katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

親子三代のご近所さんとオウムのリピーターさん教室

2024-03-31 02:27:13 | モザイクタイル教室
今日はまず親子三代のご近所さん教室。では小3の女の子から。結果から言うと、今日の3人は絶好調だったのね。そんな中、いつものように様子を見ながら、ここやって見て・・・じゃここって、

具合に指示して、そこをやって貰っている間に、次のお祖母様へ・・・ってグルグル回転して教えていると、思っている時間よりも早めに終わりました・・・って言うのね。じゃここって言うと、

また早い・・・この時に、元気なら難しい所、進みが悪いなら、簡単そうな所みたいに変化をさせるんだけれど、そうなると、ならここって具合に難しそうな所を2回続けて見たりして・・・。

それでも全く平気で・・・逆に何がそうなるの?って聞きたい所で、するとお母さんが春休みだからって。あぁそうかぁ・・・そう言う事かぁ。蓄積疲労無しって事ね。それじゃ難易度上げて・・

まぁ見事な進み具合だったのね。そうなると、お祖母様も連動するのね。そう言う雰囲気は感じ取るものなのね。誰かが疲れたぁって言えば、休憩になるし、その休憩も疲労や難易度が重なれば、

長くなったりもする。勿論それも今は楽しいって方向が多めでも、続くって事へ繋がれば、それもそれと考えたりもしていたのに、一番年齢が幼い子が休まないと、そりゃ大人も引っ張られる。

しかもそもそも学校なら1時間弱で休みが入るんだから、休む事が普通なのね。でも今日はほんの少し・・・凄い頑張っていたのね。

お祖母様も随分と切る事が慣れて来て・・・集中してたのね。

お母さんはいつも通りの安定感で、狙った形に切る事がかなり上手くなっていて、何も心配無いのね。ちょっと早いかも知れないけれど、もう時間が解決する・・・って言えちゃいそうなのね。

そんな後はオウムのリピーターさん教室。

何とか切るって事は慣れては来たようで、それならちょっとだけ難易度を上げるとすると、今まではどんな形であっても、輪郭の線をはみ出さなければ良いとすると、今度はなるべく大きく切る。

そして花びらを切るのだから、柔らかなカーブに切る事。間違っても直線禁止。こんな感じにね。それで今までとは明らかに違うパーツになるはず。何かみんな良い感じに順調なのね。

そんなこんな後、少しだけアオミノウミウシ。

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キウイ教室

2024-03-30 00:53:34 | モザイクタイル教室
今日は午前中は野暮用で午後からキウイ教室。何かプレゼント作品らしく、昨日下地は粗方作って置いたので間に合ったのね。まぁ特に改めて言う事では無いけれど、プレゼント作品の諸注意。

これが身内なら、いつものように全力で作れば良いと思うのね。でもいつでも誰にでも同じスタイルで作っていたら、蕎麦屋さんに松竹梅は要らないのね。ただこんな事を言うと、手抜きみたいに

思う人達もいるんだけれど、まぁそう思うような人には忠告は軽めに・・・まぁ簡単に言うと、ある程度経験があって、大作も作った事がある、そして人から上手いねって言われるようになった。

こんな場合、文字にすると上手いねって人が作るプレゼント作品になる。これが凄いねって言うのなら、凄いねって人が作るプレゼント作品になり、始めたばかりなら、頑張って作った作品になる。

その時にね、他人へのプレゼントを全力で作ったとすると、始めたばかりの生徒が全力で頑張った作品となれば、有難うって感じで終われると思うのね。それが何処からか見えない境目から、

良いなぁ・・・では無く、えっ?とか、羨ましいとか、私も欲しいって思わせられる作品になってしまうものなのね。そりゃ腕が上がれば当然の事。その時に、それは無理ってキッパリ断れる人で

あれば問題は無いけれど、うかつにも良いよ・・・なんて言ったら、貰った人がまた誰かに自慢すれば、あっという間に広がったりもする。そもそもお教室代もそこには入っているし、材料だって

掛かっているのね。って言うと、材料費払うから・・・なんて、当たり前の事で頼んで来るヤカラもいたりする。手間は払うほどでも無いから材料費だけで・・・って言われているようなもんで。

そんな何回か続けば、制作意欲なんて失せるのね。だから上手くなったね・・・なんて言われるようになったら、簡単に作ってあげるなんて事は辞めた方が良いのね。ただそれをも超えると、

