2014-12-07
高橋の出張に相次ぎ、免許の更新(車です)と、あわただしく日を追っているのですが、
「あ!!」
なんと、今、思い出しました。
まだ、お歳暮贈ってないじゃんか!!
お歳暮など貰う立場に成れない(ならない?)まま、個人事業主になってしまったら、めでたく(W)お歳暮を贈る立場になりました。
会社の従業員の数とか、構成とかから、こちらはコーヒーにしよう。こちらはビールだな。たまには休憩時間のお茶菓子にしよう。などと、あれこれ、考えて決めるわけです。
お歳暮など貰える立場ではなかったものの、AUDIOの仕事をはじめてから、時にお客様から、結構な物を頂戴することがあります。
高橋はまじめというか、律儀と言うか?一辺倒というか?
ブログには自分が実際に携わった技術的なことしか書かない人なので、一度、頂いたこともブログに書き添えた方が良いのでは?と、尋ねた事があったのです。
まあ、答えを簡単にいうと、「他のおきゃくさまが気を使ってしまう」とのことで、当のお客様にお礼を申し述べるだけで終わらせているのです。
代理の解釈でいうと、「仕事≪メンテナンス≫には、直接関係のないこと」裏側でねぎらいや感謝の気持ちを有りがたくいただくのみというところで、
堅苦しく言うと、儒教的精神といいましょうか(爆笑)
装飾や見映えにこだわらず、「素のまま」で相対するというところでは、多く、誤解を招くと思うのですが、
このあたりも、やはり、AUDIO の仕事に出ています。
よくあるのが、トレーのべた着きですが、
このみょうちくりんなウレタン塗装を除去すると、機器の本来の地肌が出てきます。
「これ?塗装しないのですか?」
アウト・ビアンキを塗装してしまう人ですし、仕事でも塗装関係の制御装置もつくっていますし、
なによりも、目がいい。
少し、ずれますが・・・。
薄暗い、喫茶店にはいったところ、運ばれてきた水がテーブルにおかれて、ウェイターが立ち去った途端、
「その水のむな」とのお達し。(へへぇと平身低頭ですな)
その理由が水の中に細かなごみが入っているというのです。
すかして見ても、代理には判りません。やがて、5分ほどして、注ぎ立ての水が静まったころにグラスの底を示されました。薄いもやのような、澱がコップの底にみえました。
これ以降も納車仕立ての新車の僅かな塗装むら(2cm丸くらい)をみつけて、担当者に一応報告しますと、見に来てくれました。おそらく、素人にもわかるようなむらをみおとすかな?という懐疑的な部分もあっての確認でしょう。すると、「え?どこですか」「このあたりです」と教えても「え?え?」と、判らない。ピンポイントでここです。と指示すると、「よく、きがつきましたねえ」「・・・・・」
何時だったかのTV番組で塗装してある車の中に1台だけ元の塗装の物が有る(新車状態です)が、どれか?とか、
偽物のメロンと本物のメロンとを、見分けるとか。産地までいいあてるとか(!!)こういうのに近い状態の鑑識眼?があるようです。
で、以前の職場で、品質管理、検査課というところにいたときは、ある意味オールマイティに検査できなければいけないということもあって、塗装の色合わせから塗装自体なども(デンヨー(ブルー・各色)というやつです)きっちり、こなしていたせいもあって、目が肥えた?(表現が違う気がするが・・・)というのがあるわけです。
ですから、トレーを塗装するのかと思っていたのです。
ところが、しない。
何故か?
「音に影響しない。関係しない。また、塗装の劣化がおこりえる」
無駄を嫌うというか、本当に見てくれが悪いならきちんと塗装するのだとおもいますが、
案外、塗装除去後のトレーも艶消しの地肌がきれいだったりして、
なんのためメーカーは塗装をしたのか、判らない処が有るのです。単純にはやりとか?
本来の状態できれいにする。
と、いう考え方なのでしょうね。
リモコンとか、黒ずみのでたボディなども綺麗にしてお返ししております。
「なんでも大事にして使う。どんなものでも、磨けば光るものをもっている」
基本性能だけでなく、外観もおなじなのでしょう。
飾るのでなく、素のまま。
メッキでなく、磨いて光らせる。
もったいない、なんとかならないのか、おしい、という貧乏根性があってこその、素のまま(そのまま)主義なのでしょうね。