こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

航海日誌:映画 福田村事件

2023-09-29 12:00:00 | 雑記帳

連休に映画「福田村事件」を観に行った。
関東大震災に起きたこの事件のことを知ったのは、今回がきっかけだったが、私がこの映画を見る導火線は別にあった。

約10年前、いつものごとく下町を歩き倒していた時。それは日没後の暗い荒川の脇道で、何か奇妙な空気が一帯を支配していた。家と家の間にポッと開いた草むらの奥に、記念碑を見つけた。その石碑の両わきには大きな真紅のゆりだの、ずい分となまめかしい色の花。血のような色の花がそなえてあった。暗やみでほどんど見えず、肉眼をこらしながら草むらの細道をたどり、石にひざまついて文字を読んだ。その後、脇に見つけたコピーチラシを読み、さっき感じた奇妙な気配の源に触れた。その場所は震災時、朝鮮人虐殺が起きたと言われる場所であり、石碑は有志によって建てられたものだった。石碑の建立は2009年。「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼碑」という名前がついている。歩いてこの場所に立った夜は、石碑建立からたった数年後のことだった。

その後、図書館で事件周辺のことを調べる一方、散歩の日には途中で何度も同じ道を歩いてみたが、異様なエネルギーをその地には感じた。全国さまざまな地で同じような事件があったことを知る。警察そのものが関わった側面もあり、時の流れの中でうやむやになってしまったから、全容は未だ不明瞭な部分はあるが、証言を集め調査を行った専門家等により、実態がある程度明らかになり、そこでの事件はおおむね史実として語られるようになった。
福田村事件については、被害者が被差別部落出身の方で、遺族が仕方が無いと黙って諦めていた面があり、おおやけに知られるようになったのは21世紀になってからと言われる。

福田村事件は、香川県から全国でクスリを売り歩いていた15人の行商団が、関東大震災9月1日の日にたまたま通りすがった福田村(現:野田市)で被災し、足止めをくらったことに始まる。情報の届かないムラの中で起きた関東大震災。パニック状態から巨大に膨らんだデマや妄想の中、自警団が結成され、井戸に毒を投げ込んだ鮮人を「排除セネバナラナイ」という盛り上がり方をする。
朝鮮人差別と被差別部落という2つの差別がこの事件の周辺に漂っていることを描き、匂わせながら、9月1日関東大震災という有事を境に各々はムラ内部という閉ざされた世界の結束に呑み込まれていく。映画は史実に基づいたプロセスを描きながら、そこにフィクションを交えることで、エンターテイメント映画として構成力強い作品に仕上げている。
テーマの重さゆえ、大手メディア、スポンサーが付かないため、寄付によって成立した映画作品。
森達也さんの初めての長編映画作品、ということで、数十年ぶりにJR大森駅で降り、近くにある映画館まで気合入れて観に行った。

コロナ禍により、森監督と参加した役者さんとのやりとりは余り出来なかったそうで、ほとんどの役作りは役者さんが自主的に行ったものと言う。個人的に好きな俳優さんが多く、テーマは重くても「映画としての面白さ」は抜群で、ずっしりとした手ごたえを感じる映画だった。細かい映画評論は、もう色んな方がネット上で語っているので、そちらを拝見してください。ただ、出来るだけ情報の無い状態で見た方が良い映画で、(当たり前ですが)各々がたった一人で観て・感じるもの思います。
関東大震災から100年目となる9月1日から上映中。
音楽はムーンライダーズの鈴木慶一さん。サントラ出るといいなあ。。。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の100曲:David Sylvian「S... | トップ | 写真日誌:夜を歩く ~中秋... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑記帳」カテゴリの最新記事