極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

秋来たりなば、遠からじは?

2010年08月31日 | 今日の風の吹きまわし
火曜日。8月最後の日。午前7時ちょっと前に轟音で目が覚めた。正確には(といって時計が正
確かどうか保証はないけど)午前6時54分。今日はごみ収集の日だけど、7時前って、まさかあ。
市のパンフには「ごみは収集日の午前7時までに出すこと」って書いてあるけど、それは(始業
時間の)7時より前には収集に来ないってことでしょうが・・・あ、今日は水の配達の日でもあった。
それでも、まさかあ。目が覚めたついでにトイレに行ったら、わっ、ものすごい雨。本気で降って
いる感じ。雨の音に気が休まったのか、ゴミの収集やリサイクル車の音も電話が鳴っていたこと
もどこ吹く風とばかりにぐっすりと寝なおして、起床は正午過ぎ。

電話は寄付とチケットの注文を送った劇団。締め切りに間に合わせて処理してくれるとのこと。
寄付金と同額を理事会が寄付すると言うキャンペーンは今日が期限。ま、こういう文化的な組
織だと理事会のメンバーには地元の裕福な名士が多いから、よ~しと腕をまくって300ドルの
小切手を送った。補助金は減らされるし、HSTのおかげで税金が上がってチケットの売れ行き
が落ちるしで、劇団も交響楽団も美術館も台所は苦しい。福祉や医療に優先的にお金を回すべ
きなのはわかるけど、世の中がギスギスしてくるほど「情操」を養うって大切じゃないのかなあ。

ママは今週中に退院できそうだけど、とジムからメッセージ。できそうだけど、ママはあまり乗り
気じゃないらしい。医者にもリハビリの進歩が遅いと言われて「急がないからいいの」と言ったそ
うな。「ここの病院のホスピスはいいらしい」と言い出したと聞いて、おやおや。カレシ共々なんと
なく好ましくない予感がしてきた。ジムは「ホスピスは死ぬ人が行くところで、骨折しただけで不
治の病気じゃないから入れてもらえないよ」と言い聞かせたそうだけど、ママはここのところ日々
抑うつ状態と諦観の間を揺らいでいるとか。ママらしくないなあ。高齢者が思うように動けない
状態になるとうつ病になりやすいそうだから、退院して自分の生活を取り戻すまでの一過性のも
のだろうと思いたいけど、やっぱりママらしくない。だんだん心配になって来た・・・。

日本では、妹の次男坊が転落事故で「顔面多発骨折」の重傷を負って4週間近くも入院。顔は
(こともあろうに20代最後の誕生日に)数時間に及ぶ手術で修復したけど、顎の機能回復や折
れた歯の治療など、まだまだ先は長そうな話。まあ若いんだから身体的な回復力はあり余るほ
どあるだろうし、がんばってすっかり回復する頃には精神的にもしっかりした頼もしい男になるん
じゃないかと思う。つくづく事故は老いも若きも関係なく起こるものだと思ったけど、それにしても、
医療制度が整っている日本の病院で土曜日「しか」手術できないというのはどういうことなんだ。
カナダの病院では夏休みシーズンになると人手不足で手術の予定をカットすることが多いけど、
そういうカナダの医療体制とあまり変わりがないような印象で、ちょっと意外。とにかく、甥っ子よ、
サムライの国の男だ、石にかじりついてでも全快までがんばれよ!

けさの雨は8月の1日の雨量としては新記録だそうな。6月末からこのかた70日の間に降った
雨はたったの15ミリだったのに、1日で55ミリを超えたというから、マザーネイチャーも気まぐれ
だなあ。おまけにポーチの最高気温は午後3時になってもやっとのことで12度と、8月とは思え
ない涼しさ。週の後半にはまたちょっと「夏が」ぶり返すらしいけど、明日から9月。秋は確実に
そこまで来ているという知らせだなあ。

アンバーアラート、子供は無事

2010年08月30日 | 今日の風の吹きまわし
月曜日。いい天気だけど、もう暑くはない(さほど涼しくもないけど)。「ワタシのエベレスト登頂大
作戦」の初戦をとにかく全力疾走でゴールインして、ひと息。おかげでぐっすり眠った。そうでな
いと後が大変。だって、あと3ヵ月間に第2戦、第3戦、第4戦と続く長丁場だし、その合間に別
の戦線でもゴリアテを相手に細腕で戦わなきゃならないんだから。そういえば、いつ頃の話だっ
たか「24時間戦えますか」なんて華々しく勇ましい広告があったっけなあ。ま、おなかが空いて
(腹は減っては何とかというから)24時間は無理だけど、月月火水木金金でやるか。いや、その
くらいのペースでやらないとダメだろうなあ・・・。

きのう、ラジオを聞いていたら、突然「アンバーアラート」という特別な緊急放送が始まった。これ
は1990年代半ばにアメリカで9歳の女の子が性犯罪者に誘拐されて殺される事件があって、
誘拐犯の特徴や乗っている車のナンバーがわかっていながら報知する手段がなかったために
みすみす幼い命が奪われてしまったことに教訓を得て始まったもので、今は自動的に放送局や
道路情報の標識に情報が送られるし、最近はツィッターも利用しているらしい。きのうのは12歳
の男の子が祖父母の家から実の父親に無理やりに連れ去られたというものだった。「連れ去ら
れた子供が危害が加えられる恐れがある」というのが発令の判断基準のひとつだから、たとえ
実の父親であっても、何らかの事情で警察が「危険」と判断したことになる。ラジオをつけたまま
でいると、5分か10分おきに警報がなって、車を発見したら警察に通報するようにとの呼びかけ
があるから、こっちも心配になってくる。テレビをつけると、連れ去られた子供、連れ去った父親、
共犯の(子供の)祖父と親戚の青年の写真入りで報道されていた。

この事件はショッピングセンターで写真を見た人が父親と子供を目撃したと通報して、数時間で
解決してほっとしたけど、一夜明けた昼のニュースでは、保護された男の子が(一緒に住んでい
ないらしい)母親と祖父母に囲まれて、「パパにんな風に髪の毛をつかまれて、肩をこんな風に
つかまれて・・・」とあざか引っかき傷のできた肩を見せながらそのときの様子を話していた。複
雑な事情があって裁判所が母方の祖父母を親権者に指定したらしく、警察の判断と重ねると、
どうやらDVのにおいがするな。実の親による誘拐の場合、親が「自分のものにならないなら、
誰のものにもさせない」という心理だったら、子供は殺されてしまうこともある。今まで州で発令
されたケースはすべて子供が無事に保護されて解決したけど、大半は親による連れ去りだった
という。無事を喜ぶおじいちゃんにしっかりと抱きついていた子供の後姿が壊れてしまった家族
の愛憎を物語っているようで、ほっとしながらもちょっと胸が痛んだ。いつの世も大人がすること
で割を食うのは子供たち。そうでなくても子供にとっては育つことだけでも大変なのに、「おとな
こども」に振り回されるのはえらい迷惑だよなあ、ほんと・・・。

フレーザー川を遡上してくる紅ザケの大群は、推定数が3千万匹に上方修正。たった1日半の
漁でさえ、獲れすぎてしまって冷却用の氷が足りない、処理する人手が足りない、保管場所が
足りない。まあ、母なる川に帰ってくるサケの数が激減して、4年も禁漁になっていたから、さも
ありなんだけど。漁師から直接買うと安いと言うことで、スティーブストンの桟橋には長蛇の列。
3、4キロのが30ドル前後らしいけど、円高の円にすると獲れたての大きな紅ザケが1キロあた
り約千円ってことかな。(物価の動きが違うから、円にすると高いのか安いのかわからなくなる
けど・・・。)野菜を買いに行ったら、隣にある魚屋の外に「紅ザケ1本、ポンドあたり5.99ドル」
という看板が出ていた。川の上流へ行けば先住民の漁師が道路わきでトラックに積んだ紅ザケ
をその半分以下の値段で売っているという。こんなに獲れちゃって、食べきれるのかなあ・・・。

