熊本熊的日常

日常生活についての雑記

家ですること

2010年09月06日 | Weblog
今日、カイロプラクティックの施術を受けながら、リタイヤ後に何をして日々過ごすかとい話題になった。先生曰く「私、家でじっとしていられないヒトなんですよ」というのである。

私は結婚していた頃は家に居るのが嫌で、六本木ヒルズのライブラリー会員になって、仕事の後、そこで時間をつぶして、家人が寝静まった頃に帰宅するというようなことをしていた。今は、そんな面倒なことをする必要はなく、巣鴨の住処でいくらでも時間を過ごすことができる。

それで、先生の話に「私は家にいるのが好きですよ」と応えた。すると「何をして過ごすんですか」と尋ねられる。「本なんかを読んだり、ものを書いたり、いくらでも時間はつぶせます」と私。先生はそういうことができないのだそうだ。そういうこともあって、自分でできる仕事として、会社を辞めて、訓練を受けて、カイロを始めたという。

先日、留学先で一緒だった友人と日本橋の肉鮮問屋佐々木という店で昼食を共にしたとき、別れ際に聞かれたのは「オマエ、何をしているときが一番楽しい?」だった。「一番」と言われると返事に困るのだが、「楽しいことならいろいろあるよ」とあやふやな答えを返してその場は別れた。

彼はこれまでに2回、うつ病で休職を余儀なくされている。留学時代は私のほうが1年上の学年にいたので、あまり生活が重なっていないのだが、バイタリティに溢れた人、という印象がある。帰国後も東洋経済の懸賞論文に応募して、見事に高橋亀吉賞を射止めてみたりもする。仕事も順調なように見えていたのだが、少し頑張り過ぎてしまったのかもしれない。基本が真面目な奴なので、なんでも真正面から受け止め、受け止めきれなくなって、コケてしまうということなのだろう。

カイロの先生も留学時代の友人も私と同世代なので、老後の暮らしは等しく大きな課題ではある。しかし、その受け止め方は、それぞれの人生観や生活観によって違いがある。昔ならば、勤め先に定年まで勤務して、それなりの退職金と年金を手にして、老後を送るというようなことができたのだろう。私たちの世代は、当面の所得を確保するという極めて現実的な課題を抱えている。なによりも雇用や仕事の確保が最優先であり、とても「老後」などという先のことを思い巡らす余裕がない。かといって、思い煩ってどうなるものでもない。

それで私は今をいかに楽しく過ごすかということに重点を置いて暮らしている。楽しいことしかしないようにする、と心がけているので、こんなことをやってみようとか、あんなことを考えてみよう、というようなことで毎日が過ぎていく。行き詰ってどうしようもなくなったら、そのときは死んでしまうつもりでいる。死んだときになるべく周囲の迷惑にならないような準備も少しずつやっている。そんな具合で日々を過ごしているので、家にいてもやってみたいことがたくさんあって楽しい。

そもそも、家にいることが楽しくなくて、家とは一体何なのだろう?

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