きちんと甲乙丙丁ってランクを付けて作れるようになる。つまりやり過ぎ禁止を自分で調整出来るのね。そこを踏まえて作るのなら、随分と楽になるし、それと周りに言われてもキッパリ無理と

言えるはずなのね。それなら楽しみながら作れると思うのね。そんな後は、少しだけアオミノウミウシ。

今日はあんまり進まなかったなぁ・・・。

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とんかつのリピーターさんとアオミノウミウシ

2024-03-29 01:26:38 | モザイクタイル教室
今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室。それまでは画像は無いんだけれど、キウイから頼まれた下地を彫って・・・そんなこんなのお教室は新作のとんかつモザイク。

本日張り始めなのね。所が余りに細かい下絵に、何処が何処だか判らない・・・そこで一番濃い場所が判りやすいんで、そこからスタートしたのね。ただやはりパーツが細かい事で、あれ?って

迷いが多く・・・ただまぁその内に慣れるから、それまで何とかしのげれば。とは言え、左程心配して無くて、それはフェルメールを完成させた実績。それはとても大きいのね。

ただ1cmタイルを切るのだから、全てのパーツが数ミリな訳で・・・ぺきぺきのような大きなパーツでは出来ないのね。それも進みが悪い大きな原因なのね。そんな中、いよいよ始まった感は、

戸惑いの方が大きかったようで、こう切りたい・・・こうだな・・・って思うと、脇が空いていたり、手首が曲がったり・・・まだ切る事に集中すると、切る為の所作が疎かになったりする。

逆にそっちを意識すると、がんじがらめにされた感じになって、思うように切れない・・・それは切る事を優先するからなのね。例えば、ニッパーを短く持つと、てこの応用の原理で、力を入れる

事になる。それを長く持つと力は半減で済む。所が良い事と悪い事は背中合わせ。短く持つと、安定する。ニッパーの重さが半減した感じになるから。でも力を必要以上使うのだから、それを

子供でも判るように表現すると、えーい、やーって感じになる。力任せとか力いっぱいって感じね。そうなると、当然繊細な事をする表現からは遠ざかるのね。それと切った音にすると、

ガツンって感じね。これが長く持つと、重く感じるから、手首に負担が掛かるのね。そこで手首を体に乗せるようにすると、重さは半減する。まずこれで安定感が大きく変わるのと、長時間に

十分堪えられるのだけど、所作を無視すれば、そのしわ寄せは大きいのね。ただそれも長く持って手首を体に付けないと、腱鞘炎の原因になるのね。それを長く持ち脇を締めるようにすると、

ガツンでは無くコツンに変わる。ムキになる必要は無いのね。で次は、刃の入れ方。刃はなるべく浅く入れる。右利きなら、ニッパーの左端の一部、左効きなら、右の一部を使うようにする。

これで更に力は必要以上に要らなくなる。これを意識すれば、3時間くらい切るのは、子供でも簡単に乗り切れるのね。そう言う点では、所作を意識しなくても出来るようにする方が大事。

まだまだ始まったばかり。進む事より、基本なのね。それがぺきぺきの場合、柔らかかったんで、ただ切れれば、どんな切り方でも結果は出たのね。所が、1cmタイルは硬いから、今まで通りに

切ろうとしても思うようには切れないし、ぺきぺきはパーツが大きく切れるのね。所が1cmタイルは、数ミリになるから、持つ事が大変なのね。しかも持てないと飛んで行って紛失となる。

そりゃ心も折れて行く・・・やればやるほど上級者の実力が判るのね。そもそも技術なんてものは、結果だけ見ても何と無くしか判らないものなのね。こだわり方が全てなのだから。

簡単に言えば、こだわりを捨てればどの分野も簡単になる。けれどこだわれば一切の妥協は無くなる。ほらこの文章だけで、とても変わるでしょ?その第一段階が、意識を変えないと行動には、

繋がらないのね。まっ良いか・・・って意識すればこだわりを捨てられるから、どんどん進むし、いやこれじゃ嫌だ・・・こんなの・・・この形・・・って実力以上のこだわりを持つと、たった

3時間程度では数える位しか切れないだろうし、もっとこだわれば数枚切れれば良いんじゃないのかな。つまり身の丈身の程を知る事。今の自分の力量で切れるグレードはこれ・・・ってね。

