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スズメバチてんでんこ

2011年05月17日 | ◆Weblog

東日本大震災時の大津波では、地震の揺れから、被害の大きかった津波第2波到達までかなり時間があったのではないか?つまり津波は全て予知でき、多くの方々が避難できたのではないか?と思い、調べてみた・・がはっきりした事は、検潮場が被災し機器が破壊されている・・などの為わからないらしい・・ 非常に重要な事だと思うのだが・・ しかし30分程度はあったようだ 言いたい事に近い記事があったので保存しておく・・

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東日本大震災:津波の犠牲なぜ? 続く震動、ハードを過信

 東日本大震災では発生3分後の11日午後2時49分、岩手、宮城、福島の3県に大津波警報が出された。気象庁地震津波監視課は「ベストは尽くした。今の技術ではこれが限界」という。緊急地震速報も東北の太平洋沿岸各地に大きな揺れが来る5~25秒前に発表された。津波到達まで30分程度は時間があったのに、なぜ多くの死者・行方不明者を出したのか。【福永方人、飯田和樹、酒井祥宏、三木幸治】
 ◇「警報知らずに」油断も 

 600人以上が死亡し、行方不明者も600人を超えている岩手県釜石市。大津波警報は防災行政無線の拡声機などを通じ、住民に繰り返し伝えられた。

 気象庁によると、大津波が到達したのは午後3時20分ごろで、高台などに避難する時間はあったように見える。

 だが、今回の地震は三つの地震が連動して起きたため揺れの時間が長くなり、三陸では震度3以上の揺れだけで3分程度続いた。しかも、午後3時8分に三陸沖でマグニチュード(M)7.4、同15分にも茨城県沖でM7.7の大きな余震が発生。M5以上でみると余震は3時20分までに少なくとも15回に達した。揺れが続き、建物などの被害が拡大する中で避難しなければならない状態だった。

 釜石市は明治三陸地震(1896年)やチリ地震(1960年)で大きな津波被害を受け、避難訓練などを繰り返してきたが、現地を調査した群馬大広域首都圏防災研究センター長の片田敏孝教授は「大津波にのまれないような避難場所が近くになかった住民も少なくない。特に、お年寄りや家族を捜して一緒に避難した人などが逃げ切るのはかなり難しかったのではないか」とみる。

 ハード面の対策への過信が被害を大きくした地域もある。岩手県宮古市の田老地区は、明治三陸地震津波などを受け、住宅地を囲む大防潮堤が造られた。海面から高さ10メートル、総延長2433メートル。「万里の長城」と呼ばれていたが、大津波で破壊されて約1600戸が流された。

 自宅から逃げなかった花輪節子さん(68)は夫征夫さん(70)が亡くなり、「お父さんと逃げていれば良かった」と悔やむ。地震発生後、家の外で誰かが「津波の高さは3メートル」と口にした。10メートルには余裕があると思った。その数十分後、大津波が自宅2階のガラス窓を突き破った。「大丈夫だと過信があった」とうなだれた。

 一方、近年は大きな津波被害の経験がない宮城県南部から福島県では、避難しなかった住民も少なくない。仙台空港が水没し、死者・行方不明者が1700人を超える宮城県名取市。美容院経営の女性(48)は大津波警報を知り、義母を避難所に連れて行くなどしたが自分は自宅に戻り、警報から約1時間後に津波が迫っていることに気付いてようやく逃げた。自宅は流されたという。「大津波が来るなんて思っていなかった。近所の人たちは津波警報が出ていることすら知らず、のんびりしていた」

 三陸地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがある。「津波の時には、家族にも構わず(てんでばらばらに)逃げろ」という意味だ。8歳で昭和三陸地震の津波に遭い、体験を語り継いできた田老地区の田畑ヨシさん(86)。今回の大津波で自宅を流されたが、高台にある妹(81)方に避難し無事だった。「堤防だけに頼るのは危ない。地震が来たらすぐ逃げる」とかみしめるように話す。

 片田教授が05年から防災教育を続けてきた釜石東中と隣接する鵜住居小。子供たちは訓練通り、地震発生後すぐに中学生が小学生の手を引いて約1キロ先の高台へ駆け上がり、全員無事だった。片田教授は「彼らのような意識が住民全体に広がれば、想定外の災害でも被害を軽減できる可能性を示してくれた」と語った。
 ◇ハード対策、限界露呈 釜石「世界一」の堤防大破

 今回の大津波は、膨大な予算を投じて営々と築いてきた津波堤防をいとも簡単に突破し、ハード面の対策の限界も見せつけた。
左側の堤防の間にはめ込まれて据え付けられる「釜石湾口防波堤」77個目で最後のケーソン(右側)=2006年7月26日、鬼山親芳撮影
左側の堤防の間にはめ込まれて据え付けられる「釜石湾口防波堤」77個目で最後のケーソン(右側)=2006年7月26日、鬼山親芳撮影

