには自治体の建築条例にまで
取り入れられて活かされた例と言える。

     

     

     

とんだハプニングではあったけど、家具を動かすことに始まって、リビングとダイニングの床を最初考え
た以上に広範に剥がして濡れたコンクリートを乾かし、新しいアンダーレイを敷き詰めて管理人室の隅に
保管してあった予備のフローリング材を入れ、幅木の後ろの腰壁に発生していた黒かびを除去して、カビ
止めをスプレーして、新しい幅木を取り付けてペンキを塗るまでのほぼ6週間、日常生活への支障がな
いようにとずいぶん気を遣ってくれたのには感心。おかげで、無償修理だからすべてお任せで良かった
と言うこともあったけど、旧居で何度も改装工事をやった私たちは「工事現場」での生活にけっこう慣れて
いたので、ほとんどストレスを感じないで済んだのは幸いだった。中古マンションが売りに出ると不動産
屋の広告に必ずと言っていいほど「Bosaが建てた」というひと言が入るわけがわかったような気がする。
丁寧な対応は何も日本に限ったことじゃなくて、どこでも高い評判を築き上げた企業のプライドそのもの
なんだと思う。

そうこうしているうちに、先週は月曜日に年2回の洗濯乾燥機の排気口の掃除があって、火曜日からは
窓の清掃。ただし、住人が自分で拭くことができない窓だけなので、バルコニーのドアや両脇のガラス壁、
手すりにはめ込んだガラスパネルの内側は対象外。我が家の場合は、屋上からロープで下がって来て
拭いてくれる窓はリビングの6面だけで、バルコニーに面したドア2枚とガラス壁6面に加えて、広いルー
フデッキに面して並ぶ寝室、オフィス、ダイニングエリアにドアが2枚、ガラス壁が10面は全部自分で外
側と室内側を掃除しなければならないし、さらに手すりのパネルがバルコニーとデッキを合わせて20枚
あるから世話が焼ける。隣の角部屋ユニットは端から端までぐるっとルーフデッキなのでもっとタイヘンそ
うだけど・・・。

     

でも、夏を思わせるような週末の陽気につられて、スプレータイプのガラスクリーナーとひと山の雑巾を
持ってバルコニーとデッキに出て、踏み台を上がったり、屈んだり背伸びしたりして、大汗をかきながら、
外のガラスをぜぇ~んぶきれいに掃除したら、世界が明るく広がって見えて、なんとも爽快な気分。手を
いっぱいに広げて、お日様をいっぱいに浴びて、胸いっぱいに深呼吸。掃除というのは、することじゃなく
てした後にこそ楽しさがあるものなんだなあ・・・。

     

聞こえて来る音を迷惑な騒音と感じるかどうか

2016年03月05日 | 今日の風の吹きまわし
気が付いたらあっという間に2月が終わっていて、もう3月。年を取るほどに時間の経つのが早くなるよう
な気がする(なんて、もう何年も言っている来がするけど)。大事業だった引越し作戦が無事に終わって、
マンション暮らしに腰を落ち着けてからもう7ヵ月になる。振り返ってみると、去年の今ごろは新居探しの
真っ最中で、降って来る仕事の合間を縫って、引越しに同意しておきながらやたらと抵抗するカレシと大
げんかをしながら、新居になる物件を見て回っていたんだった。つまり、ものの弾みも同然に引越しを決
めて動き始めたのは1年前のことだったわけか。何だかずいぶん昔のような気がするから不思議。

自分で設計した一戸建ての家に27年住み慣らした後で集合住宅での生活に飛び込んだわけだから、
生活様式の変化は大きいと予想はしていたけど、思ったよりもすんなりと切り替えができたのにはちょっ
とびっくりだった。戸惑いもけっこうあったし、目からうろこのような経験もあったけど、いろいろと学ぶこと
も多くて、大仰な言い方をすれば「社会的な視野がちょっと広がった」感じがする。特に、環境の変化に
対するストレス耐性がわりと低いカレシがあっさりと新しいルーティンに落ち着いてしまったのはまったく
の想定外。根っからの宵っ張りだとばかり思っていたら、引っ越したその日から真夜中前に就寝。でも、
体のリズムに反した早起きの連続で疲れているからで、そのうちずるずると15年続いた「午前4時前後
就寝、正午前後起床」のパターンに戻るだろうと思っていたら、一向にその気配がない。それどころか、
ほぼ7ヵ月経った今でも普通に「午前零時前後就寝、午前8時前後起床」。

おかげで日のあるうちに家事も用足しも余裕でやれるようになって、ワタシにはうれしい誤算。特に日の
短い冬なんか、それまでは起きて朝食が終わって、さて・・・と思ったらもう夕暮れが迫っていたのに、今
は空が金色に染まって太陽が昇って来るのを見て感動したり、刻々と変化する雲の形や色に飽きずに
見とれていたり、外に出て日々の暮らしを営むいろんな人たちとすれ違って何気なくスマイルを交わした
り、他愛のない世間話をしたりすることができる。そういうことをすべて日が暮れる前にやってしまえると
言うのがとっても新鮮で、カレシの退職以来15年に及んだ「モグラ暮らし」はいったい何だったんだろうな。
カレシがどれだけ早く新しい生活に順応できるかが大きな懸念だったから、何だか拍子抜けした感じがし
ないではない。

洋の東西を問わず、集合住宅での一番大きなトラブルは「騒音」。そのあたりは、昔(木造の)賃貸タウン
ハウス時代に隣人のピアノ演奏に悩まされたことがあったし、雑誌でマンション騒音問題の記事を読ん
だことがあったから、新居探しを始めると同時にいろいろと調べて、鉄筋コンクリートの建物でも問題があ
るのは承知していた。でも、実際に生活を始めてみると思ったよりも静かで、それも真上のユニットに双
子の男の子(現在14、5ヵ月)がいるにも関わらずだから、ここでもちょっと拍子抜けの感。特に、日本語
で検索するとものすごい数のヒットがあって、そのほとんどが(多くは子供関連の)「生活騒音」だったので、
思わず住み替えを躊躇することもあった。まあ、どれも日本語サイトの記事だったから、マンションの造り
や建築基準も違うだろうし、「東京のマンションでは生活騒音が大きな問題」ということなのかもしれない
けど、ずいぶん違うもんだと、少々びっくり・・・。

もちろん、いつもし~んとしているほど静かなわけじゃない。ユニットの配置が良くできているのか、我が
家の床面積がわりと広いせいかはわからないけど、隣の音はまったくと言っていいほど聞こえない。聞こ
えるとしたら、隣の(一人暮らしらしい)若い人が飼っている犬がたまにドアのすぐ内側や廊下で吠えると
きくらい。我が家のマンションでは犬や猫を一定の大きさ(小型)以下なら2匹まで飼っていいことになっ
ていて、エレベーターでよく犬連れの人に出会うけど、いかにも血統書付きといった犬を連れているのは
ほとんどがアジア人(たぶん最近渡来した中国人)なのがまたおもしろい。ちなみに、お隣さんの犬はミニ
チュアシュナウザーという種類だそうで、まだ子犬なのにおじいちゃんみたいな風貌だけど、よ~く見ると
子犬っぽいかわいい顔をしている。

つまり、壁を通しての騒音はまだ経験していないんだけど、コンクリートの天井からの衝撃音はけっこう
響く。昨今の高層マンションはラミネートのフローリングが主流で、新築で売り出すときは寝室だけ標準
仕様をカーペットにして、買い手に寝室も同じフローリングに「アップグレード」するオプションを売りつける
ケースが多いらしい。もちろん「アップグレード」というからにはその分価格が高くなるってことにだろうな。
カーペットに比べてフローリングは何となくおしゃれな感じがして、高級感らしきものを醸し出しているの
はたしかなんだけど、カーペットのように衝撃を和らげてくれないもので、床への衝撃はかなりシャープな
音として階下に響くことになる。内覧に行ったある築10年のマンションでは午後10時以降の食洗機や掃
除機、洗濯機の使用はダメ、ハイヒールや底の硬い靴で歩き回るのもダメと規約で規制していたけど、こ
のあたりの分譲マンションの管理組合が発足時に採用する標準規約にはないところを見ると、苦情が多
くて手に負えなくなったということかもしれない。

