月曜日。穏やかな晴天。11月最後の日。あっ、11月は今日でおしまいなんだ!ということは、請求
書を書いたり、為替のレートを調べてログを閉めたりの月末処理をしなきゃならない日。大変だ・・・。
おまけにきのうの日本の終業時間間際にひょいと送ってきた仕事がある。夕方ぎりぎりに「明日中
に」と持ち込んで来られても困るだろうなあと思うけど、海のこっち側にいる極楽とんぼにとってはそ
ういう時が頼まれ時。「よっしゃ」と引き受けてはせっせとクライアントの点を稼ぐ。こういうのを地の
利というんだろうな。もったいをつけた弁護士口調でやれるものならけっこう手なれたもんで、寝起き
のいい日は、ちょいと気取った気分になってちゃっちゃとやっつけてしまう。
世界同時不況というくらい、みんなせ~のと突入したような不況だったけど、カナダでは公式に「終了
宣言」が出た。もっとも、成長率は予想より低かったそうだから、また頭を引っ込める可能性は無きに
しもあらずだけど、とにかく「1992年以来の不況」はおしまいということになった。めでたし、めでたし。
ここへ来て失業した人にはちっともめでたくなんかないだろうけど、失業率は景気の遅行指標。企業
は常に市場を先読みして(したつもりで)動くから、失業者の増加が最高潮に達した頃には景気は回
復局面に入っていて、やがて雇用が増え始め、それが最高潮に達した頃には後退局面に入ってい
るということになる。つまり、企業がどんどん人を増やし始めたらそろそろ「やばい」というところなん
だけど、その頃には職が潤沢にあるような気分で財布の紐を緩めてしまっていて、本格的な不況に
なった時には大ショック。まあ、楽しくて浮かれているときの人間には、警告は「カサンドラの予言」の
ようなものだから。
日本の社会的「地殻変動」が1980年代のバブルだと言ったら、夜になってツレアイ君が「そんなは
ずはない。高度経済成長期だった1960年代に決まっている」と言う。とんぼが「あれは経済体制の
変化だ」と言えば、「その経済の変化で社会も変わったはずだ」と言う。そうだろうな。サラリーマン社
会化が加速的に進んだもの。「そうだろう。経済が発展して、生活水準も生活様式も変わったはず
だ」とツレアイ君。「変わったのは生活様式で、道徳観や倫理観、価値観が変わったとは思えない。
変わったのはバブル狂乱時代になってからだ」と反論するとんぼ。「いや、生活水準や様式が変わっ
たときに価値観や倫理観も変わったはずだ。バブル景気はその延長で起きたんだ」と主張するツレ
アイ君。ははあ、まだ「夢の国」を夢に見ているんだろうな。まあ、すべてを捨ててでも行きたかった
「夢の国」なんだから、さっぱり忘れられるもんじゃないってことはよくわかってるのよ、ツレアイ君。
バブルはふわふわと漂う虹色のしゃぼん玉。まあ、バブル時代はいわば今はやりのリアリティショー
みたいなもんだったのかもしれないな。だとすれば、その寵児たちにいっときの夢を見たツレアイ君
にとっても、あれは人生のバブルだったのか。へぼ役者ばっかりのつまらないリアリティショーを見
ちゃったと思えばいいのかな。人間の「実体」がわかりにくいネット交流の時代はまた、人と人のかか
わり合いもある意味でリアリティショーだってことかなあ。カメラが見ていないところで起きる本当のリ
アリティの方が、現実と虚構がない交ぜのリアリティショーよりも(あたりまえに)ずっとリアルなんだ
けど、まあ、「滅びの美学」の視点から見ればはかない虹色のしゃぼん玉の方が心地がいいのかも
しれないな。「うん、あの時代はみんないい夢を見たんだろうし、まだ見続けている人たちもいるんだ
ろうし、人さまの夢を壊すのは良くないよねえ」と言ったら、ちょっとむっとした顔になったツレアイ君。
ははあ、図星だ。でも、ベッドに入ってから「キミはまだぼくのスィートハートだよ~」とべたべた。おい
