トラツグミ

2015-11-29 11:45:13 | バードウオッチング


トラツグミ である。
奄美で帰省中に撮った。

撮った瞬間から 何という鳥だろう と思っていた。
帰ってきて図鑑を調べ
きっと トラツグミ だと思った。

会いたいと思っていた鳥を期せずして撮っていたことになる。

高山に行かなければ会えないと思っていただけに
島を海岸伝いに写真を撮っている際
桟橋近くに止まっているのにレンズを向けただけなので
帰ってから図鑑を調べ
何気に 写っているジャン
とうれしくなり 一人喜んだ

野鳥図鑑によれば
トラツグミ は
頭から尾の先まで 30㎝とある。
写真の鳥はそんなには大きくないと思えるが・・・
スズメ目ヒタキ科ツグミ亜科 とある。
そしてツグミ類では最大に大きいとも
図鑑で見るよりは太っているように見えることも心配だが…

深夜に 鋭い口笛のような声で鳴くので
古事記や万葉集にもよく取り上げられ
怪鳥(鵺・ぬえ)として恐れられていたとか
でも、そんな感じは全くない

レンズは300ミリを使っているので
あまりはっきりしないことも確かだ

色々な人が撮ったトラツグミでも確認できたと思う。
いずれにしても誤りが正されるまでは
私は トラツグミを撮った と満足感に浸っていようと思う。

600ミリのレンズほしい!!

キツネノマゴ

2015-11-29 11:10:37 | 
写真の花 よく道端で見かけませんか

足下に小さく咲いて、目立たないかもしれない。
でも、よく見ると可愛らしい花である。

このごろやっと名前を特定することができた。

インターネットと野草図鑑で
紫 とか 季節 とか
選択肢を駆使し分かった名前が

 キツネノマゴ

松江の花図鑑 というHPによれば

1年草 本州~九州の道ばたなどにふつうに見られる。高さ10~40cm。
葉は対生し、長さ2~5cmの卵形。
花は淡紅紫色の唇形花で、長さ約8mm、穂状に密集してつき、萼片や苞の縁には白い毛がある。雄しべは2個。
葯(やく)は2室で上下につき、下の葯のほうが大きくて基部に突起がある。

*葯(やく)=雄しべの一部。花粉を作る器官。(福田調べ)

花期は8~10月。(野に咲く花)
学名は、Justicia procumbens var. procumbens
キツネノマゴ科キツネノマゴ属
白い花をつけるものをシロバナキツネノマゴという。


以上、一部は割愛したが、松江の花図鑑から説明を頂いた。

なぜ キツネノマゴ と言うのかは調べていない。

実をつけるらしいが見たことは無い
今後 道端を 歩きながら ぜひ見つけてみたい。

ちなみに 花の名前をインタネットで探そうとするたびに
この 松江の花 はよくヒットする。
いつもお世話になっている。

花の写真が 分かり易くて 名前の特定がしやすいのだ。

シロバナキツネノマゴ にもお目にかかりたい

実習のための事前学習に追われている!!

2015-11-27 16:36:19 | 勉強

大学の社会福祉士国家試験対策のための授業
相談援助演習
相談援助実習指導
を受講中

来年7~8月の実習を含んだ2カ年の講義だ

幾つものレポートを次々に提出しなければならない
期限があるので
それには絶対に遅れることができない
その時点で
国家試験の受験年度がさらに遅れる

今日は、
実習予定施設の法的基盤などを明確にし、
同時に自分の実習への姿勢を問われる課題の
提出期限の始まりだ

1カ月以上かかって取り組んできたので
ここで四の五の言っても始まらない
と思い
思い切って提出!!

後は、合否を待つばかり

障害児出産減らす方向に? 茨城県教育委員と知事の見識

2015-11-23 09:13:40 | 政治
茨城県の教育委員の発言
ニュースで耳にしたとたん
怒りはあっという間に沸点まで達した。
が、
冷静になって考えようと思った。

現在、社会福祉を勉強中の私は
この間、といっても戦前戦後、
国連障害者年からのその後と
諸外国と我が国の障害者への処遇、政策の歴史を学んできた。

その歴史は、障害を持つ人々にとって
人権を無視され、否 人権は無きものとされ、
生存さえ許されなかった時代もあった。

社会生活の秩序を乱さないためにと
遠隔地への隔離的な施設処遇をされ、
その生活の場で虐待され、差別が日常茶飯事になされていたのである。
今もこうした虐待は皆無ではない。

日本では、
1948年の優生保護法成立後、1996年の母体保護法への改正まで
知的障害・精神疾患のある女性に
本人の同意なしに、保護者の同意で
公的機関の勧めにより、知能検査の結果を主な指標として
本人の知らないうちに手術をし
生ませないこともあった。
まさにあの発言通りのことが、
つい先ごろまでこの日本で行われていたのである。