簡単に言えば、3回やって出来ないものは今の自分では無理って事。ただその失敗の仕方なのね。全ての失敗を同じ失敗をしないようにする。そうすると出来なくても違う失敗事例を手に入れた

事になる。そうしたら、原因はこれかな?いやこれかな?・・・って是正を3回分考えた事になる。これを繰り返すと、いつしかあぁ恐らくこれだわっ・・・って所までたどり着く。

それが判る頃には切れるようになっているものなのね。所がその所作を含めた基本を無視して今進む事を優先しても、上手く切るでは無く、進む事を重視してしまうのだから、今、多少進んでも

手慣れた時に振り返ると、こだわりを浅くしたから進んだだけで、剥がしたくなるパーツだらけになるのね。所が最初からこだわると全く進まないが、その時その時の自分の最高の限界のパーツ

だから、後悔は少なくて済むのね。勿論それでも後悔は残るのね。ただその時の限界の繰り返しに手慣れるのと、進む事でこだわりを半減にしたのでは、年月が経ってからの差は大きいのね。

つまり乱暴に言えば、続けないでこれ一回なら、どんなでも切れれば良いのね。けれど、続けるのなら、ぺきぺきだけで通用する考え方だと、常に新しい素材に毎回つまづく事になるのね。

しかも一回なら比べるものが無いから最高って言いやすいけど、何年も続けば自分の作品を自分で比較する事になるし、比較しても違いが判らなければ目に進歩は無いし・・・。

何しろ算数では無く、数学になった・・・こんな感じね。そんな後は、アオミノウミウシ。

そもそも俺よりも細かいパーツなんだから、そりゃ大変なのね・・・

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サンシャインシティ用のアオミノウミウシのモザイク

2024-03-28 02:43:08 | モザイク作家
今日は丸1日、サンシャインシティ展望台でのワークショップの時に展示する作品作り。この作品は、水族館のイベントが毒の生き物・・・って言う話なんで、そこに寄せているんだけれど、

この作品はカツオノエボシって言うクラゲみたいな毒の生き物と、アオミノウミウシってそれを捕食するって言う生き物がセットで紹介される事が多く、それなら・・・って事で作っているのね。

1作品の中に2つの生き物って話なんだけれど、これが中々厄介なのは、どちらもかなり似ている色合いなのね。まぁ知らない人には、何だか判らない事になりそうだけれど、判る人には、結構

似ている・・・って思うだろうねって位、中々良い感じになっているのね・・・今の所ね。そんな中、結構な割合で大家さんが見に来るんだけれど、これ何?・・・って言うのね。ただ先日までの

カツオノエボシの時は、本物をたびたび見ているらしく、すぐに判ったんだけれど、逆に今日は、何これ?って言われたのは、ある意味良い事なのね。何故ならカツオノエボシを作っている事は、

すぐに判ったって事は、似ているって言う事で判ってくれたのね。しかし同じ作品に違和感なものがある・・・って気が付いてくれたって事だから、カツオノエボシでは無いものがある・・・って

気付いてくれた・・・色は同じなのに。つまりアオミノウミウシを知らなかっただけで、違和感には気付いた・・・つまりそれを判る人には判るって事になるのね。後は似ているって言わせられるか?

これが第一段階で、もっとと言うのなら、凄く・・・って言う言葉を貰えるようになのね。例えば似ているね・・・って言うのと、凄い似ているぅ・・・とでは、ランクが上になったように、

聞こえないかな?・・・そして本当に凄いのは、えっ・・・って、これだけ。本当に感激するって言うのは、あっ・・・とか、えっ・・・とか、おっ・・・とか、言葉にならないものなのね。

もっと言えば、これが作り手としての分岐点となるのが、似ているって側と何だか判らないんだけど、凄い・・・って方向になるんだけれど、例えば有名キャラクターの模写が似ているとか、

凄い似ているとかって表現。それを上回ると贋作として本物みたいって芸術みたいな方向と、これはトトロって言うもの・・・って宮崎駿さんがみんなに発表するって言うオリジナルの作品。

こう言う2極化になるのね。レシピ、図面、楽譜と言ったものを上手に真似るってスタイルと、オリジナルの違いなのね。ただ写真をそっくり真似るって言うと、オリジナル側の気持ちの作家

katsuの気持ちを損ねるし、真似るだけになると、上手い人はいくらでもいるから、そこを配置を変えたり合体する事で、オリジナルの生き物を使って違うもののように見せているのね。