おい。なに、その「まだ(still)」ってのは・・・。
書を書いたり、為替のレートを調べてログを閉めたりの月末処理をしなきゃならない日。大変だ・・・。
おまけにきのうの日本の終業時間間際にひょいと送ってきた仕事がある。夕方ぎりぎりに「明日中
に」と持ち込んで来られても困るだろうなあと思うけど、海のこっち側にいる極楽とんぼにとってはそ
ういう時が頼まれ時。「よっしゃ」と引き受けてはせっせとクライアントの点を稼ぐ。こういうのを地の
利というんだろうな。もったいをつけた弁護士口調でやれるものならけっこう手なれたもんで、寝起き
のいい日は、ちょいと気取った気分になってちゃっちゃとやっつけてしまう。
世界同時不況というくらい、みんなせ~のと突入したような不況だったけど、カナダでは公式に「終了
宣言」が出た。もっとも、成長率は予想より低かったそうだから、また頭を引っ込める可能性は無きに
しもあらずだけど、とにかく「1992年以来の不況」はおしまいということになった。めでたし、めでたし。
ここへ来て失業した人にはちっともめでたくなんかないだろうけど、失業率は景気の遅行指標。企業
は常に市場を先読みして(したつもりで)動くから、失業者の増加が最高潮に達した頃には景気は回
復局面に入っていて、やがて雇用が増え始め、それが最高潮に達した頃には後退局面に入ってい
るということになる。つまり、企業がどんどん人を増やし始めたらそろそろ「やばい」というところなん
だけど、その頃には職が潤沢にあるような気分で財布の紐を緩めてしまっていて、本格的な不況に
なった時には大ショック。まあ、楽しくて浮かれているときの人間には、警告は「カサンドラの予言」の
ようなものだから。
日本の社会的「地殻変動」が1980年代のバブルだと言ったら、夜になってツレアイ君が「そんなは
ずはない。高度経済成長期だった1960年代に決まっている」と言う。とんぼが「あれは経済体制の
変化だ」と言えば、「その経済の変化で社会も変わったはずだ」と言う。そうだろうな。サラリーマン社
会化が加速的に進んだもの。「そうだろう。経済が発展して、生活水準も生活様式も変わったはず
だ」とツレアイ君。「変わったのは生活様式で、道徳観や倫理観、価値観が変わったとは思えない。
変わったのはバブル狂乱時代になってからだ」と反論するとんぼ。「いや、生活水準や様式が変わっ
たときに価値観や倫理観も変わったはずだ。バブル景気はその延長で起きたんだ」と主張するツレ
アイ君。ははあ、まだ「夢の国」を夢に見ているんだろうな。まあ、すべてを捨ててでも行きたかった
「夢の国」なんだから、さっぱり忘れられるもんじゃないってことはよくわかってるのよ、ツレアイ君。
バブルはふわふわと漂う虹色のしゃぼん玉。まあ、バブル時代はいわば今はやりのリアリティショー
みたいなもんだったのかもしれないな。だとすれば、その寵児たちにいっときの夢を見たツレアイ君
にとっても、あれは人生のバブルだったのか。へぼ役者ばっかりのつまらないリアリティショーを見
ちゃったと思えばいいのかな。人間の「実体」がわかりにくいネット交流の時代はまた、人と人のかか
わり合いもある意味でリアリティショーだってことかなあ。カメラが見ていないところで起きる本当のリ
アリティの方が、現実と虚構がない交ぜのリアリティショーよりも(あたりまえに)ずっとリアルなんだ
けど、まあ、「滅びの美学」の視点から見ればはかない虹色のしゃぼん玉の方が心地がいいのかも
しれないな。「うん、あの時代はみんないい夢を見たんだろうし、まだ見続けている人たちもいるんだ
ろうし、人さまの夢を壊すのは良くないよねえ」と言ったら、ちょっとむっとした顔になったツレアイ君。
ははあ、図星だ。でも、ベッドに入ってから「キミはまだぼくのスィートハートだよ~」とべたべた。おい
おい。なに、その「まだ(still)」ってのは・・・。