極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

精神メタボに気をつけて

2008年03月31日 | 今日の風の吹きまわし
いつものようにさっさとカレンダーをめくってしまって、今日はエイプリルフールかと思ったら、残念でした。
まだ3月の最後の日が残っている。3月は獅子のごとくやって来て、子羊のごとく去るというけど、今年は
のそっとやって来て、一応羊のごとく去って行った。誰が言い出したのか知らないけど、秋の空が乙女心
なら、春の空は男のむらっ気ということ?

来週の今ごろは東京にいるんだなあと思うからなのか、何となく気分が落ち着かない。まあ、旅の前って
いつもそういう感じではあるけど、今回はここ数年とちょっと違う旅だから、心の中に自分で量りきれない
ウエイトがあるらしい。昨夜は逃げている自分を夢に見た。荒涼とした風景の中を必死で走っている自分。
人里らしいものがあるのに、人影のないゴーストタウン。はっと目が覚めて、気持を鎮めて眠りに戻ったら
また同じ風景。そんなことを2度くらい繰り返しただろうか。ツレアイ君に突っつかれて目を覚ましたときは
なぜかぐったり疲れて、腕枕でしばらくうとうと眠ってしまった。自分の心の深いところにまだもがいている
感情が残っているのかなあ。あと1週間。向こうへ行けばきっとあっという間の1週間。大丈夫だってば。

だけど、実際にどうなるのかなあ。小町を見ると、「左利きは見ていて不快」という意見がずらりと並ぶし、
人に好かれていると思っている相手に対して「その子の容姿がかわいければ納得して許せるけど、自分が
かわいいからモテるって思ってるところが認めてあげられない」というし、一重まぶたの娘に二重まぶたに
「お直し」するかどうかで、「女性に関しては、幸せになることと人格はあまり関係ないと、世の中を見て
いてつくづく思います」ので二重にした方がいいというし、人さまが持って生まれた外観や形質が自分が
見て不快だから変えるか、消えるかしてくれといわんばかりのおっそろしい人が多すぎる。末恐ろしいとは
このことじゃないのかなあ。

左利きが箸を使っていると違和感を感じて自分の食べ物がまずくなるからマナー違反?かわいくない子は
人に好かれる権利はないっての?女の幸せは人格と関係ないって、女は人格を持たない「モノ」ってこと?
次はきっと障害のある人は見苦しいから外へ出るなと言い出すんだろうな。今どきのアニメ顔でない子が
もてるのは社会のルールに反すると言い出すんだろうな。そしたら、年よりは、子連れは、子なしは・・・。
和を尊ぶ日本を守るために異端を切り捨てるのもやむを得ずってことなの?こういう人たちにとって自分は
どんな風に見えているんだろうなあ。人さまのことをあれこれうるさく言うくらいだから、基準になる自分は
ちゃんと見えているんだろうなあ。「繊細な感性」はいいけど、それが肥大しすぎて、精神がメタボ症候群に
なってしまったとか・・・?

いつか、コンピュータで身長体重、ボディパーツの大きさ、配置、釣り合いを測って、不合格者はその場で
ZAP!と消滅させる、なんてSFみたいな社会になるのかなあ。そして、アニメやゲームのような(敵意むき
出しの冷酷そうな)美少年男と(幼児顔に巨乳の)美少女しかいなくなって、不快感も違和感もない安楽な
世界になるんだろうか。そんな心配をしても、「そっちだって人のことをとやかく言ってるじゃないか」という、
砂場の反論が返って来るだけかもしれないけど、規格外れだ、ZAP!とやられてはたまったもんじゃない
からなあ・・・


ああ、青春の終わり

2008年03月31日 | 今日の風の吹きまわし
日本は月曜日。発注元のOK待ちだった仕事がOKが出ずじまいで、クライアントは恐縮気味だけど、私は
バンザイ。おかげで一日のんびり。この後はよほど小さい仕事でなければ「留守にしますので」ってことで
お断りができる。つまりは、うわっ、1週間のお休みになるってこだ。おお、たまにはこういう「ドタキャン」も
いいもんだなあ。

真夜中のランチ。世の中の殺人だの戦争だのラジオやテレビをつけても眠れなくなるだけだからと、CDを
かける。今夜はサイモン&ガーファンクル。ポール・サイモンの詩はすばらしい。だけど、ガーファンクルの
あの声がなければ、せっかくの詩は生きてこないような気もする。『Dangling Conversation』はだまって
聞いていると涙が出てくる。お互いにあさっての方を向いてしまった二人の午後。まだ本当は愛があって、
向き合いたいはずなのに、宙ぶらりんの会話。すごく悲しい。ベトナム戦争。反体制運動。ヒッピーに反戦
運動。アメリカは激動の時代だった。日本でも学生運動が起き、反戦運動が起き、催涙ガスが立ち込めた。

だけども、今になって振り返ってみると、あれは反体制に酔った平和な日本の若者のファッションだったん
じゃないのかと思う。フォークソングのブームだって、あれはアメリカの流行にならったファッションだったの
かと思う。奇しくも明日3月31日は日本赤軍による「よご号ハイジャック事件」が起きた日。外資系会社の
営業所の事務をまかされることになって、研修のために初めて飛行機に乗って津軽海峡を越えた日だった。
(大阪直行便運行開始の前日だったから)大阪行きへの乗り換えの羽田空港には警察官だらけ。事情を
知らないまま私は「内地」は怖いところと思ったのだった。半生以上を北米文化に浸かって暮らしてきて、
当時を生きた同世代の人たちの体験を聞いて、今、反戦だ、フォークだ、ヒッピーだと浮かれていた自分は
いったい何だったのだろうと思う。