プリクラしたモナリザ

2010年08月29日 | 今日の風の吹きまわし
日曜日。寝つきはちょっと悪かったけど、ぐう~っすり眠って、正午少し前に起床。なにしろ、傾
斜30度の坂を上るような勢いでぐいぐいと仕事を進めて、午前4時半に終了。おお、やった~。
ゆとりっ子のお子様とあれやこれやと2万語に及び会話をしたようなもので、いや、くたびれる。
やりながら、子育てするってこんなようなもんかなあとつらつらと思ってみたりしたけど、ほんと、
疲れるなあ。だけど、呻吟したかいがあって、なんとかうまく読者レベルに合った「作品」になっ
た。ただし、内容のレベルは少し幼いような気がしないではない。まあ、私が書いたわけじゃな
いから、好き勝手に言えるんだけど。

あまりバンバンとキーを叩いたので、目が覚めたら両手がはれぼったくて、うずうずと痛い。また
ぞろばね指にならないと良いけどなあ。伸ばした両手をつくづくと眺めると、ひゃっ、指の関節の
形がごつごつだし、指全体があちこちで微妙に曲がっている。指関節は両側から押すと痛いも
ので、この頃は握手する場面に遭遇すると困ってしまう。いるからなあ、グイ~ッと握りしめてく
れる人。そういう人に限ってやたらと図体が大きくて、開けっぴろげに屈託がなくて、力がすごい。
こっちは罠にパチンと手をはさまれた小動物のようなもので、相手の手にすっぽりとはまってし
まった手は引っ込めようにも抜けて来ない。ほんとに罠と同じで、もがけばもがくほど感激?し
て熱く応えてくれたりする。あの、熱烈友好はわかったから、ワタシの手、返して・・・。う~ん、今
ここでこの変形性関節症が悪化するのはまずいよね。医学と工業技術の進歩で、股関節や膝
には人工関節があるけど、手の指にはまだないんだもん。手の甲には血管がうねうねと浮いて
るし、ま、これも加齢現象ってことでしょうがないんだけど。

とにかく、仕事の間の「端境期」はあれやこれやとデスクの上に積み上がった懸案事項を超特
急で片付けなければならない。劇団への寄付と来シーズンのチケットの注文。ライター連盟の
会費の支払い。どれも月末が期限。請求書も書かなければならないし、銀行へ行って手元の現
金を出して来なきゃならないし、また「不在」扱いになった(ほんとにチャイムを鳴らしたのか・・・
アヤシイ)小包を郵便局までとりに行かなければならないし、ええっと、他にも忘れているものは
ないか・・・。こんなときにはカレシが事務方を担当してくれるとありがたいんだけど、帳簿付けを
やってあげるよといったのはいったい何年前だったか。これでも会計士なんだよね、この人。ま、
いいか。一見して手のつけられない「madness(狂気の沙汰)」の中にだって、ワタシにはワタシ
流の「秩序」というものがあるんだから。ほんとに。

だいたいの事務処理が済んだところで、気晴らしにしばらく見てないJapan Probeをのぞいて
みる。遡って行って目に止まったのが「プリクラの進化」。へえ、まだそんなものがあったのかと
思ったら、あったなんてもんじゃない。何と、「デカ目」機能や「美肌」機能で、まるで「種類の違う
瓜二つ」みたいな写真を撮ってくれるというからびっくり。「カワイイ」追求もついにここまで来た
かと思ったけど、写真が真実を語っていたのはいつの世だったかというくらい昔の話。どこかの
テレビ局がレポーターを送って「ルポ」。これがけっこうおもしろい。思わず「え?」と言ってしまい
そうなオンナノコでもデカ目、美肌で、たしかに「カワイイ」と言えるかな。イケメンといわれそうな
男性レポーターが試したら、渋谷あたりのギャルたちに「きゃはは、キモっ」とやられてしまった。
たしかに極端に中性的でちょっと気味が悪い。

ダヴィンチの「モナリザ」を使って実験したら、みごとに初々しいお嬢さまのような表情に変貌。
そっかあ、モナリザだって13歳くらいの頃はこんなかわいい顔だったのかもしれないなあ・・・と
感心して眺めているうちに頭の上で100ワットの電球がポッ。あはあ、今どき日本の若い女性
たちがひたすら追求する「カワイイ」の理想像というのは、他でもない「幼女顔」だったのか。幼
い子供は顔全体に比例して目が大きい。まさに小顔にデカ目そのものだから、幼い子は誰だっ
てかわいく見える。だけどなあ、アラサーだか何だかの「一応の大人」が幼女顔になりたがるの
はちょっと気味悪い感じがするんだけど。そういう「カワイイ」が男にもてるんだとしたら、日本の
男は「ペド趣味」ってことになる・・・のかな?まあ、オタクとかアキバとかいう若者文化には何と
なく幼児化への流れが感じられるから、今どきの「カワイイ志向」は倒錯というよりは幼児化なん
だろうと思うけど、この人たち、10年後、20年後にはどうしてるんだろう。次の世代の若者たち
に「イタイ、キモイ」と言われているのかなあ・・・。

ドラマの法廷シーンで、ペリー・メーソンのような弁護士が真犯人にダメ押しの証拠写真を突き
つけて、「写真は嘘をつかない」と言っていたのは、もう遠い大昔の話。デジタル時代の写真は
嘘つき、でっちあげ、虚飾の道具なのかもしれない。ふむ、「写真」(真を写す)という漢字そのも
のがもう時代遅れで実情に合わないことになるから、「フォト」に言い換えてみる?

思いつきの魚コロッケ

2010年08月28日 | 今日の風の吹きまわし
土曜日。いい天気。秋の日差しは夏のよりきらきらとまぶしいような感じがする。

ワタシの「エベレストチャレンジ」その1の期限が明日の夕方に迫ってきて、今日はまさ
に正念場。でも、食べるものはちゃんと食べておかないと、ということで半端に残ってい
る白身の魚を利用して、極楽とんぼ亭特製の「フィッシュケーキ」・・・。

   
即製フィッシュケーキ、ゴールデンビーツとアスパラガス添え

ひとり分ずつしかないメルルーサとカレイ(シュムシュガレイという種類らしい)を、思い
つくままに、電子レンジで調理したジャガイモ、玉ねぎ、液体卵白、白コショウ、タイ風の
スパイスといっしょにフードプロセッサにかけて平たく丸めた、ようするに魚のコロッケ。
油で揚げずに、フライパンで焼くところが違うけど、その場の思いつきとしては、けっこう
逸品かな。付け合せは蒸したゴールデンビーツとアスパラガスだけで、簡単、簡単・・・。

さて、これからが胸突き八丁のラストスパート。ゴールを目指して、いざ!