知事は、当初「問題ない」とコメント
しかし、批判が高まるにつれて言い訳に回り
発言者は辞表を提出し辞めた。
でもそれで済んでよいわけがない。

あの発言を我々自身がどう受け止め
我々自身の中の差別と偏見をなくす努力(?)をどうするかを問うべきだと思う。

この間の障害者への政策は
当事者と、親の会を中心とした団体の粘り強い運動で勝ち取ってきたものである。
そのこと自体が、人権獲得への闘いの道程であった。
結果、差別や偏見は減ってきたようにも思える。

しかし、まだまだ、誰もが人として平等に人権を持ち
それが守られるべきだということが普遍的な時代は先送りされている。
繰り返される虐待や差別を助長する発言などにそれが現れる。
そして、そうした発言を生むのは政治の責任でもある。
「福祉に金がかかりすぎる」と言う政治の姿勢がそれを言わせるのである。

私自身の中にも
差別や偏見の意識が全くないとは言い切れないことを
自覚している。
社会福祉の勉強はその自己覚知との戦いでもある。

でも一方で、障がいを持つ友人たちを通じて
その意識も大きく変わってきたとも思う。
今後も自分自身の中の差別意識を無くすために
どうあるべきかの模索は続く。

ある尊敬する教授が
障害は個性ではありません!
そう考えることは成長を否定することです。
と授業で講義された。

障害は、人間の発達過程で起こる困りごとであること
一番困っているのは本人であること
その困っていることを表す行動の原因を見極め、
困りごとが発生しないように支援のあり方や関わり方を変えることで
成長を保証支援することができるのだということ
つまり、困りごとを減らすのは支援をする我々如何であると

障害とは何か
今後も考え続けたい。

ヨメナ

2015-11-20 00:04:29 | 
ヨメナ
である。

若いころは知らなかった。

女性団体に勤務し
環境週間に取り組むにあたり
奥多摩の民宿に泊まった

野草が
酢漬けや テンプラや お浸しで出てきた。
スミレの酢漬けはビックリであった。
つつじの花の天ぷらもあった。

その時
ヨメナ
のことを同行した女性団体の役員に教えられた。

春先
新芽を摘んで天ぷらやお浸しで頂くという

それ以来
食べられる山野草を幾らか見分けられるようになった。

もちろん故郷奄美にも食べられる野草はある。
真竹
ツワブキ
よもぎ
その他にも
採ったことは無いがきれいな真っ黄色のキノコなどである。

子どもたちを連れて
蕗や
タンポポや
土筆や
カラスノエンドウや
野蒜等
採取し
お浸しや 天ぷらや ちらし寿司にと
楽しんだ

だがヨメナは摘んだことが無い
なんとなく
花が咲くので罪悪感がある

野山北公園で見つけ
道端で旅人の目を楽しませてくれる野菊の風情に
心が
ホッコリした

秋の日ざしを浴びて飛ぶ
トンボをかろく休ませて
しずかに咲いた野辺の花
やさしい野菊 うすむらさきよ

を口ずさんだ

野山北公園で名前が分かった花 ノブキ

2015-11-16 10:41:53 | 
10月に行った野山北公園で
初めに出合ったのが
下の不思議な形をした植物だった
絶対 種子 だよね~
と思いつつパチリ



しばらく行くと
種子の花らしきものを見つけた
咲き残っていた
確認のためにパチリ



そして、その足元の
葉っぱ(下の写真)を確認し



やっぱり種子はこの花のものだと確認
でも
植物の名前が思い出せない
毎年 春先にあちこちで見かける葉っぱなのだが・・・

自宅に帰り
早速 図鑑に取り付き
写してきた写真でそれぞれの名前を固定する作業に
これにかかりだすと
時間はいくらあっても足りない
だから
うっかり取り掛かってはいけない

調査の結果

ノブキ

であることが判明
そうだノブキだ
春先 おいしそうだな~ と思ったではないか
若い葉は山菜として食べることができる

でも、花と種子をノブキだと思ったことは無かった
きっと今までも見かけていたと思うのだが
花は小さくて目立たないが
種子は
濃い緑で 結構目立つ
背も高いので人の目にも付きやすい
可愛らしい 
金平糖のような種である

本当は 今日これから大学の課題である
ファイナンシャルプランの作成のまとめをしなければならず
こんなことしている場合ではないのだが
昨日科目修了試験で疲れたので
チョット息抜き