それでも、まだ新しいマンションなら音の静かな最新の食洗機や洗濯機、乾燥機がついているので、今
のところ家電の音は聞こえないし、キャビネットもソフトに閉まる蝶番を使っているので、戸棚を開け閉め
する音も聞こえない。トイレを流す音やシャワーの音も聞こえない。ブラインドを上げ下げしたり、窓を開
け閉めする音も聞こえない。フローリングの下には遮音性能の等級が一定以上のアンダーレイを敷くこ
とになっているから、「普通」の足音なら響いて来ない。もちろん、人間は、どんなに注意していても手に
持っているモノを落っことすことがあるから、ときどきはゴトン、カラン、コロコロという音はするけど・・・。

そういうわけで、覚悟はしていたけど、何だ意外と静かじゃないの~と思っていたら、11月の末ごろに、
朝の7時過ぎから寝室の上でガタン、バタン、ドタン、ドタドタと大きな音(掃除かな?)がするようになった。
当然目が覚めるけど、せいぜい15分ほどのことなので、何ともぶきっちょな人もいるもんだと呆れつつ、
静まったらうとうとを繰り返しえいるうちに、クリスマスが近づく頃、午前4時のドタバタを最後に頭の上は
24時間し~ん。たぶん母国に赤ちゃんのお披露目をしに帰省したんだろうけど、静かになってみると今
度はあまりにも静か過ぎるのが気になって来るのが人間。1月半ばに家族が帰って来て、ガタン、ドタン、
ドタドタが再開したときは妙にほっとしたような気分だったから不思議。実は、目覚ましドタバタとドッタドッ
タという足音の主は(たぶん奥さんの育休開けに備えて雇われ)中国人の若いナニー(あるいはメイド?)
だったんだけど・・・。

それがこの数日、そんな朝の「目覚ましドタバタ」がなくなっていることに気がづいた。日中のゴトン、カン
カン、コロコロはまだときたま聞こえて来るけど、朝の寝室ではたまにコトッ、コトッという程度の音がする
だけで、足音もそれほど響いて来ないそ。日中でも子供がおもちゃを床にぶつけているようなコンコンと
いう音がしてもすぐに止むようになった。どうやら騒々しいナニーをクビにして、フィリピン人ナニーに変え
たようで、通いらしく、経験のありそうな中年女性。ナニーを雇うのはプロフェッショナルな共働き夫婦だっ
たりするので、単なる子守りじゃなくて、基本的な躾などある意味で親のステータスにふさわしい「子育て
サービス」まで求められることも多いらしい。母親らしい女性はいかにもキャリアウーマンという印象だっ
たから、ナニーに子育て方針を示して子供たちをきちんとしつけるように言いつけてあるのかもしれない。
それでも午後7時半ごろになるとしばしドタバタするようになったのは、寝かしつけのバトルが始まったの
かな。もう半年もすればTerrible Twos(魔の2歳児)になるから、これからどう展開するか・・・。

聞こえて来る音から他人さまの生活様式がおぼろげながら想像できてしまうというのもマンション暮らし
の特徴なんだろうと思うけど、そういう環境をどう思うかは個人の人間観や住人のコミュニティ感覚の程
度によって違って来るんじゃないかと思う。管理組合の総会では、苦情が一番多いのは「6番ストリート
の早朝の配達トラックの音」だと言っていたけど、商業地区のど真ん中に建ったマンションなんだから、閑
静な住宅地のような環境なわけがない。(高層階の我が家ではほとんど聞こえない。ちなみに、旧居は
「閑静な」住宅地区だっただけど、朝っぱらから何かと騒々しかった。)ま、少なくとも私たちには、今のと
ころは予期していたよりもずっと、ずっと静かだし、ご近所さんたちも管理人さんもとってもフレンドリーだ
し、日常生活のあれこれが便利すぎるくらい便利だし、街中のマンション暮らしってのも悪くないなあとい
う感じかな。

流れて行く雲を眺めていたい

2016年01月12日 | 今日の風の吹きまわし
静かに新しい年が明けた。シアトルのスペースニードルの花火をテレビで見ながら、冷えたシャンペンで
乾杯するのが我が家の年越し。でも、ハロウィンの夜と同様に遠くに見渡す限りぐるりと花火が上がって、
近くで上がるもの以外は音が聞こえないけど、賑やかな年越しになった。2人の生活に地殻変動のような
大きな変化があった2015年を見送るのにぴったりだったかもしれない。明けて西暦2016年。日本では
平成時代だと言う以外はもう何年なのかわからなくなった。カナダに来て今年の5月で満41年・・・。

 

元旦の起床は午前8時。日の出は午前8時8分なので、着替えもせずにカメラを抱えて初日を待った。上
空は雲ひとつない正月晴れ、眼下は一面の濃霧。新居探しで一番最初に内覧に行ったマンションの上
だけが霧の上に出ている。最上階のワンフロアを独占していて、エレベーターのドアが玄関ドアという不
思議な部屋だった。急な坂の途中だし、結局落ち着いた今の我が家と比べると買い物の便はあまり良く
なかったから、買わなくて良かったな。ベーカー山を背景にして霧の海に浮いて見える高層ビルは川向う
のサレーのシティセンター。川も橋も、何にも見えない・・・。

 

霧が少し薄れ、青空を背にしたカスケード山脈の一点が金色に染まって、2016年の初日の出。

新年のトップニュースは79年も年越しパーティのコンサートで『蛍の光』を取り仕切ってきたバンクーバー
の「スイング王」ダル・リチャーズの訃報。享年97歳。明けて5日は98歳の誕生日のはずだった。戦前
からホテルバンクーバー最上階にあった人気クラブ「パノラマルーフ」のバンドリーダーとして、クラリネッ
ト奏者、サックス奏者として活躍した「レジェンド」。2015年の大みそかパーティは80回目になるはずだ
ったのが、体調を崩してキャンセル。常々「オレは大みそか男だ」と言っていた通り、新年まで残すところ
あと10分で行く年と共に逝ってしまったというから、まさに新しい伝説の誕生・・・。

2016年がどんな年になるのか見当もつかないけど、今年は落ち着いたご隠居さん暮らしの構築に本腰
を入れる年かな。世界ももうちょっと落ち着いてくれるといいんだけど、見渡す人間世界には「何が何でも
ノー」、「何が何でも嫌いなものは大嫌い」、「何が何でも誰かのせい」、「何が何でも他人の言うことは聞
きたくない」というpigheaded(石あたま)な人間が多すぎて、こればっかりは五里霧中・・・。

     

朝から1日かけてぼちぼちと作った我が家の「元旦の祝い膳」。春慶塗の3段重箱の一番下にロブスター
の柚子蒸しとあわびの酒蒸しと日本の友だちから差し入れの「鮎巻き」。上2段はそれぞれ紅白のウズラ
の卵、紅白のかまぼこ、筍とごぼうとにんじんの煮しめ、ごぼうとインゲンとにんじんの卵焼き、差し入れ
のアサリの甘辛煮。ご飯は煮しめと一緒に煮た四角い油揚げでカニとえびのいなり寿司風とサケとイク
ラの寿司に、差し入れの吸い物を添えて、お酒は桃川がオレゴン州で作っているにごり酒。思いっきりの
「何ちゃってお節」ではあるけど、その場で思いつきながら作るもので、毎年少しずつ違うのが極楽とんぼ
流といったところ・・・。

 

1月4日。お正月の連休が明けて早々に雪。地面は雪景色、川は霧、上は曇り空。気温は0度。積雪量
は2センチくらいでたいした雪ではないけど、今までのように歩道の雪かきの心配をせずに高いところか
ら観賞できるのはうれしい。そういう気分で見る雪景色はまるで水彩画のようでため息が出るほどきれい。
クィーンズパーク地区の家々の間に立っている樹木は、真っ白になっているのは広葉樹、色が濃いのは
針葉樹かな。融けてしまわないうちにさっそくルーフデッキに出て「雪遊び」・・・。

     

高さは20センチそこそこでスノーマン(雪だるま)と呼べる大きさじゃないから、「スノーベイビー」かな。つ
ぶらな瞳はブルーベリー、ふっくらした唇はフクシャの落ち葉で、頭にアレカヤシの枯れた葉をちょこっと
飾って、なかなかかわいい雪だるまができた。もっとも、午後には気温が上がって目も当てられないくら
いにへたれてしまったけど、束の間であってもちょっぴり童心に返った気分で楽しかったな。

