室木家は、江戸末から明治の半ば頃にかけて七尾の土地で繁栄した家である。
格式の高い門が、その昔の繁栄を物語るが、その後ろの母屋は未だに茅葺屋根が残されている。
舘は七尾湾に面し、東向けに建てられている。
主たる庭は、舘の左側、南向きに造られている。
門からは、身分の高い人向けの中央玄関への真直ぐの道、向って右側の普段の人々の出入りのための道、そして庭へ直に出這入りを許された更に身分の高い人のための庭への左側の道が設けられている。
上座敷には凝った造りの書院が設けられ、庭を見るには最高のポイントである。
下座敷には、孫文の書が架かる。
まずは書院の外の廊下から庭園を眺める。
鶴が羽を広げた姿をかたどった池を中心に、苔の豊かな石組が展開する。
座敷の前には庭を歩くための下駄が用意されていた。待ってましたとばかりに、庭を回遊する。
置かれている石の数も多く、たった一歩で目に入る庭園の姿が一変する。
家の西面にも、主たる庭程の格はないが、それなりの庭が造られている。
囲炉裏では、鉄瓶が静かに音をたてていた。
内海は目の前である。
能登半島の東側と西側で、海の表情があまりに違うのに驚いた。
格式の高い門が、その昔の繁栄を物語るが、その後ろの母屋は未だに茅葺屋根が残されている。
舘は七尾湾に面し、東向けに建てられている。
主たる庭は、舘の左側、南向きに造られている。
門からは、身分の高い人向けの中央玄関への真直ぐの道、向って右側の普段の人々の出入りのための道、そして庭へ直に出這入りを許された更に身分の高い人のための庭への左側の道が設けられている。
上座敷には凝った造りの書院が設けられ、庭を見るには最高のポイントである。
下座敷には、孫文の書が架かる。
まずは書院の外の廊下から庭園を眺める。
鶴が羽を広げた姿をかたどった池を中心に、苔の豊かな石組が展開する。
座敷の前には庭を歩くための下駄が用意されていた。待ってましたとばかりに、庭を回遊する。
置かれている石の数も多く、たった一歩で目に入る庭園の姿が一変する。
家の西面にも、主たる庭程の格はないが、それなりの庭が造られている。
囲炉裏では、鉄瓶が静かに音をたてていた。
内海は目の前である。
能登半島の東側と西側で、海の表情があまりに違うのに驚いた。
こういう風景を見せてくれる旧家が
滋賀県には多く点在します
庭の造作や渡り廊下の造りまでが似ているところから
きっと、滋賀から北国へと
文化が広がっていったのだと
想像してみたくなります
洗練されてないというか、
そんな粗野なものを感じつつ、
そういうものも、
地方の庭園の魅力かな、
と思います。
滋賀県は、私の住む東京からは距離があり、そう簡単には訪ねられないのですが、これまで2度程クルマで走っていきました。いずれも収穫大であり、文化の地とつくづく感じました。私などが知らない歴史的な邸宅も数多く存在するのでしょう。
そして、北前船や近江商人たちがその文化を日本海沿いに濃厚に伝えたと思われます。
天領庄屋の旧家。家の基本スタイルは、徳川の世にある程度統一されたのかもしれませんが、使える素材が限られていた時代で、その分その土地の様式が生まれやすかったかもしれません。
能登半島は、そういう独自の進化系をみるには適した場所かもしれません。