最近、景観シンポジウムとのからみで、
不法行為法や民事差止法について、久々に勉強してみました。
勉強してみると、どーも、民事不法行為法の文脈では
A「法律上保護に値する利益」と
B「権利」は違うらしく、
Aを侵害した場合、不法行為に基づく損害賠償債権は成立するが、
Aの侵害を理由にした差止請求はできないらしい、が
Bの侵害に対しては損害賠償請求も差止もできる、
と、いう概念区分を設ける民法学者が多いというのが分かりました。
景観利益はB:権利ではなくA:利益だそうで、
景観をどどっと害する建物
(例えば、わいせつ物にはぎりぎりならない
どぎつい性表現を含む壁画や形状の建物)を建てた場合、
その撤去や修正を求める請求権は保障されないが、
周辺住民は損害賠償をもらえるとのことです。
そうすると、そういう建物が建つと、
撤去は請求できないが、周辺住民はその建物がある限り、
損害賠償をもらい続けられる、ということですね。
なんだか釈然としないなあ。
損害賠償とれるような行為だったら、
差止ができて当然だと思うのは私だけでしょうか?
なんか、今見た処理って、
お金を払えば本人の意思によらず引用できる
著作物の有償フェアユース、みたいな感じがして、
おかしい気がするんだよね。
不法行為じゃなくて、不当利得ならなんか納得できなくはないんだが。
この辺りについて、スキッと爽快な気分になれる判例や学説を
ご存じの方は教えてください。
不法行為法や民事差止法について、久々に勉強してみました。
勉強してみると、どーも、民事不法行為法の文脈では
A「法律上保護に値する利益」と
B「権利」は違うらしく、
Aを侵害した場合、不法行為に基づく損害賠償債権は成立するが、
Aの侵害を理由にした差止請求はできないらしい、が
Bの侵害に対しては損害賠償請求も差止もできる、
と、いう概念区分を設ける民法学者が多いというのが分かりました。
景観利益はB:権利ではなくA:利益だそうで、
景観をどどっと害する建物
(例えば、わいせつ物にはぎりぎりならない
どぎつい性表現を含む壁画や形状の建物)を建てた場合、
その撤去や修正を求める請求権は保障されないが、
周辺住民は損害賠償をもらえるとのことです。
そうすると、そういう建物が建つと、
撤去は請求できないが、周辺住民はその建物がある限り、
損害賠償をもらい続けられる、ということですね。
なんだか釈然としないなあ。
損害賠償とれるような行為だったら、
差止ができて当然だと思うのは私だけでしょうか?
なんか、今見た処理って、
お金を払えば本人の意思によらず引用できる
著作物の有償フェアユース、みたいな感じがして、
おかしい気がするんだよね。
不法行為じゃなくて、不当利得ならなんか納得できなくはないんだが。
この辺りについて、スキッと爽快な気分になれる判例や学説を
ご存じの方は教えてください。
早速ありがとうございます。
その違法段階説ってのが、しっくりこないんですよね。
違法性ってあるかないかであって、
違法に高いも低いもないはずなので、
違法度という概念を使うべきなんですよ。
違法度の高い低いの客観的基準を立てるのは至難ですし。
>法が苦とさま
そうですね。
多分、適法だが補償が必要というラインが
民事でも必要なんですよね。
それって、なんだろう?
不法行為じゃないよね。
「違法段階説についてのスッキリできる説明」ではなく,「スッキリできる違法段階説への批判」になってしまうのですが,
潮見佳男先生の「法律学の森・不法行為法」P494以下を見ると…
まず,損害賠償請求を基礎づける違法である「賠償違法」と,差止請求を基礎づける違法である「差止違法」を,違法性の程度により区別する違法段階説を批判されています。
そして,「損害賠償と差止とで違法評価が異なってくるのは,違法性段階説をとるかどうかよりも,考慮されるファクターの違いによるものである。しかも,差止請求にもさまざまなレベルのものがあり,一律に論じることはできない」と述べたうえで,
最高裁(国道43号線訴訟。最判平成7年7月7日)も,
損害賠償と差止とでは,違法性の有無の判断に際しての考慮要素はほぼ共通するものの,
各要素の重要性をどの程度のものとして考慮するかには違いがあるから,
同じ事案における損害賠償と差止の請求で,違法性の有無の判断に差異が生じることがあっても不合理とはいえない,と述べていることを指摘されています。
少々長くなってしまいました。もし既に同書や判例に目を通されておりましたら,大変申し訳ございません。
なるほど。確かに、賠償可能だが差止不可
と言う事案はありそうですね。
しかし、賠償の請求はできても、
諸般の事情(表現の自由とか、取り壊し工事にかかるコストの大きさ)から
差止ができない、というのは、
いったいどういう要素に違いがあるのでしょう?