古いLPを引っ張り出して見たら、あったのが浅川マキのアルバム。そう、「アングラ」が流行った時代でも
あった。1970年。あれから38年。浅川マキはまだ昔のまま活動しているそうな。そうなんだ、浅川マキも
サイモン&ガーファンクルも私の青臭い青春の終わりを告げる「詩」だったのかもしれない。「あの頃は」と
いうと若い人にそっぽを向かれる年代になったけど、ひとつだけ、今は懐メロになった「あの頃」の歌には
「知性」があったことは確かだと思う。日本だって、あの時代がアメリカをまねたファッションだったとしても、
戦いの相手が日本的な感性にすぎなかったとしても、大人にさしかかった若者の「ひたむきさ」があったと
思う。それがひしめきあって日本の戦後を生きてきた「団塊の世代」というものなのかもしれない。

ベトナム戦争は北米社会を根底から変えたと思う。あの戦争は今のイラクやアフガニスタンでの戦いとは
根本的に違う。当時の若者たちには「戦争に行かない」という選択肢などなかった。だからこそ、北米では
フォークロックも、ヒッピーの文化も、マリファナやLSDに酔ったサイケデリックも、ただの若者ファッション
なんかではなかったのだ。あの時代の風に吹かれた日本の若者たちの中に、ファッションという「感性」を
超えて、ひたむきに人生を燃やした人はどれだけいたんだろう。角材をかざして体制打破を叫んだ覆面の
若者たちはどうなったんだろう。日本赤軍も反体制運動も、やがては内に向かって牙をむいた。あの頃を
生き延びた若者たちはその後のバブル狂乱時代をどう生きたんだろう。バブルがはじけてからはどうして
いるんだろう。あの頃のひたむきさはどうなったんだろう。

東京にいる間に、浅川マキのCDを探してみようか。「あの頃」が聞こえてくるかも・・・


まっさかぁ~

2008年03月30日 | 今日の風の吹きまわし
だらだら仕事からやっとのことで解放されて、やれやれと爆睡(すごい表現!)して、ゆっくり起きた土曜日。
起きるのが遅いから、ごろごろしているうちにディナーにでかける時間になる。天気予報は大外れで雪は
影も形もなく、外は桜がほぼ満開。うろ覚えのブラウニングの詩がなんとなく浮かんだりして・・・

ディナーはダウンタウン。うす曇りだけど、念のためサングラスを持って出た。ところが、ダウンタウンに近く
なったところで、あられがパラパラ。やがてみぞれ。おやおやと思っているうちに、本格的な雪になってきた。
ダウンタウンに入ると、なんと歩道にはべちゃべちゃの雪が積もっている。ええ、うっそ~。信じられな~い。
まあ、雪というよりはみぞれに近いんだけど、それにしてもなあ。3月も終わり。ここはバンクーバーなんで
あって、トロントじゃないんだよなあ。桜が満開でしょうが・・・

そうとわかっていればブーツを履いて来たのに、たまのハイヒールで、すべりそうな歩道をえっちらおっちら。
たどり着いたレストランで聞いてみたら、「きょうは午後中ずっとこんな感じで・・・」。え、南のあたりはずっと
春爛漫だったけど。ディナーの帰り、往路であられが降り出したあたりを過ぎると雪なんかひとかけもない。
立ち寄ったモールのスーパーで聞いても、バイトらしいレジのお嬢さんは「え、雪?まっさかぁ~」と、信じて
くれない。まっさかぁ~って、ふ~ん、ひょっとしたら、どこでもドアで別世界にスリップしちゃってたのかなあ。


丸かじりスパム

2008年03月29日 | 今日の風の吹きまわし
朝起きてみたら雪。もう週明けには4月じゃない?家の外の桜並木はもう満開に近いじゃない?なんで?
「地球温暖化なんて、わかってないやつのいうことなのさ」とツレアイ君。そうだよなあ。これじゃあ、まるで
氷河時代の前兆じゃないの。う~ん、ほんっとに寒い。(私が生まれた4月の下旬は雪が降っていたそうだ
けど、それはゴールデンウィークに雪がふる土地柄だから話は別・・・)

今日はこの大仕事をほんっとに片付けてしまいたい日。あともうちょっとなんだけど、いいかげんうんざり。
私の日本語読解力が低下したのかと心配したけど、そりゃ違う。低下したのは日本人の日本語の文章力。
てか(と、今どき風・・・)、コミュニケーションしようという意志がないんじゃないかと思う。もっと突っ込めば、
私的なレベルになるともうコミュニケーションするものがな~んにもないんじゃないかと思ってしまう。別の
仕事では、「~をイメージする」という表現の解釈を巡って編集者と頭をつき合わせての謎解きになった。
編集者氏は日本人じゃないし、日本に住んでもいないから、いくら日本語が堪能でも日本人のファジーな
イメージ思考(これって感性ってやつかな?)は理解できない。この「イメージ化」というのはimagineする
(想像する)のとは似ていて非なるものらしいから、やっかい。(ふむ、この「~化」ってやつも安直だなあ。
何でも化かせばいいってもんじゃなかろうに・・・文句、文句。)

ま、グダグダ考えててもしょうがないから、今日は掲示板のツアーで適当にパクリスパムしちゃおうか・・・

その1。『カナダの田舎に住む日本人(女)です。いまだに慣れないのが街を歩いてて「チャイニーズ」と
呼ばれることが苦痛でなりません。一般的に中国人のイメージは貧乏、出稼ぎといったマイナスな印象が
あるためそう見られる自分がとっても嫌です。洋服や身なりもとても気をつけているつもりです。』

その2。『カナダで日本人でない人と結婚した友人がいるのですが、生活習慣やしきたりが合わないので
不満があるのか、一言目には”日本人だったらこんなことはしない”とか”日本人だったら違う”というように
何でもかんでも日本人のやり方と比べる人がいます。』

その3。『バンクーバーで不便なこと: 日本語が通じない。言いたい事が100%言えないのでストレス。』

その4。『ここで、知り合いになった日本人で、自分より英語ができるとか、いい仕事についてるとかで嫉妬
されたり、対抗されて、結局は疎遠になったという人いませんか?』