降れば土砂降り・・・

2010年08月27日 | 今日の風の吹きまわし
金曜日。就寝は午前3時だったのに、起床は午前9時の目覚まし。普通に朝早く起きる人にとっ
ては、まるで丑三つ時みたいなもので、あたりまえだけど寝足りない気分。特に目覚ましで起き
るといつまでもどよんとした雲が晴れなくて困る。こんな夜中に起きだしたのは、今日はカレシが
総合病院の中にある泌尿器科の専門医のところへ行く日だから。先月に取り付けてあった予約
は午前10時。もう少し早く起きて地下鉄で行くと言っていたのが、行きだけ車で行くから、一緒
に来て車を運転して帰って欲しいと言い出していた。理由は「30分長く寝られる」から。ワタシは、
一緒に起きれば9時過ぎに送り出した後すぐに仕事にかかれるば遅れ気味なのを取り戻せる
かなあ・・・と胸算用していたんだけど、まあ、何となく雨っぽい空模様だし、しゃあないか。

超特急で朝食を済ませて、車に飛び乗って出発。大学系統の泌尿器科のある建物の外でカレ
シが降りて、ワタシが運転席に移って、帰りなんいざ、と道路へ出たあたりからかなりの本降り。
オークストリートからブロードウェイに出た頃にはものすごい土砂降りになってしまった。バケツ
どころか温泉地の大浴場をひっくり返したような降りようで、ワイパーを高速にしても追いつかな
いくらい。キャンビーの上り坂では、信号で止まって発進するたびにハンドルが微妙に逆らうし、
お尻にズズズズズというタイヤが空回りしている振動が伝わってくる。なにしろ、この2ヵ月くらい
まともな雨が降らなかったもので、道路は油が浮いて「スリップ注意」の状態。ひやひや運転し
ているうちにずっと前を走っていた図体のでかいトラックに追いついたら、これがまたやたらとの
ろのろ運転で、(減速、加速をやるたびにズズズズとなるもので)えいっと追い越して前に出たら、
「ブワァ~ッ」と大音声。アホかいな。ペーパードライバー歴80%のワタシはあんたなんかよりも
スリップの方が何倍もコワイのよ。

メガ土砂降りの中をひやひやしながら走っていたら、クィーンエリザベス公園に近づく頃にはごく
普通の雨。ラジオでは「ダウンタウンは土砂降り」と言っているのに、そのうち青空が見えてきた。
家に着いてみたら、庭には土砂降りの雨が降った形跡はない。どうなってんだ、この天気?時
計を見ると10時過ぎ。ああ、この1時間があれば前半の見直しが終わったかもしれないのに。
それでも、あくびをかみ殺しつつ仕事をしていたら、雨にぬれずに帰って来たカレシの第一声は
「加齢現象だとさ」。どうやら問題は前立腺か。「オレの年だとよくあることだと言われた」というこ
とは、専門医はさして緊急性を感じていないということか。これから3ヵ月の間にPSAの検査や
ら腎臓の超音波検査やら再診やら。この「悠長さ」がカナダの医療事情を反映しているんだけど。
まあ、本人が「オヤジも肥大症やったらしいしさ」と、意外とのんきな構えだから、一応は安心し
ておこう。

朝食が早すぎたので、めずらしくおやつを食べて、ワタシは仕事、カレシは庭仕事。いつのまに
かまぶしい青空が広がっているけど、気温は20度に届かず、やっぱり秋空のような色。やれや
れ、1本目の仕事はあと3日分は残っていそうだけど、残り時間は1日半か。ひらがなばかりの
お子様向けだから、あまり文章がないように見えて、ページ数がすごいからけっこうな量になる
し、Flesch-Kincaidのスコアをチェックしながらの作業だから手がかかる。かわいいイラストが
てんこ盛りで、「楽しいよ~」と子供の興味を引こうという狙いはわかるとしても、こと細かに指示
して、結果を聞いて、しまいに「想定内」の結果が出たかどうかを確認するあたりは、なんとなく
マニュアルを読んでいるような感じもしないではない。なぜか「原因究明(Why?)」がほとんど
ないところが気になるけど、今どきの8歳児の関心なんてそんなもんなのかなあ。

あ~あ、仕事前線も降れば土砂降り、雨あられ・・・か。

ワタシの自立はアナタのおかげ

2010年08月26日 | 今日の風の吹きまわし
木曜日。今日は何となく暑そうで、何となく涼しそうで、まあ「過渡期」ってやつかな。どうしてか
知らないけど、目が覚めたらもう午後12時半。寝る前に寝酒をやりながら、ちょっとばかり議論
していたからかな。北米でウーマンリブ運動が起こって、女が社会参画を求めて外で働き始め
たのは、「自分の経済基盤を持っていない」ことに危機感を持ち始めたからだと思う、と言ったら、
カレシ曰く、「5、60年前は男は外で働いて、女は家にいたから、子供にとって安定した家庭環
境だった・・・」。

つまり、「女が家庭の外に出たせいで家族が不安定になった(離婚が増えた)」と言いたいらしい
けど、ワタシが「経済的に自立していなくて、離婚したら子供を養えために不幸な結婚生活に耐
えざるを得なかった女性がどれだけいるかわかってない」と言ったら、「離婚はあったけど、(女
も男も)すぐ次の相手と結婚したから、安定していたんだ」と反論して来た。おいおい、何を言っ
てんの、アンタ?ひとりでも子連れでも、食べて行けないからといって男を渡り歩くような女はい
ないってば!と、ワタシがいきり立って議論は打ち切りになったけど、あんがいカレシだったらす
ぐに誰かを探すんだろうなあ。(経済的には困らなくても)自分ひとりではやって行けない男は女
を渡り歩く・・・。食べて行けない女と自分のめんどうがみられない男がいっしょになれば、割れ
鍋に綴じ蓋式にあんがい安定したりしてね。だけどやっぱり、アホか・・・。

まあ、「男は仕事、女は家庭で、安定した家族環境」というのは、子供の頃から両親が共働きで
何かとけんかが絶えない不安定な環境で育ったカレシがひそかに憧れて来た「理想の家庭像」
なんだと思うな。結婚する前には「働かないで家にいて欲しい」と言っていたのは、日本人と結
婚することでその理想を実現できると思ったからだろうけど、日本の習慣の延長で生命保険の
ことを聞いたときに「そんなものいらん。自分で食って行け!」とキレたのは、日本的な「妻子を
養う」という考えがなかったということだろうな。「キミも働いてくれれば、早くマイホームが買える
ようになる」と言ったのもカレシ。あの頃のワタシはカレシの真意までは考えたことがなかった。
まあ、まだ新婚気分で浮かれていたし、専業主婦業が退屈でしょうがなかったせいもあるけど、
周りの女性がみんな仕事を持っているのを見て、「そっか、カナダではそういうことなんだ」と納
得して、喜んで働きに出た。

それが結果的に20年以上たって我が身を救うことになったんだけど、もしも、新婚のときにカレ
シが「ぼくがガンガン稼ぐから、キミは家にいてしっかりと家事をやってね」な~んて甘いことを
言ってくれていたら、中年になってカレシが狂乱してしまったときに、どうなっていただろうなと思
うとちょっと背筋が寒くなる。カレシとしてはかわいいオンナノコの国際結婚願望に押し切られて
(「次の相手」が控えているわけだから)離婚しようと言い出しただろうけど、仮に離婚したとして
も、ワタシはカナダで働いたことがなければ自活できるだけの能力も身についていなかっただろ
うし、日本に帰っても親はいないし、帰る家もないし、第一に雇ってもらえる年令じゃない。ワタ
シはどうなったんだろうと想像しただけで、新婚の妻に「働け」と言ってくれたカレシに感謝の気
持が沸いてくるから、皮肉なもんだと思う。人生って、ほんとに何がどこをどう回っていつどこで
どうつながって来るかわからない。

あのとき背中を押してくれた(というか、お尻を蹴っ飛ばしてくれた)カレシ、そのつもりじゃなかっ
たのはわかっているけど、ワタシが自立できたのは愛するあなたのおかげ。ありがとう~。