連休明けにさっそく固定資産税の課税ベースになる不動産評価額の新居に移って初めての通知書が来
て、去年の7月1日時点での評価額は前年度比12%アップ。バンクーバー市内の戸建ては25%前後
の上昇率で、あまり環境の良くない地区の小さなボロ家でも1億円を超えたらしい。何年も下がる下がる
と言われながら、何だか値上がりが雪だるま式に加速しているような感じがするけど、査定は6ヵ月も前
の価額で、現実にはすでにさらなる値上がりが進んでいるらしい。今旧居を新築用地として売ったとして
も1億5千万円は下らないだろうけど、夢のマイホームを建てるためにほぼ私たちの言い値で買ったあの
若夫婦にはもう手が届かないだろうし、この新居と同じ条件の物件は稀少だから、売ったときに売って、
買ったときに買ったのが一番だったと思う。ちなみに、BC州内で最高の評価額がついたのはヨガウェア
ブランドのLululemonの創業者の邸宅で、何と63億円!雪だるまもこんだけ大きくなると・・・。

1月6日。弁護士のリチャードの事務所から送られて来た遺言書の最終稿を点検。夫婦でお互いを遺言
執行人に指名してあるけど、問題はどちらかが生き残ってひとりになった場合の代替の執行人をどうす
るか。私たちには子供がいないし、甥や姪に遺産を残さずに遺言執行人の大役だけを押し付けるのも何
だからと、結局リチャードの事務所(またはその継承人)を指定することにした。ワタシの遺言書には葬儀
はせずに遺灰を太平洋に撒くという指示、委任状には植物状態になったときに延命治療を拒否する権限
を明記してあるんだけど、名前だけ変えてワタシのと同じ内容でいいというカレシにそこまで同じにしてい
いのか確認したら、「死んだ後のことはオレは知らんから、好きにしてくれていいよ」。そうだなあ、いずれ
は太平洋で2人一緒になって、潮流に任せて西へ東へと漂うというのもいいかもしれないね。委任状やら
代理契約書やらと何ページもある書類が増えたけど、15日にサインが済んだら、いわゆる「終活」が無
事終了して、後は気ままな老後の暮らしを堪能するばかり・・・。

北から北東、東、南東と視界をぐるりと取り巻く山並みと視界いっぱいに広がる空を見ていると、眺望な
ど3日で飽きるという話は誰かの妄想だったんじゃないかと思う。雲の形は刻々と変わるし、空模様も
刻々と変わる。冷え込んだ日、夕暮れが迫る頃の山の景観はひときわダイナミックに変化する。カレシの
一眼レフを借りて、ズームインしてみたら・・・。

 
 ゴールデンイアーズ
 
 冷え込みを予告するような夕暮れの空
 
 山腹のピンクは夕日の色、山頂のブルーは空を行くひと筋の雲の影
 
 「見返り羊」と言ったところか。「未年」はもう去年の話・・・。

今年は(そして来年も、再来年も)空を流れて行く雲を眺めながら、ほんとにのんびりしたペースで暮らし
たいな。そういえば、今年は「一年の計」を立てることすら思い立たなかった・・・。

怒涛のように過ぎた1年ももうすぐ終わり

2015年12月25日 | 今日の風の吹きまわし
クリスマス。私たちにとっては民族大移動並みのプロジェクトだった住み替えが終わって4ヵ月半。「まだ
4ヵ月半」と言うべきなのか「もう4ヵ月半」というべきなのか。何だかあっと言う間に過ぎたような気がする。
先週の木曜日にはとうとう初雪が降った。雪ひらが窓の外の世界を覆い尽くすように宙を舞っているのを
高いところから見ていると、灰色の空から次々と舞い降りて来るのを戸建ての窓から見上げていたのと
はまた印象が違っていた。外にルーフデッキという自分の目線の延長のような水平空間があるおかげで
何とか地に足が付いている感じがする。そうでなかったら、気分的に無重力状態になってしまうかもしれ
ないな。これが40階とか50階なんて超高層から壁一面の窓の外を見ている人はどんな風に感じるのか
なあ。

10月あたりからやたらと嵐の連続。10月最後の日はハロウィンで、ちょうどよく雨が止んで、市条例で
許可されている午後4時を過ぎた頃からあちこちでドンドン、バンバン。暗くなったら、暗くなったら住宅地
のそこかしこから盛大な打ち上げ花火。足元のニューウェストミンスターは元より、(音は聞こえないけど)
北のバーナビーから東のコクィットラム、南のサレーからデルタ、西のリッチモンドまで、我が家から見渡
せる限り花火、花火、花火。特にインド系人口の多いサレーではいたるところで花火が上がっている。真
夜中までに打ち上げてしまわないと花火の不法所持になるせいか、10時を回る頃にはどんぱち、どん
ぱちと、何だか在庫一掃セールみたいな賑やかさで、思いがけない花火見物は予報の「次の嵐」が遅れ
て来た11時ごろまで続いた。旧居では、火の付いた花火を生垣越しに投げ込まれて窓の外で炸裂した
ことがあったせいか、2人ともハロウィンやインド人のディワリ祭のときの爆竹や花火の音がいつもすご
いストレスになっていたけど、こうして危害の及ばない高いところから見ていると、全国の花火大会の総
集編を見ているようで、明かりを消して、あっちだ、こっちだと2人して大はしゃぎ。ほんとに思いがけず楽
しいハロウィンだった。

明けて11月1日は第1日曜日なので、時計の針を1時間戻して夏時間から「標準時間」に切り替え。今
まで川縁のキー地区でやっていたファーマーズマーケットの冬バージョンがアップタウン地区の商業組合
の招きで移転して来て、その場所と言うのが我が家のマンションのまん前の道路。まあ、6番ストリートと
7番ストリートの間のたった1ブロックの短い道路だから、丸1日交通止めにしてもさしたる不便はなさそ
う。引越しする人は困るかもしれないけど。マーケットは4月まで毎月第1、第3土曜日の午前11時から
午後3時まで開かれると言うことで、楽しみにしていたけど第1回目は嵐模様で行かずじまい。第2回目
にやっと寒いけどマーケット日和。11時半ごろにロビーに下りて行ったら、外はずらりとテントが並んでい
て、エンタテインメントはギターの弾き語り。野菜のスタンドには普通のスーパーにはないものがけっこう
あって、きれいな小かぶの束を見つけてさっそくゲット。ひと束300円。カレシに写真を撮ってもらおうとカ
メラを渡したら、警備の(というよりは暇そうに立っていた)お巡りさんが「2人一緒に撮ってあげるよ」と声
をかけてくれてパチリ。冷え込んでいるのにかなりの人が集っていて、よく見ると有機食品などに凝って
いそうなタイプの人たちが多いみたい。

11月の終わりが迫る頃には山並みにも冬到来。遠くの峰が真っ白になり、その手前の山並みが冠雪し、
そのうちに手前の山並みも粉を振りかけたように白くなった。毎日人間の営みが行き交っている川の風
景と違って、山の眺望など雪があるかないかの変化だけでさしておもしろくないと思っていたけど、どうし
てどうして。天気や季節によって自然の変化があるし、太陽の方角や雲の形なんかでも色合いが毎日微
妙に違っていて、見飽きるのに3日どころか3年はかかりそう。もっとも毎日と言っても晴れた日にしか見
えないんだけど・・・。

12月7日。新居での初クリスマスと言うことで、いつもより早くツリーを飾った。その前の週にマンション
の住人が飾りを持ち寄ってロビーにクリスマスツリーを飾る集まりがあって、ワタシも少し寄付しようと、
飾りを納めた段ボール箱だけを地下駐車場のロッカーから出して来てあった。これはと言うものを選んで、
ロビーへ降りて行ったら、ゆうに2メートルはあるツリーが立っていて、ライトがちかちか。生木は禁止だ
からもちろん人工のツリーだけど、理事の1人が郊外の戸建てから越して来た際に長年家族で飾ってい
たものを持って来たけど、スペースがなくて使えなくなったのを管理組合に寄付して、その流れでみんな
で飾ろうと言うことになったらしい。まあ、それがダウンサイズというものなんだろうけど、長年3分の1は
壁に押し付けた形で飾って来たツリーを初めて360度ぐるっと飾れるようになった私たちとは正反対だか
らびっくり。みんな大きな家に住んでいたんだろうけど、私たちの場合ははそれほど大きくない3フロアの
家から4分の3ほどの広さのワンフロアに住み替えたんだけど、オープンな間取りが効率的なおかげで、
結果的にカレシが空いたスペースが多すぎるとこぼすぐらい広くなった感じがするからおもしろい。

マンションと言えば、バンクーバー市では今後は階数飛ばしが認められなくなる。エレベーターに13階の
ボタンがないビルは昔から普通にあったけど、迷信深い中国人が不動産市場の大得意客になってから
は、4階のないマンションが出現し、4号室がなくなり、ついに4の付くものは階数も部屋番号も一切ない
ところまで現れるほどにエスカレート。消防車や救急車が出動したときに混乱を招いて人命に関わる危
険があるというのが階数飛ばしを認めないことにした理由とか。たしかに「4」がないことで「死」が起きた
のでは元も子もない。