まぁ簡単に言えば、ラップのような話ね。元歌を使ってループさせたりする事で、違う楽曲に構成する・・・まぁこれもいくらかのオリジナルには聞こえるだろうしね。ただ本家としては、真似

じゃん・・・それでもって思うかも知れないし、あぁ変化させてくれたんだな・・・とも思うかも知れないけれど、いずれにせよそんな違いがある。まぁとは言え、人のキャラじゃ無いから、

十分これもオリジナルなんだけれどね。まぁだけど、恐らくボタニカルアート的にそっくり真似るって分野の方に扱われそうだけれどね。まぁそれも絵画では無いから、そっちにも入らないかな?

ただそれもある意味予定通りだったりする。そもそも見た事が無い・・・これがオリジナルとしての第一歩。世界を探してもカツオノエボシやアオミノウミウシなんてモザイクがそうあるもんでは

無い訳で・・・。もしあるとして、それならそれで思い切り比較されると良いのね。世の中とは残酷なもんで、100均の商品だって比べるのだから、それよりも金額の張るものなら、比較対象が

ある時点で、思い切り比較されると良いのね。そして甲乙が必ずあるって事。作り手って言うのは、作っている最中は自分のものでも、人に見せた時点で、評価って言うのは人のもん。

しかも同点なんて無いのね。必ず甲乙を付けられる。最高に残酷なものなのね。どっちかが上、どっちかが下とね。しかもそれがプロと名乗るのなら、上手いだ凄いだなんてのは、当たり前で、

欲しい・・・って思わせるだけでも駄目で、買って貰わないと生活出来ないし、本当に凄いのなら、簡単に買えなくならないと・・・。それが先生と言う教える人なら、簡単にいつでも予約

出来るようでは、そこそこ先生なのね。簡単な話、大谷さんだって、小学生の頃なら一緒に野球も出来ただろうね。しかも同じクラス位の話でね。それが中学となれば、そこそこ上手く無いと、

一緒には出来なくなるし、高校なら甲子園に行くのだから、とても上手く無いと一緒にはいられない。それがプロなら、上手いくらいではいくらでもいるから、球団に指名されないと無理。

お金を出してでも・・・ってね。それだって入って終わりでは無くて、そこにも競争があって、引退するまでいられたら、優秀なサラリーマンって感じだし、もっと優秀だったり、野心があれば

日ハムからエンゼルス、そしてドジャース・・・って上書きをして行く。ヘッドハンティング的にね。いくら出しても・・・ってね。球団も、それを見るお客さんもね。ただ、そこまで行くと、

欲しい球団もお客さんも、誰でもって訳には行かなくなるのね。そりゃ引く手あまたってのは、当然安くは無い訳で。日ハム時代なら、千葉ロッテの幕張や所沢の西武でいくらでも見られたのにね。

そこまでたどり着くのは容易では無いし、目指した所で極わずか。ただ目指すのは勝手だし、非難するのも勝手だし、波風立てられないのではその程度。賛否両論なんて言うのは興味を持たれる

証拠で、良くも悪くもそうならないと・・・。いずれにせよ、そんな気持ちありきで作った作品が、サンシャインシティの展望台のお客さんにどれだけのアピールが出来るか?・・・

そりゃワクワクドキドキするでしょ?こんな仕事なのね・・・夢を目指すって言うのは。ただ普通の仕事って言うのは、タイル屋の頃みたいな話で、相場って言うものがあって、相見積もりって

誰かと比べられて、安いから・・・って雇われて、指示通り終われば、生活に困らない程度のお金が頂ける。これを予約しても何年も待って貰う・・・とか、買えないって人を目指さないと・・・

って、全く違う正反対になろうとしているのだから、そりゃ簡単では無い訳で・・・。だから芸術家への道なのね。そもそも芸術家って言われるようになったら、簡単に買えるようじゃ話には

ならないのね。凄い車、凄い家、凄い料理・・・凄いだけでも普通は買えないのに、誰もが知ってる大谷さんなら?・・・見る事だけでも大興奮って話でしょ?そうなりたいって話なのね。

そりゃ努力なんていくらやっても足りないのね。しかもたどり着いたとしても、そこはスタート地点。そこからやっと本当の始まりなのね。常にそう思い描いて毎日があっと言う間に終わるのね。