ふ~ん、ここにはずいぶんとおもしろい人たちが流れ着いてるんやねえ・・・


スパムは薄く切って・・・

2008年03月28日 | 今日の風の吹きまわし
インターネットの世界は刑法上で「犯罪」とされる悪事が横行しているけど、同時に匿名という隠れみのを
まとった悪知恵もすみずみまではびこっている。匿名性というのはそれほど誘惑が大きいんだろう。だって、
自分が誰かということを知られずに現実の世界ではできないことを堂々とやれてしまうんだから、肝っ玉の
ちっちゃい人間にとってこんなすばらしいことはない。掲示板などはそういう人間性の鏡みたいなものかも
しれない。まあ、夢の中で夢を実現しているような感じもしないではないけど、覚めた世界の理想の自分は
努力しなければ夢のまた夢ってことが多いから、努力しないで実現できるのなら、たとえそれがいっときの
夢だとしても実現できるにこしたことはないのかもしれない。

ニフティという会社の調査によると日本のブログの40%以上は「スパム」といっていいものなんだそうな。
アメリカのどこかの新聞が、日本人のブログの数は世界でもダントツで、ほとんどが個人の日記だ書いて
いたのを覚えているけど、たしかに、仕事に必要な情報を探そうとググって回ってもヒットするのは個人の
ブログと思しきサイトばかりなんてことがよくある。それにしても、何百万とあるブログの40%というのは
すごい数だ。アフィリエートとかいって、要するに「濡れ手であわ」式の小遣い稼ぎのために開設したのも
多いらしい。今日のメールに入っていた変なソフトを宣伝するスパムメールはきっとそういう商売に食指を
動かす人を狙ったものだったんだろう。努力しないで「寝ていても自動的に」お金が儲かるというおいしい
文句に釣られる人もいるんだろうなあ。そうでなければこれほどスパム詐欺が横行するはずがないもの。

最近はスパムフィルタも悪知恵には後れを取っているのか、スパムメールは増えるばかり。メーラー側で
KILLフィルタを設定するか、そうでなければ片っ端からDELETEキーを叩いた方が早いくらいだ。メール
スパムにも季節性があったりしておもしろいけど、この頃は「男のナニ」をあと何インチ伸ばせるとうたった
ものがやたらと多い。おいおい、女のモノは同じなんだから、そんなに長くしてみたって「しゃーねぇだろ」と
突っ込んで笑っているけど、これほどの波状攻撃にあったら人知れずにコンプレックスを抱えている男の
ひとりやふたりはひっかかるのかもしれない。

このブログはいったい何なんだろう。日記といえば日記かもしれないし、愚痴のはけ口といえばそうだし、
仮想「ハイドバークの演説台」といえばそうだし、「へえ~そうかあ~」的なとぼけた作文といえばそうだし、
ほんとに何なんだろうなあ。「情報発信」なんてものでもなければ「論評」なんてものでもない。じゃあなぜ
私的な日記をネット上で公開するんだと聞かれたって、「誰もすなる日記といふものを、我もしてみむとて
するなり」としか答えようがない。(けっこうミーハーな動機なのだ。)まあ、自分なりのモラルというものが
あるから、匿名性に隠れてあることないことを書くことだけはしていない。ということは、読み返して自分の
心理を客観的に分析できるというご利益はあるはず。とどのつまりは自分自身の役に立っているだけって
ことで、「読者にとってはほとんど意味のない」のがスパムブログの定義だとしたら、これもスパムかも。
(低脂肪スパムはけっこうおいしいけど・・・ん、関係ないか)


若さなのかなあ

2008年03月27日 | 今日の風の吹きまわし
ちょっぴり寒いけど春らしい良い天気だなあと思っていたら、何とダウンタウンではひょうとみぞれだって。
どうなってるのかなあ。地球温暖化による気候変動では荒れ模様の天気が極端になるといっていたけど、
大して大きくないバンクーバーでこれはちょっと変すぎないかなあ。といっても、バンクーバーは真ん中が
小高い丘になっていて、北側と南側で天気が違うことがよくある。我が家は日当たりがいい(といわれる)
南斜面。たしかに、冬は市内でも暖かいほうだし、夏は海からの風の通りが良くてかなり涼しい。それに
しても、歩いたってせいぜい2時間くらいの距離で、こっち側は晴天なのに向こう側は雪模様というのは
いったいどういうことなんだろう。

先週からウィスラーで語学留学の日本人が行方不明になっている。どうも一人でスノーボードにでかけて
遭難したらしい。捜索願が出されたのは4日目とか。ホームステイの家族は、週末によく友だちのところで
外泊していたから、またかと思って気にしなかったそうだ。でも、ホームステイはホテルとは違うんだから、
外泊するならそうと言っておくべきじゃないかと思うんだけど。近頃は「金を払っているんだから」とホテル
あつかいして、勝手のやり放題という若者も多いという。遭難した女性もそうだということではないけども、
日本でも実家住まいだとしたら、ふだんから無断で外泊するようなタイプだったと思われてもしかたがない
かなあ。おまけに携帯も持って行かなかったそうで、25才という年齢にしては危険に対してかなり無防備
すぎるという感じがする。それが若さのせいだというのなら、私だって25才の頃はたった一人でカナダまで
来たりして、なかり無防備で無鉄砲なところがあったけど・・・

ウィスラーはリゾート感覚でも冬山であることには変わりがない。まだ初心者に近かったそうだから、指定
区域の外へ出てしまった形跡がなさそうだとすれば、木の根元の穴にはまり込んだ可能性も考えられる。
針葉樹はかなり下まで枝が張っていて、まわりに雪が積もっていると下が空洞になっているのがすぐには
わからない。かなりの勢いで滑ってきたスキーヤーやボーダーがこの窪みにはまると、衝撃で枝の雪が
どっと落ちて来て埋もれてしまうことがある。そういう遭難事故が前に何度もあった。ちょっとひとことだけ、
ホストに予定を意図を告げて出かけていたら。もっと早くに捜索が始まっていただろうに。かなりの新雪が
積もった厳寒の山で1週間。両親が日本から駆けつけたそうだけど、生還はまず難しい・・・


