梅雨なるものは、7月20日辺り・コドモが夏休みになる頃には、例年開けていく。
今年は、どうなることやら。。。。
当初、身体への不安を覚えながら。
数か月前に、この夏・8月お盆近くの「ワールドハピネス2012」の切符を買った。
お芝居、コンサート等々、数か月前に切符を予約する際に、いつも自分の中を通り過ぎること。
それは、ココに刻印された日時に、自分は果たして生きているのだろうか?
***
中学生でYMOと邂逅した自分も、あそこから30数年経った。
それは、ボクだけでない。
3人それぞれの恩師も。
当時から、3人自身も言い・自分も思っていたのが『細野晴臣+高橋幸宏+坂本龍一=YMO』では無い、ということ。
すべての楽曲がそうとは言わないが、YMOの曲の中には、3人それぞれの個性をも離れた、誰のものでもない第4の人物=YMOという怪物が現れる。
今日は、朝から脳の中を、ぐるぐるぐるぐる・延々と。
昨年の「ワールドハピネス2011」の1曲目。
新曲「ファイアー・バード」が鳴り続けていた。
3人、誰のソロや個性でもない曲。
それを脳の中で鳴らしながら、うねるような時間の波の中。
まるで酔っぱらったように、曲の繊細な旋律に乗って、一日中サーフィンしていた。
ロキシー・ミュージックの『アヴァロン』の持つ、奇跡的なうねりへの想いに近い。
***
70年代→80年代初頭の文化を担ったYMOが、追い込まれていった結果、無理矢理対峙させられた「ワールド・ツアー」。
その際、3人は「ただ、同じ演奏を繰り返すだけだ。早く次の地点に行きたい。」という叫びの中に居た。
精神的な『公的抑圧』。
業務を淡々と遂行していく流れ作業。
各地を転々とし、同じ曲を演奏していく、といった割り切った・冷めた意識。
そこから、30数年後。
今現在の「イエロー・マジック・オーケストラ」の音は、あの頃に鳴っていた音とは全く異なる響きをしている。
そういう確信を、目の前で見て、自分は心身で受け止めた2011年だった。
***
新曲だった「ファイアー・バード」。
単なるインプロヴィゼイションの1つと捉える人が居てもおかしくはない。
しかし、ボクのような思い入れ過多な者には、あの音は「新しいイエロー・マジック・オーケストラの音」として響いた。
それは、新曲のみならず、過去創ったはずの曲でさえも「新しいイエロー・マジック・オーケストラの音」として響いた。
先日紹介した、いとうせいこうさんと細野さんの対談。
あそこにもあったように、様々な背景のもとで創られてきた曲が、新しい味やツヤを持って聴こえる。
30数年経ったからこそ、新しく焦点を結んだ、たどり着いた音。
時系列としては逆の体験となったが、昨年ボクは「ワールドハピネス2011」に行ったのちに、その前哨戦として、ひそやかにサンフランシスコで開かれたイエロー・マジック・オーケストラのライヴを見た。
そのサンフランシスコ・ライヴにおける、どっしりと・ぶれない軸で・神々しく輝く演奏に感銘を受けた。
DVDを焼いてくれた兄に言わせれば、なんと「うまい」バンドなのだろうか。。。
「うまい」というのは、テクニックだけのことを指しているのではない。
共同作業としての演奏のハーモニー、ヴォルテージ、クオリティの高さ。
それが、人の胸を打つのだ。
そこに居た3人の姿には、過去のとげとげしいリスキーな様相はなく、とてもリラックスした状態で、今こそ・改めて・珠玉の愛する曲たちをプレイすることを愉しんでいた。
30年ぶりにサンフランシスコの熱狂的なファンに迎えられて、帽子を取って微笑む細野さんの姿に、つい涙腺が緩んだ。
こんなにも多くの人々のココロの中に刻印された音。
そのチューンを鳴らしてきた3人への敬意。
また、自分の活動は別に置いておいて、3人を支えるべく、バックアップに徹する小山田圭吾くん・権藤知彦さんの真摯な姿にも、目の潤む思いがした。
***
ボクは、今年も炎天下であろう中、ワールドハピネスに向かう。
それは、
若い人に混じるためでも、
大衆受けする流れにすりよるためでも、
きゃりーぱみゅぱみゅを見るためでも、
おまつりさわぎするためでも、
ノッたふりをするためでも、
い・つ・さ・い・無・い。
イエロー・マジック・オーケストラに会いたい。
今の円熟した演奏を聴きたい。
有るのは、その想いのみである。
■イエロー・マジック・オーケストラ(サポート:クリスチャン・フェネス、小山田圭吾、権藤知彦)「ファイアー・バード」■
今年は、どうなることやら。。。。
当初、身体への不安を覚えながら。
数か月前に、この夏・8月お盆近くの「ワールドハピネス2012」の切符を買った。
お芝居、コンサート等々、数か月前に切符を予約する際に、いつも自分の中を通り過ぎること。
それは、ココに刻印された日時に、自分は果たして生きているのだろうか?