サケが母なる川に帰って来た

2010年08月25日 | 今日の風の吹きまわし
水曜日。今日もちょっと暑め。でも、天気予報はこれで夏の盛りはおしまいのようなことを言って
いる。まあ、来週はもう9月だし、秋がそこまで来ているってことなのだ。秋といえば「アキアジ」。
まあ、北海道のアキアジは北太平洋を一般に西へ回遊する「シロザケ」のことで、東にはあまり
やって来ないし、たまに「方向オンチ」が釣れてもdog salmonといって下魚の扱い。もっとも、
最近はイクラがサーモンキャビアとして売れるようになって、アラスカでは価値あるサケになって
いるらしく、この頃スーパーのフリーザーで見かけるsilverbrite salmonというのは筋子を採っ
た後のシロザケの切り身という話。かっての高インフレ時代に一時(英語名のchum salmonで
は売れないので)学名のoncorhyncus ketaから「keta salmon」と表示した格安の缶詰をスー
パーで見かけたけど、最近はないなあ、そういえば・・・。

今日はフレーザー川を遡上してくる紅ザケの漁が4年ぶりに解禁になった。といっても、今日の
正午から明日の夕方までのわずか32時間だから、漁師にとっては不眠不休の勝負どころ。今
年は2500万匹が母なる川に戻ってくると予想されていて、100年ぶりの大豊漁が期待されて
いるとか。英語ではsockeye salmon、学名はoncorhynchus nerka、日本名の「ベニザケ」の
通り、海から川に入ると体がだんだん赤くなる。上流でわっさわっさと何万匹もがひしめくように
遡上して来る頃には、川全体が真っ赤に染まって見えるとか。今年は2500万匹が上って来る
となると、フレーザー川下流で網にかからずに何百キロも先の産卵場まで行き着く数もすごいだ
ろうから、さぞかし壮観だろうな。まあ、ワタシとしてはどっちかというと身がとろっとしていて甘
みのある大西洋のサケの方が好きだけど、お膝元フレーザー川で獲れた新鮮なベニザケもい
いな。でも、そんなすごい豊漁が予想されているのに、値段の方はあまり安くならないらしいの
はどうしてだろうな。

今日は新聞もテレビもタイガー・ウッズとの離婚が成立したばかりの「元妻」エリンのPeople誌
とのインタビューの話でもちきりの観がある。今さら何でなの?と批判的な人も(当然)いるけど、
マスコミの大騒ぎの中で9ヵ月も黙っていたんだもの、すべてが終わったところで自分の言い分
を聞いてもらいたいと思ってあたりまえじゃないの。ワタシは読みながら涙が出そうなって、「そう
そう、うんうん」と頷いていた。「裏切りという言葉では足りない。私の世界すべてが崩れ去った
ような気がした・・・突然それまでの人生は嘘だったのかと・・・子供たちのために仲直りしようと
努力したけど、信頼と愛がなくてはできないことだった・・・」。うん、愛する人に裏切られたときの
つらさや怒りは身をもって経験した人でなければ想像もつかないだろうな。それまで虚構の中で
生きていたのかと思うと、まるで自分自身がこの世に存在していなかったのかもしれないと感じ
て、絶望もするし、うつ病にだってなる。「地獄のようだったけど、私は生き抜いた」。うん、エリン、
あなたは強い。スウェーデンで自立精神を教え込まれてきたからなのかな。「許すには時間が
かかる」。うんうん、それでいいんだと思う。ゆっくりとね・・・。

ある日本の新聞によると、タイガーはエリンは「今でも一番大切な人だ」と言ったという話だけど、
はたしてどうなんだか。ふと、ひょっとしたらこの人は「愛着」のような感情は持てても「愛する」と
いうことがどういうことかはわかっていないのかもしれないと感じた。それはともかくとして、この
頃の地球上には、何をやっても「I am sorry」と言えば許してもらえると思い込んでいる一応は
大人の男が大繁殖しているような観がある。大人が悪いことをして謝ると言うことは、悪さをして
叱られた子供がママに「ごめんなさい」と言うのとは次元が違うと思うんだけど・・・。

今日は家の事がたくさん

2010年08月24日 | 今日の風の吹きまわし
火曜日。暑くなりそうだったので、午前9時前後にエアコンがオンになるようにセットしておいた。
ところが、ごみ収集のトラックの轟音で8時そこそこに目が覚めてしまった。いっしょに目を覚ま
したカレシが「えっ、今日はごみの日だったの?ごみ、出してない」というもので、来週の収集の
ときでいいじゃないのと言ったら、「ごみ箱がいっぱいなんだよ」。がばっと跳ね起きて、そそくさ
と着替えして、(なぜかちゃんと防犯アラームをオフにして)バタバタと外へ出て行ってしまった。
寝ぼけまなこのワタシは、あのさ~、トラックの音を聞いてから出しに行ったって間に合いっこな
いでしょ~がと、ぶつぶつ、むにゃむにゃ・・・。

トラックの音で気づいて、あわててごみ袋を引っつかんで行って、トラックの後を追っかけて、後
を歩いている収集係の人に「こもれお願いしま~す」と持って行ってもらえたのは昔の話。今じゃ、
自動式といって、市から支給されたごみ容器に入れて、容器を指定された向きに置いておけば、
収集係がひとりで大きなトラックを運転して来て、サイドミラーを見ながら運転台のジョイスティッ
クを操作して容器を持ち上げ、ごみをバカッとトラックに空けて容器を下ろして行く仕組み。この
頃は熟練してきたと見えて、「一、二、三の四で、はいお次」ってなリズムであっという間にガレー
ジの外を通過して行ってしまう。がっかりしてベッドに戻って来たカレシは「いつもは昼近くでない
と来ないのに~」とぶつぶつ。まあ、レーンの西側にある我が家は作業所へ戻る「復路」での回
収になるんだけど、今は学校も休みだから、バケーションで留守だったりして、容器が出ていな
い家がけっこうあるのかもしれないよ。

そうこうしているうちに外は静かになり、エアコンがオンになって、2人とも眠り直し。結局、正午
過ぎに起床してみたら、気温はとっくに20度を超えていた。朝食を済ませて、ワタシは(通勤?
時間20秒の)オフィスに直行。「大仕事があるのはわかっているけど、何とか~」とねじ込まれ
てしまって(というよりもねじ込ませてあげちゃったのか・・・?)、この分じゃ半徹夜モードになり
かねない。カレシは庭に出て、コンクリートにひびが入って水のロスがはなはだしい滝の修理。
手伝ってもらいたそうな、やってもらいたそうなそぶりでやたらと質問しに来るけど、自分で考え
てやってよ~っての。この、かまってちゃんの教えてちゃんのやってちゃんが。ワタシは稼ぐのに
忙しいんだってば。(だけどなあ、言動がどこかの国のいわゆる「ゆとり教育世代」に似てなくも
ないかなあ、この人・・・。)

今日の「Must Do」のその1は、エコーの自動車保険の更新。めんどうな排気ガス検査が免除で
助かるけど、1,195ドルなり。なんでも来年は1.9%だか安くなるらしい。保険代理店の若い人
(つき合いの長い経営者の息子らしい)が「それ、20ドルくらいにしかならないよね」と。まあ、自
動車保険を半独占している州の保険公社がめずらしく値下げするって言うんだから、20ドルは
20ドルとしてもらっとこうか。

Must Doのその2は野菜の買出し。いつも行っていたKin’sの野菜果物の質の低下がはなは
だしいもので、夕食後にセイフウェイの代わりにちょっと離れたIGAに出かけた。ここの野菜果
物の質はかなりいい。でも、今日のお目当ては会員カードを持っていると10ドルごとにくれるス
タンプ。あと3枚でジノリのサラダボウルを2個もらえるんだけど、行ってみたら一番人気とみえ
てサラダボウルは品切れ。まあ、カレシがうちのサラダには小さすぎると言っていたから、別に
がっかりもせずに代わりに大きな丸皿を2枚。アルバイトらしいレジのお兄ちゃんに3枚だけで
いいと言ったのに、結局23枚くれた。(ここにもマニュアル族?)余った20枚でエスプレッソカッ
プ2個セットをもらってまだ余る。せっかくだから、後に並んでいたおばさんに「集めてるんです
か」と聞いたら「イエス」と言ったので、20枚そっくりあげて来た。カレシが「200ドル分だぞ」とい
うけど、限定期間があと10日で終わりだし、うちはコーヒーカップも2セットもらっちゃったし・・・。

