今朝だった。
音の透明度を測るのにちょうど良いのが
森田童子で・・・
ギターの弦が響くあたり
絶品といってよい出来なのであるが。
森田童子の曲は、わりに、夏をイメージさせるものが多い。
(白いマフラー・君のコート・・なんて、フレーズもあるのだが)
雨のクロールとか、
汗をかいて・・
とか・・・
極めつけが、セミの声。
何度、だまされたことか・・
ー近くでセミが鳴いてるーと。
そんなのもあって、高橋もなんとな~~く
冬にあまり、童子は聴いていなかったように思う。
それが、久しぶりにかかっている。
正直、やはり・・・暗いといっていいか・・・
いま、ひとつ、避けてしまうところがあるのだが
やはり、それでも、録音の良さやら
弦の響きやら・・・と、あいまって
聴かせどころのおおい人で
代理もLPは2枚ほど所持していた。
すでに、40年前くらいになるがwww
だから、ある意味、はずせないミュージシャンといってよい。
ところが、今日。聴いて、驚いた。
童子はものがなしいというか、せつない声というか
どこか、声量のなさ(厳密には違うのだが)に思わせるところがあった。
奇麗に透るこえで、なおさら、歌詞がせつなく、きこえてしまうのだが・・・
今日、わずかに違っていた。
このわずかが、大事なのだし、わずかの違いが雲泥の差ということになってくるのでもある。
どういっていいだろう・・・
膨らみ・・含みがあるように聞こえる。
髙橋に伝えると
ーどんどん。かわっていってるーと、いう。
約、2年であるが、ほぼ熟成の域に達しているのに、
まだ、変わる。
(当方の2年は24時間×2年)
膨らみ・・あるいは、声の中の成分がふえて豊かになっている。
むろん、童子の特徴・個性はそのままなのであるが・・・
この膨らみ(含み?)がでてきて、気が付いたのは
ーやはり・・暗いといっていいか・・・-と、いう部分が
がらりと変わって聴こえるということだった。
声の中の含みの部分は
低域の響きが広がり音の成分に溶け込んだという感じなのだが・・
これが、
ーせつないーー物悲しいーという部分を
もっと、大きな括弧( )の中にとけこませてしまう。
括弧は(優しいまなざし)といってよい。
暗い・物悲しい、と、感じた部分に
優しいまなざしがはいると、暗いというものから変質する。
見据えてゆく強さと見守る強さがみえてきて
それが、温かくかんじられてきた。
熟成、おそるべし・・・
いや、まだ、かわってくるのだろうけど
人間味がもろにでてきてしまうとは思わなかった。