熊本熊的日常

日常生活についての雑記

やっぱりわからない

2016年12月11日 | Weblog

国立劇場で忠臣蔵の第三部、八段目から十一段目までを観てきた。初めて観た第一部での違和感をかかえたまま、先月の第二部、今月と話が進んで、やっぱり私には忠臣蔵はわからないということがわかった。

今回は前から2列目、花道脇の席だった。芝居でも落語でも観たり聴いたりするのにちょうどよい席というものがある。ずっと以前、同じ劇場の同じホールで上方の噺家の落語会を聴いたことがある。そのときは3階席で、舞台を遠くに見下ろすような位置だった。落語を聴くのにこれはまずい。メディアへの露出の多い噺家だったので、そういうことになったのだろうが、そういう落語会は客席の集積度合いに比べて内容が空疎であるというのは私の経験則だ。その会も例外ではなかった。会場も噺もよかった最近の落語会は先月の深川江戸資料館小劇場での柳家さん喬の独演会だ。近頃は落語はもう聴きに出かけるのを止そうかなと思うことが多くなったのだが、こういう会に巡りあうと、やっぱりまた行こうかなと思ってしまう。

落語の話はともかくとして、今の時代の照明や音響の技術の下で歌舞伎の装束を観ることにそもそも無理があるような気がする。あの白塗りの化け物のような化粧や派手な衣装は電気のない時代の明るさといか暗さのなかで観るのにちょうど良いものであって、現代の電気照明で煌々とした舞台で間近に観ると、いろいろツッコミを入れたくなってしまって素直に演劇のほうに集中できない。八段目は女形2人だけによる台詞無しの踊りだが、前から2列目の席で観ると、女形と女は全く別物であるという当然の現実を目の当たりにして、なんとも言えない気分になるのである。尤も、妻に言わせれば、上手な役者というのはただ立っているだけでもほんとうに綺麗に見えるものなのだそうだ。

それで話のほうなのだが、第一部で高師直から嫌がらせを受けて頭に血が上っていた若狭之助の家臣で、師直に賄賂を贈って自分の殿への嫌がらせを収めた加古川本蔵の娘と大星由良之助の倅である力弥が婚約をしていたというのである。これはけっこう重要なことだと思うのだが、八段目になって初めて明らかになる。「えーっ、そうだったのぉ!」と私は思ってしまうのだが、客席の様子を窺うと驚いている様子は微塵もない。

という話をしたら、妻に力弥と小浪の婚約は二段目で語られているとの指摘を受けた。再び「えーっ、そうだったのぉ!」。二段目を見たのは10月10日だった。二段目前半、「桃井館力弥使者の場」で描かれている。言われてみれば、思い出す。その時のプログラムには人物関係図も掲載されている。芝居を観るには記憶力も要求されるのである。

それで加古川本蔵のことだが、武士の世界で家臣というものが守るべき根本的倫理としてお家大事、殿大事というものがあり、その倫理を貫徹させた本蔵は桃井若狭之助の家臣として非の打ち所のない人物だと思うのである。あの松の間での事件に本蔵は居合わせており、刀を抜いた塩冶判官を羽交い締めにして殺傷事件を防いだのも本蔵だ。殿中にあるまじき不法行為者を取り押さえるのは当然のことだ。ところが、由良之助やその妻お石に言わせれば、本蔵は賄賂で師直に諂う武士の風上にも置けぬ奴、しかも判官に無念の思いをさせた張本人なのだ。それは感情論としてわからないではないが、為政者たる立場の者が時々の情に従っていたら社会の安寧を守ることはできない。本蔵を責めるのは筋違いというものだ。しかし「忠臣蔵」ではその感情論のほうに義があるとするのである。なんと本蔵までもが自己批判をして亡くなってしまう。

どういうわけか本蔵が高師直の屋敷の図面を持っていて、娘が力弥の嫁になることの引き出物として、亡くなる間際に由良之助に図面を差し出す。図面を手に入れた由良之助はいよいよ討ち入りだというので、武具を整えさせた商人、天川屋義平のもとへと急ぐのである。このあたりの展開は、なんだか狐につままれたようだ。

天川屋のほうは、塩冶浪人にシンパシーを感じ彼らのために武具調達をする商人だ。これも「なんで?」と思ってしまう。殿中で刀を抜くというあってはならないことをしてお家取り潰しとなった武家の浪人が相手方に討ち入りをすることは、仇討ちというものが認められる社会にあってさえも容認されるはずのないことだ。容認されないことに手を貸すのは犯罪だ。ましてや天川屋は商人。武家の話に首を突っ込むなど、そもそも許されない。天川屋本人もそれは承知している。だから、武具が整い、討ち入りが近いことを感じ取ると妻を実家に返してしまい、奉公人も必要最小限だけ残して暇を出してしまう。そこに塩冶浪人が天川屋の信頼度を試すべく同心に扮して店にあった荷物を改めようとすると身を呈して阻止する。いざ討ち入りという段になって最後の安全確認ということだろうが、さんざん利用しておいて最後に相手の了見を試すというのは、ちょっと嫌な感じがした。しかし、ここで天川屋に裏切られては元も子もないので、ここは仕方がないか。

要するに、この話は要所要所が納得できないのである。納得できない話が1748年の初演から現在まで歌舞伎のなかの歌舞伎のような演目として公演され続けている。怪奇現象だ。

おそらく、忠臣蔵というのはエンターテインメントとして考えうる全ての要素を盛り込んだものなのだろう。観る側が、それぞれの好みと気分に従ってそこから感激する場面を自分なりに自分の中に構成して楽しむものなのではないだろうか。殿様が悔しい思いをさせられた挙句に切腹に至り、家来がその無念を晴らす。殿の無念はいかばかりであったか、というところに想いを抱いて共感するもよし。殿の無念を晴らすべく苦心惨憺臥薪嘗胆一年数ヶ月、天晴れ仇の首をとった、やったぁ、と思うもよし。役者の演技の細かいところに世界観を見出してその上手下手を考えるもよし。人間の情緒を刺激するあらゆる要素が盛り込まれているのだから、十人十色それぞれの楽しみ方があるのだ。そもそも、理屈ではないのである。理屈ではないから、説明できない。でも、面白い、楽しい、すっとする、感心する。だから繰り返し観ても飽きることがない。そうやって続いているのだろう。


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