ボキャはいいけど調子っぱずれ

2008年03月26日 | 今日の風の吹きまわし
やっぱり、この春は平年よりもかなり温度が低いそうな。桜は満開に近いのに、これじゃあ花冷えだなあ。
痛めた胸は2週間経ってどうやら順調な回復。今は横から強く押すとウヒッとなるくらいで、右側に寝返りを
打ってもほぼ大丈夫になった。感覚としてはどうも鳩尾から伸びる軟骨に肋骨がつながるところ。スポーツ
選手なんかにけっこうあるケガだそうで、アメリカンフットボールの選手なんか正面からドドッとぶつかって、
グキッとやるらしい。私の場合は、粋がってタンゴのまねごとをしてただけなんだけど・・・

ぶつぶついいながらやっている仕事。一括で訳語に変換したおかげで上々の進捗。この調子だとあんまり
汗をかかずに「目標期限」に完了できそうな兆し。それにしてもなあ。文章の頭から最後の「。」に到達する
までに500文字を超えるすごいのがぞろぞろある。括弧の中に入った「ただし」、「つまり」、「~を含む」、
「~を除く」のような但し書きが多すぎて、だらだら寄り道をしながら学校へ行くようなもので、やっと「。」に
たどり着いた頃には何を言っているんだかさっぱりわからなくなるからやっかい。こんな複雑怪奇で難解な
文章をさらさらっと書けてしまう人って、何かの天才なのかもしれない。文才とはいいがたいけども・・・

キーを叩きながらのぶつぶつも、そばで聞いている人にはまるでけんか腰に聞こえるかもしれない。長い
間にツレアイ君のおかげ?でいろんな罵倒スラングを覚えた。毎日耳から言葉を吸収するだけでなくて、
それが使われる状況も同時に目で見ているわけで、文字通り「身について」しまったということだろう。罵倒
スラングといっても、「口汚い罵り」から「悪たれ」までピンキリ。争いの武器にもなるし、交流の潤滑油にも
なる。スラングもコミュニケーションのうちというのなら、スランゲージとでも呼ぼうか。

作家のマーク・トウェインはスラングを多用したそうだ。どっちかというと「悪たれ」といえるものだったらしく、
ミシシッピ川で水先案内人をやっていた頃に「芸術性」を見出したらしい。お育ちの良い奥さんや娘たちの
前では慎む努力をしたそうだけど、思考回路をショートさせて出てくるのが罵倒スラング。ある日、呆れた
奥さんが聞き覚えの汚いスラングをありったけぶちまけて見せたところ、黙って聞いていた夫曰く、「You 
got the words right, but you don’t know the tune」とやり返したという。「ボキャはいいけど、
調子っぱずれ」というところかな。

スラングは語学留学の若い人たちに人気があるらしく、まっさきに覚えて、「これぞ生きた英語!」といわん
ばかりに使いたがる。だけど、英語にだって「TPO」のようなものがあるのを知らないから、街中でこってり
おしゃれの「かわゆ~い」日本女性がぶったまげるようなスラングを使っているのに出くわすことがよくある。
ずっと前にめんどうを見た語学留学の若者も、うれしそうにやたらと「オーマイガッ(Oh, my God)」を連発
していたけど、これがみごとな「銚子の沖何千キロ」の調子っぱずれ。状況におかまいなく紋切り型の一本
調子なもので、マーク・トウェインの評がそっくりあてはまっていた。それをかわいいと思う人もいるかもしれ
ないけど、こればっかりは教科書で勉強してマスターできるってものではなさそうで、まあ、身ぶり手ぶりと
同じで、自然に身についていくものなのだろう。Gotta go・・・


ちゃんぽんエッグ

2008年03月25日 | 今日の風の吹きまわし
ねじり鉢巻に腕まくりでがんばって、どうにか終わらせた仕事を送り出して、眠りについたのは午前4時。
復活祭のディナーが満腹しごくだったせいで、午前零時のランチもしないまま。もっとも、たらふく美食を
した日は二食だけでそのままご就寝ということが多い。

きのうのコーニッシュヘンはガーリックの他にネギとしょうがを詰め込んで焼いたもので、わりかしさっぱり
した味。そこで「Ginger of the Indies」という名前の、西インド諸島産のショウガを使ったというフランスの
リキュールをたっぷり入れてソースを作ってみたら、これが絶品(と、ツレアイ君)。付け合せはローストした
オレンジのピーマンとアスパラガスの穂先と薄くスライスしたポテトのガレット。お一人様用の丸い焼き型に
重ねて焼くんだけど、パルメザンチーズの代わりにヤギのチーズを使ったらコクのあるおもしろい味わいに
なった。忙しいもんでちゃっちゃかと作ってしまったにしては花丸のでき。デザートにチョコレートバニーの
耳をがぶりとかじって、満足・・・

今日からINBOXにある最後の大仕事。期限までに仕上げるのはきついなあと思ったけど、始めてみたら
なぜかスイスイと進む。何のことはない。前の2つをやったときに、渡された用語集をもとに、これはと思う
用語をひとまとめに英語に変換してあったもので、改めていちいち調べなくてもいいし、考える必要もない。
その上で繰り返し出てくる表現や定型文も同じようにえいやっと一括変換したもので、仕事は何と2割がた
すんでしまった。うっそぉ~。こんなことって、あってもいいのかなあ。これで、カッコの中にまたカッコ、その
また中にまたカッコと、まるでマトリョーシカにそっくりな感じのうるさい但し書きがなかったら、楽をしすぎて
しまうかもしれないなあ。用語集の用語が少しくらい「ン?」でも、気にしない、気にしない。お客様ご指定は
変えられないもんね。おかげで何十ページもある文書はちょっぴり変てこ日本語とちょっぴり変てこ英語の
ウルトラちゃんぽん。それがなんだか読み心地が良さそうに見えてしまうから我ながらおかしい。ふ~ん、
スクランブルのちゃんぽんエッグになっているのは私の頭の中だったりして・・・し~らない。