この仕事を初めて20数年。あっと言う間に60歳・・・毎日毎日は、来る日も来る日もって感じなんだけれど、慣れるとそれも大した事は無く、ぼぉーと過ごしても、同じ時間が過ぎるのね。

普通はタイル屋だったら、もう御老体になる。スポーツ選手と同じだから、そりゃきつかろう。ただモザイクは落語と一緒。いつまでも出来る。座って出来るし、暑くも寒くも無い。

まぁ毎日が坊さんの修行のようなのね・・・ただそろそろ謙虚って修行の身のみってのも飽きた。しかも普通なら退職の60歳。もうそろそろ、遠慮や謙虚が美徳だけじゃ無くても良い歳になった。

だけじゃ無く・・・ね。辞めたじゃ無くて、あくまで、だけじゃ無く。高く評価される所に行きたいだけ。より高く・・・もっともっとってね。評価の低い所で甘んじる気持ちは一切無い。

それならば、低く見えるような作品は嫌だし、きちんと評価して貰える場所や人と出会う為の努力をより一層強く持たないと・・・ってね。何しろ夏までには大きく変えたいんでね・・・。


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父の検診とピエロの壁画の下絵

2024-03-27 01:01:19 | モザイク作家
今日は朝は父の検診から。午後からアトリエに行って、ピエロの下絵。

だいぶ描き込んで・・・かなり具体的になって来たのね。こんなのが一般家庭の外壁になったら、世界初だろうね・・・きっと。公共施設でも無いのにね。そしてオリジナル・・・。

こちらも楽しみなのね。

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ピエロのリピーターさんとピエロの下絵

2024-03-26 02:34:09 | モザイクタイル教室
今日はピエロのリピーターさん教室なんだけれど、ピエロの壁画のお客さんでもあって・・・そんな訳で、作品を進めつつ問診って感じだったのね。そうね、ここが毎回悩みなんだけれど、

そもそも頼まれた題材は、ピエロなのね。ただ壁画としてのスペースで考えると、ピエロを一つ作ると、ほぼバックの方が多いから、それを埋めるだけの情報が欲しいのね。そこを広げて考えたら

実はピエロでは無くて、サーカス団を作る・・・にすると、ピエロもいるし、キャラも増える。しかも、特に考える事は無く、お客さんの家族をサーカス団に見立てるとするのなら、家族構成を

聞けば、誰がどんな感じだから・・・って設定が決まれば、後はキャラ作りとなる。そこでほぼある程度描けたのね。所がまだまだスペースはあって、ただ恐らくサーカス団だから、テントが必要

だし、出来ればサーカス団の名前を入れるとかすると、上の方も埋まるのね。そんな中、ここまでの下絵は気に入って頂いたんで、こうした空白を埋める為の情報が欲しかったのね。

そんな中、聞いていた情報は全て使い切ったのね。そうしたら、子供達は家族を持ってこの家から出て行ったから、ピエロと団長とハトしかいなくて、ゾウやシロクマの方が人数が多いし、

賑やかになり、ピエロが寂しくて泣いているみたいになったんで、メンバーを増やしたい所だけれど、左程関係性の無いものを入れても・・・と考えると、果てさて・・・って事だったが、

古くからいる従業員さんがいて、この家に出入りしているとの事。そりゃ家族みたいじゃん。それならメンバーでも・・・と新たなメンバーとして猫が入ったのね。それと店舗の数の分の風船。

これでいくらか賑やかになって来たのね。



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カツオノエボシのモザイク

2024-03-25 02:31:05 | モザイク作家
今日はサンシャインシティの展望台展示用のカツオノエボシのモザイク制作。

膨らませる話も特に無く・・・まぁ作家として作品制作では、やってます・・・って事で終わってしまうのね・・・。もう少し進めば、似ている似ていないの感想などを聞くかも知れないが、

今日は何も無いなぁ・・・。

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kameyaさんと料理の先生教室

2024-03-24 08:34:58 | 出張教室
今日はまずkameyaさん。ではまずりょうさんから。自宅でパーツを仕込んであって、張るって所からスタート。

良い機会だから、点の作り方と線の作り方の違いの説明って事にすると、この1cmタイルの4分の1の半丸のパーツは、同じサイズに切れれば、何処にでも使える。そして1枚で完結する。

