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京都の歴史的建築物や庭園は寺院として造られたものが多く、公開されている比率が比較的高いように思う。それに対して新潟では個人の邸宅で文化が展開したことが多く、越後の50以上ある豪農の館のうち常時公開されているのは10に過ぎない。いろいろと難しい問題はあるのだろうが、50に余る豪農の舘の多くが公開されれば、京都にそれ程劣らない観光資源になるようには思う。
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林 富永邸は常時公開されている訳ではなく、年に2回だけ春と秋に数日公開される。今回は、2012年11月16日から18日の公開日に合わせる事ができた。
杉林の中の砂利道を歩いて行くと、大きな舘が見えてくる。
茅葺の屋根が、柔らかい曲線を見せる。
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富永家は代々、優秀な医師を輩出してきたようだ。現在は七代目が家を守るが、三代目、四代目ともに外科医であった。その手になる額が残されていた。
家名は富永であるが、明治の初めに高田藩の御林を購入してこの家を建てた由来があり、屋号は「林 富永」とするようになったようだ。
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座敷の前の庭は、紅葉は見事だったが広々とした苔庭で特別な物はあえて置かれていない。
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ところが奥座敷から見る庭園は、座敷から見る視線と90度違う方向を見るため、近隣の田んぼを借景とした見事な庭が形造られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/14/9485962bcdd42fd255001a5c0512e24a.jpg)
近隣の田んぼを海に見立てた作庭で、四代目によるものだという。明治の初めの借景を計算した庭園が、未だに活きているのは奇跡的な事に思われる。
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敷石を歩めば傾斜地に導かれ、石段の途中から振り返る母屋の姿もなかなかのものである。
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苔庭の先には、竹林も見られた。
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林 富永邸は常時公開されている訳ではなく、年に2回だけ春と秋に数日公開される。今回は、2012年11月16日から18日の公開日に合わせる事ができた。
杉林の中の砂利道を歩いて行くと、大きな舘が見えてくる。
茅葺の屋根が、柔らかい曲線を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4d/7a91f015452c286acc467b303dd9e590.jpg)
富永家は代々、優秀な医師を輩出してきたようだ。現在は七代目が家を守るが、三代目、四代目ともに外科医であった。その手になる額が残されていた。
家名は富永であるが、明治の初めに高田藩の御林を購入してこの家を建てた由来があり、屋号は「林 富永」とするようになったようだ。
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座敷の前の庭は、紅葉は見事だったが広々とした苔庭で特別な物はあえて置かれていない。
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ところが奥座敷から見る庭園は、座敷から見る視線と90度違う方向を見るため、近隣の田んぼを借景とした見事な庭が形造られている。
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近隣の田んぼを海に見立てた作庭で、四代目によるものだという。明治の初めの借景を計算した庭園が、未だに活きているのは奇跡的な事に思われる。
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敷石を歩めば傾斜地に導かれ、石段の途中から振り返る母屋の姿もなかなかのものである。
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苔庭の先には、竹林も見られた。
石組などない方が合っていますね。
こういう庭もあるんですねえ。
目から鱗です。
上越ですか。
来春、訪れてみようかなあ。
借景にした田圃を海に見立てたので、庭園の中には水は必要なかったという事でしょうか。
庭の隅の方に灯篭などは置いてありますが、石組はあえて母屋から目に入らない所にありました。
この庭は、春に2‐3日、秋もそれぐらいしか公開されないそうです。公開日は地元の広報には掲載されるそうですが、その入手が大変です。
次は6月の始めころだそうです。