復活祭ぶつぶつ

2008年03月24日 | 今日の風の吹きまわし
復活祭の日曜日。雨のはずがなぜかただのうす曇のしご~く静かな日。まだどっさり残っている大仕事を
片付けて、オーストラリアの片隅で同じようにあっぷあっぷしているらしい編集者に回す日。実は期限まで
またあと1日あるけど、次の大仕事にとりかかって、とにかくゴールへまっしぐらに突進しなければならない
のだ。これが東京行き前の最後の仕事だといいんだけど、そうは問屋が卸してくれるか・・・。

きのうはディナーにおでかけついでにイースターチョコレートを買いに行った。ほんとうに大小とりまぜて
どっさりある。ほんとうに売れ行きが悪いのか、単に作りすぎたのか、わからないけど、こっちはよりどり
みどり。大きな卵は殻が半分だけで中のキャンディが丸見え。どうしてかこの頃はドンと大きなのがない。
たぶん原料高のせいなんだろうけど、ダチョウのより大きなチョコ卵を耳元で振って、どんなキャンディが
入っているか想像する楽しみがなくなってしまった。それでも、高さ20センチほどのダークチョコのうさぎ
(卵の入ったかごを背負った標準的デザイン)と、ミルクチョコの半殻卵。ついでにマティニ用のオリーブを
買いに入った店でも、キャンディは入っていないけどすごくつやつやとしておいしそうなダークチョコの卵を
買ってしまった。つるつるでかじるところがないから、金づちがいりそう。おかげで戸棚はチョコチョコ・・・

何しろねじり鉢巻の日だから、イースターのごちそうはコーニッシュヘン。ミニチキンといったところだけど、
この頃は小柄なチキンに迫りそうなくらい大ぶり。昔は一人1羽で多すぎなかったのに、今は二人で1羽。
まさか、ステロイドでムキムキにしているわけじゃなかろうけど。ガーリックを詰め込んでローストしてから、
キッチンバサミで2つにわける。ソースは復活祭の七面鳥にはバーボンを使ったから、今度はウィスキー
ソースにしてみようか。それとも・・・ま、その時になってから、そこらのバーよりも品揃え豊富な我が家の
酒棚を見渡して決めようっと。ワインはツレアイ君が好きな辛口のロゼと行こうか。で、デザートはもちろん
チョコレート。ま、楽々でよろしい。

それでは、きりりと鉢巻を締めて、いざ~


グッドフライデイ

2008年03月22日 | 今日の風の吹きまわし
今日はグッドフライデイ。復活祭前の金曜日のことで、祝日。日曜日の復活祭をはさんで月曜日も休みで
4連休になる人もいる。でも、イースターマンデイは法定祝祭日ではないから、休んでいるのはたいていが
お役所関係か労働組合の力の強いところ。おかげで郵便は火曜日まで配達されないし、ゴミの収集日も
2日先にずれる。まあ、日本で官庁が一足お先にご用納めをするのと同じことかもしれない。

復活祭は「春分の日の後の最初の満月の後の最初の日曜日」ということになっているもので、毎年3月に
なったり、4月になったりする。今年は春分の日の翌日が満月なもので、3月23日と計算上2番目に早い
復活祭になる。つまり、どんなに逆立ちしても3月22日より早くは来ないし、4月25日より遅くなることは
ないわけ。前に一番早い3月22日だったのは1818年だそうだ。前回に私の誕生日が復活祭だったのは
ツレアイ君が生まれた年の1943年。次に誕生日と復活祭が重なるのは2038年だそうな。その年、私は
90歳を迎える。それまでいけるんかなあ?うん、それまでには「人生90年」の時代になっていそうだから、
がんばらなきゃ・・・

復活祭になくてならないのがイースターエッグとチョコレートバニー。イースターエッグは色をつけたゆで卵。
これを庭のあちこちに隠しておいて、かごを持った子供たちがイースターエッグハント。子供がいないから
自分で作ったことはないけど、絵を描いたりもするらしい。有名なのはロマノフ朝のロシアでファベルジェが
作った卵。これは本物の卵じゃなくて、金銀宝石で飾り立てた凝りに凝った芸術品。アレクサンドル三世が
皇妃にプレゼントするために作らせたのが初めだとか。私はチョコレートの卵のほうがいいけどなあ。特に
二つに割ると中にいろんなキャンディが入っている大きいやつ・・・

チョコレートバニーはうさぎをかたどったチョコ。うさぎは古代から多産の象徴だったらしい。特に野うさぎは
ねずみ算どころか「うさぎ算式」に増えるし、ついでに卵も多産の象徴ということで、古代ゲルマン族はこの
二つを合体して「卵を産むうさぎ」を作り出したらしい。そもそも「イースター」の語源がゲルマン族の再生と
豊穣の女神エオストラだそうだから、おそらく自然が息を吹き返す春に多産と豊穣を祈ったゲルマン人の
祭祀にイエスの蘇生をかぶらせてキリスト教の布教宣伝をやったのだろう。(キリスト教がヨーロッパ中に
広まったのはこのMBAの先駆かと思わせるような「営業力」によるところが大きいと思ってしまう。)

