蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

関山宝蔵院跡

2011-08-11 22:05:50 | 古民家、庭園
宝蔵院は、妙高山関山三社権現に隣接する別当寺である。戦国時代には上杉氏の庇護のもと、大いに栄えたようだが、織田の軍勢に焼き打ちにされ、土台などの石を残すに過ぎないとされる。少なくとも、地元の観光案内のサイトには、石段の姿しか登場しない。


ところが、愛用する「日本庭園鑑賞便覧」には、江戸初期を起源とする池泉式の、それも現在は涸れてしまっている庭園として紹介されている。
関山神社からの遊歩道を歩いたので、石段は見逃してしまったが、杉林の中にポッカリと開けた空間があり、さらにそれらしい石組の姿まで見えてくる。






庭の石組だけ残されたとしても、相当の規模、また相当な格を感じさせる石組である。
作庭された頃には、大変な姿であったに違いない。緊張感さえも漂わせる。




夢中になって撮影するうちに、池の護岸が江戸初期からこれ程見事に残された訳は無いように感じだした。
おそらくは、地元の方が大変な手間をかけて、この池庭を手入れされているのだろう。そういえば「便覧」には涸れ池とあったが、水路を管理されている形跡も見られた。


もしかすると、数年前には、こんな感じの石だけが転がる場所だったのかもしれない(それはそれで想像力をかきたてられるが)。




まるで禅寺のように象徴性の豊かな石組の存在を感じた。
見ごたえ、充分だった。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (j-garden)
2011-08-14 21:57:32
妙高に、
こんな遺構がありましたか。
管理はそれなりにされているようです。
これだけの規模の庭園が作庭されたということは、
当時、このお寺は、
相当繁栄していたんですね。
「織田の軍勢に焼き打ち…」
その後にお寺は再興されたのでしょうか。
「便覧」の江戸初期…が正しいなら、
そういうことになりますが。
となると、
そのお寺が廃れた理由も気になります。
考古学は、
想像がたくましくないとできない学問ですね。
返信する
Unknown (kikouchi)
2011-08-17 00:29:38
>j-gardenさん
現地に行けば看板があり、江戸時代には宝蔵院中興の祖、俊海法印が関山権現の復興に勤めたと有ります。しかし、明治に入ってからの神仏分離令により、衰えたとあります。

そのような歴史ある庭を、未だに大事に管理される方の心がけ、実に深謝に値するように感じました。
返信する

コメントを投稿