こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

黄砂に負けず輝いた満月、そしてその光のもとで撮ったサクラ並木、2021年3月

2021-03-31 | 月、月光彩雲

一作日の午後後半から、晴れているものの澄んだ青空が見えない空模様が続いている。黄砂が飛来したためである。一時的なことながら、青空とサクラによる美しい彩りが消えていることは、まことに残念である。

さて、29日午後午後午後7時過ぎに、満月(正確には、ほぼ満月(月齢15.7)*)が近くの山並みから昇った。月はあまり明るくなかったが、数分間において、月の周りに薄い虹色の光環が現れた。黄砂と花粉によって月光が屈折されたからである。ちなみに、尾根は檜林で覆われている。

 

 

このような光環は面白い現象である。しかし、月毎に満月を撮っている者としては、すっきりと輝く月が昇って欲しいと思った。レンズを向けたくなる月面が現れたのは、午後11時頃であった。

 

 

3枚も画像をアップしたのは、上空の薄い雲によって、月面の写り具合が変化したためである。

 

満月の助けを借りて、堤防沿いのサクラ並木と近くの山(城山、391 m)に植えられているサクラの色付きを同時に撮ってみた。このとき(午後8時頃)、月はまだあまり輝いていなかった。明るさは、2年前に濁った水晶体を透明な人工物に換えた我が肉眼で、双方のサクラを微かに視認できる程度であった。

 

画像は、息子から借りた明るいレンズ(F 1.2L、50mm、単焦点)を用いて、高いISO感度、スローシャッター速度、ライブビューモードで撮った結果である。

堤防沿いのサクラ並木、そして河川敷きがライトアップされていると見紛うばかりに写っている。ライブビューモードで景色を眺めていたとき、カメラのディスプレーに現れた彩りは何か別世界のものであるかのような錯覚に陥った。

絞りF2.0 ISO感度 3200 、シャッター速度 0.5秒、ホワイトバランスは蛍光灯。

 

ちなみに、当日の朝に撮ったサクラの彩り

 

 

「好きこそものの上手なれ」と言われているが、これ以上、月明かりで景色を撮ることは止めることにした。帰宅したとき、家人から帰りがやや遅れてたので心配になったと言われたからだ。なお、堤防上(散策路として舗装されている)では、自分の存在をアピールするために、ヘッドランプと我が身を照らし出すランプを点灯した。ときに、無灯火のマラソンランナーがそばを通過したからである。

 

* 満月時は、29日午前3時50分頃(月齢14.7)であった。しかし、そのとき、当地の天気は雨であった。

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撮影、29日、桐生川にて(桐生市)。

 

 


サクラの彩りに誘われて(桐生川とその周辺にて)、2021年3月

2021-03-28 | 

当地においても、サクラの花に誘われて歩きたくなる時季が到来した。今日は青空が見えない天気になっているが、少しでも日差しがあればその彩りが目立つまで、開花が進んでいる。昨日は、サクラの彩りが際立つ風景を求めて、桐生川(中流)とその周辺を彷徨ってみた。

山城(桐生城)跡がある城山(別名、柄杓山、361 m)の山腹に植えられている、ソメイヨシノでの色付きが市街地から判別できる状態になった。ここでの開花は市街地のサクラのそれよりも一週間ほど遅れると言われているが。

堤防の上を行きつ戻りつして、平地と山地での彩りが同時に楽しめるポイントを探してみた。

 

現時点において、無い物ねだりは水面の広がりである。この時季、上流のダムからの放水量は少ない。ちなみに、一作年、台風19号来襲の後では、川の流れが画像のような状態になった。

 

さて、川の近くにある施設(市立ふれあいセンター)では、サクラ、サンシュユ、ハナモモなどが春の到来を告げていた。

 

サクラとサンシュユ(1)

 

サンシュユ(山茱黄、ミズキ科サンシュユ属の落葉性小高木、高さ4-5 m)は、江戸時代に薬用として渡来した。葉が出る前に黄色の細かい花が球状に集まって咲く。木全体が黄金色に見えるので、ハルコガネバナとの別名がある。サンシュユは漢名の音読み、原産地は中国、朝鮮半島である。

サクラとサンシュユ(2)

 

山に囲まれた市街地に住んでいると、どうしても背景に山を入れたくなる(苦笑)。

 

 

