katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

闘牛士の背中のリピーターさんとカツオノエボシ

2024-03-22 01:51:16 | モザイクタイル教室
今日は午後から闘牛士の背中のリピーターさん教室。それまでカツオノエボシの彫り残しをやって、下地はほぼ終了。後はオイルなのか、ペンキなのか?って何か塗るだけ・・・・。

これは教室後半から張り始めたのね。そんなこんなのお教室は、マティスなる切り絵の芸術家の話なんだけれど、いつもそうなんだけれど、芸術家を目指している・・・って感じになっているのに

まぁ知識が無くて、いつもこうして誰かが教えてくれたりして・・・この仕事になって何人もの芸術家を知ったのね。しかしいつもながら、みんな良く知っているのね・・・って感心するのね。

逆に何でそんなに詳しかったり、どうして出会うんだろうか?って思ったりするのね。例えば、子供の頃に目指していたとしたら、行けるかどうかは判らないけれど、美大なんかを目指すんだろうね。

それなら、当然ある程度詳しくはなると思うのね。技術もそうだけれど、知識も入って来るだろう。でも厄介なのは、何でも早めに始めると、良い事は徳を積むように、蓄積する。

けれど常に背中合わせの悪い事があって、幼く始めるとみんなよりも早めなんで、裾野が広い分野は、ライバルが沢山いて、本人が望まなくても必ず比較されるものなのね。

簡単言えば、塾へ行くなんて事。俺の子供の頃はスイミングスクールなんて言うと、クラスに数人って事になると、そのクラスの中では優秀な結果を残すだろうね。ただ当然、それは習っている人

と習っていない人を比較するのだから、当たり前なんだけれど、じゃスクールでは?となれば、みんなが習っている人になるから、条件は一緒になると、そんな人も下の方になる可能性は多い。

それが勉強なら?それが野球なら?そして美術なら・・・って話。そしてそんなスペシャリストな場所で同じ知識や技術を習っても、大きく差が出て、優秀と非優秀に分かれて、一部が残る。

そこから最後まで同じ道で生き残れる可能性は極一部。これがエリートな生き方としたら、非エリートな生き方は、その幼い頃の比較は無かった場合、知識も技術も自己流で、ライバルも不在。

消えずに済むんだけれど、歳を取ってから次々と新しいダメージを受けて行くのね。ただ幼い心持ちの時とは違って、経験値としてあれこれ叩かれているんで、ダメージ慣れしている事もある。

結局何でも優れている人は、何処にでもいくらでもいるんだけれど、どんな道から歩んでも、続けられた奴の中から一部の生き残りになれる・・・しかしいくら知識や技術を早く植え込んでも、

早くダメージを受けて辞めてしまう事になったら、本末転倒だったりする。まぁ俺の場合、非エリートな道を歩くしか無いから、結構道が険しいのね。ただって事は、いちいち悩まずに済むのね。

あれこれって迷う必要が無いから、やるしか無いのね・・・

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