さて、「家の事」が終わったから、今度は「仕る事」。ぐいっと腕をまくってバリバリ稼ぐか・・・。


女に生まれたら損なタイプ

2010年08月23日 | 今日の風の吹きまわし
月曜日。目を覚まさしたのは11時ちょっと過ぎ。今日はシーラとヴァルが昼過ぎに掃除に来る
からと、正午にセットしてあった目覚ましをオフにして起床。いい天気でまたちょっと暑くなりそう
な気配。先に起きたカレシがエアコンをオンにしていた。

ここのところ(というかけっこう長い間)何となくもたついた気分で仕事が遅れているなあと思って
いたんだけど、予定した作業日数のだいたい中間あたりで、ここまでの語数が推定数のだいた
い半分。なあんだ、遅れてなんかいないじゃないの。といって、いつもならここでだら~んとなり
やすいんだけど、今日は何だかちょっと違うような。緩んでいたねじが少しばかり締まってきたよ
うな気がする。ずっと頭の中(あるいは胸の内)でもやもやとしつこく漂っていた霧が晴れて来て、
見通しが良くなってすっきりした気分とでもいうのかな。自分でもまだはっきりとは説明できない
けど、カレシのこと、カレシとワタシのこと、その間に割り込んで来たヒトたちのこと・・・いろんな
「謎」が解けたのかもしれない。

ワタシという人間にはどうも「調べ魔」で「分析魔」みたいなところがあるらしく、いつもどこかで
「どうして?」に引っかかっているような気がする。たいていのことは答がわからなくても別にも
やもやするようなことじゃないんだけど、それが自分の人生を左右するような「どうして?」となる
と、何としても答を知りたいと思うことがあるわけで、まあ、誰でも一度や二度はそんな疑問に出
くわしているだろうと思うけどね。ま、そういうワタシにとって人間として生きて行く上で重要なこと
が揺らいで、大きな疑問が常に心の奥にあって、それにやっと「答」が出たということ。それが正
解かどうかは別の話だけど、「ああ、そういうことだったんだ」と・・・。

ずっと昔、勤め人だった頃にMBTIという性格タイプを調べるテストをやらされたことがあって、
3年おいて2回やって、2回とも「INTP」型と出た。Iは内向型、Nは直感型、Tは思考型、Pは
柔軟型の略で、つまりワタシはその4つを組合せた性格タイプということだったけど、女だと損を
するタイプらしい。哲学や心理学のような抽象的な思考が得意で薀蓄を傾けたがるので、科学
者、研究者、法律家、経営者といった職業に向いているということだった。(あの職業は向いて
いないと遠まわしに言われたのかもしれないけど。)ただし、「思考型」と対極の「情緒型」のスコ
アに大差がなかったから、INFP型の要素もあって、どっちともいえないということかもしれない。
ま、人間の性格や性向なんて、そんな快刀乱麻のごとく分類できるわけがないもん。

なんとなく精神的な区切りがついた気分になれたところで、何の気なしに自分のブログのバック
ナンバーをスクロールしてみたら、頭に思い浮かぶままをぶつぶつと書くようになってから、もう
4年も経っている。初めのうちはごく他愛のないことをちょこちょこっと書いていたのに、いつのま
にやら(やっぱり他愛のないことだろうけど)あれこれをああだこうだと書き散らした、長ったらし
い日記になっているから、我ながら呆れる。そんなに長く、しかも毎日のように、よくもそんない
いろんなことがこの頭の中をごちゃごちゃと往来しているもんだ。読み返してみれば、たしかに
自分自身の変化を映した自分だけの自伝のようなものと言えなくもないか。まあ、だからこそあ
したはあしたでまた何だかんだとぶつぶつ書くんだろうけどね。

ゆとり教育はいいんだけど

2010年08月22日 | 今日の風の吹きまわし
日曜日。晴れたり、曇ったり。気温は20度そこそこ。白い雲の間から見えた空の青がなんとなく
秋っぽい青。うん、8月も下旬に入ったからなあ。仕事の方はど~しよ~なんて頭を引っかいて
いるうちにだんだんスケジュールが詰まって来た。まあ、いつものように、もう待ったなしの状況
になったら俄然ピッチが上がって来るかもしれない・・・と、考えるのはやっぱり極楽とんぼなん
だろうけど。

たしかにど~しよ~とちんたら頭を引っかいているせいもあるけど、きのうは現在進行形の仕事
との関連で興味がわいて、いわゆる「ゆとり教育」、「ゆとり世代」についてググりまくりの読みま
りだったのも作業のペース配分がすっかり狂ってしまった一因でもある。最近は「ゆとり教育」と
いう言葉をよく目にするし、その前には文科省が「人の痛みがわかる子を育てる」とか何とかぶ
ち上げていたの覚えているけど、あまり興味を持ったことはなかった(ま、あたりまえといえばあ
たりまえ)。それが、あれこれ読んでみると実におもしろいもので、ふむふむ、へえ~そうなんだ、
と読み漁っているうちに1日の「勤務」時間の大半が消えてしまったというわけ。会社でこんなこ
とをやっていたらクビになっちゃうよね、きっと。

ざっとまとめてしまうと、「個性を重視し、自ら学び、自ら考える教育」を目標に掲げた「ゆとり教
育」が本格的に始まった数年前よりもっと前から、「新しい学力観」なるものに基づいて「生徒の
個性と自主性を尊重して、学習のプロセスや変化への対応力を重視する」ことを掲げた教育指
導要領があって、つまりは少なくとも過去20年にわたって「個性を尊重」する教育が行われてき
て、それが社会に送り出した成果物が「ゆとり世代」で、今どきの新卒新人から義務教育の途中
から新しい「教育方針」の傘下に入ったいわゆる「アラサー」を含む世代までをいうらしい。先頭
集団はそろそろ社会でも会社でも中堅に近づいて、これから指導的な役割を担う地位へと発展
して行こうという年代だろうな。

このあたりの世代の問題は、「個性尊重の名の下で『やりたいことだけをやればいい』と育てら
れてきた」ことで、ある有名な学者?によると、「周囲の人間や社会に対する不平不満、批判が
多く、問題を人や社会のせいにしがち」、「物事はうまくいって当たり前と考えるため、少しでもう
まくい かないと自信を失ってしまう」、だけど「このダメダメな状況を一気に解決する夢のような
方法がどこかにあると信じている」のが特徴なんだそうな。この頃はよくそんなタイプを見かける
けど・・・と思って読んでいたら、あっ、それって小町横丁に増えつつある人種のことじゃないの。
そっか。日本の日常(というか日本の若い女性の生態)を知りたくて読み始めた小町で、この10
年ほどの間に(ひと括りにするなと言われるのは承知だけど)日本人は明らかに変わってきてい
ると感じていたけど、その変化の「謎」が解けたような気がする。なるほどなあ・・・。