明日は満月が近くの山から昇る。気象条件が整えば、月明かりのもとで、これらの景色を再び眺めたいと思う。明日の天気は晴れと予報されているが、黄砂が飛来すると予告されている。

檜の花粉と黄砂によるダブルパンチが避けられることを祈念して。

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3月26日撮影、桐生市にて。幾分か視界が霞んでいたので、円偏光フィルターを用いた。


春の花から、ヒシカライト(菱唐糸)、シラタマツバキ(白玉ツバキ)、2021年3月

2021-03-24 | 

先日の雨が後押しをしたのであろうか、ヤマザクラの彩りが近くの山並みで目立つようになった。そして、庭では、ヒシカライト(菱唐糸)やシラタマツバキ(白玉ツバキ)が花を開きはじめた。

ヒシカライト(菱唐糸)は、江戸時代中期に創りだされた椿の園芸種であり、関西の名花として知られている。他のツバキには見られないような形、色、そして質感を、このものはもっている。

 

 

 

 

シラタマツバキ(白玉ツバキ、茶椿)

 

 

撮影、3月23ー25日、自宅にて。

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ところで、桐生川上流部では、自生しているヤブツバキの花が、今年も昨年と同様にほとんど見られない。画像は2019年3月に撮ったものである。今冬の異常な低温の影響によるものであろうか。

 

 

 

「余談」わたくしのノートから。

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朝日新聞の記事(24日、14版、総合2)。

二階幹事長は23日の記者会見で「党としても、こうしたことを他山の石としてしっかり対応していかなくてはならない」と述べた。

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他山の石との言葉は使い方が難しいと思っているので、この言葉を自分はほとんど使ったことがない。そこで、改めて、使い方についてネット検索をしてみた。ヒットした例のうちで、文化庁日報での掲載文を引用する。

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文化庁日報、平成23年10月号(No. 517)(Web掲載文の部分的引用)。

「他山の石」は中国最古の詩集「詩経」にある故事に由来する言葉です。「よその山から出た粗悪な石も自分の宝石を磨くに利用できる」ことから、「他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなる」という意味で使われてきました。

.......(略)......

「他山の石」は他人の誤った言行やつまらない出来事でもそれを参考にしてよく用いれば、自分の修養の助けとなる意味を示しています。

.......(略)......

例えば、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉は字面を読めばその内容が十分に理解できるに対して、「他山の石」の場合、それだけでは「よその山の石」という意味ですから、知識で補わない限り理解できません。そのようなこともあって、「他山の石」という言葉は日常生活では余り使われなくなり、......(略).....

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雲の変化を何気なく眺めながら、桐生川にて、2021年3月

2021-03-21 | 夕景

透明感を感じさせる空に浮かぶ雲を何気なく眺めながら、わたくしは川沿いをたびたび散策する。そして、夕日の方向にレンズを向けてみる。ときには、何を撮っているのかと通りがかりの人から尋ねられる。目の前に広がる景色を撮っているのだと答えると、俺にはこの景色のどこが良いのかわからないと呟かれることがある。そのような呟きに対しては、苦笑いをしながらそうですかと、わたくしは対応する。

ともかく、透明な空、雲、建物、市街地を囲む山並み、夕日、そして川の流れなどによる景色と雰囲気を楽しみながら、カメラと交換レンズをザックに入れて、この日も暗くなるまで堤防の上を歩いた。

 

 

 

 

 

 

撮影、3月16日午後5時過ぎ、桐生川(桐生市)にて。

 


浅間山付近に沈む夕日に魅せられて、2021年3月

2021-03-20 | 夕景

春分の日頃になると、市内の小高い展望スポットで浅間山と夕日が演じる落日の舞台を、わたくしは観ることにしている。浅間山が遠く離れた位置にあるにもかかわらず、夕日で浮かび出るコニーデ型のシルエットが何ものにも代え難いほど美しいと思っているからだ。

 

アップした画像は18日に撮ったものである。このときは、浅間山のシルエットのみならず山頂付近に漂っていた雲が夕日で輝く光景が印象的であった。

このときは、あまりにも夕日が眩しく、我が肉眼では直視できなかった。

 

しかし、太陽の高度が低くなるにつれて、浅間山のシルエットが濃くなり、夕日は淡黄色を帯びた。

 

夕日をシテ(主役)とする演技に引き込まれて。夕日が霞のために肉眼で直視できる状態になってきたので、浅間山をワキにして、両者をクローズアップしてみた。

シテがまとっている衣裳の美しさも両者の演技に相応しいものであった。

 

