東村山・福田かづこのビックリ報告

日常の中のさまざまなことについて、驚き、怒り、共感などとにかくなんでも発信しています。

今日も勉強だ ちょっと嫌になってきた

2017-01-11 10:13:41 | 勉強
今日も 勉強で~す。

60歳を過ぎて 
「勉強する時期が遅すぎるということは無い」
という意味の格言は嘘ではないが 困難は多いということを痛感。

何しろ 覚えることがもともと苦手なのに
さらに 老化に伴い困難になることを実感!!

つまらないので
昨年11月 名古屋での大学生活最後のスクーリングの際訪ねた
犬山城の写真をアップしてみることにする。

犬山城は室真理時代の築城らしい
天守は日本最古とか

なんというか
鄙びた 風格というか 老成したというか
そんな感じの城であった。

案内の人に教えられて気付いたが
桜が咲いていた
何という名前化も教えてくれたが忘れた。

徳川御三家の一つ
尾張家の付家老 成瀬家の居城となり幕末まで支配していたようである。

天守への階段は急で、上るのに背中がゾワゾワした。

眼下には鵜飼いも行われる木曽川が流れている。
遠くまで見通せる戦国の城らしい 







さて 始めよう❢
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悪夢 真か 逆か

2017-01-10 10:39:49 | 日々
火事の現場に行き会った
妹二人と

携帯忘れた
119番できない
妹は誰かを呼びに行った

私は 必死で
「火事だ~」と叫ぶ
でも声が喉に詰まって出てこない

聞こえるように叫ばなくてはと
口を大きく開いて叫ぶ

大きな声が出た
と思ったら
隣りで
「何~」
という夫の怒りの声

夢だった。

夕べは眠れなくて困った。

その前に夜の10時過ぎ
夫の母が
「ご飯呼ばれていいかな~」という
エッ
と思ったが「どうぞ」と言ったら
「まだ夕ご飯食べてない」という
6時には揃っている家族全員が食べた。

自分で自分の茶碗を洗って始末もしていた。

ご飯と 残っていたサラダを準備してやったら
食べ終わってから
「忘れたんかな~」という
怒る訳にもいかず
笑ってすました。

その後
国試の過去問 人体の関係が7問中2問しかできない
それもまぐれ当たり
国試受かる気がしなくなった

悪夢は 災い転じて福となるか
悪夢は悪夢のままか

今日もがんばろ~・・・
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段々追い込まれ気分が・・・

2017-01-08 09:31:43 | 勉強
国試の合格講座を受講しつつ
お昼になれば
義母の昼食を準備

3時を過ぎると
夕食の準備の買い物が気になり
6時に夕食が終わると
パソコンの部屋はエアコンこわれ寒く

ああ
一人でホテルに籠って1日中自分勝手に時間を使いたい
と、できない願いを思いつつ

今は、窓の外でメジロの声や
野火止の林から
賑やかな鳥の声が聞こえてくるのを
観に行きたい気持ちを抑えつつ
パソコンの前で講座の受講を始めるところ

何だか
「合格できる気がしない」
と呟いたら
聞きつけた夫が
「なんだ そんなレベルなの」
とのたまう

悔しいが その通りかも・・・
娘が
フフッ と笑った
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年明けからひたすら勉強の日々

2017-01-06 11:44:45 | 勉強
大学生活もあとわずか

年末年始の期間
毎年恒例の新年の多摩湖のバードウオッチングも禁じて
最後の履修科目の修了レポートの課題に取り組む。

さすがに課題が難しく
1日目~2日目は書き出すも
幼稚で陳腐な発想しか浮かばず
まるで小学生並み
(小学生に失礼かも)

2年間の履修を通して何を学んだかであることから
1年目の履修修了試験の自分のレポートを再学習
書いては直し
全面的に書き換え
寝ている間も夢で考え

これ以上は今の私には無理かもという段階に達し
提出しないと国家試験の結果、万一合格しても社会福祉士として登録できないので
提出することを第一に4日深夜送信
5日から 29日に向けて試験勉強を復活
5年間かけて取り組んだ勉強の総皿いとなるか
正念場である❢

今は、DVDでの国試対策講座視聴の休憩時間にこれを書いている。
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世界中で一番尊敬する母が亡くなった

2016-12-31 13:32:54 | 日々
12月19日 田舎の従妹から幾度かの着信
掛け直すと
「伯母が死んだ(母のこと)」という。
取るのもとりあえず奄美へ

母は 誰にも看取られることなく
16日 お風呂でその命を終わっていた。

発見してくれた従妹は
いつも 母の面倒を見てくれていた。
悲しい発見をさせてしまったことに申し訳ないと思いつつ
これまで 私たちに代わり
母の手助けをしてくれてきたことに感謝をしている。

母は私にとって
どこの誰よりも一番尊敬する存在であった。
もちろん
批判的に見る目も持っている。
しかし、その存在そのものが何にも替えることができないものであった。

母は 父と離婚後6人の子を一人で育ててくれた。

働きながら
へき地の医療をより良いものにするための活動や
生活困窮の人々への支援を
政治的な問題も含めて活動してきた。

母の葬儀を営みながら
そんなことが走馬灯のように浮かんできた。
葬儀の参列者たちは
異口同音に
「お母さんには本当に世話になったのよ」
「いつもためになる話をしてくれたのに…」
と声を掛けていただいた。
また
「つい2~3日前にシャンシャン歩いていたところに会ったのに…」
と残念がって下さった。

母と私たちののくらしを支えてくれたのは
こうした母の従妹たち親類や友人たちであったことも葬儀で痛感した。

94歳を過ぎて
いつまで生きていてくれるのだろうと考えていた。
今年春 脳の動脈瘤の手術翌日からピンピンしていた母である。
あと数年は生きていてくれる気がしていた。

来年になれば 本当にひまができるので
奄美に返って母とゆっくりできると思っていたのに
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