勝手にワタシなりに解釈すれば、官僚が「個性」の尊重だ、自主性の重視だとぶち上げても、肝
心の現場の教師も子供を育てる親も「個性」がどいういうものであるかをよく理解していなかった
ために逆の結果を生んだということじゃないのかな。中学生になっても九九ができないのをそ
の子の個性だからと放置するなんてのは育児放棄の虐待に匹敵すると思うんだけど。今どきの
大人は年をとってボケてしまったら困るからといってせっせと頭の体操なるものをやっているけ
ど、子供の頭だってガンガン運動させないとボケてしまうんじゃないのかなあ。いや、「ゆとり教
育世代」は想像力や知識の応用力が欠如していると言われるのは、ひょっとしたら頭が運動不
足で萎縮しているってことかもしれない。子供の脳はとにかく使わせれば使わせるほど発達す
るものだと聞いているけどなあ。

個性というのはひとりひとりの人間を(自分とは違う)「個」として認識することで初めて生まれて
くる概念だと思う。だから、「個性」の尊重とか重視といった考えそのものを自己の観念の形成を
危険な利己主義、個人主義として排除しがちな文化に持ち込んで、「みんないっしょでみんな同
じが一番」路線を維持したままで、自ら学んで自ら考える(そして自らの責任でやってみる)個性
を育てようとすること自体がどだいから無理な話じゃないのかな。第一、中央政府の官僚が作る
学習指導要領に縛られた教育に個性もへったくれもないもんだと思うけどね。まあ、お上がやれ
と言うことだけをやっていれば考えなくてもいいし、バシッと打ち込まれずにすむんだから、楽と
言えば楽だろうけど・・・。

ひらがな、ふりがながうらやましい

2010年08月21日 | 今日の風の吹きまわし
土曜日。ゆうべは久しぶりに寝酒をやりながらおしゃべりをして、頭をリラックスさせてから寝た
せいか、かなり良く眠って、正午ちょっと前に起きた。仕事が詰まっているときはやっぱり自分で
そう感じていなくてもどこかでストレスになっているところがあって、そんなときに就寝ギリギリま
で仕事をしていると寝つきが悪くなるのかもしれないな。車は急に止まれないというけど、人間
の脳みそだって、ハイギアでぶっ飛ばしていたら急には止まれない。いや、どんなに頭を絞って
いても、急ブレーキでキキッと止まれてしまう人もいるんだろうけど、いいなあ、そういうの・・・。

きのう、BC州最高裁は「HST反対の嘆願署名運動は、法の要件をすべて満たして、合法かつ
有効である」との判断を下した。やった。先頭に立って旗を振ってきたバンダーザームは州首相
時代のトレードマーク?だった「メガワット級のスマイル」全開で「我々は勝った」。これで70万人
の署名は正式に政府に提出されることになり、政府は州民投票にかけるか、州議会で審議をす
るかしなければならないんだけど、州民投票には拘束力がない。州議会にかけても与党が多数
で一蹴されるのは目に見えている。でも、誰がどっちに投票したかわかってしまうから、与党の
議員にとってはつらいなあ。決断は11月の半ばになっているけど、勢いづいた反対派はすでに
リコール運動の準備を始めているらしい。おもしろくなって来たぞ~。

お子様向けの日本語本をお子様向けに英語訳しているんだけど、日本語はそれなりのお子様
口調なのに英語にするとどうしても大人っぽい口調になってしまう場合が多いもので、めっちゃく
ちゃに難しい。それをシソーラスをひっくり返しながらお子様レベルの英語にしようと四苦八苦し
ているうちに、はたと気がついた。日本語の原稿には大人が普通に使いそうな用語も混じって
いるんだけど、お子様の年令に合わせて「ひらがな」で表記したり、一部の漢字にはふりがなが
ついている。そうなんだ、英語にはアルファベット26文字しかないから、日本語のように漢字が
難しければひらがなで書けば良い、あるいはふりがなをつければ良いという便利な抜け道がな
いのだ。どうりでめちゃくちゃ難しいはずだ。

日本語は、10歳の子供の語彙と20歳の若者の語彙の間では難易度でそれほど大きなレベル
差がないのかなと思ってみたけど、この年になっては自分が10歳だった頃の語彙の範囲なん
て覚えているわけがないし、20歳の頃の語彙は子供のときから知っていたような感覚で使って
いただろうから、わからないな。ワタシが小学校2年生のときに読書力診断テストがあって、中
学1年か2年のレベルだったとかで学校中がひっくり返ったらしいけど、20歳の頃には普通の
大人レベルだったと思うから、実際のところは就学前からたくさん本を読んでいて語彙や読解力
が実年令より先に進んでいたというだけのことじゃないかな。(最近は持っていた日本語の語彙
がどんどん減っているような感じがするけど、それはまた別の問題・・・。)

最近の日本ではゆとり教育のせいで学力低下が問題になっているそうだけど、そのいわゆる
「ゆとり教育」が1960年代のアメリカの「実験的な」教育を手本にしたものだという評論を読ん
でびっくりした。あの教育手法は日本で「ゆとり教育」が始まる前からすでに失敗だったと認識さ
れていたように思う。カナダでも1980年代には英語を「母語」として生まれ、英語で教育を受け
て来たのにアルバイトの申込み用紙ひとつまともに記入できない若者が増えたと騒いでいた。
英語(国語)の授業では独創性や想像力を強調するあまり、「スペルにこだわなくていいから感
じたまま書きなさい」と教えたため、「機能的非識字者」を量産したといわれている。アメリカもカ
ナダも、教育の基本に戻ろうと20年以上も躍起だけど、一番の被害者は大人の教育理論の
「モルモット」にされた子供たち。日本の「ゆとり世代」もある意味で教育政策の被害者といえる
かもしれないな。

さて、今まで気づかなかった日本語と英語の大きな違いに気づいたところで、それではどうやっ
てお子様レベルに訳すのかということになるけど、これは英語の初心者向けに英語で英文法を
説明するにはどうしたらいいかというのと同じような問題だと思う。まあ、そこは良くしたもので
(かどうかはわからないけど)、英語には「ある物事」を表す言葉がいくつもあって、それぞれに
難易度のスケールのようなものがあるから、子供と話している感覚で言葉を選んで表現の方法
を工夫すればいいという思う。そうは思うんだけど、表意文字に「補助輪」をつけられるビジュア
ルな言語と違って、たった26個の表音記号で言葉を綴ってコミュニケーションする言語で年令
相応にと言われると、やっぱり「ワタシのエベレスト」だなあ。ま、これだから言語というのはめっ
ちゃくちゃおもしろいと思うんだけども・・・。

おらが街の夏祭り

2010年08月20日 | 今日の風の吹きまわし
金曜日。カレシはすぐに眠れても目が覚めるのが早すぎるとぼやき、ワタシはなかなか寝つけ
ないとぼやきつつ、目覚めは正午過ぎ。パターンは逆だけど、眠ろうとしてもなぜか体がリラック
スしてくれないというところは同じだな。季節の変わり目なのか、別のストレス要因があるのか、
だんだんに寝不足感がたまって来なければいいけどなあ。まあ、あんがい2人とも「高齢者」に
なったというだけのことかもしれないけどね。

今日もあの暑さがまるで嘘みたいに涼しい。明日からPNEが始まるんだから、当然かな。今年
で100年目なのを記念して、今日の午後にダウンタウンのビーチアベニューで15年ぶりだかの
パレードがあるそうな。まあ、ワタシがPNEパレードを見たのは1回だけで、カレシと一緒に住
むためにカナダに来た35年前の夏。小雨模様の肌寒い土曜日だったような気がする。カレシ
の勤め先がヘイスティングスストリートに面したビルにあったので、7階の誰もいないオフィスの
窓からパレードを見物した。(連邦政府の機関だったから、今ならセキュリティが厳しくて入れて
もらえないだろうな。)当時の州首相や市長が自転車や徒歩で参加していて、なんか楽しそうに
手を振っていたのが印象的だった。まあ、今の日本のものさしで測ったら「ダサい」と言われただ
ろうけど、ま、農業共進会から発展したPNEは「おらが街の夏祭り」といったところで、ワタシが
子供だった頃に神社の夏祭りで見た神輿や山車の行列とさして変わらないと思うけど。