チョコレートバニーにチョコレートエッグと、復活祭はチョコレート業界にとっては書き入れ時のはずだけど、
今年のようにあまりにも早いと喜べないんだそうな。というのも、これまたメジャーなチョコレートデイである
バレンタインデイのチョコレートがまだ残っていて、消費者は少々チョコレートに食傷気味だからだそうだ。
そういえば、我が家は今年もグッドフライデイになってまだイースターチョコを買っていない。いつも残りが
ある店を探すのに苦労するんだけど、じゃあ、今年はわりとたくさん残っていそうかなあ・・・


今日から春うらら

2008年03月21日 | 今日の風の吹きまわし
春分の日。公式に「春」が始まる。先に「夏時間」にしておいて「今日から春で~す」といわれてもなあ・・・。
日本はどうやら祝日らしい。というよりは、祝日だった。今は金曜日の朝、午前9時必着の仕事をやっつけ
なくちゃ。それにしても、1日休んで、1日仕事して、また週末の休みってのはめんどうそうな感じだなあ。
もっとも、フリー稼業!なんて自分を煽てて、なんだか年中無休のようになってるヒトもいるけど・・・

今日は久しぶりに牡蠣を食べに行こうよと言って英語教室へ出かけていったツレアイ君、帰って来るなり、
「ダウンタウンまで行くのはめんどうだから、うちで食べよう」と。あのねえ、材料を解凍してないんだけど。
ま、どっちみち土曜日にはおでかけ予約があるんだし、いいか。それでも、今ごろになって~と、ぶつぶつ
言いながらフリーザーをごそごそ。あはあ、豚のひき肉。なぜか楕円形のギョーザの皮。冷凍のゆでエビも
ある。冷蔵庫にはこの前買ってきたキャベツ。大根だってある。エノキもあるし、ミニ白菜もある。見渡せば
いろいろとおもしろそうなものがあるじゃないの。ふむふむ、今夜の即決メニューは・・・おたのしみ。

ネットを見ていてチラッと「おやじのせなか」という本が出るという話を見た。そんなタイトルを見るとぱっと
浮かんで来るのが「父の背中」そのもの。私はとにかく甘ったれのお父さんっ子で、かなり大きくなるまで
「おんぶ」をせがんだらしい。まあ、子供はできないかもしれないと言われて闇市まで利用してやっと作った
のが私で、おまけに生まれる時にあわや死ぬところだったお騒がせっ子なもんで、「やれやれ手のかかる
ヤツだなあ」と笑って許してくれたのかもしれない。背中の温もりと整髪料の独特の匂いと、そして何よりも
あの絶対的な安心感。還暦に達した人生で、あの父の背中ほど心地の良い「ふるさと」はなかったように
思うなあ・・・

母に背負われていたのはもちろん妹ができるまでのこと。昔は綿入れの「ねんねこ」というすぐれものが
あって、母は袖口から私の手を探って、じわりと熱くなっていれば眠くなったと判断したという。かなりの
確率で的中したらしいから、母親のカンというのは侮れない。たぶん、今どきの育児書にはこんなことは
書いてないだろうなあ。母乳は出ないし、食糧不足で、アメリカの援助物資の小麦粉をミルクの代わりに
したそうだけど、そのあまりの白さに父と感歎したとか。その小麦粉はほとんどが私のおなかに納まって、
両親の口に入ることはなかったらしい。長いことパン食があたりまえで、お米のご飯がなくてもちっとも気に
ならないのは、なんとなく不思議な因縁みたいな感じもしないではないなあ。

もうすぐアイスホッケーのレギュラーシーズンが終わる。4月に入るとプレーオフ戦で、これが決勝に到達
する6月まで延々と続くもので、別名セカンドシーズン。我らがバンクーバー・カナックスはどういうわけか、
この時期いつもビミョー。シーズン前半にどれだけ快進撃していても、3月にはジリ貧になって地元ファンを
イライラさせてくれる。過去2回ほど決勝まで行ったけど、あれはどう見てもまぐれって感じが抜けないのが
かわいそうといえばそうなんだけど。今年もプレーオフ出場ぎりぎりのランクに落ちてもう負けられないのに、
他の試合の結果しだいではどっちにも転ぶという他力本願。中心的な選手がスウェーデン勢だから、ふむ、
ひょっとしたら春の来るのが早すぎるのかも。でも、一卵性双生児のセディン兄弟に双子のテレパシーで
がんばって勝ち星を積んでもらわないことには、どんどん増えるのは私の罵倒スラングのボキャブラリー。
おい、こら、私の品格を落としてくれるなよ。(今夜は、今のところ1対0でリード中だけど・・・)


春の陽だまりで

2008年03月19日 | 今日の風の吹きまわし
ほんとにぽっかぽかのいい陽気。家の外の道路に沿ってずっと地平線まで続く桜並木もだんだん花霞の
様相になって来た。もう三分咲きくらいなのかなあ。ジェシーがオフィスを掃除している間のひととき、裏の
ポーチの陽だまりに座り込んで、来たばかりの雑誌を読みながら、階段下につながれたレクシーのお守り。
シーラの姿が見えないとレクシーはワ~ンと吠え、ク~ンと鼻を鳴らす。それがすごくかわいいんだけど、
裏のワイリー家のやんちゃ犬ゼファーまでがウワ~ンと呼応するから困る。ははあ、春なんだ・・・

陽だまりのひとときはなんだか久しぶりでなつかしいような気分。日が高く上ってから起き出して、そのまま
仕事場におこもりになる暮らしだと、冬の間あまり日光に当たることがない。もっとも冬というよりは雨期と
いったほうがいい季節だから、来る日も来る日もどよ~んとしていたりして、お日様を拝む機会そのものが
あんまりないんだけど、ベースメントに篭ってしまうと外の天気もあんまりわからない。これではビタミンDが
不足するんじゃないかというくらい。

