東村山・福田かづこのビックリ報告

日常の中のさまざまなことについて、驚き、怒り、共感などとにかくなんでも発信しています。

寺坂棚田(埼玉県横瀬町)

2016-05-29 11:19:53 | 
28日、早朝、共同購入のアジの配達が終わり
4時起きだったので、時間がたっぷり
そこで
横瀬町の寺坂棚田を観に行こうと思い立った。

電車を乗り継いで1時間30分
西武池袋線横瀬駅に到着。

数回訪れているが
行きは良いよい
帰りは違う道に出て勘で歩を進め
案の定遠回りになり
駅で帰りの電車をタッチの差で逃し
仕方ないから暇つぶしに遅い昼食を駅併設の食堂でとることにし
天ぷらうどん500円と麦酒を1缶
うどんは美味しかった。
とまあこんな具合

肝心の棚田は
田植えが始まっており
まだ田んぼがスケスケに見える状態。
蛙も鳴いていたが
目を凝らしてもわからなかった。

植えていない1枚の田んぼでは
保育園の子どもたちが遊び
「先生クワガタがいる」
「どれどれ」
「エッ! これタガメじゃない?」
本当だったか否かは不明

武甲さんの麓の長閑な風景の中
トラクターやなどで代掻きをする人の姿や
手で苗を植える姿に
子どものころ婆ちゃんの田植えを手伝ったことを思い出した。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

雉も鳴かずば撃たれまい→鳴いたので見つけた

2016-05-28 21:46:04 | バードウオッチング
雉も鳴かずば撃たれまい
と言う諺がある。
正にその通り

今日横瀬町の棚田を観に行った。

田植えが始まっており
植えられた田んぼの畔に
バタバタと 鳥が飛んできた。
そして、
ケーン と鳴いた。

雉だ どこ? とキョロキョロ
居た!
大きなオスの雉
綺麗な鳥だ
でも、図鑑より顔の赤い部分が大きく何だかいかつい
羽の色も図鑑より地味
でも 鳴き声はキジだし
雉だよね
個体差があるのだろう














コメント
この記事をはてなブックマークに追加

沖縄返還闘争 −1970年代ー

2016-05-26 23:12:44 | 政治
眠い目をこすりこすり書いたら、だいぶ文章が荒れており、誤字もあり、以下少し修正整理しました。(5/28)


1970年代、私は沖縄闘争の真っただ中にいた。

1971年3月、地元の高校を卒業した後半年後に上京。
足立区に居を定め、認可外保育所(保護者と保育者の共同で運営する)に勤務。
当時、沖縄の返還闘争が主流であった。

私は、奄美で育った。
10歳のとき、奄美大島復帰10周年の提灯デモが故郷で行われ、参加したのが「祖国復帰」と言う言葉に接した始めであった。
当時は、伯父が町議であったが
右も左も 一緒になって祖国復帰を成し遂げたと聞かされた。


沖縄の占領政策はその後も続き
基地の建設のための土地の強制収用や人権無視の信託統治が行われ、
沖縄の人々の祖国復帰への願いが日々大きくなり
全国的にも沖縄を返せという運動が高まっていった。

当時、北緯27度線
つまり 鹿児島県与論島沖と沖縄本島との間の27度線上で
沖縄の人々と本土の人々のチャーター船が海上に集まり返還運動を共に進める決意を表す会場集会が行われていた。(サンフランシスコ条約が結ばれた日の4/28日実施)
私も、高校時代参加していた。

上京後、毎日のように行われる沖縄全面返還を求める集会や国会へのデモに行っていた。
当時、核兵器が持ち込まれているとの情報に
核もない基地の全面撤去での返還を求める運動であった。

国会では、日本共産党や人民党など沖縄選出の議員たちが
核もない基地もない沖縄の返還を米国政府に求めるよう要求していたが、
当時の自民党政府は
何の条件も付けずに返還協定に調印したのである。

つい先日起こった女性殺害事件や繰り返される米軍関係者の犯罪の根源は、
あの基地付返還にあると改めて当時のことが想起された。

私は、我が故郷奄美大島の返還運動を改めて学ぶと共に
沖縄の 基地を作るにあたっての土地収用の強権的発動
民主主義を標榜していたはずのアメリカの占領政策の非情さを
故瀬長亀次郎氏の『回顧録』に学んでいる。

読み進むにつけ
終戦から27年に及ぶ占領下で
一切の人権を蹂躙された占領政策の非情さを目の当たりにする。

そしてそれが、72年の返還以後も変わっていないのである。

米軍関係者による凶悪犯罪が起こるたびに
米軍の偉い人が 遺憾の意を表明し
日本政府が 再発防止を求め
でも 何の効果もなく犯罪が繰り返される。

伊勢サミットで オバマ大統領が 遺憾の意を表した?
しかし、
基地を米国本国に引き上げます
と言わない限り
遺憾の意を実現する方策は無い。
そこまで求めてこその日本の政府の沖縄の人々への責任の取り方だと思うのだが
その度胸は安倍首相にはない。
沖縄の人々の命の保障に日本政府は責任を負わないのだと
考えるしかない。