戦後から長らく恒例になっていたパレードがなくなった理由は覚えていないけど、今年のは百年
記念の特別企画で今回限りなんだそうな。再開するのかと思っていたら、なあんだ、つまんない。
子供の頃から毎年パレード見物をするのが家族行事だったと遠い目になるバンクーバーっ子は
多い。夏休みで初めてバンクーバーに来たときにステイ先の家族と一緒に行ったけど、イギリス
人の夫と日系人の妻とハーフの娘とフル日本人の(ティーンに見えた)ワタシとで、「夫婦と子供
2人」のふりをして「お得な家族割引」で入ったっけ。ワタシ、25歳。あれは運命の年だった・・・。

カレシとPNEに出かけたのは3度くらい。まだ新婚の頃だったけど、2度目のときだったか、ぬ
いぐるみの賞品がもらえる賭博ゲームで大当たりしたことがあった。25セント玉1個で最初に当
たったのが小さなぬいぐるみ。次も当たったらそれをひと回り大きいのに交換して、次も当たっ
たら・・・と止めるまで続けるしくみで、途中で外れたら最初のちっぽけなのに戻るわけだけど、
何回当たり続けたやら。最後に渡された賞品はワタシの背丈ほどもある真っ赤な「くじら」のぬ
いぐるみ。バスに乗ってアパートまで持ち帰ったけど、バスの運転手はにやにやして「こら、そい
つの料金を払わんかい」。ひと抱えもあったから運ぶのにかなり苦戦したっけ。あの25セントの
元手で手に入れた真っ赤なくじらは、その後長いことクッションの代わりになっていた・・・。

小学生の頃、PNEの会場からそう遠くないところで育ったカレシは近所のはなたれ小僧たちと
「裏口入場」が決まりだったそうな。つまり、フェンスの破れ目や子供の手でよじ登れるところを
狙って、ただで入場。巡回の警備員に見つかって追いかけられることもしょっちゅうだったそうだ
けど、期間限定のアルバイトおじさんでは子供の逃げ足の速さにはかなわないから、実際につ
かまったことはないとか。あの地区は貧しい家庭の多いところだったから、あんがい「捕まえて
お灸をすえてやる」という脅し程度に追いかけて、見逃してくれたという可能性もなきにしもあら
ずのような感じがするけど、当然お金のかかる乗り物に乗れるはずもなく、楽しめたのは十代に
なる頃までだったらしい。こんな風に、今年100周年を迎えたPNEには、バンクーバーっ子た
ちのいろんな懐かしい思い出がこもっているのだ。

PNEにはもう30年以上行っていない。今年はカメラをもって行ってみようかと話し合ったけど、
また食べたことがなかった名物のミニドーナッツと1フィートもある長いホットドッグをせめて一度
だけでも食べてみたかったけど、こんなに仕事が詰まってしまっては、今年もダメだなあ。まあ、
いつも「来年があるさ」なんだけど・・・。

何をもって良しとするか

2010年08月19日 | 今日の風の吹きまわし
木曜日。正午近くなって目が覚めたら、曇り空。窓の外を見たカレシが「道路がぬれているよ」と
報告。へえ、予報どおりにちゃんと朝のうちに雨が降ったんだ。まあ、お湿り程度らしかったけど、
それでも気持はいいな。ゆうべは2人ともなんか疲れた気分で少しばかり早寝したのに早起きし
なかったのは涼しくなってエアコンがいらなかったせいかもしれない。暑いときには(特に暑がり
のカレシが)眠れないから夜通しかけるんだけど、ベッドの方には風を送らないようにしていても、
睡眠の質にかなりの影響があるんじゃないかと思うな。

向こう1週間の予報を見たら、今度は最高気温が平年よりちょっと低め。ま、とりあえず夏はひと
休みというところ。でも、州中央部の内陸地方の森林火災はまだ300ヵ所近くが燃えているそう
で、その煙が気流に乗ってロッキー山脈を越えてアルバータ州まで流れ、州都エドモントンもそ
の南のカルガリーもスモッグに覆われて、大気汚染警報が出たそうな。写真を見たら、エドモン
トンの空がピンク色。ママのお見舞いに行ったときにハイウェイから見たフレーザーバレーの空
と同じ灰色がかったピンク色。まあ、ピンクがかった灰色というべきなのかもしれないけど、なん
でピンクなんだろうなあ。

同じ新聞に、BC州では、生きている間の連邦、州を合わせた所得税は所得が7万ドル以下な
ら全国最低の税率になるけど、死んだときの遺言検認の手数料はカナダ各州で3番目に高くて、
遺産が50万ドルあったら6,658ドルも取られるという、ある大手会計事務所の試算があった。
これは遺言状があればの話で、遺言状なしで死んだら政府が遺産の管財人になって、相続人
を決めて配分するので、普通の人間の遺産なんかへたをすると手数料だけで吹っ飛んでしまう。
なにしろ、カナダには日本のような相続の決まりがないから、遺言状は必須。いい大人が遺言
状を作っておかないのは無責任だと思われる。だから、ワタシはずっと前からきちんと遺言状を
作っておこうと言ってるのに、カレシは「ボクは死なないつもりだからそんなのいらない」とかなん
とかムニャムニャ・・・。

それが、パパが他界して、ママが入院する騒ぎがあって、弟のジムとママの遺言状について何
か話したらしく、「オレたちも遺言状を作っておかないとなあ」と言い出したところだった。まあ、資
産といえるものは全部共同名義だから、どちらかが遺言状がなしで死んでも凍結されそうなも
のはほとんどないんだけど、問題は両方とも死んだ後。なにしろ2人の間には子供がいないも
ので、甥や姪やその他の相続資格のある人たちを探し出して、どの配分するかを決めるだけで
政府にほとんど持って行かれかねない。(ワタシは慈善団体か文化事業に寄付したいと思って
いるけど。)いつも何かあるとすぐに「オレが払った税金」、「オレの金」と文句をたれる人だから、
さっそく記事を読んで聞かせたら、「政府に遺産を残すわけにはいかないよ」と、その場で今年
中の最優先案件ということになったから、笑っちゃうなあ、もう。

ニューズウィークが世界100ヵ国を教育、健康、生活の質、経済の活力、政治環境の5項目の
総合点でランキングしていて、インタラクティブに各国を比べられるのがおもしろい。1位はフィン
ランドで、カナダは7位、日本は9位だそうだけど、1位フィンランドと2位スイスが共に89点台、
3位のスウェーデンは88点台で、87点台に4位オーストラリア、5位ルクセンブルグ、6位ノル
ウェイ、7位カナダの4ヵ国が並び、8位のオランダは86点台。その後に日本、デンマーク、アメ
リカが85点台で続き、12位のドイツと13位のニュージーランドが84点台、14位イギリスから
15位の韓国、16位フランス、17位アイルランドまでが83点台、18位オーストリアと19位ベル
ギーは82点台、81点台がなくて、20位のシンガポールと21位のスペインで80点台というスコ
アだった。長寿国の日本は健康の項目で100点だったけど、生活の質と政治環境で点が低くて
総合点を下げた感じかな。でも、人口5千万人以上の「大きな国」の中では1位だからね。

まあ、何をもって「良い国」とするかは、何をもって「幸せ」とするかが人それぞれなのと同じよう
に、その国の人それぞれ。どんなに科学的な英知を駆使した「客観的な評価」であっても、ラン
キングの好きな人たちがおもしろがるだけで、それぞれの国に住んでいる人たちにとってはあま
り意味がないように思えるんだけどなあ。

