木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

同性婚カップルのウェディング

2015-04-23 20:25:19 | お知らせ
このブログでも紹介させていただいた同性婚カップル
一ノ瀬文香さんと杉森茜さんの結婚式。

本当におめでとうございます。


一ノ瀬さんは、私の見解を引き合いに出していただいておりますが、
憲法24条で同性婚が禁じられないという見解は、
私の単独説というより、学会通説です。

青柳先生の教科書など、最新の教科書では、
同性婚が禁じられないことがはっきり書いてあったりします。

まあポイントだけお話すると

「婚姻は、両性の合意のみ」で成立するという条文ですが、

ここにいう「婚姻」が異性婚を指しているなら、

条文は、「異性婚は男女(両性)の合意だけで成立する」という条文で
同性婚についての含意はなくなります。
(異性婚を保護しないことは憲法24条違反だが、
 同性婚を保護しなくても憲法24条違反ではない
 ・・・が、同性婚を保護しても憲法24条違反ではない、
 という条文になる。
 これは教科書でしばしば「同性婚は異性婚と同じ程度には保護されない」
 と表現される)

他方、
「婚姻」が異性婚および同性婚の双方を指すなら
「両性」を男女とは理解できず
(そう理解すると、同性婚が男女の合意だけで成立してしまう・・・意味不明)
「両性」は男女のみならず男男、女女も指すことになり、
憲法24条は、同性婚をも保護することになる。


この点の一ノ瀬さんの憲法理解は、驚くほど正確です。
新聞記事ですと、字数制限が厳しいので、
微妙なニュアンスはわかりにくいかもしれませんが、
THE PAGE のインタビューなどは、ボリュームがあって良いです。
ご興味のある方は、検索してみてください。

事前打ち合わせなしのインタビューで、
あれだけしっかりと答えられる一ノ瀬さんと杉森さんには感服します。

知性は、強さと美しさの源なのだと感じました。

「悲しい気持ちからまた新しい行動ができるかな」
これは、私の人権名言集に残りそうです。

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9 コメント

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木村先生へ (newmint666)
2015-04-23 22:28:07
解説ありがとうございます。内容的に関連する記事で質問させていただいた者です。
私は前者にご紹介の説を通説と理解し、それに従って考えていたので、現行の婚姻届受理制度の上で同性カップルの届出を不受理にしても24Ⅰに違反しているとは言えないから、一ノ瀬さんが届出不受理を「おかしい」というのは無理があるのではないかと考え、前回の質問をした次第です。
しかし、後者の説に立てば、不受理が24Ⅰに反するということを法理論的にも説明することができるわけですね。短い記事ではそこまで読み解けませんでしたが、一ノ瀬さんは無理があることをおっしゃっていたのではない、むしろ発展的な学説に則ってお話しされていたのだ、ということがよくわかりました。

本当は、前の質問でも書いた通り最近ニュース番組等でも活躍されている先生が「ケルゼニスト」として、どう政治的な質問に答えたり、運動体に関わっていかれるのか、という抽象的なこともお聞きしたかったですが、同性婚の届出不受理を24Ⅰに反すると立論するための理論的な筋道についてはよく理解できました。
どうもありがとうございます。
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ある種婚姻制度には区別(合理的差別)である側面は無いのでしょうか (ふとう)
2015-04-24 10:40:22
先生の認識を示していただけたことには感謝します。
同性婚の人は先生と明確に同じ認識だったわけですね。
ただ違和感を感じた点も少しありました。

この分野で学会通説なんて本当にあるのか個人的にはものすごい疑問です
嫌な言い方をすると大半の人は興味が無いから軽く流しているだけじゃないでしょうか(学会がどんなものか想像もできませんけど)。
私は後者の学説を(たぶん民法の)学者の方に明確に否定された記憶があります。
偏見かもしれませんが、その学会通説とは声が大きい人がいる+明確に反対する人がいない、というだけではないのですか?

仮に前者の立場に立った場合、婚姻制度は独身者との関係での差別にはならないのでしょうか?
婚姻制度を分解すると①公的承認②家族法上の地位変更③財産法的影響に分けられると思います。
このうち、少なくとも③で優遇される分についてはなぜそのような恩恵を憲法上の要請でもない同性カップルに認めるのかは重大な憲法上の問題となりませんか?
仮に①ないし②だけ認める場合、それは憲法24条上の婚姻とは違います。
上記の様な思考をした場合に後者の立場を否定すると、憲法は同性婚を否定していると表現しても別に間違いではないと考えます。
特にこの立場だと婚姻届の不受理は明確に肯定できます。

インタビューも読みましたが、やはりあの人は同性婚と全く同じ公的承認を異性婚にもしてほしいと思っているように読めました。それが憲法上認められるべきかは、少なくとも「通説」はないんだと思います。これも嫌な言い方をしますが、ちょっと先生のいうことを真に受け過ぎているのではないかなぁと思いました。語彙が少なくて良い婉曲表現ができずに申し訳ありません。
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論点提示 (法律関係従事者)
2015-04-26 22:40:16
興味深い考察です。
通説としてご紹介されてる第一の説は修辞的法律論としてその通りだと思います。
しかし第二の解釈は憲法論法律論としては多様な論点を含んでるのでは。
第一の説と同様に修辞的に見れば、婚姻する両人格という意味なら用例的には「双方」だし、両「性」とジェンダーに着目した記述が無意味。
勿論、第二の説は容認を前提とした積極的解釈と理解しますが、いわゆる「解釈改憲」ではないでしょうか。
個人的には同性婚容認ですし、硬性憲法は社会変化にあわせた「解釈改憲」はあり得べしと思いますが、その場合でも下位法令で民主主義的及び制度的担保はなされるべきという点は同意頂けると思います。
本件の場合は民法改正ですが、それは第一の説(通説)でも可能のはずです。
従って第二の節は、運動の象徴的なファンタジーとしてはあり得ると思いますが、法律論として語られるものではないと思いますが如何でしょうか。
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>みなさま (kimkimlr)
2015-04-27 01:44:01
>newmint666さま
ケルゼニストと法解釈ということですが、
純粋法学では、法の解釈の幅(枠がどこまでか)を示すのみで
その中でどこがいいかを選ぶ判断はしないことになりますね。
24条で言えば、
同性婚禁止解釈はありえないが、
同性婚要請説と、同性婚を禁止も要請もしていない説の二つがありえる
と解説するところまでが純粋法学的態度です。