***
中学生でYMOと邂逅した自分も、あそこから30数年経った。
それは、ボクだけでない。
3人それぞれの恩師も。
当時から、3人自身も言い・自分も思っていたのが『細野晴臣+高橋幸宏+坂本龍一=YMO』では無い、ということ。
すべての楽曲がそうとは言わないが、YMOの曲の中には、3人それぞれの個性をも離れた、誰のものでもない第4の人物=YMOという怪物が現れる。
今日は、朝から脳の中を、ぐるぐるぐるぐる・延々と。
昨年の「ワールドハピネス2011」の1曲目。
新曲「ファイアー・バード」が鳴り続けていた。
3人、誰のソロや個性でもない曲。
それを脳の中で鳴らしながら、うねるような時間の波の中。
まるで酔っぱらったように、曲の繊細な旋律に乗って、一日中サーフィンしていた。
ロキシー・ミュージックの『アヴァロン』の持つ、奇跡的なうねりへの想いに近い。
***
70年代→80年代初頭の文化を担ったYMOが、追い込まれていった結果、無理矢理対峙させられた「ワールド・ツアー」。
その際、3人は「ただ、同じ演奏を繰り返すだけだ。早く次の地点に行きたい。」という叫びの中に居た。
精神的な『公的抑圧』。
業務を淡々と遂行していく流れ作業。
各地を転々とし、同じ曲を演奏していく、といった割り切った・冷めた意識。
そこから、30数年後。
今現在の「イエロー・マジック・オーケストラ」の音は、あの頃に鳴っていた音とは全く異なる響きをしている。
そういう確信を、目の前で見て、自分は心身で受け止めた2011年だった。
***
新曲だった「ファイアー・バード」。
単なるインプロヴィゼイションの1つと捉える人が居てもおかしくはない。
しかし、ボクのような思い入れ過多な者には、あの音は「新しいイエロー・マジック・オーケストラの音」として響いた。
それは、新曲のみならず、過去創ったはずの曲でさえも「新しいイエロー・マジック・オーケストラの音」として響いた。
先日紹介した、いとうせいこうさんと細野さんの対談。
あそこにもあったように、様々な背景のもとで創られてきた曲が、新しい味やツヤを持って聴こえる。
30数年経ったからこそ、新しく焦点を結んだ、たどり着いた音。
時系列としては逆の体験となったが、昨年ボクは「ワールドハピネス2011」に行ったのちに、その前哨戦として、ひそやかにサンフランシスコで開かれたイエロー・マジック・オーケストラのライヴを見た。
そのサンフランシスコ・ライヴにおける、どっしりと・ぶれない軸で・神々しく輝く演奏に感銘を受けた。
DVDを焼いてくれた兄に言わせれば、なんと「うまい」バンドなのだろうか。。。
「うまい」というのは、テクニックだけのことを指しているのではない。
共同作業としての演奏のハーモニー、ヴォルテージ、クオリティの高さ。
それが、人の胸を打つのだ。
そこに居た3人の姿には、過去のとげとげしいリスキーな様相はなく、とてもリラックスした状態で、今こそ・改めて・珠玉の愛する曲たちをプレイすることを愉しんでいた。
30年ぶりにサンフランシスコの熱狂的なファンに迎えられて、帽子を取って微笑む細野さんの姿に、つい涙腺が緩んだ。
こんなにも多くの人々のココロの中に刻印された音。
そのチューンを鳴らしてきた3人への敬意。
また、自分の活動は別に置いておいて、3人を支えるべく、バックアップに徹する小山田圭吾くん・権藤知彦さんの真摯な姿にも、目の潤む思いがした。
***
ボクは、今年も炎天下であろう中、ワールドハピネスに向かう。
それは、
若い人に混じるためでも、
大衆受けする流れにすりよるためでも、
きゃりーぱみゅぱみゅを見るためでも、
おまつりさわぎするためでも、
ノッたふりをするためでも、
い・つ・さ・い・無・い。
イエロー・マジック・オーケストラに会いたい。
今の円熟した演奏を聴きたい。
有るのは、その想いのみである。
■イエロー・マジック・オーケストラ(サポート:クリスチャン・フェネス、小山田圭吾、権藤知彦)「ファイアー・バード」■