 釜石湾の入り口にある「湾口防波堤」。ケーソンと呼ばれる鉄筋コンクリート製の巨大な箱(重量1万6000トン)を並べて造られ、ハの字形に北(長さ990メートル)と南(同670メートル)の二つの防波堤が配置されている。78年度に着工、約1200億円をかけて約30年後の09年3月に完成。開口部(幅300メートル)の水深は63メートルあり、世界で最も深いとして10年にはギネス認定された。
津波の巨大な破壊力に無残な姿を見せる防波堤=岩手県釜石市で2011年3月24日、本社ヘリから加古信志撮影
津波の巨大な破壊力に無残な姿を見せる防波堤=岩手県釜石市で2011年3月24日、本社ヘリから加古信志撮影

 国土交通省東北地方整備局の遠藤正義・港湾空港環境対策官は「津波は海面から海底までの海水全体が陸に向かって動いてくる。それを湾の入り口でせき止めようとの考えで造られた」と説明する。同省港湾局などによると、今回の大津波では沿岸に達した津波の高さを13.7メートルから8メートルに下げ、陸上での最高到達点の高さも20.2メートルから10メートルに軽減し、津波が防潮堤を越えて市街地に流れ込む時間を6分間遅らせたと推定されるという。

 それでも、多数の死者・行方不明者が出ることは防げなかった。防波堤が完全な形で残ったのは4分の1で、半分は土台からケーソンが落下。遠藤対策官は「『歯抜け状態』。世界に誇る構造物だったのに非常に残念」。大船渡港にもあったが「古い(67年度完成)こともあったのか、全壊した」という。

 湾口防波堤は、国の津波対策の切り札だった。既に全国6カ所に完成し、4カ所で建設が進む。国交省技術監理室の石橋洋信技術基準審査官は「高さだけでなく頑丈さも必要になるが、理論的にはあと5メートル高くすれば大津波を防げる可能性があった。ただし、最初から造るには従来の1.5倍以上の予算がかかる。再整備にも数百億円はかかる。どこまで整備するかは社会的な議論が必要だ」と話す。

 岩手県もチリ地震津波以降、防潮堤の建設を続けてきた。同県県土整備部によると、05~10年度は約37億円を投じ、年平均6億円程度かけている。同部は「他県より率先して整備してきたと思うが、今回の被害で、ハードによる津波対策のあり方は当県だけでなく全国的に見直されるかもしれない」という。

 国交省海岸室は「堤防だけで全てを防げるわけではない。津波避難ビルやハザードマップなどのソフト面などと組み合わせて、津波防災を考える必要がある」と話している。


東日本大震災:津波の犠牲なぜ? 続く震動、ハードを過信 - 毎日jp(毎日新聞)





私は、以前オオスズメバチに刺され、一時死にそうになった事がある(バイク時ヘルメットに入ってきた)のですが、次回はまずいので、対ハチ毒用品を持ち歩いたり、とにかく見かけたら如何なる状況であろうと一目散にダッシュで逃げるようにしています・・ 皆さんじっと動くな とか 黒い物を着るな とかいいますが・・ 即逃げるのが一番だ

同様な事は原発事故にも言えるようだ・・

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福島第1原発2、3号機もメルトダウン 

2011年5月17日 02時00分

 東京電力福島第1原発の事故で、原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は16日、ほぼすべての燃料が溶解して圧力容器底部に落下する「メルトダウン」(全炉心溶融)は、東電が認めた1号機だけでなく、2、3号機でも起こっているとの見解を示した。

 班目氏は定例会後の会見で「高濃度の放射能汚染水が3月下旬にタービン建屋地下で見つかった2号機は、その時点でメルトダウンだと認識した」と説明。「事故の経緯を考えると、1、3号機でも同様な事が起こっていると想像していた」と述べ、1~3号機すべてでメルトダウンが起こったとの認識を明らかにした。

 1号機は、圧力容器の上部の温度が下部より高くなっており「燃料の全部が底に落ちているわけではなく、少しは上の方にとどまっているだろう」とした。

 経済産業省原子力安全・保安院はメルトダウンを「溶融した燃料が炉心下部に落ちていく状態」と定義した上で、これまで1~3号機では起きていないと強調していた。班目氏は「保安院は楽観的なイメージを持っていたと言わざるを得ない」と指摘した。

◆3基「溶融」想定で対策検討

 細野豪志首相補佐官は16日、福島第1原発1号機でメルトダウンしたことに関連し、2、3号機でも同様のことが起きたとの想定で今後の対策を進める必要があるとの考えを示した。

 会見で細野氏は、原子炉圧力容器への冷却水の注入が止まった時間は、1号機が14時間9分、2号機が6時間29分、3号機が6時間43分だったことを明かした。

 その上で、「水が途絶えた時間は2、3号機も決して短くない。1号機と同様のことを想定しなければいけない」と述べた。ただし2、3号機もメルトダウンしていた場合でも燃料の大半は圧力容器内にとどまっているとの見方を示し、「冷却はある程度うまくいっている」と語った。

中日新聞:福島第1原発2、3号機もメルトダウン :社会(CHUNICHI Web)

地獄の釜



”メルトダウンしていた場合でも燃料の大半は圧力容器内にとどまってい”ない場合はどうすんだ!!! 「極めて遺憾」とか言うんだろう


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