こうしたものを点で作る・・・とするのなら、

髪の毛のような、同じ幅をキープしつつ、最後までたどり着いて1つのパーツに見せる・・・こんな事が線の作り方。難易度がはるかに違うのね。勿論後者が難しいのね。

これを前提にどちらかと比較すれば、点の方が難易度が低いのだから、それを自宅で切って来たって事になるのね。ただ月に1回の場合、30日に1回って感じになるのだから、忘れてしまうのね。

えっと・・・って具合にね。所がこの30日の間に、何処かでタイルを切った事になる。これが15日後なのか?7日前なのか?にしても、30日もタイルを切らなかったって事にはならないのね。

ほらこう聞いただけでも、いかに復習って言うのが大事なのは言うまでも無いのね。ただとは言うものの、良くある話で、まだ体験のように始めた頃は、30日待ち切れないって感じで、自宅で

張るだけでもやってみたい・・・って気持ちになったりする。しかしながら、慣れて来ると新鮮さが消えると同時に、慣れる・・・つまりそこそこ上手くなったり、ある程度作ってしまった・・・

って事になると、制作時間が一定だったり、楽なものだったり、悩まない事ばかりを選ぶと、あぁこんなもんかぁ・・・ってな気持ちになるのね。これが慣れって気持ち。ただそこを打破するのに

大作なんてもんにチャレンジをしたとする。そこは人それぞれで、例えば鍋敷き位が最高の大きさだったとすると、20cm程度になるものを、50cmにすれば倍になる。これは大作だし、体験後に

20cmの鍋敷きなら、その人に取っては大作になる。まっこうした意識の問題なんだけれど、大きくなるって言う事で、段々とか徐々にとか、段階を経て行くと、大変さを知ってしまうのね。

こんなのやれば、きっとあぁなるかも・・・みたいにね。それが緊張感を生むし、プレッシャーになるのね。ただそれが上手くなる事に繋がって行くんだけれど、その時に何と無く決めたのか、

これがやりたい・・・って意識の違いで挫折する事もあるのね。例えば、意識が高くなるって言うと、ウチの犬みたいに絶対欲しいでしょ?こんな場合、どんな形であっても、たどり着く方向に、

進めるし、何と無くでも、何かのキャラが好きって始めても、完成させて飾りたい・・・って思いは一緒なんで、こうした場合は、何とかなるのね。ただ、何と無く・・思い付かなかったから・・

こんな場合、レッスン料や材料費がかさめば、何でこんな事してるんだろうか?って思ったり、雨だから行きたくないな・・・とか、他に楽しい事が見つかったりすれば、そっちの方が良いに

決まっているのね。ただそんな場合は、きっとそこでもまた同じ事が繰り返されるので、楽しいと思う事だけ選択して行く事になるから、どれもこれも上手くはならないのね。ただ楽しみだから。

所が、悩むとか考えるとか、楽しいだけじゃ無くて、ちょっと苦しい・・・って乗り越えるなんて作品を選択をした場合、そりゃ苦労するなんて事になるのね。ただそれが進級でしょ?

厄介なのは例えば、九九を始めた時、トイレにお風呂なんて所まで張り紙して覚えたりしたとする。もはや特訓だし、洗脳だな・・・でもね、質問に答えた時に、出来るじゃん、凄いじゃんって

言われて嬉しかったりしたのね。ただそれを中学生や高校生に質問する?しないでしょ。しかも答えて嬉しい?当たり前なのね。つまりコースターや鍋敷きで楽しい時期はあるけれど、年期って

もんがあって、習っている年数みたいなものがあって、その時に自分の一番自慢の作品みたいなものが無いと、何万個もコースターを作っても楽しみが継続されるか?となると、難しいし、逆に

因数分解や微分積分が楽しいか?って言うと、挫折対象にもなるのね。算数の時は楽しかったのに・・・ってね。この境目を間違えると、私もやる・・・みたいな連動したような場合、

何でこんな事をしちゃったんだろうか・・・みたいになるものなのね。いずれにせよ、こうして自宅でパーツ切りを出来るようになると、張らないで切るだけなら、取り返しが付く安心な気持ちで

やれたりするのね。そうすると、これも慣れで、切れる・・・って気持ちになれば、やる気になる。ただただ切るってだけに慣れると、また進級になる。あぁそれは出来るようになったのね。