お豆腐屋さんの子猫が大きくなったなあと遊んでもらっていると、後ろから
「その子、すみれちゃんっていうのよ、うちの子と仲良しなの」
と声をかけてくるおばさま。
バッグからはワンちゃんが顔をのぞかせていました。
お寿司屋さんの店先に、白くて痩せっぽちの野良さん。
「はいはい、お待たせ」
おかみさんが茹でたササミを持って出てくると、どこから来たのか、あっという間に大所帯。
「こら!あんたは新入りのくせに意地悪だね、後ろの子にもあげなさいよ」
微笑ましく眺めていると、聞こえよがしに非難の声が通り過ぎます…
(色々な問題があるのは分かります)
猫さんたちに、これからも幸あれ。
いつも気になっていた、新御茶ノ水の壁画。
色々な方の画像を見ていてやっと気づいたのですが。
日曜・祝日に赤いしるしが差し込まれていて、ちゃんと今年のカレンダーになっているのですね。
陰暦や二十四節気の、美しい呼び名に、日本語の幸せを感じます。
何百、何千分の一も識らないのですが…
そういえば千代田線に乗る機会がなかったので、本郷給水所公苑と一緒に、行ってみたい場所です。
「源氏物語」と一緒に借りてきた、ティン・パン・アレイのサポートによるいしだあゆみさん。
細野さんの内外に広がる宇宙に、感服。
そして何とも魅力ある、昭和の女性と音楽。
今日のような鉛色の空によく似合いますが、
冬になる頃にまた聴きたいと思います。
* * * * *
『ココに刻印された日時に、自分は果たして生きているのだろうか?』
私は、定期を買う度に感じます。
七夕の願い事は、かたちんばさんのひとまずの検査結果で叶えられましたが(^.^)
今年のワールドハピネスも無事かつ堪能されますように。
現地レポートをまた愉しみにしています。
さくりんさんの手紙を読みながら、いつから自分がこのような軌道を描いているのだろうか・鉛色の世界を漂っているのか、うしろを振り向いてみたりしました。
動ける範囲が、かなりせばまっているのは、自分がそういう歳になった、と同時に、社会の疲弊が連動している。
***
お豆腐屋さんのネコちゃん。
「すみれちゃんっていうのよ」という以降のくだりに、つい笑ってしまいました。
すみれちゃん、って名前、とても良い風情ある名前ですね。
お寿司屋さんのネコちゃんの話も、エサが来たとたんに大所帯(笑)。
あるある、です。
周囲の「にんげんさまが一番エライ」という類のうぬぼれた連中はほうっておけばいいです。
「ふんをされて困る」上等じゃあないですか。
ちゃーんとネコは砂を自分でかけますし、犬とは違いますし。
よほど、ふんをして片付けもしないで散歩するダメな犬の飼い主の方が糾弾されるべき対象。
今、実家に現れる数匹に毎朝お袋さんが順繰りにエサをあげていますが、みんな早起きで、雨戸が開く4時過ぎをめぐって争奪戦が繰り広げられているようです。
また、関係もそれぞれで・・・
ノラクロちゃんとクロちゃんが居た場合は、見た目とは違ってノラクロの方が優先して食べて・クロはそれを待っている。
新御茶ノ水駅の壁画は、なかなか立派なものですよ。
二十四節気に分けられています。
細野さんの源氏物語で、まず好きになったのは「月読」という曲でした。
細野さん・ティンパンということで言えば、自分はつい雪村いずみさんの歌う「蘇州夜曲」。
1980年夏の特集・サウンドオブポップスでYMOが1週間出た際にカセットから編集したテープに入っています。
「蘇州夜曲」は、ここで初めて知ったのですが、ほかのYMO関連の曲と並列で、当時好きで毎日聴いていました。
残念ながらたなばたの空を、今年は見られない。
でも、今日TBSラジオのお天気お姉さんから、しゃれたことを聞きました。
この七夕とは中国の旧暦から来ているので、置き換えれば本来は8月下旬とのこと。
毎日毎日、怒涛のようにもよおしものが多くなる7月には、それを愉しむ余裕もないので、8月下旬がちょうど良いように思いました。