我が家のあるマンションもエレベーターのボタンに「4」と「13」がないし(14と24階はある)、部屋番号も
各階の3号室の隣は5号室。つまり、私たちが住む23階は23階じゃないわけで、実際に階数を数えると、
ロビーがあるのが「G階」で、その上に「1階」があるから、23-2+1ということで22階ということになる。
Ground floorがあって、その上がfirst floorとなるのはイギリス式の数え方だから、イギリス領だった香
港からのバイヤーに配慮したのかもしれないけど、迷信に配慮して4を飛ばすというのは何だかなあ。ま、
13階を飛ばすのは西洋の迷信への配慮ってことなんだけど。カレシ曰く、「4階を5階と呼んだって、4番
目のフロアであることに変わりないだろ。嫌なら買わなきゃいいだけの話」。たしかに縦に並べても横に
並べても、順序の中に必ず「4番目」が存在するのは厳然たる事実で、迷信深い人はそのあたりをどう考
えているんだろうな。単に「4」の数字がなければいいのか、あるいは4番目のフロアなら5階と呼んでも
ダメなのか。一度聞いてみたいな。

満月が高々とかかって、冷え込んでいるせいでひときわチカチカと瞬く夜景を眺めながら、引っ越して良
かったとしみじみと思う静かなクリスマス。怒涛のごとく過ぎた2015年もあと1週間を残すだけになった。
来年がどんな年になるのかは知る由もないけど、もう少し仕事をスケールダウンして、9割隠居とまでは
行かなくても、せめて8.5割隠居、1.5割現役くらいになりたいもんだな・・・。

 
 ファーマーズマーケット

    
    ロビーでクリスマスツリーの飾りつけ

   
   我が家のツリーも

 
 初冬の日の出

 
 日の入り

 
 昇ってくる満月

後を濁して立って行った鳥/新生活2ヵ月の雑感

2015年10月17日 | 今日の風の吹きまわし
最後の引越し荷物(新調した家具)を運び込んでから2ヵ月。まだ2ヵ月と言った方がいいのか、もう2ヵ
月と言った方がいいのかわからないけど、新しい生活パターンがすっかり定着して、普通に午前8時前
後に起きて、普通に真夜中前後に寝る毎日があたりまえになった。まだ最終的な置き場所が決まらなく
て本棚などに適当に置いたままになっているものも多いけど、それで不便を感じない段階まで片付いた
と言えるかな。

まず最初に一番びっくりしたのは部屋の汚れっぷり。先住者は私たちより年上の夫婦で、奥さんは見た
目にもいかにも華奢な人だったので、きれいに掃除をして引っ越すというわけには行かないだろうと予想
はしていたけど、いざ入居して生活を始めてみたら、日常の掃除さえしていなかったのかと思うくらいの
汚れっぷりに唖然としてしまった。20年以上も旧居の掃除をしてもらっていたシーラが月一度来てくれる
ことになって、初めての大掃除の日に開口一番に「すっごく汚れているけど、前の人はちゃんと掃除して
たのかしらねえ」。特にキッチンと2つのバスルームのそこかしこをシーラに指摘されて初めて汚れのひ
どさがわかった。まあ、20年以上も自分の住まいを掃除して来なかったから、汚れが目に付かなかった
のかもしれない。80代の高齢だから掃除までは期待していなかったと言ったら、「掃除代行の人を雇え
ば済むことでしょうが」。まあ、見かねただんなさんが掃除サービスに来てもらうことを提案したら奥さん
が他人を入れるのは嫌だと却下したという話だったけど、推測するに、だんなさんがプリセールで買って
越して来たけど、奥さんが広すぎて掃除が大変と拗ね出し、交友の場だったメトロタウンから遠くなったこ
ともあって反旗を翻したため、だんなさんが折れてメトロタウンのもっと小さいマンションに住み替えたと
言うことだろうと思う。おそらく買い手(私たち)が付いてからはまともな掃除はしなかったんじゃないのか
な。

まずはモールの中にあるShopper’s Drug Martで清掃用品の調達。シーラの後ろをついて回って、トイ
レ掃除はこれ、バスタブやシンク、カウンター、床タイルなどの掃除はこれ、シャワーの強化ガラスとタイ
ルはこれ、ガスレンジの油汚れはこれ、ステンレス家電の手垢はこれと、言われるままにレジかごに入れ
て行ったら、うわ、重い。スポンジやスイファーの床掃除パッドも買って来て、まずはガスレンジの掃除か
ら。ずっしりと重い四角い五徳を全部外したシーラが「ほら、油が焼き付いてべったべた」。五徳を洗剤を
入れた熱湯に浸けておいて、バーナーの周りにこびり付いた油汚れの掃除。2人で世間話をしながら小
1時間ほど頑固な汚れをごしごし、ごりごりやっていたら見違えるくらいきれいになった。五徳の方は何度
か掃除しないとすっかり汚れが落ちそうにないので、できる範囲でごしごし。バスルームの床とシャワー
の強化ガラスの汚れ具合は度が過ぎていて、掃除は2日がかり。床のタイル、こんな白かったんだ・・・。

後日テーブルの方からふと見たら電子レンジの上のドアがヘンにテカテカしていて、どう見ても油が跳ね
上がってこびり付いたとしか思えない。良く見たら両横の戸棚のドアにもテカテカが点々。油を使う料理
が多かったんだろうけど、電子レンジについている換気扇を使わなかったのかな。まあ、換気扇のフィル
ターも食洗機で2度洗ったほど油汚れがひどかったけど、踏み台に上らないと掃除ができないところまで
油が跳ねるような料理っていったいどんなものなんだろう。煙探知器を鳴らしてばかりだったんじゃない
のかな。強力なクリーナーをつけたスポンジでごしごし擦っていたら何とかきれいになったけど、レンジの
五徳にもテカテカと黒光りしているところがあって、鈍らになったナイフを当ててみたら飴のような茶色の
塊がぼろぼろと削れて来たからびっくり仰天。フローリングの床も半日で足の裏が真っ黒けに汚れるくら
いだったのが、せっせとモップをかけていたらあまり汚れなくなった。ちょっとくらいの汚れは打っちゃって
おけるぐうたら気質を自認しているワタシだけど、上には上があるもんだと感心することしきり。それにし
ても、最初の1ヵ月は後を濁して飛び立った鳥のような人の後始末が中心みたいな掃除をしていたわけ
で、他人様の生活を想像してみたりして、その人となりまで覗いているような気がしたな。

新生活が落ち着き出して、週末が何となく2人一緒の掃除日になった感じで、カレシが自発的に2つのバ
スルーム(シャワールーム以外)を担当するようになった。引っ越す前はワタシが「仕事で忙しい時には
掃除をしてもいい」みたいなことを言っていたのが、土曜日か日曜日には朝食が済んだとたんに「おい、
掃除をするから道具をくれ」と言い出すようになって、あまり期待していなかったワタシは半信半疑。でも
クリーナーを入れたスプレーボトルやスポンジや雑巾を渡すと、ブラシでトイレをごしごし。スポンジでシン
クをごしごし。カウンターはスポンジで拭いて雑巾で仕上げて、大きな鏡には窓クリーナーをスプレーして
別の雑巾できゅっきゅっ。バスタブが汚れているときは身を乗り出して、お湯をじゃぶじゃぶ流しながらス
ポンジでごしごし。家事をやらない亭主歴ン十年のカレシが何の心境の変化を起こしたのかと思ってしま
うけど、カレシはいたって本気らしい。ワタシはキッチン全般と家具のはたきかけと床掃除を担当するだ
けで、かって朝から晩まで週7日で仕事に追いまくられていた頃にこんな楽ができていたら、ワタシは燃
え尽きることなく荒稼ぎを続けたんじゃないかと思わないでもないけど、ま、昔は昔で今は今・・・。

区分所有のマンションは法律上strata corporation(日本で言う「管理組合法人」)で、基本は壁や天井、
床を隔てて生活している人たちが市町村と言う自治体の中にさらに一種の「自治体」を形成している。だ
から市条例のような規約があるし、管理組合の理事会は選挙制だし、管理費と言う「税金」で自治体住
民が共有する財産を維持管理している。新居のマンション(名称Viceroy)のロビーやエレベーターの中
にはモニターがあって、広告と共に管理会社からのお知らせや注意が常時表示されているし、メールで
もお知らせが来る。私たちが受け取った最初のお知らせは洗濯物乾燥機の排気口の清掃。次は州の消
防法で義務付けられている年に一度の防火装置の点検。検査員が部屋に立ち入る必要があるので、必
ず誰か成人が在宅していること、留守の場合は出直し検査の費用を請求すると書いてあった。何の作業
にしても最上階から始めることになっているらしく、26階から20階までは午前8時半から10時半の間と
言うことで、新しい生活時間なら早起きは不要。ちなみに高層棟には168戸あって、26階は3戸、25、
24、23階は各5戸、22階から17階が各7戸、16階から7階が各8戸、6階から3階が各10戸で2階は
パティオ付きの6戸という構成になっていて、全館禁煙・・・。

