三輪家別荘は、旧与板町にある。信濃川の河口近くの左岸にある町である。
与板の豪商、三輪家の11代目当主三輪潤太郎は明治25年に高台に、茶室を備えた楽山亭を建築した。
高台を選んだのは、周りを見渡す眺望を買ったのだろう。発想は非常に西洋的である。
近代化された街並みが足元まで迫ってくるが、それでもこの別荘からの眺望はなかなかのものである。
最初の階段を上りきった処にある主屋は、確かに眺望を中心に捉えた建物である。ここで濃茶をご馳走になったが、その場面は開け放された書院造りであった。
座敷の外の眺望を楽しむ、贅沢な空間であった。
もう一層石段を登ると、本格的な茶室が建てられている。眺望はこの辺りのほうが優れていそうだが、茶室は内部で充実し、外の風景を猥に取り込まないという原則に忠実に建てられている。
これは全くの想像だが、もしかすると三輪家の当主たちは、伝統的な縛りのもとにある茶室よりも、茶味のかかったインテリアに眺望という新要素を足した書院での茶事を誇りとしたのかもしれない。
与板の豪商、三輪家の11代目当主三輪潤太郎は明治25年に高台に、茶室を備えた楽山亭を建築した。
高台を選んだのは、周りを見渡す眺望を買ったのだろう。発想は非常に西洋的である。
近代化された街並みが足元まで迫ってくるが、それでもこの別荘からの眺望はなかなかのものである。
最初の階段を上りきった処にある主屋は、確かに眺望を中心に捉えた建物である。ここで濃茶をご馳走になったが、その場面は開け放された書院造りであった。
座敷の外の眺望を楽しむ、贅沢な空間であった。
もう一層石段を登ると、本格的な茶室が建てられている。眺望はこの辺りのほうが優れていそうだが、茶室は内部で充実し、外の風景を猥に取り込まないという原則に忠実に建てられている。
これは全くの想像だが、もしかすると三輪家の当主たちは、伝統的な縛りのもとにある茶室よりも、茶味のかかったインテリアに眺望という新要素を足した書院での茶事を誇りとしたのかもしれない。
巡り合えるのですか。
「大阪」と付いていますが、
大阪の豪商というわけではないのですね。
別荘のためか、
お庭は飛び石と簡単な植栽で、
最低限の設えという感じがしますが、
実際には、いかがだったでしょうか。
千曲川を下り、越後の国に入れば信濃川と呼ばれます。その河口近くの街の高みにある屋敷です。
この家は、回船商売で財を築いたようで、それで屋号に大阪屋と付くようです。
上り下りが厳しい敷地内には、日本庭園らしい仕掛けは、借景以外は見つかりませんでした。
江戸期に類する様式が存在したかは分かりませんが、この庭は眺望を楽しむ庭です。