そんなことを言ったら、シーラが子供のときにおばあちゃんに飲まされた「肝油」の話を始めた。魚のタラの
肝臓から抽出したという、くさくてどろっとした液体で、子供にとっては注射よりも恐怖の存在だったそうな。
ツレアイ君も同じ経験がある。鼻をつまんで、目をつぶって、えいっと飲み下してそのままならいいけれど、
ついゲップのひとつでも出たら悲惨だったらしい。私も小学校の頃に毎日学校で肝油が配給されたけど、
液体ではなくて、表面に砂糖らしきものがかかった、ちょっとゼリー菓子風の錠剤だった。年令が少し下で
ラッキーだったのかもしれないけど、あの錠剤、子供がゴクッと丸呑みするにはちょっとばかり大きすぎた。
しょうがないから、ちょっとだけ大急ぎで噛んで柔らかくしてから、味がわからないうちにささっと喉の奥へ
送り込んでいたような気がする。それで、ゲップが出て泣きたい気持だった・・・

少しばかり天然のビタミンDを吸収したところで、仕事の前にホテルの予約。成田到着の時間からすると、
エクスプレスでも新宿に着くのは夕方のラッシュアワー。小町なんかを読んでいるうちに東京の人ごみが
怖くなってきた。そうでなくたっていささか方向音痴だったりする私。ハイスピードの雑踏の中を小さいとは
言えスーツケースを引っ張っての移動は、へたをすると「このラッシュに非常識な!」とぶっ飛ばされそうで
おっかないなあ。でも、ネット時代さまさまで、成田からホテルまでリムジンがあることがわかった。そっか、
少し時間はかかるけど、これなら安心・・・

それにしても、日本へ行こうという気になって、準備を始めたら急に円高になってしまった。1ドルが65円
くらいだった超円高の頃は円建で払ってくれるクライアントがいなかった。あの頃はアメリカドルも高かった
から、米ドル払いのクライアントができたときは万々歳。それが、円建の仕事をするようになったら、円安。
おまけに米ドル安で、なんともついてない話。まあ、お金は天下の回りものだから、You win some, you
lose someとは良く言ったもんだなあ。

教室から帰ってきたツレアイ君、「眠いなあ~」と猛あくびの連発。ツレアイ君のあくびはなぜか騒々しくて、
こっちの眠気を吹っ飛ばしてくれるからすごい。うん、ほんっとに大まじめに仕事に取り組まないと・・・。

一日アイリッシュにスロンチャ!

2008年03月18日 | 今日の風の吹きまわし
3月17日はセントパトリックスデイ。アイルランドの守護聖人にちなむ祭日で、ヨーロッパはどうか知らない
けれど、北米ではなぜか誰もが「一日アイリッシュ」になる愉快な日なのだ。アイルランドは別名「エメラルド
アイランド」といわれるほど明るい緑が目に沁みる国だ。過酷な気候条件や苦難の歴史を生き抜いたのが
アイリッシュ。よく短気だといわれるけれども、実は芯の強い人たちだと思う。

十九世紀の中頃、アイルランド人の主食だったジャガイモが病害で壊滅的な不作になって大飢饉が起きた。
餓死した人約100万、アメリカやカナダ、オーストラリアへと移住した人は100万とも150万とも言われる。
アイルランド人にとっては、ジャガイモ大飢饉は一種のホロコーストだった。飢餓を逃れてアメリカに渡った
アイルランド人は過酷な差別に直面した。求人広告には「アイリッシュお断り」と書かれてあったという。

それから百数十年。数世代を経た今、あの時のアイルランド人の血筋を引くアメリカ人、カナダ人はきっと
数えられないほどいるだろう。ケルト人は元々小アジアからカスピ海のあたりが発祥地らしく、西へ西へと
移動して行って、古代ギリシャ人に「未開人」を意味する「ケルトイ」と呼ばれたという。トゥアハ・デ・ダナン
(女神ダヌの民族)という部族のアイルランド征服を中心に語られる壮大なケルト神話には何となく北欧の
神話に通じるところがある。まあ、神話というのは元々が民族の興亡の歴史の物語だからだろう。ケルト
神話にも、ギリシャ神話にも、日本神話にも、よく似た英雄の物語が登場する。ケルト神話の英雄伝説の
立役者は巨人のフィン・マクール。だけど、北欧神話が神々の黄昏の訪れで終わるように、ケルト神話でも
ダヌの神族はやがてイベリア半島から侵略してきたミレー族によって滅ぼされる。こうして緑の国エリンを
征服したミレー族の末裔が今のアイルランド人だという。

そして、長い長い年代を経て、アイルランド人はジャガイモ飢饉をきっかけに、西へ西へと今度は海を越え、
新大陸にやって来た。ヨーロッパ最西端にあたるディングル半島の大西洋を見渡せる村には「次の教区:
ボストン」と書かれた標識があるとか、ないとか言われるけど、もちろんアメリカ合衆国マサチューセッツ州
ボストンのことで、それだけのアイルランド人が海を渡ったということなのだろう。だから、アメリカもカナダも
アイルランドに祖先のルーツを辿れる人たちがわんさかいるはずだ。それでも、今日この日だけは誰もが
アイリッシュになれるのがセントパトリックスデイ。緑まぶしい祖国にちなんでか、この日は何かしら緑色の
ものを身につける慣わしがある。緑色のネクタイ、緑色のスカート、緑色のセーター、緑色の靴・・・みんな
一日だけアイリッシュになって楽しい。白人系アイリッシュ、アジア系アイリッシュ、アフリカ系アイリッシュ。
ひょっとしたら、地球人はみんなケルト人のはぐれ遺伝子が紛れ込んでいるのかもしれないなあ。

大好きなアイルランドに、ギネスでスロンチャ!


少なからずはどれだけ?