洗濯を始めたところで天井の避難警報がピチョピチョとさえずり始めて、15分ほどでドアをノックする音。
「おはようございまぁす」と若い検査員が入って来て、天井の煙探知器に何かシュッと吹きかけたとたん
にビーコビーコと甲高い警報。思わず耳に指を突っ込んだけど、検査員君が持っていた板で扇いだら鳴
り止んだ。そうやって部屋の中に3つ探知器をチェックして、チェックシートにちょこっと書き込んで「すべ
て正常です」。各戸の煙探知器の点検が終わったら、最後の仕上げに共有部分の防火設備の点検。前
日はピチョピチョとさえずっていた天井の火災警報器がときどきポケッ、ポケッとしゃっくり。お知らせには
「警報が鳴ることがありますが、不便は最小限にとどめるよう努力をしますのでご容赦を」と書いてあった
ので、これがそうかと思っていたら、カレシが今夜のイベントに着て行くシャツにアイロンをかけているとき
に頭の上で突然の大音声。よく聞いていると「これから火災警報システムのテストをします。警報が鳴り
ますが、避難する必要はありません」という管理会社の担当責任者のアナウンス。へえ、アナウンスでき
るなんて知らなかった。我が家には煙探知器3つの他に火災警報器が5つある。(ちなみにスプリンクラ
ーのヘッドは15個もある。)この音量なら5つもいらないよねと言っていたら、今度はいきなり耳を劈く警
報。2、3分鳴り続けて止まったけど、そっか、これが「避難してくださ~い」という時の警報なのか。これな
らどんなにぐっすり眠っていても目が覚めそうだな。

区分所有はいわば運命共同体のようなものでもあるから、全体の安全を守るための規則や設備があり、
そのための点検もある。まずはフォブと呼ばれる非接触リーダーがアクセスがコントロールされていいて、
これをセンサーに近づけてピッとやって玄関やエレベーター、駐車場、ロッカー、ゴミ捨て場のロックを解
錠する。来客は玄関外のディレクトリに表示されている部屋番号に4桁の数字を足した答のセキュリティ
コードを入力すると、部屋で電話が鳴って発信者としてマンション名が表示される。来訪予定のある人な
ら「9」を押すとピロンピロンとチャイムが鳴って一定時間だけ玄関ドアとエレベーター(訪問階のみ)にア
クセスできるけど、知らない人やセールスだったら電話を切るだけで「撃退」できる。一般有料駐車場を
通って住人用駐車場のゲート開けるのにピッ。(午後6時以降は駐車場に入るのにもピッ。)エレベーター
ホールに入るのにピッ。エレベーターで居住階のボタンを押す前にピッ。ただし下りのエレベーターはロ
ビー階と地下一階駐車場のみがフリーアクセス。(訪問者ならお帰りいただくわけで・・・。)

戸建てのように何でも自分の好きなようにやれない不便さのようなものもあるけど、慣れるとある意味で
戸建てとは違った住み心地の良さというものがわかって来る。何よりも戸建ての管理や修理(とその資金
繰り)に頭を悩ませるストレスがない。管理費は修繕の準備金も含めて月に5万3千円で、給湯と調理用
ガスの費用が含まれているからその分電気料金が減少するし、芝生などの手入れや市条例で要求され
る歩道の雪かきも管理費でカバーされるから労力を費やす必要がない。引越し後初めての2ヵ月通して
の電気料金の請求書(ニューウェストでは電力会社ではなく市役所が隔月で請求して来る)は税金など
を含めて9千円という数字で、旧居では夏でも2ヵ月で2万5千円だったから60%減。まあ、生活時間が
シフトしたせいで照明時間が激減したのも大きな要因だけど、旧居はオール電化で、240Lの大型給湯
タンクに常にお湯を貯めていたし、夏はクーラーを使っていたし、冬はカレシの趣味の温室にヒーターを
入れていたし、夜型の生活でしかも日の差さないベースメントで照明を点けて1日の大半を過ごしていた
から、電気の消費が半端じゃなかったということだな。

眺望など3日で飽きると言ったカレシだけど、空の雲は刻々と形や色を変えるし、フレーザー川での人間
の営みもいろいろだし、季節の移り変わりが見渡せる。濃霧の上は何とも不思議な光景だったし、夕暮
れの虹は地上とはまた違って見えた。これから何年ここで暮らせるかは知る由もないけど、鏡に写る自
分の顔の表情にまで心なしか良い変化が現れて来たようで、半ば強引に引越しを決行して良かったとつ
くづく思う。27年も住み慣らして後にして来た旧居のことは、なぜかほとんど思い出さない・・・。

     
     誰かに似ているような・・・
     
     スーパームーンの出
     
     濃霧の上は晴れ
     
     木々の間を漂う濃霧
     
     手が届きそうな虹
       
       ダブルレインボー

引越しはやっぱり新しい出発

2015年08月29日 | 今日の風の吹きまわし
引越し本番からほぼ1週間経って、やっと旧居から外して持って来た水のろ過装置を取り付けて、ついで
にフィルターも取り替えてもらって、やっと飲みなれた水にありついた。逆浸透圧でろ過した水に慣れると
水道の水はやっぱり何かまずい。ちょうどバーの道具が出て来たので、さっそくろ過した水で氷を作って、
待ち遠しかったマティニで乾杯。調理道具もいろいろと出て来たので、夕方にカレシとスーパーへ「今日
の夕飯」の買い物。カレシは久しぶりにサラダを作り、ワタシは出来合いだけどリブを焼いて、枝豆を蒸し
て付け合せ。ほぼ1週間にしてどうやらまともな「おうちご飯」。生活に落ち着きが出て来た感じ。寝室の
外の6番ストリートは主要道路なのに夜に成ると静まり返って、住宅地なのに深夜でも騒々しかった旧居
とは比べものにならない。ときどき遠くから貨物列車の汽笛が聞こえて来て、子供の頃の霧の夜に布団
の中で夢うつつに聞いた汽笛の記憶が蘇って来る。霧に包まれる季節になっても「霧笛」は聞こえないだ
ろうけど、川の見えるところで生まれたワタシ、何か人生が一巡したような感じがしないでもない。

主寝室は北東向きで、ブラインドを通して朝日が差し込むので、午前7時過ぎには目が覚めてしまう。ま
あ、その後1日あの箱、この箱と開けて回ったり、あれはどこだ、これはどうしたとうろうろ探し回ったり、
あれがいる、これがいると徒歩1分の量販店London Drugsへ駆け込んだりで、夜中ごろには2人とも
疲れ切って寝てしまうので、考えようによっては「普通」の生活リズムになっているということか。落ち着い
たら寝室に遮光カーテンをつけようと思うけど、このまま「普通」の生活を続けてもいいような気もする。
何よりも明るい光の中での生活がワタシにはうれしい。空を見たいと駄々をこねたのは、長年ベースメン
トの自然光が入らないオフィスでモグラ暮らしをして来て、知らない間に閉塞感が募っていたせいかもし
れない。明るい日差しの中にいると自然に元気が出るような気がするのは、人間も植物のようにエネル
ギーを光合成するのかもしれない。

カレシは早々と英語教室を再開。「通勤時間」が15分ほど長くなるので、早めにランチをして、行ってらっ
しゃい。休業中のワタシは家事をするにも洗濯機から乾燥機、ガスレンジからオーブン、電子レンジと、
使い方を覚えるものが多い。不動産売買では大型家電は家の付属物とみなされるので、マンションにも
少なくとも冷蔵庫、レンジとオーブン、食洗機、洗濯機と乾燥機が発売当時からがついていて、売るとき
も一緒に売る。新居について来たのはサムスンの大型冷蔵庫(使い勝手が悪い)、ドラム式洗濯機と乾
燥機(上に重ねた乾燥機は高すぎて踏み台が必要)、ボッシュのレンジとオーブン、食洗機、換気扇併用
の電子レンジ。レンジとオーブンは40年使っていないガスなので初めはビビッたけど、実家でプロパンガ
スを使っていたのを思い出して「学び直し」。