で、私は24条については、
二つの解釈がありうると解説するだけにとどめています。

ただ、ケルゼンが憲法裁判所の裁判官としてそうしたように
具体的な場合に、法解釈を選ばなくてはならないこともあります。
そういう場合は、純粋法学としてではなく、
法解釈者として意見を述べるということですね。

この場合は、純粋法学の観点ではなく、
これこれの視点からお話していますと明示して解釈するのが
ケルゼニストの態度ではないかと思います。

>ふとうさま
独身者はそもそも共同生活契約を結びたいわけではないので
特に差別ではないのではないかな・・・。

>法律関係従事者様
第二の説は「婚姻」に「同性婚も含む」と解釈した場合の
帰結を解説したものです。

私は、解釈の限界を超えるとまでは言えないと思いますが、
従事者様が解釈の限界を超えることを
明確な根拠で示すことができるというなら
解釈の限界を超えているということもできるのではないでしょうか。
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Unknown (newmint666)
2015-04-29 09:22:03
>木村先生
ご返信ありがとうございます。
先生がおっしゃるように、法学の任務と法権威の任務の間に明確に線引きをし、当為命題の記述をする場面と法創造する場面とでは、振舞い方を明示的に変えることが重要な気がしました。
先生は市民一人一人が「創造力」を発揮して法規範を変えていくべきというようなお考えを示されていたと思いますが、ご自身も法命題を記述する「学者」としての振舞いと法創造する「市民」としての振舞いどちらも重要視されているという風に理解しました。
後者の振舞いがよりダイナミックかつ論争的なものになるかと思いますが、そこは純粋法学としてではなく、ある種の決断を示して行為するというわけですね。ただそこは、妥当な法命題の中から選択しないと「暴走」するわけですから、前者の振舞いも当然重要になる・・・まあ、一般人としては専門家の知恵を借りつつ、自分で考えるという簡単そうでなかなか難しいことを続けていかないといけないという結論になりそうですね。
どうもありがとうございました。
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ありがとうございます (法律関係従事者)
2015-04-30 15:43:03
匿名のコメントにも関わらずご回答頂き誠に有難うございます。
私の前回コメ自体が舌足らずで不鮮明だったことをお詫びしつつ、念の為に記載させて頂くと、同姓婚容認という事象自体が憲法解釈の限界を超えていると申し上げているのではございませんでした。
また、「明確な根拠」といっても、憲法解釈の限界は、事後的逆説的ながら、下位法令が民主的に立法化されるかどうかということを(絶対論拠ではないにしろ手続き的には無視できないという意味で)起点に考えるべきだと思っております。
ただ申し上げたかったのでは、純粋法学的態度とセルゲニスト的視点との差を踏まえても、前者に近いと思われる実務的な法律運用論からは、第二説を導くには論理的に厳しいのではないかということでした。
即ち、仰るように「婚姻」を「同姓婚を含む」という前提から考えれば、両性=両人格と読まざるを得なくなりますが、それは(先にコメントしましたように)通常の用例にはない修辞法となり、翻って「従って最初の前提は採り得ない」ということが法律論的帰結になってしまうのでは、ということでございます。
但し、だからといって、先生の仰るセルゲニスト観点からの解釈論としての第二説は、排除されるものではないという趣旨でございますし、単なる法令以上の社会的契約的な「憲法」の読み方は修辞論で制約されるべきでないという立場もあろうかと思います。
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返信有難うございます (ふとう)
2015-05-03 20:23:54
共同生活を維持することを促進するインセンティブを与えることは共同生活を望まない人との関係では差別の問題になりえないのでしょうか?

私はそれは「共同生活を営んでいる」ということを理由とした優遇であってその優遇は「共同生活を営んでいない」人との関係で正当化する必要があると考えるのですが。
共同生活がアプリオリに望ましいものだと思われるのでしたら正当化は必要ないのかもしれませんね。私は共同生活に対してそんな認識は有していませんけど。

あるいは登録制度だけなら優遇ではないと思われているのかもしれません。しかし少なくとも先生が例に上げられた同性愛者のカップルの方は異性愛者の法律婚と全く同等に扱ってもらうことを望んでいるように感じたのですが私の勘違いでしょうか。
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>みなさま (kimkimlr)
2015-05-03 23:59:07
コメントありがとうございました。

ふとうさんに一言ですが、
差別の概念については私の助手論文などござんしょうください。
答えのヒントがあると思います。
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ありがとうございます (ふとう)
2015-05-07 19:39:47
手軽に読める場所になさそうなのでいつになるかわかりませんが読ませていただきます。
目次を見る限りたぶん読んでも理解できなさそうな気がしますが。

私からも目次だけを見て内容を想像して一言だけ言わせてもらいますと、同性愛者と独身者どっちがマイノリティなんでしょう。実質論を考えると独身者の方を優遇してもいいはずだと思います。独り者のほうが可愛そうですし。
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