って具合に。それなら進級って何?って言うと、ただ切るって言うのは、一軍、二軍、子供達の合同・・・ってパーツが容器に入れてあるって感じなのね。つまりただ切ったから。

それを一軍成功パーツ、これは駄目かもな・・・の二軍パーツ、これは失敗って子供が入れちゃったみたいなパーツみたいにふるい分けすると、これだけで緊張感が出るものなのね。

しかも成功の一軍がいっぱいになれば自信になるし、子供パーツばかりになれば、不安にもなる。これがプレッシャーと向き合う事になるのね。これが進級の練習になるのね。

それを自分に甘い目で見極めると、成功は沢山になるし、厳しい目で見過ぎると、失敗だらけになり、落ち込むし手持ちのタイルが無くなって来る・・・その時の指導は同じ失敗を繰り返えさない

事。何故失敗したか?基本の動作に抜かりは無いか?もしかしたら、ここをおろそかにしたんでは無いか?と是正して、失敗に変化が出れば、是正対象が見つかるが、維持になりこんちくしょう・・

ってやっても結果は出るはずが無いし、ただただタイルを無駄にするだけ。全ては根拠があって、結果はちゃんと後から付いて来るものなのね。だから今、数を沢山よりも、成功はどれ?って目が

必要なのね。しかも誰が見ても成功では無くて、今の自分ではこの位が成功・・・って、言う自分と、自分は出来なくても、出来る人の成功と失敗を見極める目を養う事。そうすると、あれが本当の成功パーツね・・・って判るし、

でも今の自分があれだけを成功とした場合、2枚しか成功が無い・・・なんて事になれば、心なんて簡単に折れる。そうじゃ無くて、自分のパーツを整えて、5、6割成功に見えるようなパーツを

成功とします・・・的な考えで、1、2割の成功にしない・・・って卑屈にさせない事と、反対に8、9割成功なんて甘過ぎにしない・・・って、正しい判断力を付ける練習をする事なのね。

そう言う点では、今日のりょうさんの半丸はお見事だったし、線でのパーツは四苦八苦してたのね。ただこうして画像を見る限りでは一切判らないだろうけれどね。では棟梁。

ここまで来ると指導は目で見える事では無く、考える事なのね。タイルを切る事には困らないのだから。安心安全でここまで作っちゃうのね。ただこんな人の進級って?何・・・。

それの初歩が、陽がどっちから当たっているとか、風がどっちから吹いているとか。でもこれも見りゃ判るのね。そう考えて意識すれば、そう見えて来るものなのね。だったらまた進級。

葉っぱが緑ならあっちもこっちも緑かな・・・ってな話で、良く見る事なんだけれど、オリジナルだからサンプルが無いから感で作っているのね・・・こらこら、思い込みで作らない。

似たような画像を見た時に本当にそうなのか?って確認もしないで、常に感。これが棟梁の作り方なのね。これではそれ以上にはならないのね。そうでは無くて、それ以上にするのなら、感だけ

に頼らない事。これで良いのかな?本当はどうなんだろうか?って自問自答する練習をして、花の写真を良く見て、密集している時はどうなっているのか?って良く見た時に、思い違いがあれば、

今の自分の思い違いに気が付けるが、こうして、こうして・・・と考えてやってはいるものの、思い違いは無いか?の見直しは無いのね。だって自分が何も見ずに自分で正解を出してしまうのだから。

それではいつまで経っても、気付きって事にならないのね。つまりやって見ないと判らないスタイル・・・所がこう言う器用な人は、やって見て、あぁ違うなって簡単に是正するから、結果として

何も傷まずに、チェッっ程度の苛立ちで修正出来るのね。確かにそれは自分だけならそれで良いが、これから相席やら上手い人側になる時に、やって見ないと判らないよね・・・って、安心

させても、自分は直るけれど、その人はどうかな?・・・上級者の声には重みってものがあるのね。影響力ってのが・・・棟梁はもうそれが必要な人になっているのね。一方的に教わる側では

無く、教える側の方も勉強すべき。それが手に入ると、棟梁は今より進級するはず。何せ腕はここまで上手いのだから。そんな後はアトリエに戻って、料理の先生教室。

結果から言うと、全てのモチーフが張り終わったのね。つまり次回からバックになる。もう終わりが近づいて来たのね。すると、新作の話が出て、私も時計が作りたいとの事。

もう次回作が決まっているって言うのは、止まる事無く進めて、しかもそれが欲しいって言うのだから、恐らくそれも手に入るはず。しかし毎度なんだけれど、ぺきぺきでは教える事は無いのね。