掃除はルンバを走らせて、ワタシは床のモップかけ。いたるところで場所を取っていた段ボール箱がぐん
と減ってスペースが開けて来ると、ワンフロアで階段がないとは言え、137平米が全部フローリングだか
ら掃除はけっこうタイヘンと言う感じで、売主の80代の奥さんが音を上げたと言うのもわかる。ワタシは
もう20年も自分の住処の掃除をやっていないから、キッチンや浴室、トイレの掃除をしようにも洗剤も清
掃用具もなくて、店でもどれを買っていいのか途方にくれる始末。ハンドクリーナーとトイレブラシだけは
買って来たけど、困ったもんだ。やっぱり月に一度はシーラに援軍に来てもらって、掃除の仕方をコーチ
してもらわなくちゃ。

午後4時を過ぎると、カレシと連れ立ってその日の夕食の食材を買いに徒歩3分のSave-On-Foodsに
行く。ときには別方向の徒歩1分の同系列のBuy-Low Foodsに行くこともある。引っ越して不便になっ
たのは酒屋。ニューウェストの購買層はビール党が中心らしくて、ワタシの愛しのレミもハウスワインにし
ているニュージーランドのソヴィニョンブランもない。でも車で10分ほどの隣町のMarket Crossingとい
うショッピングセンターに行けばまあまあの品揃えの酒屋があって、週に2日は午後11時まで営業して
いるし、もっと大きなSave-Onもあってニューウェストではほとんど見かけないアジア食品も手に入る。
バーナビー市はバンクーバーのすぐ隣だから中国系が多いんだろうな。夕食のメニューが決まったら、カ
レシがサラダを作り、マティニを作って、ワタシはメインの料理。キッチンのスペースの住み分けは微調整
が必要だけど、遠くの風景を眺めながら並んで食事の支度をするひと時はすごく新鮮な感じがする。カレ
シは荷解きや後片付けにも積極的に参加してくれて、これほど2人一緒にがんばったことってあったかな
あと思うほど。でも、みんな納まるところに納まったらどうなるんだろうな。それでも窓の外一面の大きな
空を眺めていると、私たちの「新しい出発」が現実になったという気がして、やっぱり胸がわくわくする。

8月17日は旧居の明け渡しの日。その前の金曜日に再度Got-Junkを呼んで、隅々まで徹底した清掃。
隣のパットが貰い手のあるもの、寄付できるものを運び出してくれていたので、残っているのはほんとに
「廃棄物」ばかり。二階にあった電子ピアノはパットと息子で介護ホームに運んで寄付したそうで、長いこ
と沈黙していたワタシのピアノも誰かに弾いてもらえると思うとうれしいね。最初の1台が満杯になって、
午後4時過ぎに2台目のトラックが来た。大きな家具から小さなゴミに至るまで総量がトラック1.5台分で
しめて10万円。3時間ほどで家の中はがら~んと空っぽになって、どこにいても声が反響するので、これ
が27年住み慣れた家だという現実味がまったくない。午後6時前、33年住み慣れた土地を後にしたけ
ど、年が明ける頃には解体される運命にある家は、手をかけて育ててやれなかった子を見送るようなも
のなのに、喜怒哀楽の思い出がぎっしり詰まっているはずなのに、もう二度と見ることはないのに、少し
は感傷的になるかと思ったのに、普通に玄関に鍵をかけて出て来たのは、ワタシの中ではもう過去だか
らかな。

翌土曜日は特注家具の検収。カスタム設計のバーキャビネットを見たカレシは「おお」と感動した様子。
キッチンのカウンターの下に入れる浅いキャビネットも、オフィスに入る3本のデスクもいい出来上がり。
残金を払って、後は火曜日の搬入を待つばかりで、エレベーターの予約も確認済み。2人のライフスタイ
ルと部屋の間取りに合わせてカスタムサイズ/カスタム設計で新調した家具はしめて400万円。予算を
大幅にオーバーしたけど、40年遅れの「嫁入り道具」だと思えばいいかな。

明け渡し前日の日曜日には不動産エージェントのポールがみごとな胡蝶蘭の鉢を抱えてやって来た。旧
居の鍵を引き取るのが目的で、明日17日の正午にポールが買主とそのエージェントに旧居で会って鍵
を渡せば家の明け渡しが正式に完了。キーチェーンにつけておいた玄関と裏口の鍵の他に、集めてお
いた予備の鍵数本、ガレージドアのリモコン、防犯装置のコントロールボックスの鍵とリモコンをビニール
袋に入れて、はいどうぞ。あっけない感じもするけど、もう新しい暮らしが始まっているんだもの。ワタシ
の前には「新しい出発」がある。川の流れと同じように人生は前にしか進まないもの。

8月18日。特注家具の搬入が終わって、私たちの引っ越し大作戦にピリオド。一番大きいバーのキャビ
ネットは環境を変えたいと言うワタシのたっての願いを抵抗しながらも叶えてくれたカレシへのプレゼント
のつもり。下はお酒を入れる戸棚とワインラックで、上はビターやグラスなどを置く浅い棚の組み合わせ
で、高さは2メートルちょっと。隣接するカウンターの下にはワタシの小皿コレクションを入れる浅い戸棚
をはめ込んで、収納場所を確保・・・。

     ――

フリーザーや食品庫を置いて、カレシの室内園芸設備も入れたデンをキッチンの延長として物理的ダイ
ニングエリアから隔離するために、バーをリビングとキッチンカウンターの間に斜めにはめ込むことを思
いついたわけだけど、結果として視覚的にもリビングとダイニングがひとつのエリアとしてまとまった生活
空間になったような感じがする。Bekinsと入れ替わりにマイクが持って来てくれた本棚はリビングの奥に
置いて、そのうちに買うことになっているテレビの置き場所。ソファに座ると窓の外に見える建物はほぼ
屋根だけになっていい。

     

最後の目玉は何と言ってもオフィスのデスク。移動できるコンピュータデスクを持って来たカレシには袖に
引き出しのついた長いデスクひとつ、ワタシは短いコンピュータデスクと2人のスペースを分け隔てる長
いデスクの2つで、これまでとだいたい同じL字型の作業スペースをくっつけて全体にT字型にしたレイア
ウト。変わったのは2人の距離が近くなったということだけ・・・。

     

けっこう汗をかいた後は、いつもハッピーアワーのカレシバーが開店。自分専用のカスタムオーダーの
「バー」の主になったカレシはえらくご満足のようで、いそいそとマティニを作る準備。横のカウンターの端
に製氷機があれば申し分なしと言うことで、落ち着いたら小型の家庭用製氷機を1台買うことにした。そ
れにしても、どんだけのんべえな2人なんだろうと思われてしまうかもしれないね。

新居での生活も3週間が過ぎ、家具も全部揃って、段ボール箱の「長城」もほぼ姿を消して、やっと日常
のパターンが固まって来た感じがする。同時にたまっていた疲れが出てくるのか、あるいは『ウサギとカメ』
のウサギみたいなもんで、ここまで来たらもう大丈夫という気になるのか、ついついだらぁ~んとしてしま
いがち。でも、またぞろ中途半端なまま年月が経ってしまいかねないから、ここでちょっと気を引き締めて
おかないと・・・。

     

晴れた日には遠くに万年雪を戴くベーカー山(標高3286m)が・・・。

引越し大作戦の胸突き八丁は引越し(2)

2015年08月29日 | 今日の風の吹きまわし
いよいよ本番の8月。まずは納品された家具第1陣の検収。ソファや椅子、食器棚、本棚を含めて16品
目、全部で24点をひとつひとつチェック。「ほんとに全部収まるの?」とカレシ。まったく家具のない部屋
は実際の広さよりも小さく見えるそうで、不動産屋がよくステージャーという業者を使って家具を配置する
のは「すてきなインテリア」を演出するための他に「狭い」という印象を与えるのを防ぐ目的もある。ま、書
き込んだ間取り図に全部ちゃんと収まっているから大丈夫。嫁入り道具を持たずに海を渡って来て、カレ
シと一緒に暮らし始めて40年。やっときちんとした家具を持つことができた。シンプルな直線のデザイン
が気に入ったんだけど、素材が国産の無垢材だからどっしりした安定感がある。全体を同じデザインで
統一したのは正解だったな。リビングとダイニングでは仕上げの色が違うけど、間に置くソファの色がつ
なぎ役になって、わりとまとまっていると思う。考えると新品のソファを買ったのは初めてだし、食器棚も
飾り棚もコーヒーテーブルもナイトスタンドも引き出したんすも、完成品を揃えたのは初めてだから、何だ
かちょっぴり新婚気分・・・。