2008年03月17日 | 今日の風の吹きまわし
ほんとに詰ってきた。木曜日が終わるまでは110パーセントのペースでやって、間に合うのかなあ。へたを
すると今年最初の「徹夜モード」かなあ。(とはいいつつも、ちょこっとブログでも書くか、と思ってしまうから、
困ったもんだけど・・・。)推定から見れば、1日あたり英単語の数にして3千語ちょっとこなせればなんとか
なる量なんだけど、それは元原稿が良くできていて、快刀乱麻の勢いでぶっ飛ばせるときの話。

ワンセンテンスにいろんな思考がてんこ盛りだったり、やたらとまわりくどい文章だったり、ヘンにもったい
ぶった文章だったりすると、翻訳者泣かせ。元々が寄り道だらけの迷路みたいな文章だから、苦心惨憺で
やっと終止符にたどり着いてほっとする頃には、まさに迷宮入りの難事件のような様相。しょうがないから
寄り道先を整理して、いくつかのセンテンスに分けることになる。それで簡潔で読みやすくなれば翻訳者と
して冥利に尽きるのかもしれないけど、だけど、だけど・・・

それにしても、ひとつの文章にあれもこれもとまとめてしまうのは、どうしてなんだろう。たぶんに、日本的
な情緒なんだろうか。短い文章に区切ると、たとえわかりやすくなっても、なんかそっけないように感じて、
相手に申し訳ないと思うのかな。電車が1分遅れただけでイライラ、セカセカするんだから、伝えたいことを
ぶつ切りにしてさっさと言ってしまったほうがコミュニケーションの効率が上がるだろうと思うんだけどなあ。
だけど、それでは日本語のテンポにならないから困るんだなあ。どの言語にも体感リズムみたいなものが
あるんだけど、日本語の場合はた~らり、た~らりとやらないと、情緒的に感応しがたいのかもしれない。
単刀直入というのはまさに急所にグサリという感じで、いわゆる「生理的に受け付けられない」という心情
なのかもしれないなあ。日本の「包み紙文化」は言語にもしっかり反映されているということか。

わずか一章、2ページの文に「少なからず」、「少なくない」、「少なからぬ」という表現が9回も出てきて辟易
してしまった故の愚痴モードなんだけど、「少なくない」ということは「多い」ってことだよね?じゃ、いったい
どのくらい多いの?と突っ込みたくなる。かなり多い?きわめて多い?それとも、まあ多いかも?もちろん、
英語でもこういう表現はするんだけど、端的に「多い」と言わないのはそれなりのニュアンスを効かせようと
しているからで、統計値を並べたような報告文書で「○○は少なくない」、「少なからぬ××が」とやっても、
ちょいともったいのつけすぎに聞こえる。もっとも、単に「多い」とやるより「少なくない」を直訳すれば訳語の
語数が増えるから、語数でお金をもらっう身としては少なからず感謝すべきなんだろうけど、そこにはまた
少なからぬプライドってものがあるしなあ。あ~あ、少なくとも今ほんとうに少ないのは時間・・・


食い気には勝てない

2008年03月16日 | 今日の風の吹きまわし
予定が詰ってきた~と騒ぎながら、やっぱり土曜日はディナーのおでかけの日。ちょっぴりおめかしをして、
William Tellへ。手始めはブランディ、アンゴスチュラビタース、スパークリングワインのシャンペンカクテル。
細めのグラスの底のほんのり赤くなった角砂糖からバブルが立ち上る、なんとなくかわいいカクテルだった。
こだわりのマティニもいいけど、ちょっと目先を変えるのはもっといい。ツレアイ君はシーザーサラダの後に、
フィレミニョンにしようか、タルタルステーキにしようかと迷ったあげく、やっぱりタルタルステーキになった。
私は久しぶりのエスカルゴ(20年くらい前に大流行でちょっとしたレストランならどこでもあったような気が
する)の後に、鴨にしようか、ラムのラックにしようかと迷ってラム。

デザートはチョコレートのスフレ。きれいに膨らんだスフレの真ん中に穴を開けて、チョコレートをとろ~り。
仕上げにとヘネシーのXOを注文したら、サーバー氏が「ヘネシーにはチョコレートのアロマがありますから、
チョコレートスフレの後にはぴったりですよ」という。たしかに、ほわ~っとチョコレートっぽい香りがあって、
スフレの後味にぴったり。なるほど、ちょっと新発見。

東京版のミシュランガイドの話をしていたら、東京に行ったら高そうなフレンチレストランを見つけて、食べ
比べて来いよ、とツレアイ君。ふ~ん、それも妙案。だけど、日本のレストランは高いよ。長いことデフレだ
といっても、きっとまだ目玉が飛び出すほど高いよ~。家に帰って、さっそくミシュランガイドに載った店から
調べてみたら、いやあ、ものすごいお値段。お一人様3万円から、なんてのがある。ほんとにそれくらいに
いいのかなあ。バンクーバーだったら、このお一人様料金ですっごくしゃれたレストランでお二人様が食べ
られるけどなあ。まあ、味に関してはほんとに人それぞれだから、高いからといって必ずしもおいしいと思う
わけじゃないんだけど、本格的なフレンチレストランは「希少」なのかなあ。希少なら高いというのもわかる
けど、希少だから「おいしい」ということにはならないし・・・

食べることとなったら熱中してしまうのが食道楽の泣きどころ。行ってみたいところをあれこれ調べだしたら
きりがない。新宿界隈の高級ホテルにはけっこう良さそうなところがある。メニューが載っていたら片っぱし
からクリックしてみる。ヒルトンも良さそうだけど、京王プラザもいいかなあ。泊まろうかと考えている池袋の
クラウンプラザのも良さそう。セットメニューが多くて、アラカルトがあまり多彩でないような感じがするけど、
写真を見ると、どれもお皿の上が少し混み合っているけど、あまり大きなお皿を使っていないせいかもしれ
ない。それでも、どれもしゃれているじゃないの・・・と、仕事はそっちのけでググりまくって、バンクーバーの
「お味見メニュー」と比較できそうな値段レベルのセットメニューをいくつか見つけておいた。

だけど、東京に行って「これだけは食べたい」と思っているのは、ほんとうはラーメンなの・・・