熊本熊的日常

日常生活についての雑記

赤面

2010年11月06日 | Weblog
今週号のAERAに「いきものがかり」が紹介されていて、その記事を読んだらどんな音楽をする人たちなのか興味が湧いた。それでAmazonでDVDを注文して観てみた。

理想としては、バンドを聴くのはライブがよいのだが、行こうと思ってすぐに行くことができるわけでもないので、DVDを観ることにしている。クラッシクならともかく、バンドはライブ感とか見た目も大きな構成要素だと思うのである。演奏風景が想像できるようになったら、CDでも良いと思っている。そういうわけで初めて聴くバンドはDVDを入手することにしている。

いきものがかりはとても良い音楽だとは思うのだが、私には純粋すぎて、聴いていて思わず赤面してしまう。と同時に、こういう音楽が支持されることに、この国の健全性を垣間見る思いがする。AERAの記事でリーダーが、歌い継がれる音楽を作りたい、と語っていたが、その言葉の通り、描かれている世界観がおとぎ話のようなわかりやすさと取っ付きの良さを持っている。音楽が人の気持ちを変えることがあると思うのだが、そういう力強さを持った前向きな歌詞と直球勝負のような音楽だと思う。ただ、自分は彼等の曲で描かれているような世界観を共有することはできそうにないような気がする。それは、そうしたわかりやすい世界観を素直に受け取るには、どうしょうもない経験を重ねすぎてしまった所為もあるかもしれないが、仮に時間を逆回転させて彼等と同じ年代に戻ったとしても、少し無理かもしれない。

ところで、DVDの副音声でのメンバー間の会話に路上ライブ時代のことが登場する。ライブを始める前に「うるさい」というクレームが出て撤収させられたりしたというのである。今、彼等の音楽をライブで聴こうとすれば、そこそこの金額を払って会場に行かなければならない。ある音楽が、人によって心地よく聞こえたり、騒音にしか感じられなかったりするのは仕方のないことだ。しかし、有名だから耳を傾け、路上ライブだから排除する、というのは人間としては寂しいことのように思う。世評とか先入観を排して、あるものをあるがままに受け入れるというのは容易なことではないし、ましてや批評眼を持つことは誰にでもできることではない。それでもせめて、自分が暮らす町の街角から世の中へ飛躍していく人たちを応援しよう、応援まではしなくとも、見守ってみよう、というような気持ちの余裕は、文化を持つ人間としては大切にしたいものだ。