Bekinsからの連絡で、作業日程は4日に午前8時半から荷造り、5日は午前10時から家具の引取りと
搬入、6日は午前8時から引越し本番という確定。秒読みに入ったから、荷造りと処分品の仕分けに本
腰を入れる。ひとっ所に30年近くも根を生やしていると、ほんとに呆れるほどモノが「堆積」するもんだな。
でも、収納スペースが足りない、足りないと言っていたわりにはどれもちゃんと置き場所があったわけで、
いったいどれだけの床面積がガラクタに占領されていたやら。最後になってベースメントにある古い本棚
の解体作業。はしごのようなフレームを棚板で支える機能的なもので、ワタシがまだ独身で実家住まい
だった45年近く前に三越で見つけて買ったもの。衣類などと一緒に船で送ってもらったから、嫁入り道具
の家具があったとしたらこれが唯一のものかな。長い間に何度かの引っ越しで解体しては組み立て直し
たけど、未だにしっかりしていて、新居ではカレシの希望でメディアルームの主役になる。夕方に辞書類
を引き取ってくれた同業の友人夫婦と食事をしたついでにペンキ塗りと照明器具の取替えが済んだ新居
を視察・・・。

     
     ダイニングとリビング
     
     ダイニングエリアとキッチン
     
     主寝室
     
     メディアルーム兼客用寝室
     
     園芸ルーム/キッチンエクステンション

8月4日。午前7時半に目覚まし。8時半、Bekinsの荷造りチーム2人がやって来て、ものすごい勢いで
箱詰め作業。正味5時間の作業で、本棚にぎっしり詰まっていた120冊くらいの革装丁の本も、食器や
グラス類が並んでいたキッチンの戸棚も、カトラリーや料理道具の詰まっていた引き出しも、旅行の記念
品を飾ってあった戸棚も、これもお願いと出して来た小さい家電の類も、すべて箱詰めにして、あっという
間に段ボールの壁・・・。

    

8月5日。新調した家具を家具屋の倉庫から搬入。午前10時にコクィットラムにあるCreative Home
FurnishingsでBekinsのトラックを迎える予定で、午前8時30分に目覚ましをかけておいたのに、カレ
シに起こされて目が覚めたらもう9時30分。就寝が午前2時だったから、疲れすぎて目覚ましが鳴っても
目が覚めなかったらしい。あぁぁ!猛烈な勢いで身支度をして、朝食代わりのサンドイッチをトートバッグ
に放り込んで、車を飛ばすこと25分で店に到着。ところがトラックが迷子になって30分送れて到着。数
が多いから積み込むのに3時間かかって、一足先に車をぶっ飛ばして新居へ。トラックの到着を待って、
エレベーターをロックしてもらって、引越しの始まり、始まり・・・。

     
     リビングの家具
     
     ダイニングチェアと陳列キャビネット
     
     主寝室のプラットフォームベッドとたんす

8月6日。いよいよ27年住み慣れた家からの引越し。起床午前7時半。8時に大型トラックが到着。朝食
の暇もなく積み込み作業開始。積み込みがほぼ完了した午後12時半、一足先に新居へ。トラックの到
着は午後1時過ぎ。ランチの暇もなく家具や大量の段ボール箱の搬入作業を指図。すっきりしていた新
居があっという間に段ボール箱の山・・・。

     
     段ボール箱の大長城
     
     どこを見ても箱、箱、箱

8月7日。新調した「ヘブンリーベッド」で泥のように眠った新居の第一夜が明けて、さっそく荷解き作業を
開始。午後、電話会社のテクニシャンが来て新しい電話番号とネット接続の設定。ところが何かおかしい。
翌8日はカレシの誕生日だったのに、朝から電話会社のサポートとああだこうだで潰れてしまった感じ。
一応復旧したけどまだ不安定。光ファイバーと折り合いが悪いとめぼしを付けてさんざん掛け合った末、
4日後に電話会社がルータを取り替えてくれてネット接続が安定。カレシはストレス過重で十何年ぶりか
の口唇ヘルペス。でも、引越し大作戦6ヵ月で、どうやら新しい我が家での暮らしが始まった。

引越し大作戦の胸突き八丁は引越し(1)

2015年08月29日 | 今日の風の吹きまわし
新居となるコンドミニアム(日本語で言う「マンション」)の引渡し日の7月21日、期限の正午に着いてみ
たら、正面にトラックが2台止まっていて引越し荷物を積み込んでいる最中。ポールと売主のエージェント
のピーターがロビーで待っていて「法的には正午が退去期限だけど、荷物の運び出しが遅れているんだ
よ」。ま、キム夫妻は私たちよりもずっと高齢だし、引越し業者着が遅れたのかもしれないし、ガラクタを
残さずに明け渡してくれたらそれでいいんだけど。ロビーで世間話をしながら待つこと30分。娘を伴った
キム夫妻が降りて来て、「終わりました」と2本の鍵(玄関ドアと郵便箱)がついたキー・フォブ2個。この認
証用フォブがないと玄関の中に入れないし、エレベーターで上がれないし、住人専用の駐車場やゴミ捨
て場にも入れない。めんどうでもあるけど、出かけるのにいちいち防犯アラームをセットして60秒以内に
外へ出て、帰って来たら30秒以内に解除して、という手間に比べたら楽なものかな。これが「マンション
は鍵ひとつで出かけられる」という利点なんだろうな。

まずは駐車場への乗り入れ方を覚えて、割り当てのスポット(2台分)に止める。駐車場は地上階と地下
1階が一般有料駐車場で、フォブで開閉するゲートを通った地下2階と3階がマンションの住人専用。(地
下一階のゲートの外には訪問者専用のスペースもある。)私たちの部屋に割り当てられた駐車スポット
は地下2階で、ゲートからランプを回ってすぐのところでエレベーターもすぐそこ。どうやら高層階の広い
ユニット(つまりはお高いユニット?)から優先的に便利なスポットを割り当てたらしい。向かいにはベンツ
が4台も並んでいて、トラックとエコーだとかえって目立ちそうな感じ。「自転車置き場」と書いた(自転車
のない)ところにはケージのような専用ロッカーがあって、その大きさも各戸の床面積と連動するらしい。
小町横町で日本のマンションの居住階による住人の階層化などを論じていたけど、こんなところに微妙
な「差別」が潜んでいるってことかな。

次はエレベーターの使い方を覚えて(ピッと当てて居住階のボタンを押すだけだけど)、23階へ。ポール
に促されてカレシが鍵を開けて一歩中に入ったら、がらぁ~ん。お願いした通りにすっかり空にしてくれて
いた。もちろん床はごみだらけだけど、そこは引越し前に掃除すればいい。でも、キムさんは「掃除費用
を請求してください」と言い残して行ったそうな。それほどの汚れじゃなさそうだから払ってもらわなくても
いいんだけどね。コンセントなどの位置や要所の寸法を間取り図にマークして、写真を撮る作業に1時間
ほどかかったけど、家具も何もなくてがらんとしているせいで、話し声や窓の外の音が室内に反響して
「我が家」と言う実感はわいて来ない。まあ、これから5年、10年とかけて「我が家」にして行けばいいわ
けだけど、カレシはさっそくinstitutional whiteと揶揄される当たり障りのないくすんだ白一色の内装に気
が滅入ったと文句。曇り空だったからよけいに陰鬱に感じられたのかもしれない。

こうして私たちはめでたく?ニューウェストミンスターはアップタウンのマンション23階の角部屋の持ち主
になったわけだけど、引越し予定の8月6日までにやることは山のようにあって、ほっとしてはいられない。
コントラクターのマイクとペンキ塗りや照明器具の取替えの入居準備の打ち合わせがあるし、管理会社
関連の事務処理もあるし、まだまだ荷造りもたくさんある。管理会社のウェブサイトに「所有者/居住者」
として新規登録して、引越し当日のエレベーターを予約。引越し本番の6日は「入居」(手数料100ドル)、
前日の5日に「家具の配達」(手数料なし)として、それぞれ正午から午後4時までを予約。午後は転送願
いの用紙をもらいに郵便局へ。最大どのくらいの期間転送してくれるのか聞いたら、「1年間ですが、今
キャンペーンで1ヵ月無料で延長して13ヵ月です」。は?昔はごり押しの賃上げ要求で1ヵ月以上もスト
をやって、メールがなかった頃に国中が迷惑したもんだし、民営化したらしたで儲からないと戸別配達を
廃止することにしてヒンシュクを買っているカナダポストが販促キャンペーン?ま、それでも1回の通知で
クリスマスの時期をカバーできるからいいか。