事情判決みたいなイメージなのかなあ?
読んでみます。ありがとうございます。
たしかに、不法行為の文脈ではAとBは違うというのは「?」です。
現代語化の際に、民法709条の文言が変わった意味がなくなりますので。
ただ、民事差止めの根拠については、不法行為ではなく、人格権と考えられており、どちらかというと、物権的請求権に近いと考えられてるのではないでしょうか。
そして、人格権と考えた場合、受忍限度論、つまり、比較衡量なので、AとBに「事実上」差異が出てくるのではないか、と思います。
受忍限度かどうかの判断基準を明快に示した
学説とか判例とか、あるのでしょうか?
「違法性」という場合、被侵害利益の種類と侵害行為の態様との相関関係で判断するというのが我妻先生・加藤一郎先生の主張で、43号線事件も採用するところですよね(それゆえ、権利として確立しているBと、その場限りで認められる利益たるAでは、後者に対する侵害行為の態様と侵害の程度が重くないと、「違法」といいがたいのでしょう<特に、国立マンション事件参照>)。
で、特に公害の場合、この相関関係説は「侵害態様が公害ないし生活妨害である場合には、被侵害利益において受忍を相当とすべき限度を超えている場合に限り違法性を帯びる」とする受忍限度論によって具体化されています。
そして、43号線事件では、差止と損害賠償において、その受忍限度について、考慮すべき要素が異なると明示しています。
すなわち、損害賠償では①侵害行為の態様と侵害の程度、②被侵害利益の性質と内容、③侵害行為の持つ公共性の内容と程度(彼此相補性を含む)、④(事後的)被害防止措置の有無、を考慮するそうです。
他方、差止では、①侵害行為の態様と程度、②被侵害利益の性質と内容、③侵害行為の持つ公共性の内容と程度(彼此相補性含まず)を考慮するそうです(④は差止である以上、事後的防止を観念しえず、無意味)。
(こっからやっと私見です)
このような考慮要素の違いは、上の方のいうように、請求権の根拠が、民法709条にあるか人格権(憲法13条)にあるか、に起因するところじは確かにあると思います(なお、個人的に、いわゆる「環境権」の議論について、憲法学者として木村先生がどう考えていらっしゃるかは大変興味があるところです)。
ただ、それ以上に、被侵害利益を考えると、差止では、往々にして、事業者の営業の自由(憲法22条1項)が全面的に制約されることになりやすいです。
また、近くに公共性高い施設ができて、周辺住民は特別の犠牲を払ったといえる以上、その負担は社会(これに限らないが、特に周辺住民以外で便益を受けている者たち)に転嫁されるべきであるから(その方が平等です)、(損失補償に近い意味で)損害賠償は認めやすいでしょう(したがって、私も、考慮要素として公共性をあげる判例は、やはりこの場面における損害賠償を一種の不当利得と捉えている節があると思います)。
だから、結論としては、どちらかというと、請求権よりは、被侵害利益と公共性についての捉え方の違いがでて、損害賠償はいいけど、差し止めはだめよといっているのかな、と思います。そしてこう捉えることが判例の明示する考慮要素の捉え方として素直ではないかな、と考えています。
受忍限度論というから分からなくなる、という気もしますね。
考えてみます。大変参考になりました。ありがとうございます。
優秀な方々のリーガルアドバイスを受けられまして、
私、大変、感謝しております。