フクシマ

2015-11-12 09:37:38 | 原発問題について
10日付東京新聞4面、3・11後を生きるというタイトルの
楢葉町宝鏡寺の住職の決意『百年先のため人柱に』font>
と題する福島特別支局の記事だ

読んだ途端に何とも言えない気持ちになった。
腹立たしいというか
哀しいというか
悔しいだろうに…というか
自分でもとらえようのない気持ちだ

一方で このご住職の
元通りの町が再建されるなんてありえない
と地元の人間は肌感覚で分かっていた
という言葉に
やっぱりそうだよな~という気持ちも抱いた。





写真は 10月24日、25日の2日間
共産党後援会の皆さんと共に訪れたフクシマの風景である。

かつては豊かな米作や 畑作が営まれたであろう 営々と続く耕作地
今は 真っ黄色のセイタカアワダチソウが生い茂る荒れ地となっていた。
その風景が
走っている車窓に永遠に続くかと思うほど広がっていくのである。
見ていて ふつふつと怒りが湧き上がってくる。

今これを書きながらも何と表現してら良いかわからず
言葉を探し探し成しているのだ。



楢葉町を始め 浪江町にも避難指示解除が出されようとしている
地元の皆さんは、帰りたくても帰れないが
国や東京電力は
避難指示を解除することで
もう あんたたちには 補償金を払いませんよ
と言っているのだと怒っていた。

当然である。

上の写真は ある町の表通りだ
各家々の入り口には ゲートがあり 未だに入れない。


この地域の近くには、写真のように
未だに廃炉のめどがつかない福島第一原発の煙突が聳え
その隣には 再稼働も言われている
福島第2原発も残っている。
廃炉を決めていない原発が…である。

原発の煙突を車窓に見ながら走る国道6号線の沿道は
原発立地地域に入ると
人っ子一人いない荒涼とした風景が続き
立ち入り禁止区域の看板が町への入り口に立っているのである。

我々は、許可を得て浪江町に立ち入った。
広大な土地に ポツンポツン と囲いがある。
放射能汚染物質の仮置き場である。
かつて我々の食料を作り供給してきた田畑が
いま、いつまで続くかわからない放射能汚染物の仮置き場に変わりつつある。
そして、津波被害にあった建造物が放置されているのである。

避難指示が解除されても
いったいどこに帰ればよいのか 若い世代が本当に帰って大丈夫なのか
地元の方々の消えることのない問いである。


写真は人が住んでいない町の中心商店街である。
営業している店舗があると案内の方が言う。
除染作業などに関わる労働者のための金融機関と郵便局、そしてガソリンスタンドだそうだ。

先のご住職は
町は間違いなく消滅すると思う
が、
百年、二百年たち またこの土地に人が住み始めるかもしれないから
その人たちのために、人柱になれるような働きを私たちはするのだ
と結んでおられる。

この間、いくつかの町が首長選挙を行う。
人々は
実態のない町の選挙 やる意味があるのかわからない
と呟いた。
でも、きっとその方々は選挙に行くだろう
虚しさを抱えながら
ご住職の 将来の人々のために何とかしなければという思いと同じ気持ちで

こうした現実を押し付け、未だに 反省の色鳴く 原発の再稼働に突き進む輩(あえて使う)に
我が国の未来を託すわけにはいかないと
つくづく考えた旅であった。

フクシマ 必ず 見ておくべきである。

大学の受講科目修了へ引きこもり状態で全力傾注

2015-11-04 16:34:28 | 勉強
ここ1カ月

幾つかの行事をこなしつつ

ほぼ毎日

朝9時~午後4時過ぎまで

パソコンとにらめっこで授業を受講

障碍児心理学

ファイナンシャルプラン作成

等々

障害児心理学は 前副学長の近藤直子教授

公開セミナーや新聞への連載を読み受講を決めた

集中して

4日間で受講終了

子育てのあり方も含め勉強させられた。

障害を持つこの早期発見早期療育は改めて重視すべきと認識した。

しかし、自治体での取り組みは関西方面が進んでいるが

中々進んでいないこと

我が東村山市を想起した。

子どもの発達に応じて

困り感を持つ子どもに

寄添った支援、療育を早期に行うことで

子どもの困り感を大きく軽減することができる

また、我々は障害が個性だとよく言うが

そうではない

個性と言う時 それは固定される

障害は先にも述べた 発達過程でのその子自身の困りごとであり

早期発見と早期療育で発達を促すことができる

という考え方に

我が意を得たりの感を強くした。

勉強した甲斐があった。

この他、実習のためのレポートをたくさん書いている。

これが一番きつい

ほぼ1カ月引きこもり状態である

チョット どこかに行きたくなってきたが

15日の試験を終えなければゆとりはない