秒読み段階になって来て、カレシもやっと時間とエネルギーに限りがあるとわかったようで、フランチャイ
ズで廃品回収業を展開しているGot-Junkを呼んで、かなりのゴミを撤去してもらった。何でも自分でやり
たがる気持はわからないでもないけど、ここは「住居移転」という大プロジェクトを完遂するための手順を
いかに効率的に組むかという課題を最優先しなければならないので、自分の力を試している場合じゃな
い。そういうことで、入居準備の作業のうち、主寝室のバスルームの改装は管理組合の許可が必要だと
わかったので、マイクにはペンキ塗りと照明器具の取り替えから始めてもらい、引越し業者Bekinsのベ
ニーには8月4日に梱包チーム派遣を依頼。マイクがフォブを借りに来たついでに古いキッチンの戸棚を
外してくれた。買主の許可を得た上のことで、安っぽいパーティクルボード製だけど積み重ねれば即席の
食料庫になるという胸算用。マンションと言うところは収納場所が足りないのが難点・・・。

長い道のりだったけど、もうすぐ引越し

2015年07月20日 | 今日の風の吹きまわし
新居の購入契約が確定したのが5月の半ば。でも、売主が7月明け渡しを希望して、こっちも売れた家に
ガラクタ整理の目的で8月半ばまで居座っているので、最終決済は7月20日、明け渡しは翌日21日と
いうことになって、その日がとうとうやって来た。金曜日のうちに、購入金額(ざっと8900万円)に移転登
記税160万円、明渡し後の164日分の固定資産税と7月の管理費の11日分を加算して、不動産会社
の信託口座に預けてあった頭金を差し引いて、弁護士事務所の手数料を加算した合計額を銀行手形に
して、弁護士のリチャードのところに持って行き、書類にサインをして準備は整っていた。5月初めに家の
売却の方を決済して即席ミリオネアになった私たちだけど、銀行の残高はみごとに桁がひとつ減ってい
て、「ミリオネア」はあっさり2ヵ月半で終わり。(実感する暇は全然なかったな。)

そして今日午後3時過ぎ、決済と移転登記の手続きを担当したパラリーガルのキンバリーから「すべて完
了しました」のメール。やっと新居の決済と所有権の移転登記の手続きが済んだわけで、これで私たち
の「家なき子」状態にもやっとピリオドを打って、めでたく「ニューウェストミンスター市のアップタウン地区
にあるタワーの23階、床面積137平方メートル+バルコニーとルーフデッキ合わせて約70平方メート
ルのコンドミニアム」が我が家になった。明け渡しは明日の正午。激流に押し流されて来たような5ヵ月半
だった。カレシは想定外のことに直面して「できない」と思った瞬間に轍にはまってしまって、誰の言葉も
耳に入らなくなるところがあって、カレシがペースの速さについて行けなくて不安障害のようになった時期
もあったし、このまま15年前の地獄に戻るのではないかとワタシまでが情緒不安定になったときもあっ
たし、ワタシとカレシの40年があっけなく空中分解してしまうのではないかという一触即発の場面もあっ
た。ワタシが引っ越したいと言い出したきっかけが15前に私たちを苦しめた事件のフラッシュバックだっ
たのがカレシにはショックだったようだけど、大げんかを繰り返すうちに少しずつそれぞれの気持に向き
合うことができたから何とか2人でここまでたどり着けたんだと思う。

カレシもワタシが窓のないベースメントの仕事場で25年も働いて来て、空が見える生活がしたくなった気
持をわかってくれたらしい。今はカレシの気持が揺らぐたびに「キミのために引っ越すんだからね。キミに
ハッピーでいてもらいたいからなんだよ。キミがハッピーにならなかったら引越しは失敗ってことになるん
だからね」とまるで呪文を唱えるようなことを言っている。掃除くらいは引き受けるから、楽しいことをする
資金を稼ぐくらいのペースで仕事を続けたらいいとまで言ってくれて、心境の変化の大きさに多少の戸惑
いを感じないでもないけど、これからの生活に前向きになってくれたのはすごくうれしい。新居に落ち着い
たら、仕事はほどほどにして、カレシのために毎日新鮮な食材を買って来て、おいしい料理を作ってあげ
よう。義理の姪のサンドラが「新しい出発ね」と言ったけど、まさに私たち夫婦の「新たな出発」・・・。

モノを「捨てられない人」のカレシも、セルフストレージを借りたことで、納まり切れないモノも手放さなくて
もいいのだとわかって安心したのか、前向きに引越し準備にとりかかるようになった。庭はなくなるけど広
い北東から南東向きのルーフデッキがあるし、南東から南に伸びる広いバルコニーもあって、日当たり
は十分。ルーフデッキにはプランターをいくつも置いてこれまでとはちょっと違ったガーデニングに挑戦す
ればいい。そう決めて、ガレージにずっと放置してあった材木を使ってプランターを作り始め、試行錯誤
の末にけっこうしゃれたプランターができあがった。

     

ワタシは電動ドリルの使い方を指南しただけだから、不器用で手仕事が苦手なカレシとしてはすごい快
挙だし、おかげでかなり自信がついたようでもある。このプランターで摘み菜にする野菜を育て、屋内の
キッチンのすぐ外に置く園芸スタンドではマイクログリーンを育ててくれるという話。いろんなことが変わる
ということだなあ。ごく普通の老後生活に一歩近づくのかもしれない。ここまで来るのに私たちは40年か
かったということだけど、引越しを10年先まで待たなくて良かったとつくづく思う。

新居が決まって最初に気づいたのが、持って行ける家具がないと言うことだった。ワタシが自分で設計し
た家だから、作り付けのものが多くて、引越しするからといって外すわけには行かない。なぜ何もかも作
り付けにしてしまったのかは記憶が飛んでしまって覚えていないけど、考えてみると私たちはまともな家
具を持ったことがなかった。結婚してアパートからタウンハウスに引っ越したときは、食器戸棚やコーヒー
テーブル、ナイトスタンド、ワタシのデスクをすべて自分で作ったものだった。普通の勤め人だった頃の私
たちには上等な家具を揃えるお金がなかった。不細工な家具でも作って使い始めてしまったら、新しいの
を買うのがめんどうで結局はまともな家具を買わないまま、新築ついでに作り付けにしてしまったのかも
しれない。デザインを選んで寸法や仕上げを指定できる家具店が郊外にあって、カスタム家具の製作に
ついて問い合わせたら、オーナーから「ご相談に乗ります。電話してください」との返事だったので、ここ
で新居の家具をまとめて新調することにした。個人経営の小さな会社だけど、湿度の高いアジアからの
輸入品を冬は暖房で乾燥する環境で使っていたら、椅子など数年でぐらついてしまったから、BC州やカ
ナダ東部産のカエデやオークの無垢材を使って地元で製作しているところが魅力。家具の全面新調なん
てこれが最初で最後だと思えば、ン百万円の出費も大いに価値があるというもの。

私たちが住むことになるニューウェストミンスター市はバンクーバーの隣の隣の小さな町。カナダ西部で
最初に市制を敷いたところで、1866年にバンクーバー島植民地と合併した際に首都の地位をビクトリア
に取られたり、カナダ横断鉄道の終点がバラード半島北側に行ってしまったりの不運?に遭ったけど、2
0世紀の初めにバンクーバー市に抜かれるまで現在のメトロバンクーバーで最大の都市だった「由緒あ
る」ところ。現在の人口は7万人足らずで、面積は15.3平方キロ。隣のバーナビー市との境界からフレ
ーザー川の岸までは直線距離で3キロもなくて、何となく周りの大きな都市の発展で取り残されて、ひっ
そりと母なるフレーザー川の懐に抱かれて眠っているという感じもする。だからこそ昔の面影が色濃く残
っていて、市政も市民に密着しているように見える。私たちの新居があるアップタウン地区の東はクィー
ンズパーク地区、西はブラウオブザヒル地区で、どちらも住民参加で「歴史遺産」の保護に熱心だし、高
齢者や障碍者に優しい都市作りに積極的なようだし、芸術や文化活動にも熱心だし、どうりで住んでいる
人たち、住んだことのある人たちが口を揃えて「好きだ」と言うはずで。ワタシも住んでみたらきっと好きに
なると言う予感・・・。

明け渡しが済んだら、コントラクターのマイクにペンキ塗りなどの内装工事をしてもらって、8月6日に引
越し決行。あと2週間とちょっと、本腰を入れて「荷造り」をしないと・・・。