大好きな母を忘れそう-被災地の子どもに向き合う体育実践より~その4~-

2014-09-16 16:32:17 | 災害について
ある生徒の作文

あの震災から1年以上が過ぎました。今思えば震災について本気で考えたことがありません。いつもどこかに綺麗事をまじえて考えていたような気がします。

私たち3年生にとっても中学校としても最後の運動会の日、最後の企画で風船を大空に飛ばしたとき、涙が溢れてきました。風船には未来の願い、辛さや悔しさ、様々な思いを込めました。風船を飛ばすことで願いが叶えばいい、辛さや悔しさが無くなればいい、そう考えていました。
けれど、なかなか風船を放し空へ飛ばすことができませんでした。理由はわからなかったけれど、今考えるとわかるような気がします。

私は大好きな母を忘れそうになっています。忘れたくない、そう思っているのに少しずつ消えてしまいます。震災が起きる朝に交わした言葉も、声も顔も動作も。思い出せないことが多くなっています。それがとても怖いです。母が私の中から消えそうで怖いです。そして忘れていってしまう自分が嫌でしようがありません。

風船をなかなか飛ばせなかったのも「忘れてしまう」と思ったからだと思います。

大好きな人が死んでしまう-私にとってそれは非現実的なものです。正直、母は死んでいないと思っています。いつかひょっこり現れて、何事もなかったかのようにいつも通りの生活に戻る。私の名前を呼んで、他愛もない会話をしたり、私の成長を見て笑ったり泣いたりしてくれる。こんなこと考えてもどうしようもないと思いますが、私はそういった普通の幸せに夢を見て、いつか叶うと信じているのです。そう思わなければ、いつか自分が不安で悲しみで押しつぶされそうになる気がします。

この間、3年生にとって大切な進路説明会がありました。私は進路説明会があるというお知らせを父や祖母に渡せませんでした。父は仕事だと知っていましたし、祖母は学校に来るのが大変でしょう。一番後ろの席に座り、私だけでも大丈夫と思っていました。

けれど、みんな親がきて隣に座る。それを見た瞬間、少しだけ泣いてしまいました。それだけで泣いてしまう自分が情けなくて、母がいないことを改めて実感させられたような気がしてとても悲しかったです。


母に会いたい気持ちが溢れてきます。自分の嫌なところやダメなところがどんどん見えてきます。人に頼りたいけど、そうすると相手が困ってしまうから相談できない。そう自分に言い聞かせていますが、本当はただ自分が相談したくないと思っていて。母を想う気持ちは私だけのものであり、それを他の人には言いたくないのです。こんな矛盾に嫌気がさします。

そして辛いことや悲しいことがあっても大半は誰にも相談しないで自分の中に詰め込みます。小さい頃から相談するのが下手でした。だから、自分の中に溜めることに慣れてしまい、それが私にとって普通なのです。

よく友人に「無理するな」だとか「背負い込みすぎなんだよ」と言われます。そんな優しさに泣きそうになります。この頃、少しずつですが人に頼れるようになったような気がします。今ならあまり相談することのできなかった母にも頼れる気がします。

けど、もう近くにいないから母親がいる家庭が少しだけ羨ましいです。甘えることのできる母親がいて、心配されて、愛されて、成長を見届けてくれる母親がいる家庭。

去年の運動会も、今年の運動会でも、精一杯頑張りました。けれど、いつも最後にぼんやりしたなにかが残ります。一生懸命練習してきたことが一日で終わってしまう寂しさかと思っていました。たぶん、そういう寂しさもあります。でも、もしかしたら母親がいないからどこか心にぽっかりと穴があるのかもしれない。母と一緒に喜びたい、褒められたい、そんな願いがあったのかもしれません。

私にとって、母は尊敬する人であり、大好きな人です。そんな母がもういないからといって、前に進むためには忘れることはできません。母のことを時間が経つにつれ、忘れてしまうのだったら時間なんて経ってほしくないです。

そんなことを言ったら母に怒られるでしょうけど、これが私の本音です。けれど以前母に「生きている人を大切にしなさい」と言われました。母が大好きで、死んでしまったことをまだ理解できなくて、不安で怖くて。そんな思いでいっぱいでしたが、私には母だけではないのです。心配してくれる人や笑い合ってくれる友人、慕ってくれる後輩。全ての人が大切で、私を支えてくれています。

母は死んでしまったけれど、まだ生きている、いつか会えると信じます。信じていても生き返ることはないし、母を忘れてしまう恐怖感はまだあります。けれど、その気持ちが私にとって前に進むための理由になります。

これから大切な仲間とともにたくさんのことを体験し、自然と涙が溢れる、心に残る思い出にしていきたいです。そして、母に会ったら自慢して、一緒に笑いあいたいです。

以上が作文全文です。
先生は、これをパソコンに入れていた時に涙が溢れて仕方がなかったと行っています。
ご自分の「非当事者性」に愕然としたともいっておられました。

私も、これを読んで涙が止まりませんでした。
当事者である子どもたちの負っている大きな苦しみを
本当には理解していなかったのだと
自分の「非当事者性」に苦しみました。

被災地の子どもたちすべてが、何らかの苦しみを抱えて生きており
それを覆い隠し、自分でもどうしたらよいかわからずに
それでも前を向いて生きようとしている
そのことをわかっただけで
今年の夏の自治体学校に参加した意義があったと
制野先生の報告にお礼を言いたいです。

長文を最後まで読んでいただいたみなさんありがとうございました。

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