1945年の終戦直前における沖縄戦
その後の
サンフランシスコ平和条約
日米安全保障条約
1972年の返還協定
いずれも
沖縄の人々のことより
自民党政府とアメリカ政府の関係が優先された結果が
今日の事態を招いているということ
瀬長亀次郎さんの手記は克明に記している。

神奈川県議会の議員が
基地に反対している人は「基地外(きちがい)の」であるという発言が
何を意味しているかは明らかであるが、
自国の国民の利益の上に他国の利益、国益を置くことが
戦後の日本国憲法下における民主主義国家にそぐわないことは明らかである。

どの地域に住もうとも 国民の人権は平等である。

為政者たるものその思想無くして
政治にかかわる資格なしと私は思う。

そして、今こそ、
基地は移転ではなく撤去を
と、オール沖縄で闘う人々の願いを実現させる時だと思う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

殿 利息でござる 観てきた 誰かさんに爪の垢飲ませたい

2016-05-25 19:05:51 | 日々


今日 今話題の映画
殿 利息でござる
を観てきた。

新聞の宣伝を見たときは
なに?
と思っていたが
史実であると知ってまず本を探した。

磯田道史氏の『無視の日本人』がそれである。
武士の家計簿の作者でもある。

読んでみて大変感動した。
人生を無私に、人のために生きた偉人
でも、決して
あの人は偉人だと 言われることなく
その実態も中々知ることが大変なくらい自分を残さず生きた
3人の人の記録を今に紹介している。

先の映画の主人公は 穀田屋十三郎(こくだやじゅうさぶろう)
平成の今も現存する酒屋の主である。
仙台藩の吉岡宿の住民が離散する危機的な状況に
宿場の富裕層(?) 商店主や肝いりなどが
後世の人々のために私財を投げ打って1000両ものお金を作り
藩主に貸付
毎年100両の利息を取り
それを宿場の全ての住民に平等に配り
離散するものや傳馬の負担を減らし民を救うための算段をするのである。

是非 本を読むか映画を観てほしい。

さてそこで
情けなくなるのが舛添知事である。

そもそも江戸時代と違って、
今税金は国民や都民のために使うことになっている。
それなのに
自分の懐を増やすために使っているとしか思えない
税金の不当な使い方

磯田道史氏の紹介した人々と何と隔たりのあることだろうか。

映画の主人公の穀田十三郎は
末期の言葉として
自分たちのしたことを人々に語るな
日々人々に手を合わせよ
と遺言している。

久しぶりに楽しい
心が明るくなる
こんな人になりたいと思える本と映画に出合った。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

沖縄の事件 もしや と思っていたら やっぱり

2016-05-20 23:58:35 | 政治
沖縄の 20歳の女性の殺人事件
行方不明の報道があった時点で
もしや基地の関係者ではと直感した。
しかし
思い付きで公言するわけにはいかないので
誰にも言わなかったが結局その通りに・・・

安倍首相は
「憤りを感じる」
「再発防止を申し入れる」
と言うが
でも基地をなくすために努力するとは言わない。

再発防止は
これまで幾多の事件が起きるたびにその都度申入れしてきた
が、功を奏していない
その結果が今回の事件である。

1972年の沖縄返還の時
沖縄県の住民を代表した瀬長亀次郎衆議院議員は
基地をなくし 核兵器の持ち込みをなくしての返還が
沖縄の人々の願いだと
当時の沖縄関連の特別委員会で質疑をした。

しかし、時の自民党政府は
核兵器は撤去すると米軍が言っているので信用します
と、答弁

その結果が
返還後も続く米軍関係者による人権蹂躙、女性への暴行、殺人はとどまるところを知らない。
核兵器の持ち込みも密約で明らかになった。

日本政府はいつまで沖縄県の人々を憲法の及ばない状態に置くのか
今日の事態は
基地付返還に反対した沖縄県民や
私も参加した 沖縄返還闘争の集会参加者
基地もない、核兵器もない沖縄の返還を求めた当時の日本国民の主張が
正しかったことを
辺野古の基地問題も含め如実に表している。

今こそ
自民党とその傘下で与党となっている公明党は
長年 基地被害に苦しみ 我が子や家族を殺され 暴力被害に苦しんだ
沖縄県民の人権を守るために、
沖縄の全ての基地の撤去をこそ
アメリカオバマ大統領に通告すべきである。
それが 再発防止への責任ある政治姿勢であろう!!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加