シテが舞台から次第に遠ざかり行く、静寂な雰囲気のもとで。

 

その有様をワキが見送り、幕が下りる。

 

撮影: 9月18日午後5時過ぎ、桐生市菱町(白葉峠手前)にて。夕日と浅間山のシルエットをはっきりと撮るために、露出の異なる画像(RAW)3枚によるHDR(High Dynamic Range)合成法を用いた。ホワイトバランスは昼光色に設定した。

 

なお、20日と21日においては、夕日が浅間山の山頂に沈むと予想されている。しかし、当地において20日の天候は終日曇りであった。21日は夜まで雨天との予報が出されている。

 

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過去に撮った光景から。

2016年3月21日、夕日と浅間山のコラボ。ダイヤモンド浅間(浅間山)の直前にて。

このときは、花粉によると思われる光環(花粉光環)が特異的であった。

 


今日の景色、優しい雲が浮かぶ青空、2021年3月

2021-03-15 | 

昨日から、春の訪れを感じさせるような空模様が現れている。今日も、青空に浮かぶ雲が、現時点で私たちが直面している不気味さを、少しは和らげるような雰囲気を醸し出していた。

 

明日はどのような雲が現れるだろうか。気温は5月下旬のそれに近くなると予報されている。

 

山並みがあるからこそ現れたレンズ雲。

 

近くの場所で、レンズ雲を見上げた。

 

太陽の輝きにレンズを向けると(光芒を演出するクロスフィルターのようなものは使っていないが)。

 

地植えの啓翁桜での開花。このサクラは中国系のミネザクラを台木として、ヒガンザクラの枝変わりとして創りだされた(昭和5年)。切枝用として育てられている。早春を告げる花として、蕾の付いた枝が出荷されている(正月用、山形県)。

 

 

3月15日昼頃、桐生市にて。

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ところで、桐生川上流にあるミツマタ群生地では、今週の暖かさで、その彩りがどこまで変化するであろうか。

 

3月11日撮影、桐生市にて。


雑感 2021年3月11日

2021-03-12 | 朝景

前日に、私たちは録画したTV番組を深夜まで繰り返し観た。その番組は今月7日に放送された、BS1スペシャル「映像記録、東日本大震災、発災から3日間」(BS101、7日 22:00-22:50)と同スペシャル「映像記録、東日本大震災、1年の苦闘」(BS101、7日 23:00-23:50)である。

これらは、2011年3月11日に巨大地震(マグニチュード 9.0)と大津波に遭遇した人々は何を見たか、どんな体験をしたのかを後世に伝える目的で、発災当時の映像から構成された大震災の映像記録である(国内放送、国際放送NHK World-JAPN)。

 

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冒頭の画面から

東日本大震災から10年  

この番組は大災害の経験を世界の人々と共有し、次の世代へ伝えていくために、国際放送NHKワールドJAPANの特集として制作した番組の日本語版です。

この番組には、当時被災地にいた多くの方々が撮影した映像が含まれています。番組制作にあたり、この未曾有の災害の貴重な記録として、世界に発信することにご賛同いただきました。

番組には地震の激しい揺れや津波の映像が多く使用されています。視聴にはご注意いただきますようお願いいたします。

このあと津波の映像が流れます。

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そのためであろうか、就寝中にはっとする夢を見て目覚めることが数回ほどあった。翌朝、私たちは山並みから昇る朝日を受けて黙祷を捧げた。

 

 

朝日を浴びるゲンカイツツジの花と蕾

 

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あのとき、どこで何をしていたのかと問われるならば、私たちは梅の花園(水戸偕楽園)で震度6強の揺れを体験したと答えることしかできない。地震後の園内の様子は既に記事にしているが、そのときの画像を再びアップしてみた。

平衡感覚を失うほどの揺れが収まった後にて。

池の近くで液状化が起きて

常磐線を跨ぐ橋に通じるエレベーター付近にて

偕楽園入口にて

ちなみに、私たちの街において、震度は6弱であった(屋根や壁(土蔵)などの破損)。

偕楽園からの帰路にて(停電のために信号機は作動していなかった)。夕日に染まった雲が異様に赤かった。

往路で北関東自動車道を利用したが、帰路のとき同自動車道は通行止めになっていた。このとき、頼りになったのは一般道(国道50、51号)であった。それらの国道においても、茨城県内で橋の破損のために数回ほど迂回させられたが。