神様がバベルの塔を壊す前

2010年08月18日 | 今日の風の吹きまわし
水曜日。あんまり涼しいもので、けっこう早くに目が覚めてしまった。ラジオをつけたら、正午前
の気温はなんと14度。え、きのうより10度も低いじゃないの。ひと晩中エアコンを(ファンは低
速だったけど)かけっぱなしだったから、どうりで涼しいはずだ。ということで、週末から連続運転
だったエアコンを即刻ストップ。

例のめんどくさいテルミーちゃんからは「その3」が来ていない。やれやれ。クライアントを通じて
「そんな型通りにはいかないもんなんだよ」と諭した?もので、「こっちは客なのに態度悪い!」
とつむじを曲げてしまったのかな。まあ、どうやら最近はこういう(前例や自分の思い込みと)違
っていることを極端に嫌う人が多いらしくて、担当者も辟易することがあるらしい。やっぱり、今
どきはマニュアル的思考で「正解」はたったひとつと思い込んでいる人が多くなって来ているの
かもしれないな。あるいは、「白」か「黒」かのデジタル思考で固まってしまって、白でもなく黒でも
ないグレーゾーンは二者択一の思考回路とはまったく別の、ゲーム風に言うならどんな魔物が
出てくるかわからない「伏魔殿」的な空間だから怖い、入りたくないということなのかもしれない。

この思考空間のグレーゾーンというのは、「白」と「黒」の両極端の間に気が遠くなるくらい茫洋
と広がっているらしくて、ある種の禅問答のような感じもする。あるとき、天文学の本を読んでい
て、とんでもないことを考えたことがあった。自分を天球のの中心に置いてみると、視点(point
of view)は水平に0度からぐるりと360度の中に無数にあるし、水平線上のある一点(0度)か
ら垂直に見上げれば、天頂を通過して反対側の一点まで180度、そこから見下ろせば、天底を
通過して元の点までさらに180度で、結局はぐるりの360度。さらにその360度の輪を水平に
1度ずつずらしながら、なわ跳びのなわのように回したとすれば、この天球の中には全部でいっ
たいいくつの「視点」があるのか・・・いやはや、天の赤道や黄道を描いた天球の図を見ながら
考えていたら、頭がめちゃくちゃにこんがらかってしまった。そのときは、まあ少なくともこの地球
上に住む「考える葦」の数くらいはあるだろうと、ぼんやり結論してみたけど、数学的にはちゃん
と計算すれば出てくる「正解」があるんだろうな。

どうもワタシは突飛な(あるいは飛躍的な)思考をする癖があるんじゃないかと思うなあ。だから、
グロッサリだのスタイルガイドだのにぎちぎちに縛られるIT関係の改訂版マニュアルの翻訳が
大嫌いなんだろうな。(昔はローカリゼーションで荒稼ぎさせてもらったのにそう言ってはなんだ
けど・・・。)たしかに統一性、一貫性が重要なのはよくわかっているけど、文章表現が少しぐらい
違っていても、言っていることが同じだったら、特有の用語さえ一貫していれば読む人には伝え
たい情報がちゃんと伝わるから問題はないと思うんだけど、マニュアル思考の人たちにとっては、
それは必要もないリスクを冒してグレーゾーンに踏み込む「危険思想」ってことになるのかもしれ
ないな。神様がバベルの塔が壊す前の「皆一つの同じ言葉を使い、同じように話していた」時代
を懐かしく思う遺伝子か何かが存在するというわけではないとは思うけど・・・。

人間は政治的な動物なのだ

2010年08月17日 | 今日の風の吹きまわし
火曜日。ゴミ収集車の音で目を覚まして、おっ、今日はちょっとばかり暑さもほどほどって感じ。
正午の気温が24度だから、予報通りほんとに猛暑が去ってくれるのかもしれないな、と思った
けど、午後2時にはポーチの温度計が26度。やっぱり暑いや。

施行されて1ヵ月半が経ったHST(統合売上税)。新たに州税部分の課税対象になったレスト
ラン業界は客足や売上が減ったとぼやき、不動産業界も新築住宅の売れ行きもばったりと落ち
たそうな。廃止を求める署名運動は州の全85選挙区で「総有権者数の10%」の規定を満たし
て「有効」と認定されたけど、保守と革新が角を突き合わせることが多いこの州では、これはす
ごいことだと思う。それだけ州民は頭に来ているわけだけど、州選挙委員会は2件のHST関連
訴訟が完結するまでは議会に送らないと決定。その訴訟の審理が始まったところで、この先の
展開がおもしろくなって来た。反対運動派は州議会を通さずに内閣の政令だけで新税を施行し
たのは違憲といい、政府はHSTは連邦議会の法律で施行されたのだから連邦政府の管轄権
下にあるといい、署名運動そのものを無効として訴えた産業界団体は「協同的連邦主義」の産
物だからHSTは合憲という。署名した70万人の州選挙民は「選挙で導入しないと公約してお
きながら、選挙に勝ったとたんにそれを反故にした」ことに怒っているんで、もちろん選挙公約が
口約束にすぎないことは百も承知だけど、「議会に諮らずに実行した」というところを問題視して
いるんだけどなあ。

要するに、HST反対派の言い分は、州選挙民を代表する州議会に諮らずに内閣の命令だけで
施行された税だから、「taxation without representation(代表なき課税)」にあたるということで、
この「代表なき課税」は植民地時代のアメリカで有名なBoston Tea Party事件が起きて、やが
て独立運動、そしてアメリカ合衆国の誕生に発展した民主主義の基本のひとつ。だから、廃止
運動派は政府が70万人の有効署名を無視するなら、選挙民の代表として機能していない州議
会の与党議員を全員リコールすると言っているんだし、連邦政府の管轄だと言うのなら、少数
政権でひょっとしたら解散・総選挙に追い込まれるかもしれないハーパー首相や連邦議会に働
きかけると言っているわけ。署名運動の先鋒に立って来たバンダーザーム元首相曰く、「我々
の最強の武器は政治的な力だ」。州最高裁の判断がどう出るかわからないし、最終的にHST
が廃止になって元の二本立ての売上税に戻る可能性は小さいだろうな。それでも、草の根民主
主義はむだにはならないと思う。アリストテレスは「人間は本来政治的な動物である」といったそ
うだけど。

政治だの経済だのをあれこれ考えるのはおもしろいけど、たぶんワタシは「人間」のやることに
ついてあれこれ考えるのが好きなのかもしれないな。きのうは完全にマニュアル思考で、何の
ために翻訳するのかさえわかっていなさそうな人に遭遇して、返す言葉もないくらいに唖然とし
た。ひょっとしたらこの人は「単語暗記カード」で英語学習をしたのかもしれないと思ってみたけ
ど、ものごとへのこだわりがすごく強くて、「A=BであってA=B´はありえない」と信じていそうな
感じだったな。デジタル思考とでも言うのか、若い人なんだろうな、きっと。「A=B´はありえない」
と思っているうちはまだ自分の視野を狭めるだけだからいいんだけど、「ありえない」が「あって
はならない」になったらちょっと怖いなあ。こういう思考回路の人たちが社会の中心層になったら、
政治やビジネス、さらには人間関係はどんな風に変わるんだろう。(そのヒントはもうあちこちで
見えているように思うけど・・・。)

ま、急に仕事の予定はびっちり詰まってしまっては、のんきに極楽とんぼを決め込んでちんたら
ちんたらと白日夢に耽っているわけには行かない。なにしろI’ve got to make a living(稼がな
きゃ)なんだから、腕をまくって、勝負鉢巻を締めて、いざ・・・