とても丁寧だし、安定感もある。これが一作目とは思えないのね。器用な人ってのは、いっぱいいるなぁ・・・って思うのね。しかも楽しいモザイクだし、これを掲げて料理教室。

こっちも見て見たくなるのね。そんな後はカツオノエボシをちょっぴり・・・



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カツオノエボシのモザイク

2024-03-23 01:17:57 | モザイク作家
今日はお教室がキャンセルになったんで、朝からカツオノエボシの作品作り。その前にペンキ塗りから。そんなこんなで本格的に張り始めたのね。

まぁ大体こんな感じになるだろう・・・って雰囲気にはなっているんで、グレード的には問題は無いけれど、ピッチとしてはもう少しアップしたい所だけれど・・・。

そんな中、正式に来月の28、29日の日曜、月曜日の2日間、サンシャインシティの展望台でワークショップをする事になったのね。若干フライングな所があったんだけれど、今回は正式に。

と言う訳で、このカツオノエボシはその一環なんで、スピードアップが要求される事となり、下地についても近々彫りに行く予定。それと同時にしながわ水族館に展示して頂いてたリュウグウノツカイも展示して頂ける事になったのね。

また見て貰って、また知って貰って、階段が登れる・・・

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闘牛士の背中のリピーターさんとカツオノエボシ

2024-03-22 01:51:16 | モザイクタイル教室
今日は午後から闘牛士の背中のリピーターさん教室。それまでカツオノエボシの彫り残しをやって、下地はほぼ終了。後はオイルなのか、ペンキなのか?って何か塗るだけ・・・・。

これは教室後半から張り始めたのね。そんなこんなのお教室は、マティスなる切り絵の芸術家の話なんだけれど、いつもそうなんだけれど、芸術家を目指している・・・って感じになっているのに

まぁ知識が無くて、いつもこうして誰かが教えてくれたりして・・・この仕事になって何人もの芸術家を知ったのね。しかしいつもながら、みんな良く知っているのね・・・って感心するのね。

逆に何でそんなに詳しかったり、どうして出会うんだろうか?って思ったりするのね。例えば、子供の頃に目指していたとしたら、行けるかどうかは判らないけれど、美大なんかを目指すんだろうね。

それなら、当然ある程度詳しくはなると思うのね。技術もそうだけれど、知識も入って来るだろう。でも厄介なのは、何でも早めに始めると、良い事は徳を積むように、蓄積する。

けれど常に背中合わせの悪い事があって、幼く始めるとみんなよりも早めなんで、裾野が広い分野は、ライバルが沢山いて、本人が望まなくても必ず比較されるものなのね。

簡単言えば、塾へ行くなんて事。俺の子供の頃はスイミングスクールなんて言うと、クラスに数人って事になると、そのクラスの中では優秀な結果を残すだろうね。ただ当然、それは習っている人

と習っていない人を比較するのだから、当たり前なんだけれど、じゃスクールでは?となれば、みんなが習っている人になるから、条件は一緒になると、そんな人も下の方になる可能性は多い。

それが勉強なら?それが野球なら?そして美術なら・・・って話。そしてそんなスペシャリストな場所で同じ知識や技術を習っても、大きく差が出て、優秀と非優秀に分かれて、一部が残る。

そこから最後まで同じ道で生き残れる可能性は極一部。これがエリートな生き方としたら、非エリートな生き方は、その幼い頃の比較は無かった場合、知識も技術も自己流で、ライバルも不在。

消えずに済むんだけれど、歳を取ってから次々と新しいダメージを受けて行くのね。ただ幼い心持ちの時とは違って、経験値としてあれこれ叩かれているんで、ダメージ慣れしている事もある。

結局何でも優れている人は、何処にでもいくらでもいるんだけれど、どんな道から歩んでも、続けられた奴の中から一部の生き残りになれる・・・しかしいくら知識や技術を早く植え込んでも、

早くダメージを受けて辞めてしまう事になったら、本末転倒だったりする。まぁ俺の場合、非エリートな道を歩くしか無いから、結構道が険しいのね。ただって事は、いちいち悩まずに済むのね。

あれこれって迷う必要が無いから、やるしか無いのね・・・

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