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つぎにアップした画像は、大震災の前日に、市内の展望台で撮ったものである(茶臼山(300 m)、桐生市)。

渡良瀬川、市街地中心部、市民の山と言われている吾妻山(480 m)、袈裟丸山(山頂付近が冠雪、1880 m)

 

アップした理由は、そのときの夕景がいまだに異様な状態であったと思っているからだ。撮影条件を変えてみたりしたが、夕日の輪郭をはっきり撮ることができなかった。

 

そして、この夕景を見たとき、なにか普通でない状態を感じた。現像条件を選んでも、画像にこれ以上の透明感は現れなかった。

奥秩父連山方面(南方向)

この現象を説明するために、光は電磁波であるので地磁気の変化に影響されるのだろうと、直感的に思ってみたりしたが。

 

 


ミツマタやゲンカイツツジの一番花、2021年3月

2021-03-07 | 

先週後半から、春の訪れを感じさせるような天候が続いている。その天候に誘われたのであろうか。小さな庭でミツマタ、ゲンカイツツジ、クリスマスローズなどの花が咲き始めた。

ミツマタは昨春に芽生えた幼苗を知人からいただき育てているものだ。苗は朝日のみがあたる半日陰の場所に植えてある。

 

朝日を浴びている花と蕾のクローズアップ。花びら(萼片)の外皮や蕾は細毛で覆われている。

 

逆光で現れる透明感。幼い苗のものにかかわらず、花にはミツマタがもつ独特の質感が備わっている。

 

苗を育てながらミツマタの成長がかなり早いことを、わたくしは実感している。ところで、自分達が住む街の郊外には、このものの群生地がある。群生地は杉林が伐採されてから数年後に誕生したと伝えられている。

 

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ゲンカイツツジ(園芸種、光源氏)の一番花。花が葉の展開に先がけて開くので、アカヤシオ(アケボノツツジの変種)であるかと問われることが少なくない。

 

ゲンカイツツジの蕾、ムラサキヤシオのそれを想わせる。

 

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こちらはゆっくりと膨らんでいるデンドロビウムの蕾(室内にて)。

 

 

蕾の質感に魅力を感じている者として、この状態が長く保たれることを願っている。余談ながら、自分の狭い居室では、デンドロビウム、コチョウラン、エビデンドラムなど(十数鉢)が一角を占めている。「朝顔やつるべ取られてもらひ水(加賀千代女、朝顔の花の美しさに感動して)」の境地になれるだろうか。

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撮影、3月5-7日、晴れ、EF-100 mm F2.8L(マクロレンズ)にて。


光芒(天使の梯子)によって創りだされた夕景

2021-03-02 | 夕景

もう一度出会いたい花や風景(1) 花や風景にレンズを向けると、その美しさや新奇性に魅せられて、冷静なアングルで撮影対象をカメラに収めることを、わたくしはしばしば忘れる。現像した画像をパソコンのディスプレイで眺めながら、そのことを痛感し反省してみる。しかし、覆水盆に返らずだ。そのようなものは、多くの場合、一期一会の撮影対象であった。

画像は、2016年に撮った、もう一度巡り会いたいと望んでいる夕景である。このときは、厚い雲の切れ間からの光芒(天使の梯子、薄明光線)によって現れた光景に、わたくしは唖然とした。

 

 

 

手前の市街地は、わたくしたちの街(桐生)である。

 

視点から100 kmまでの範囲が、光芒で浮き出ている。

 

荒船山(群馬西部)付近での光芒を意識して。

荒船山の手前において、市街地は高崎市(群馬)である。

 

夕日が沈む頃になると。

 

 

2016年11月1日午後5時頃、桐生市にて。このときは、光芒の凄さにとらわれて、数枚組でのパノラマ画像を撮ることを失念した。

 

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光芒は、天使の梯子、レンブラント光線、薄明光線とも言われている。このものは、大気がエアロゾルの状態になっているとき微細な水滴で光が散乱されるために、光の進路が見える現象として説明される(チンダル現象)。太陽の高さが低いときは、赤い光(波長の長い光)が光芒の主役になる。なお、エアロゾル(微細な水滴が浮遊している状態)はかつて耳慣れない用語であったが、今やテレビ放送ワイドショーでごく普通に使われている。

 

*タイトルを変更しました(3/3)。